第1話:スパルタ×ゴブリンの村 〜緑の小鬼への教育的指導〜
光の渦が消えると、そこは見たこともない荒野だった。
スパルタ王レオニダスは、まず空を見上げた。青ではない。毒々しい紫色をしている。太陽は二つあり、雲はピンク色に輝いている。足元に生えている草は、鉄条網のように硬く、青光りしていた。
「……アテナの奴、随分と遠くへ飛ばしたな」
レオニダスは苦笑した。脳内に、あの女神のヒステリックな声が残響している。
『言語理解の加護もつけておいたから、言い訳せずに魔王を倒してきなさい!』と。どうやら、こちらの言葉は通じるようになっているらしい。
「王よ。匂います」
副官のアステリオスが、鼻をひくつかせた。
「血と、糞尿と、腐った肉の臭いです。……近くで、殺し合いが起きています」
レオニダスは視線を巡らせた。荒野の先に、小さな集落が見える。木造の粗末な家々が燃え上がり、黒煙を上げている。
そして、その集落を蟻のように群がって襲っているのは、人間ではなかった。
子供ほどの背丈。緑色の皮膚。尖った耳と長い鼻。彼らは錆びた剣や棍棒を振り回し、奇声を発して村人を追い回している。
「……なんだ、あの緑色の小猿たちは?」
レオニダスは眉をひそめた。
村からは悲鳴が上がっている。「助けて!」「来ないで!」という人間たちの言葉は理解できた。
だが、襲っている側の緑色の連中が上げている声は、ただの不快なノイズだった。
「ギョエエェェッ! ニクゥゥッ!」
「コロセェェ! ウバエェェッ!」
耳障りな咆哮。
レオニダスの耳には、それが拙いながらも「言葉」として聞こえていた。
略奪と殺戮を楽しむ、知性ある獣の声だ。
レオニダスはその光景に、生理的な嫌悪感を覚えた。
「規律がない」
王は吐き捨てた。
「隊列も組まず、ただ欲望のままに暴れ回る。獣以下の連中だ。……ペルシアの奴隷兵ですら、もう少し行儀が良かったぞ」
レオニダスは、アテナから貰った『帰還石』を腰の袋に放り込んだ。帰るには早すぎる。
目の前で、同じ人間が獣に食われようとしている。スパルタ人は弱者を好まないが、それ以上に「野蛮な侵略者」を憎む。
「総員、戦闘配置! あの村をスパルタの演習場とする! 猿どもに『整列』の意味を教えてやれ!」
辺境の村、カルナ。
そこは今、地獄絵図と化していた。
近隣の山から降りてきたゴブリンの大群――その数、およそ五百――が、村を襲撃したのだ。
「ギギッ! ニンゲン! ウマソウ!」
ゴブリンたちは、冒険者ギルドが「最弱のモンスター」と定める種族だ。だが、それは単体での話。
彼らは集団になると凶暴性を増し、数に物を言わせて村一つを容易く壊滅させる。
村の自警団は、既に全滅していた。錆びた剣で滅多刺しにされ、死体は貪り食われている。
残された村人たちは、広場の中央にある石造りの教会へと逃げ込んでいたが、木の扉はゴブリンの斧によって今にも破られそうだった。
「神様……助けて……」
村長の娘、リリナは祈った。
だが、扉の向こうから聞こえてくるのは、神の声ではなく、悪魔の嘲笑だった。
村人たちにとって、ゴブリンの言葉は理解できない。ただの「殺意の塊」が吠えている音にしか聞こえないのだ。それが恐怖を倍増させる。
バキィッ! 扉が破られた。
「ギシャァァッ! ミツケタァァッ!」
先頭のゴブリンが、よだれを垂らして教会内へ躍り込む。薄汚い腰布を巻き、血走った目で獲物を品定めするその姿に、絶望が村人たちを包んだ。
男たちが前に出ようとするが、足がすくんで動かない。ゴブリンが跳躍する。その鉤爪が、リリナに迫った、その時。
ドォン! という破裂音と共に、ゴブリンの頭がスイカのように弾け飛んだ。
「アッ?(ナンダ?)」
後続のゴブリンたちが足を止めた。
教会の入り口に、何かが立っていた。ゴブリンが見慣れた村人でも、鉄の鎧を着た冒険者でもない。
真紅のマント。半裸の筋肉。そして、入り口の幅いっぱいに展開された、巨大な青銅の円盾。
「汚い足を止まれ、小猿ども」
低く、地を這うような声。
レオニダスは、砕けた死体を盾で押し退け、教会の入り口を塞いだ。その左右には、スパルタ兵たちが隙間なく並び、完璧なシールドウォール(盾の壁)を形成している。
教会の扉という狭い地形が、三百人のスパルタ兵にとって鉄壁の要塞となっていた。
「ナンダコイツラ? ニンゲンカ?」
「服ヲ着テネェゾ! ヤッチマエ!」
ゴブリンたちは顔を見合わせ、下卑た笑いを浮かべた。未知の敵に対する警戒心よりも、数で勝る慢心と、相手が「装備の少ない人間」であるという侮りが勝ったのだ。
「コロセェェ! 肉ニシテヤル!」
一斉に襲いかかる。錆びたナイフ、石斧、棍棒が、スパルタの盾に叩きつけられる。
カァン! ゴッ! キン!
軽い。あまりにも軽い。
重装騎兵の突撃を受け止め、巨象の足を踏ん張った彼らにとって、ゴブリンの腕力など、枯れ枝で叩かれているようなものだ。
「押し出せ(オティスモス)!」
レオニダスの号令。スパルタ兵が一歩踏み込み、盾を突き出す。
たったそれだけの動作で、最前列のゴブリンたちは全身の骨を砕かれ、後方の仲間を巻き込んで吹き飛んだ。
「グベッ!?」 「痛エッ! ナンダコイツラ!?」
「突き!」
盾の隙間から、長槍が繰り出される。
正確無比。
ゴブリンの眉間、喉、心臓。一突きで確実に一匹を葬り、即座に引いて次を狙う。それは戦闘というより、機械的な作業だった。
教会の中で震えていたリリナは、信じられない光景を目にしていた。
あの凶悪なゴブリンたちが、赤いマントの男たちに触れることすらできず、ゴミのように掃除されていく。
彼らは一言も発さず、ただ淡々と、冷徹に、侵略者を排除している。
(あの方たちは……神の御使い? にしては、随分と荒々しいけれど……)
「アステリオス、右翼が甘いぞ。もっと深く刺せ。串刺しにして並べろ」
「ハッ! こいつら肉が柔らかすぎて手応えがありません! 張り合いのない敵です!」
スパルタ兵たちは、ゴブリンの悲鳴や罵倒を完全に理解した上で、冷徹に無視していた。
「痛ェ! ヤメロ!」という命乞いも聞こえているが、彼らにとって略奪者の命乞いなど、聞く価値もない雑音だった。
教会の前には、瞬く間にゴブリンの死体の山が築かれた。恐怖を感じたゴブリンたちが、ジリジリと後退し始める。
その時、広場の奥から、一際大きな咆哮が響いた。
「ドケェェッ! 役立タズ共メ!」
他のゴブリンの二倍はある巨体。
全身に粗末な鉄鎧をまとい、巨大な戦斧を引きずった個体。ゴブリン・ロードだ。変異種であり、群れの王。その力は熟練の冒険者パーティをも壊滅させる。
村人たちには、その声は「死の宣告」のように響いた。
だが、レオニダスの耳には、ただの粗暴な自慢話にしか聞こえなかった。
「オレサマハ『ゴブリン・ロード』! コノ辺リノ王サマダゾ! ヒレフセ、人間!」
ロードは、部下がてこずっているのを見て激昂し、自ら前に出た。
ロードが戦斧を振り上げる。その一撃は、岩をも砕く威力がある。
レオニダスは、あくびを噛み殺しながら盾を構えた。
「王、だと? その薄汚い豚のような面でか? スパルタの豚小屋の方がまだ品格があるぞ」
その言葉は、ロードには通じなかったかもしれない。だが、レオニダスの侮蔑の表情は伝わった。
「コロス!!」
ブンッ!
戦斧が風を切って振り下ろされる。
レオニダスは避けない。盾を斜めに構え、斧の軌道を受け流す。
ガギィィン!
火花が散り、斧が地面に食い込む。
その隙だらけの瞬間に、レオニダスは盾を手放し、素手でロードの腕を掴んだ。
そして、足を掛け、パンクラチオンの技で巨体を投げ飛ばした。
ドスゥゥン!
背中から地面に叩きつけられ、ロードが空気を吐き出す。
「ガハッ……!? ナ、ナゼ動ケナイ!?」
レオニダスは、ロードの胸板を踏みつけ、冷酷に見下ろした。
「貴様が王なら、俺は王殺しだ」
ロードが混乱している間に、レオニダスはマウントポジションを取り、ロードの顔面を青銅の小手で殴打した。
ゴッ! バキッ!
一発、二発、三発。 単純な暴力。
武器などいらない。鍛え上げた拳こそが凶器。
ロードの顔面が陥没し、ピクリとも動かなくなるまで、それは数秒の出来事だった。
「……ふん。口ほどにもない」
レオニダスは血のついた拳をマントで拭い、立ち上がった。
王の無惨な死を見たゴブリンたちは、完全に戦意を喪失した。
「ロ、ロードガ負ケタ!」
「ニゲロォォォ!」
「コイツラ人間ジャネェ! 悪魔ダ!」
彼らは武器を捨て、一目散に森へと逃げ帰っていった。
レオニダスはその後ろ姿を見送り、鼻を鳴らした。
「逃げ足だけは一丁前だな。追う価値もない」
戦闘は終わった。
村は半壊したが、村人たちは生き残った。
リリナたちは、恐る恐る教会から出てきた。広場には、ゴブリンの死体が山積みになり、その頂点に、赤いマントの巨人たちが仁王立ちしている。
村長が震える足で歩み寄り、地面に額を擦り付けた。
「あ、ありがとうごぜぇます! 偉大なる戦士様! あなた方は冒険者様ですか? それとも騎士様で?」
レオニダスは、村長を見下ろして言った。言葉が通じることに、少し安堵する。
「冒険者? 騎士? 知らんな。俺たちはスパルタ人だ」
「す、すぱるた……?」
村長は首を傾げた。
「聞いたことがない名前ですが……と、とにかく、お礼をさせてください! なけなしの金ですが……」
村長が金貨の袋を差し出す。だが、レオニダスは興味なさそうに鼻を鳴らした。
「金? そんな金属片で腹が膨れるか。俺たちが欲しいのは飯だ」
「め、飯ですか?」
「そうだ。タンパク質だ。肉を持て。あと酒だ。戦の後の栄養補給は重要だからな」
村人たちは顔を見合わせた。「肉……ですか?」
「牛か、羊か、豚か。なければ、そこの緑色の死体でも構わんが?」
「ひぃッ! すぐに御馳走を用意します! 牛を一頭潰しますから! 魔物は食べないでください!」
村人たちは慌てて、備蓄していた食料や酒を持ち出した。干し肉、硬いパン、そしてエール。決して豪華ではないが、スパルタ兵にとっては、戦勝祝いの宴としては十分だった。
「悪くない味だ」
アステリオスがエールを飲み干す。
「王よ。この世界の敵は弱すぎますね。準備運動にもなりません。喚き声ばかり大きくて、中身がありませんでした」
「そう言うな。ここは辺境なのだろう。奥に行けば、もっとマシな獲物がいるだろう」
レオニダスは、村の向こうに広がる未知の荒野を見つめた。
村娘のリリナが、おずおずと教えてくれた。
「あ、あの……強い魔物をお探しなら、大きな街にある『冒険者ギルド』に行けば、情報があると思います……」
レオニダスは、倒したゴブリンロードの斧を拾い上げ、重さを確かめた。
「ギルドか。なるほど、傭兵の溜まり場のようなものか」
彼は斧を肩に担ぎ、ニヤリと笑った。
「鉄の質は悪くない。……さて、行くぞ野郎ども。食ったら出発だ」
村人たちは、彼らを「赤き守護神」と崇めた。だが、彼らが本当に求めているのは感謝ではない。魂を震わせるような、強敵との死闘だ。
その夜、レオニダスたちは村を後にした。目指すは、遥か彼方に見える巨大な城塞都市。
異世界におけるスパルタの進撃。その第一歩は、ゴブリンの屍の上に刻まれた。
彼らはまだ知らない。この世界には、魔法やスキルという、スパルタの常識が通じぬ力が満ちていることを。
だが、彼らは笑って進むだろう。盾と槍があれば、どこへ行ってもスパルタなのだから。
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