第5話:スパルタ×女騎士(前編) 〜魔法の剣と鉄の掟〜
勇者カイトを「投石」で撃退したレオニダス一行は、王都を目指して街道を進んでいた。
日差しは強く、乾燥した風が土埃を舞い上げる。
だが、スパルタ兵たちの足取りは軽かった。オーク肉のスープ(筆舌に尽くしがたく不味い)の効果か、あるいは異世界の空気が彼らの肉体に作用しているのか、筋肉の張りは全盛期をも凌駕していた。
「王よ。また聞こえます」
副官のアステリオスが耳を澄ませた。
「今度は……鉄の音です。それも、かなり激しい」
レオニダスも足を止めた。
風に乗って、キン、カカン! という鋭い金属音と、空気を震わせる爆発音が届く。
それはゴブリンのような小物の喚き声ではない。もっと重く、殺意に満ちた咆哮だ。
「……オーガです!」
案内役のミナが、音の方向を見て青ざめた。
「人食い鬼の群れです! ゴブリンよりずっと強くて、熟練の冒険者がパーティを組まないと勝てない相手ですよ!」
レオニダスは街道の先を見据えた。
一台の豪奢な馬車が横転し、その周囲で激しい戦闘が行われている。
襲っているのは、身長三メートルに迫る巨人の群れ。
守っているのは、白銀の鎧に身を包んだ数名の騎士たちだ。
「数は……化物が二十。人が五、か」
レオニダスは冷静に戦況を分析した。
「騎士たちの動きは悪くないが、長くは持つまい。あと数分で崩れるぞ」
守備側の中心には、長い赤髪をなびかせた女騎士がいた。
彼女の剣は青白く発光し、振るうたびに衝撃波を生んでいる。だが、その肩は激しく上下しており、限界が近いことは明白だった。
「行くぞ。また面倒なことに巻き込まれそうだが……」
レオニダスは槍を担ぎ直した。
「女子供が怪物に囲まれているのを捨て置けるほど、俺たちは器用ではない」
王国の近衛騎士団長、セラフィナ・フォン・ラインハルトは、絶望的な戦いを強いられていた。
護衛対象である第三王女エレナを乗せた馬車が、オーガの襲撃を受けて車輪を破損。
部下の騎士たちは次々と倒れ、残るはセラフィナと、二名の部下のみとなっていた。
「はぁっ、はぁっ……! まだだ! まだ倒れるわけにはいかない!」
セラフィナは、愛剣『氷華』を振り抜いた。
「魔剣技・氷牙突き!」
刀身から鋭い冷気が放たれ、オーガの腕を氷漬けにする。
だが、一撃が浅い。
魔力が底を突きかけているのだ。連戦の疲労と、強力な魔剣技の酷使が、彼女の体力を確実に削り取っていた。
「グオオオォォッ!」
オーガが丸太のような棍棒を振り下ろす。
セラフィナは剣で受け止めたが、凄まじい衝撃に膝が折れそうになる。
(重い……! 強化魔法が切れる……!)
彼女の戦術は「魔法剣士」のそれだ。
魔力で身体能力を底上げし、魔法を纏わせた剣で敵を殲滅する。
短時間の決戦ならば無敵を誇るが、持久戦には脆い。そして今、彼女は完全な限界(ガス欠)に陥っていた。
「団長! 後ろ!」
部下の悲鳴に近い叫び。
振り返ると、別のオーガが馬車の扉――王女が潜む場所――に巨大な手をかけていた。
「しまっ……!」
セラフィナが駆け寄ろうとするが、足がもつれる。間に合わない。
オーガの汚れた指先が、馬車の扉を紙細工のように引き剥がした。
中にいた幼い王女が悲鳴を上げる。
「キャアァァァ!」
万事休す。
セラフィナが絶望に目を閉じた、その時だった。
ドゴォォォォォン!!
凄まじい衝撃音が響き、馬車に取り付いていたオーガが、真横に「消失」した。
「な……っ?」
セラフィナは目を見開いた。
吹き飛ばされたオーガは、百メートル先の巨木に激突し、肉塊となって絶命していた。
その代わりに馬車の前に立っていたのは、真紅のマントを羽織った、半裸の男だった。
スパルタ王、レオニダス。
彼はたった一本の投槍で、オーガを質量弾へと変えたのだ。
そこには魔法の輝きもスキルの余韻もない。ただ純粋な運動エネルギーによる破壊があった。
「おい、小娘」
レオニダスは、へたり込んでいるセラフィナを一瞥もしなかった。
その視線は、周囲を取り囲むオーガの群れを冷静に捉えている。
「疲れているなら下がっていろ。交代だ」
背後の茂みから、赤い波のように集団が現れた。
三百人のスパルタ兵。
彼らは無言で馬車を取り囲み、流れるような動作で円陣を組んだ。
盾と盾が寸分の隙もなく密着し、鋼の鱗を持つ「人の要塞」が完成する。
「グゥ? ニンゲン 」
オーガたちは、新たな敵を見下して嘲笑った。
彼らの身長は人間の倍はある。腕力ならば十倍だ。
「ツブセ! ペチャンコニシロ!」
オーガが一斉に棍棒を振り下ろす。
セラフィナは叫んだ。
「逃げて! その盾じゃ防げない! オーガの剛力は魔法障壁ですら……!」
だが、その警告は無意味だった。
ガギィィィン!!
硬質な音が響き渡る。
オーガの剛腕による一撃が、スパルタの青銅盾に弾き返されたのだ。
驚くべきことに、スパルタ兵の列は一ミリも沈まない。
彼らは地面に深く踵を打ち込み、全身の骨格と筋肉を連動させ、衝撃をそのまま地面へと逃がしたのだ。
「……ナゼダ!?」
オーガが驚愕に目を見開いた一瞬。
「突き!」
盾の隙間から、鋭い刺突が繰り出された。
狙うは脇腹、大腿動脈、そして喉。
生物としての急所を、正確無比に貫く。
「グギャアアァァッ!」
巨躯が崩れ落ちる。
スパルタ兵は倒れた敵に冷徹にトドメを刺し、すぐさま完璧な隊列へと戻る。
無駄な叫びも、魔法の輝きもない。
あるのは洗練された殺人技術と、圧倒的な「個」の強度。
セラフィナは呆然とその光景を見ていた。
(魔法を……使っていない? ただの腕力だけで、あのオーガを圧倒しているの……?)
それは、彼女が信じてきた「騎士の戦い方」を根底から覆す光景だった。
戦闘は、一方的な蹂躙をもって終わった。
二十匹のオーガは、スパルタ兵に傷一つ負わせることなく全滅した。
馬車から、金髪の少女が降りてきた。
この国の第三王女、エレナだ。
彼女は気丈にも震えを抑え、レオニダスの前に歩み寄った。
「危ないところを、ありがとうございました。私はエレナ・フォン・アルカディア。この国の王女です」
エレナはドレスの裾をつまんで礼をした。
レオニダスは、血のついた槍を無造作に拭いながら頷いた。
「俺はレオニダス。スパルタの王だ」
「スパルタ……聞いたことのない国名ですが、皆様の強さは本物です」
エレナは、治療を受けるセラフィナに視線を向けた。
セラフィナは、部下の手当てを受けながら、悔しさから唇を噛んでいた。
王女を守るべき騎士団長が、通りすがりの傭兵に救われた。その屈辱と、自らの不甲斐なさ。
エレナはレオニダスに向き直り、懇願した。
「レオニダス様。厚かましいお願いとは存じますが……私たちを王都まで護衛していただけないでしょうか?」
「護衛か」
「はい。……実は、私たちは追われているのです。国内の反乱分子に命を狙われており、正規の騎士団すら信用できません。信頼できるのは、ここにいるセラフィナだけなのです」
王女の瞳には、差し迫った事情と、助けを求める必死な光があった。
レオニダスは少し考えた後、セラフィナを指差した。
「護衛、か。悪くない仕事だが、条件がある」
「条件……? 金貨でしたら、王都へ着けばいくらでも……」
「金など要らん。飯と寝床があれば十分だ」
レオニダスは、跪いたままのセラフィナの元へ歩み寄った。
そして、彼女を見下ろして言い放った。
「条件は一つ。その女騎士を、俺たちが鍛え直すことだ」
「……は?」
セラフィナは耳を疑った。
鍛え直す? この私を?
彼女は弱冠二十歳で近衛騎士団長に抜擢された、王国最強の剣士だ。魔剣を操り、数々の武功を立ててきた自負がある。
「な、何を言っている! 私は騎士団長だぞ! 無礼な!」
セラフィナは立ち上がり、レオニダスを睨みつけた。
「貴様らが強いのは認める。だが、私だって魔力が残っていれば、オーガごとき……!」
「それが駄目だと言っているのだ」
レオニダスは冷たく切り捨てた。
その声には、侮蔑ではなく、未熟な者への厳格な叱責が含まれていた。
「お前の剣は軽すぎる。魔力とやらに頼り切りで、腰が入っていない」
レオニダスは、セラフィナの誇りである魔剣を指先で弾いた。
「光る剣、派手な技。……結構なことだ。だが、魔力が尽きればどうする? ただの重い鉄塊を抱えた小娘に戻るのか?」
「っ……!」
図星だった。
先ほどの戦いで、彼女はガス欠を起こし、王女を危険に晒した。
「魔法が使えなければ戦えない」
それは、魔法剣士の致命的な弱点だ。
「真の戦士とは」
レオニダスは己の強固な胸板を叩いた。
「槍が折れ、盾が砕け、手足をもがれても、敵の喉笛に食らいつく者のことだ。お前にはその覚悟も、土台となる肉体も足りていない」
セラフィナは反論しようとしたが、言葉が出なかった。
目の前の男から発せられる「戦士」としての本物の気圧。
数多の死線を、己の肉体一つで越えてきた者だけが持つ圧倒的な説得力に、魂が圧倒されたのだ。
王女エレナが、静かに口を開いた。
「セラフィナ。……お願い。受けて」
「姫様!?」
「貴女は強いわ。でも、この方々の言う通り、今のままでは私を守りきれないかもしれない。……強くなって。私のために」
主君の言葉。
そして、自身の無力さへの自覚。
セラフィナは唇を噛み締め、拳を白くなるまで握りしめた。
プライドがズタズタに引き裂かれる音がする。だが、それ以上に「守りたい」という騎士の想いが勝った。
彼女はその場に片膝をつき、深く頭を垂れた。
「……わかった。認めよう、私は未熟だ」
屈辱に声を震わせながら、彼女は言った。
「頼む。私を……私を強くしてくれ。姫様を守れる盾になれるように」
レオニダスは、満足げに不敵な笑みを浮かべた。
「いい目だ。素質はある」
彼はアステリオスに合図した。
「契約成立だ。王都までの道中、たっぷりと可愛がってやる」
レオニダスは、悪魔のような笑顔で宣言した。
「まずはその派手な鎧を脱げ。そして、この盾を持て。……安心しろ、死にはせん。スパルタの訓練で死んだ奴はいない。死ぬ前に、全員が強くなるからな」
セラフィナは知らなかった。
これから始まる日々が、オーガとの死闘など天国に思えるほどの、壮絶な地獄のブートキャンプであることを。
「魔法禁止」「スキル禁止」「食事は黒いスープ」
異世界の女騎士が、筋肉の信徒へと改造される日々の幕開けだった。
(続く)
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