第11話:スパルタ×エンシェント・ドラゴン 〜空の王者と地の解体屋〜
地下迷宮「無限回廊」を抜けた先には、灼熱の地獄が広がっていた。
レオニダスが石の扉を蹴破ると、熱風がハンマーのように顔面を殴りつけてきた。
気温は五十度を優に超えている。
視界を埋めるのは、赤黒い溶岩の動脈と、黒煙を噴き上げる巨大な活火山。
魔王城は、その火山の火口付近、断崖絶壁の上に不吉な墓標のようにそびえ立っていた。
「……暑いな」
レオニダスは、全身から滝のような汗を噴き出しながら言った。
「地下の涼しさが恋しいです。ここはテルモピュライの夏よりも過酷だ」
副官のアステリオスも、マントで汗を拭い、ニヤリと笑った。
「文句を言うな。無料のサウナだと思えば健康にいい。それに、この硫黄の匂い……ヘラクレスの武勇伝を思い出させる」
案内役のミナは、暑さよりも別の恐怖にガタガタと震えていた。
「れ、レオニダスさん……この山は『竜の顎』と呼ばれています。魔王様のペット……最強の番人がいるんです」
「番人?」
レオニダスが空を見上げた時、太陽が消失した。
雲ではない。
巨大な質量が、空を覆い尽くしたのだ。
グオオオオオォォォォッ!!
大気を、そして内臓を震わせる咆哮。
上空から舞い降りてきたのは、全身を紅蓮の鱗で覆った、全長五十メートルを超える巨竜――エンシェント・ドラゴンだった。
その威圧感は、これまでのどの敵とも次元が違う。生物としての頂点。空の絶対王者。
「……ほう」
レオニダスは、目を輝かせた。
それは恐怖ではない。純粋な歓喜の瞳だった。
「ペルシアには戦象がいたが……これは、それ以上だ。我らの始祖ヘラクレスが打ち倒したという『ヒュドラ』や『ラードーン』……まさか、神話の怪物にお目にかかれるとはな」
ドラゴンは岩山の上に優雅に着地し、黄金の瞳でスパルタ兵たちを見下ろした。
そして、腹の底に響く声で語りかけてきた。
『……我ガ領土ニ踏ミ入ル、矮小ナル虫ケラドモヨ。骸トナリテ、我ガ糧トナルガヨイ』
傲慢。絶対的な強者のみが許される、慈悲なき宣告。
だが、レオニダスは一歩前に出ると、槍を天に掲げ、朗々と叫んだ。
「感謝するぞ、オリュンポスの神々よ! そして魔王とやらよ!」
王は不敵に、そして嬉しそうに笑う。
「神代の戦いを、この身で再現できるとは! おいトカゲ、いや、誇り高き古の竜よ。挨拶代わりだ、その自慢の火を吐いてみろ」
ドラゴンは、羽虫の戯言に目を細めた。
『愚カナ……神ノ怒リヲ知レ。灰トナレ!』
ドラゴンの喉元が赤く発光する。
膨大な魔力が熱量へと変換される予兆。ブレスだ。岩をも蒸発させる、数千度の炎の吐息。
「来るぞ! 英雄の試練だ! テストゥド!」
レオニダスの号令一閃。
スパルタ兵たちは反射的に密集し、盾を頭上に掲げた。隣の兵と盾を重ね、隙間のない屋根を作る。
ゴオオオオオォォォォッ!!
紅蓮の奔流が、スパルタの陣形を飲み込んだ。
炎の津波。
周囲の岩が赤熱し、飴細工のように溶けていく。
盾の表面温度は急上昇し、革の持ち手が焦げる匂いが充満する。
「熱い! 王よ、これは熱すぎます! 蒸し焼きになります!」
「笑え! アステリオス!」
レオニダスは熱波の中で吼えた。
「この業火こそが、我らを神話の住人へと変えるのだ! 耐えろ! 始祖ヘラクレスもこの熱に耐えたのだ!」
数十秒の灼熱地獄。
やがて炎の勢いが弱まった。限界か。
「今だ! 散開!」
レオニダスの号令と共に、亀の甲羅が弾けた。
中から飛び出したスパルタ兵たちは、全身から湯気を上げ、鎧を赤熱させながらも、誰一人として倒れてはいなかった。
『ナニ……? 我ガ炎ヲ防グダト?』
ドラゴンが驚愕する。
「お返しだ!」
セラフィナが叫ぶ。彼女もまた、かつての伝説をなぞる高揚感に包まれていた。
手にした投槍を全力で投擲する。
ヒュンッ!
槍は空気を切り裂き、ドラゴンの鼻先を襲う。
カキン!
鋼鉄よりも硬い竜鱗に弾かれる。
「硬い! ネメアの獅子の如く!」
「構わん! 我らの槍は牙だ! 食らえ!」
スパルタ兵たちが一斉に投槍を放つ。三百本の鉄の雨が、神話の怪物を襲う。
ドラゴンは空を飛んだ。
安全圏から一方的に火球を吐き出してくる。
『地ヲ這ウ虫ケラガ。届カヌ高ミカラ、ジワジワト焼キ殺シテクレル』
「卑怯なトカゲめ! 降りてきて戦わんか!」
アステリオスが石を投げるが、届くはずもない。
だが、レオニダスは冷静に空を見上げていた。
「……降りてくる」
彼は確信していた。
「奴はただの獣ではない。誇り高き竜だ。虫ケラがチョロチョロと逃げ回るのが我慢ならんはずだ」
レオニダスは、セラフィナを呼んだ。
「おい、弟子よ。お前のその新しい剣……『岩断』を見せてみろ」
セラフィナは剛剣を抜いた。
「神話の英雄ペルセウスは、空飛ぶ怪物の首を刎ねたと教官から教えてもらいました」
「そうだ。ならばお前は、その翼を落とせ」
レオニダスは、凶悪かつ英雄的な笑みを浮かべた。
「俺たちが囮になる。奴が突っ込んできた瞬間、俺たちが奴の脚を掴んで止める」
「と、止める!? あんな飛行物体をですか!?」
「三百人で引けば、山だって動く。……神話を作るぞ、セラフィナ」
ドラゴンが急降下を開始した。
逃げ回るレオニダスたちに業を煮やし、直接踏み潰そうとしたのだ。
『死ネェェェッ!』
巨大な影が迫る。風圧だけで木々がなぎ倒される。
レオニダスは逃げなかった。
仁王立ちになり、両手を広げて待ち構えた。
「来い、古の竜よ! 俺はここだ!」
ドラゴンが鉤爪を開き、レオニダスを掴もうとする。
その瞬間。
「今だ! ヘラクレスの剛力を示せ!」
レオニダスは、回避するのではなく、自ら飛びついた。
ガシッ!
丸太のように太いドラゴンの指にしがみつく。
同時に、アステリオスや他の兵士たちが、一斉に飛び出した。
ドラゴンの右足、左足、尻尾。
三百人のスパルタ兵が、鎖となって巨体に取り付く。
『グヌッ!? 貴様ラァッ!?』
ドラゴンは驚愕した。
人間ごときが、竜の飛翔を力ずくで止めるなどあり得ない。
だが、彼らの筋肉は物理法則をねじ伏せる。
「引けェェェッ! 地に落とせェッ!」
「ウー! ハー!」
ドラゴンの飛行速度が落ち、バランスが崩れる。
その隙を、セラフィナは見逃さなかった。
「はあぁぁぁぁッ!」
岩場の上から、セラフィナが跳躍した。
真紅のマントを翻し、弾丸となって落下する。
狙うは、右翼の付け根。
一閃。
『岩断』の刃が、ドラゴンの鱗と皮膜を深々と切り裂いた。
『ギャオオオオオォォォッ!!』
ドラゴンが絶叫する。
揚力を失った巨体は、きりもみ回転しながら地面へと墜落した。
ズズゥゥゥゥン!!
神話が、地に落ちた音だった。
レオニダスは、ドラゴンの鼻先に立った。
ドラゴンは苦しげに息を吐き、恨めしげに睨みつける。
『貴様ラ……人間風情ガ……神ニ等シキ我ヲ……』
「ああ、そうだ。お前は神に等しい」
レオニダスは、今度は敬意を込めて頷いた。
「俺はかつて、自らを『神』と名乗る男とも戦った。だが、奴はただの偉そうな人間だった。……だがお前は違う」
レオニダスは、槍の石突で地面を叩いた。
「お前は本物の怪物だ。我らの祖先が戦った、試練そのものだ。貴様を倒したことで、俺たちはようやく胸を張れる。……我らこそ、ヘラクレスの正統なる後継者だとな」
王はニヤリと笑い、そして舌なめずりをした。
「神話の戦いには、相応の報酬が必要だ。……貴様の肉、我らの血肉とさせてもらうぞ」
『……ハ、ハハ……狂ッタ、戦士ドモメ……』
ドラゴンは最期に力なく笑い、息絶えた。
それは恐怖ではなく、自らを倒した「強者」への呆れと賞賛だったのかもしれない。
数時間後。
火山地帯の一角で、神代さながらの饗宴が開かれていた。
ドラゴンの巨大な肉塊が、溶岩の熱を利用して焼かれている。
「……美味い!」
アステリオスが、顔ほどの大きさのステーキにかぶりつく。
「これが竜の味……力が湧いてきます! まるでアレス神が体に宿ったようだ!」
セラフィナも、上品さをかなぐり捨てて肉を頬張っていた。
「んぐっ、んぐっ……! この魔力……一生分の修練に値します!」
レオニダスは、ドラゴンの血を混ぜた特製ソースをかけながら、夜空を見上げた。
オリュンポスの神々も、今の彼らを見れば苦笑するだろう。
「食え、娘よ」
レオニダスは呆然とするミナに肉を渡した。
「ただの食事ではない。これは儀式だ。強き者の命を食らい、さらに強くなる。スパルタの真髄だ」
火山の夜空に、スパルタ兵たちの高笑いが響く。
彼らは竜を食らい、その魂を取り込んだ。
魔王城の目前で、彼らは「人」から「神殺しの英雄」へと、その位階を一つ上げたのだ。
その頃。
魔王城の玉座の間では、魔王が水晶越しにその光景を見て、震え上がっていた。
「な、なんだ奴らは……? 我が最強のペットを、あのような……」
恐怖という名のスパイスが、魔王の心に振りかけられた瞬間だった。
レオニダスは、骨付き肉を天に掲げ、宣言した。
「よく食い、よく寝ろ! 明日は魔王の城へ殴り込みだ! 神話の続きを描きに行くぞ!」
「ウー! ハー!」
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