幕間2:スパルタ×女神の胃潰瘍 〜満足を知らぬ戦闘狂たち〜
ウィーンの激闘を終え、光に包まれたレオニダスたちは、三たびオリュンポスの神域へと帰還した。
美しい花畑。神々しい白亜の神殿。
そこには、女神アテナが満面の笑みで待ち構えていた。
「おかえりなさい! スパルタの英雄たち!」
アテナは、手元の羊皮紙をパタパタと振った。
彼女の目の下のクマは、前回の幕間よりもさらに濃くなっているが、その表情は晴れやかだ。
「いやー、長かったわね! 本当に長かった! 日本から始まって、世界中の戦場を巡って……。でも、最後は良かったわよ。最強の騎兵を受け止めて、夕日に向かって消える。完璧なエンディングだったわ!」
アテナは涙ぐみながら、レオニダスの手を取った。
「さあ、これで心置きなく楽園へ行けるわね。ゴルゴさんも、300人の奥さんたちも、首を長くして待ってるわよ。はい、これパスポート。あっちのゲートから退場してね」
女神は、一刻も早く彼らを成仏させようと、背中を押した。
だが。
レオニダスは動かなかった。
岩のように。あのワールシュタットの煙の中のように。
「……ん? どうしたの?」
アテナの笑顔が引きつる。
レオニダスは、ポリポリと頬をかいた。
そして、バツが悪そうに、しかし力強く言った。
「いや……女神よ。少し考えたのだが」
「ええ」
「確かに、世界中の強敵と戦った。フサリアの衝撃も、長坂の咆哮も、素晴らしい体験だった。だが……」
レオニダスは、真顔でとんでもないことを口にした。
「なんかこう……『未知』が足りん」
時が止まった。
アテナの手から、羊皮紙が滑り落ちた。
「……は?」
「いや、だからな」
レオニダスは身振り手振りで説明し始めた。
「日本も、世界も、結局は『人間』だっただろう? 武器が進化しても、所詮はこの世の理の中だ。俺たちが求めているのは、もっとこう、ヘラクレスが戦ったような『怪物』とか、神々が使いそうな『本物の魔法』とか、そういうワクワクするやつなんだよ」
副官のアステリオスも、申し訳なさそうに、しかし瞳をキラキラさせて同意した。
「そうです、女神様。我々の神話にはヒドラやキマイラが出てくるのに、今まで戦ったのは人間と馬ばかり。……正直、消化不良といいますか」
プツン。
アテナの脳内で、理性の弦が切れる音がした。
女神は、震える手で神杖を握りしめた。
そして、オリュンポスの山が崩れるほどの音量で絶叫した。
『完全に満足した流れだったじゃない!!! 妻が待ってるって! 悪くない旅だって、言ったじゃないの!!!』
アテナの怒号が衝撃波となり、スパルタ兵のマントを吹き飛ばす。
彼女は地団駄を踏んだ。美しいサンダルが壊れるほどの勢いで。
「あんたねぇ! 最後の台詞! 『そろそろ家に帰るとしよう』って! あれ何だったのよ! 全読者が涙した名シーンを返してよ! こっちはもう、エンドロールの準備してたのよ!?」
レオニダスは、嵐のような説教を盾で防ごうとしたが、女神の拳骨は物理無効を貫通して脳天に落ちた。
ゴチンッ!
「痛っ!? いや、待てアテナよ! 妻が待っているのは事実だが、今のまま帰ったら『あら、お土産話はそれだけ? ドラゴンの一匹も狩れなかったの?』と馬鹿にされる! スパルタの男として、それは我慢ならん!」
「知るかァァァッ!!」
アテナは髪を振り乱した。
「大体ねぇ、私の神力(MP)も限界なのよ! あんたたちの青銅装備を、銃弾や大砲から守るのにどれだけリソース割いたと思ってるの!? もう無理! これ以上、歴史への干渉はできないわよ!」
「歴史が無理なら」
レオニダスは、悪びれもせずに提案した。
「外へ行けばいいのではないか?」
アテナは、ハッとして動きを止めた。
彼女の瞳に、昏い光が宿る。
(……そうか。歴史に置いておくから面倒なのよ。史実の整合性とか、物理法則とか、気にするから疲れるのよ)
「……いいわ」
アテナは、不気味に微笑んだ。
「あんたたち、怪物がいいのね? 魔法がいいのね? 常識が通じない世界で、死ぬほど暴れたいのね?」
「うむ! それが望みだ!」
スパルタ兵たちが、無邪気に頷く。
アテナは、空間を切り裂いた。
そこに見えたのは、これまでの「歴史の風景」ではない。
紫色の空。浮遊する島。火を吹くトカゲ。そして、魔力を帯びた瘴気。
正真正銘の、異世界への扉。
「行ってきなさい! 剣と魔法と魔王の世界へ!」
アテナは杖を振り回し、スパルタ兵たちをゲートへ追い立てた。
「そこなら物理法則なんて関係ない! 私の加護なんてなくても、ステータス補正でなんとかなるわよ! 二度と帰ってこなくていいから、満足するまでオークでもドラゴンでも食ってきなさい!」
「おお! あれはドラゴンか!?」
レオニダスは、ゲートの向こうを見て目を輝かせた。
「ペルシアのトカゲより大きそうだ! 行くぞ野郎ども! 今晩の夕食は竜のステーキだ!」
「ウー! ハー!」
三百人の戦闘狂たちが、嬉々として異次元の穴へと飛び込んでいく。
「待って、レオニダス」
最後に、アテナが呼び止めた。
彼女は懐から、小さな「光の種」のようなものを投げ渡した。
「……これを持っていきなさい。私の残り少ない神力を込めた『帰還石』よ」
アテナは、ふいっと顔を背けた。
「その世界で魔王でも何でも倒して、本当に、本っ当に満足したら、それを砕きなさい。最後の最後、一番最初の日に戻してあげるわ」
レオニダスは、その石を受け取り、ニカっと笑った。
そして、女神に向かって最敬礼をした。
「感謝する、戦の女神よ。貴女は最高だ」
レオニダスが消える。
ゲートが閉じる。
静寂が戻った神殿で、アテナはその場にへたり込んだ。
「……あーあ。とうとう『異世界転移』させちゃった」
アテナは胃薬を瓶ごとラッパ飲みした。
「ま、あいつらなら大丈夫でしょ。魔王の方が可哀想なくらいよ」
こうして、スパルタの亡霊たちは、歴史の枠組みすら超え、剣と魔法の世界へと旅立った。
そこで彼らを待つのは、歴史上の英雄たちをも凌駕する、人知を超えた怪物たち。
スパルタの盾は、ドラゴンのブレスを防げるのか。
彼らの筋肉は、魔法の壁を打ち砕けるのか。
異世界編、開幕。
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