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第3話:スパルタ×魔の森の野営 〜オーク肉と黒いスープ〜

 荒野の太陽が、容赦なく中天から彼らを照らしつけていた。


 王国最強と謳われたAランク冒険者パーティを瞬殺し、あろうことかギルドで「Fランク」の認定を受けたレオニダス一行。


 彼らはエンシェント・ドラゴンの討伐依頼という、身の程知らずな(と周囲には思われている)任務を受け、北の火山を目指して行軍を続けていた。


 だが今、彼らはドラゴンという天災よりも深刻な、戦士にとって最も忌むべき脅威に直面していた。


 グゥゥゥゥ……。


 荒野に、地響きのような重低音が鳴り響く。魔物の唸り声ではない。三百人の屈強な男たちの、胃袋が奏でる悲痛な合唱である。


「……王よ。限界です」

 副官のアステリオスが、げっそりとした顔で訴えた。彫刻のように美しい彼の腹筋も、今は心なしか力なく萎んでいる。


「ギルドで支給された乾パンは、昨夜のうちに食い尽くしました。この辺りは岩と枯れ草ばかり。ネズミ一匹、トカゲ一匹おりません」

 レオニダスは無言で、革のベルトを一段階きつく締め直した。


「泣き言を言うな。スパルタの戦士なら、空腹こそが最高の調味料だと知っているはずだ。飢えは感覚を研ぎ澄ませ、闘争心を煽る。……だが、そうだな。筋肉が悲鳴を上げているのも事実だ」

 アテナの加護をもってしても、カロリー不足という生理現象までは克服できない。彼らの肉体を維持するには、常人の数倍のエネルギーが必要なのだ。


 道案内として同行している新人冒険者の少女・ミナが、怯えきった様子で地図を広げた。


「あ、あの……レオニダスさん。この先は『魔の森』と呼ばれる危険地帯です。凶暴な豚の獣オークの群生地で、普通の旅人は数キロ先から大きく迂回するルートを取るんですけど……」

 レオニダスが、ピタリと足を止めた。

 ゆっくりと振り返り、飢えた猛獣のような眼光でミナを凝視する。


「……娘よ。今、何と言った?」


「ひっ……! あ、あの、だから、オークの群れが……」

「オークとは何だ? どんな形をしている? それは――食えるのか?」

 ミナは目を白黒させた。


 冒険者になって以来、魔物に対して「食えるか」と尋ねた人間など、彼女の知る限り一人もいない。


「えっ? た、食べる!? オークは魔獣ですよ! 二足歩行の醜い豚のような姿をしていて、人間を襲って食べる恐ろしい……」

 レオニダスとアステリオスが、顔を見合わせた。


 次の瞬間、二人の顔に満面の笑みが浮かんだ。それは砂漠でオアシスを見つけた遭難者のような、あるいは極上の餌場を見つけた狼のような、狂気すら孕んだ笑顔だった。


「やはり豚か!」レオニダスが吠えた。


「豚だ! 聞いたか野郎ども! この先の森には、二本足で歩く『歩く豚』が住んでいるそうだ!」


「ウー! ハー!」

 スパルタ兵たちが槍を突き上げ、地天を揺るがす雄叫びを上げる。


 彼らにとって豚とは、故郷の主食であり、神への捧げ物であり、そして何より強靭な肉体を作るための代名詞だった。


「行くぞ! 迂回などせん、直撃だ! 狩りの時間だ、鍋の準備をしておけ!」

 三百人の飢えた男たちが、獲物を求めて『魔の森』へと雪崩れ込んでいった。 


「ち、違いますー! そういう豚じゃないんですってばー!」

 ミナの悲鳴のような制止は、軍靴の轟音にかき消された。


 鬱蒼とした魔の森。そこはオークたちの楽園だった。

 広場では、三十匹ほどのオークが焚き火を囲み、略奪した獲物を下卑た笑いで分け合っていた。身長二メートルを超える巨体。醜悪な豚の面。彼らはこの森の絶対的な捕食者だった。


「ブヒヒ。次ノ獲物、マダ来ナイカ。人間ノ女ノ肉、柔ラカクテ美味イゾ」

 リーダー格のオークが棍棒を振り回しながら、下品に鼻を鳴らす。


 ガサッ。

 茂みが大きく揺れた。オークたちが一斉に立ち上がり、鼻をひくつかせる。大勢の人間の匂い。だが、何かがおかしかった。恐怖の匂いが全くしないのだ。


 茂みから現れたのは、赤いマントを羽織った半裸の男――レオニダスだった。


「ブヒャヒャ! 丸腰ノ人間ダ! 殺セ!」

 オークのリーダーが、岩をも砕く一撃を振り下ろす。だが、レオニダスはその巨木の如き棍棒を、事も無げに素手で受け止めた。


 バシィッ!


「……ブ?」

 棍棒がピタリと止まる。


 レオニダスは棍棒を掴んだまま、市場で家畜を品定めするように、オークの二の腕や太腿をペタペタと触り始めた。


「ほう……いい脂の乗り具合だ。筋肉質で少々硬そうだが、じっくり煮込めばいける。皮下脂肪の厚みも合格点だな」


「ブ、ブゴォ!?」

 オークの背筋に、生まれて初めての戦慄が走った。


 目の前の男の瞳にあるのは、敵意ですらない。純粋で無慈悲な「食欲」だけだ。


「総員、掛かれ! ただし!」

 レオニダスが鋭く命じた。


内臓ハラを傷つけるな! 血を一滴も無駄にするな! 血こそがスープの命だ! できるだけ生け捕りにしろ!」


 ザザザッ!


 茂みから飛び出した三百人のスパルタ兵が、オークたちを包囲する。


 それは戦いではなかった。「出荷」のための迅速な作業だった。盾の縁で顎を砕き、レスリング技術で巨体を組み伏せ、手際よく縛り上げていく。


 わずか数分後。森の王者は、地面に転がる「新鮮な食肉」へと成り下がっていた。


 森の広場は、瞬く間に即席の解体場へと変貌した。

 スパルタ兵たちは手慣れた様子で、逆さ吊りにしたオークの喉元を切り、ドス黒い血液を巨大な青銅の鍋に集めていく。


「うっぷ……」

 ミナは木陰で口元を押さえた。


「ほ、本当に食べるんですか……? 魔物の肉なんて、寄生虫や毒素があるのに……」


「嬢ちゃん、心配するな」

 アステリオスが、血の鍋を木の棒でかき混ぜながら爽やかに笑う。


「俺たちの国には『豚は鳴き声以外すべて食える』という教えがあってな。毒? アテナ様の加護があるから、腹を壊す程度で済むさ」


「そういう問題じゃないですー!」

 レオニダスは焚き火の前で、厳粛に指示を出していた。


「よし、血は集まった。次は酢だ。ミナ、お前の荷物にある酸っぱくなった果実酒を出せ。それが酢の代わりになる」


 スパルタ料理の至宝、『メラース・ゾーモス(黒いスープ)』。


 材料は肉、血、酢、塩のみ。見た目はドロリとした泥水のようで、強烈な鉄の臭いと酸味を放つ。


 かつて他国の人間が「スパルタ人が死を恐れないのは、このスープを食べるくらいなら死んだほうがマシだからだ」と評したほどの伝説の不味飯だ。


 グツグツグツ……。

 鍋からは禍々しい紫色の湯気が立ち上り、森の鳥たちが気絶して落ちるほどの刺激臭が周囲に充満する。


「……完成だ。並べ、感謝して食え!」

 レオニダスが柄杓を掲げた。


 兵士たちは歓喜の表情で列を作る。スパルタにおいて、食事は「共同食事シリティア」という聖なる儀式だ。王も兵も同じ鍋をつつく。


 ズズッ。

 レオニダスが一口すすり、眉間に深い皺を寄せた。


「……硬いな。やはり本物の豚には劣る。泥をすすっているようだ」


「はい、最悪の味です。喉を通るのを身体が拒絶しています。……ですが」

 アステリオスが椀を空にし、ニヤリと笑った。


「力がみなぎる。魔物の生命力が、直接筋肉に流じ込まれるようです!」

 彼らは黙々と、苦行のように黒い液体を胃に流し込んでいく。その体からは猛烈な熱気が立ち上り、萎んでいた筋肉が目に見えてパンプアップしていく。


「おい、案内人。お前の分だ。食え」

 レオニダスが、肉塊の浮いた「黒い地獄」をミナに差し出した。


「い、いりません! 絶対無理です!」


「食え。仲間の飯が食えん者は、足手まといになる」


「ひぃぃ……!」

 ミナは覚悟を決め、鼻を摘んでスープを流し込んだ。


 瞬間――口の中で暴力的な鉄の味が爆発し、舌が痺れ、脳が警報を鳴らす。だが、それが胃に落ちた刹那、カッと全身が熱くなった。


(……え!? 体が軽い……? 疲労が消えて、魔力が溢れてくる……!?)


「どうだ? 不味いだろう」


「はい……人生で一番、地獄の味です。でも……凄く、元気が出ます……」


「ハハハ! そうだ! 不味い飯を食ってこそ、人は強くなるのだ!」

 その夜、森のあちこちからオークの悲鳴が聞こえたという。


 仲間がスープにされる光景を目撃したオークたちは、自分たちが「捕食者」から「食材」へと格下げされた恐怖を、その遺伝子に深く刻み込んだ。


 翌朝。

 肌艶をピカピカにさせたミナと、さらにビルドアップされたスパルタ軍団は、意気揚々と出発した。


「よし、行くぞ! 次はドラゴンの肉だ。あれだけの巨体なら、どれほどのスープが作れるか楽しみだな!」


「ウー! ハー!」


 彼らが去った後、魔の森からオークの姿は消え、代わりに「酸っぱくて鉄臭い匂い」を恐れる魔物たちによって、そこは不気味なほどの静寂に包まれることとなった。


 スパルタの筋肉、その源流は――この世の地獄を煮詰めた、黒いスープにある。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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