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第8話:スパルタ×悲しき夜 〜黒曜石の剣と黄金の呪い〜

紀元前四八〇年。ギリシャ、テルモピュライ。


 コンスタンティノープルの城壁から消えたレオニダスは、またしても強烈な「湿気」に包まれた。

 これは、熱帯のスコールだ。


 バケツをひっくり返したような豪雨が、視界を白く染め上げている。

 足元は滑りやすい石畳。左右には、闇に沈んだ広大な水面が広がっている。


 湖だ。

 そして、彼らが立っているのは、湖の上に架けられた、頼りないほど細長い石造りの堤防(一本道)の上だった。


「……なんだ、この場所は」

 副官のアステリオスが、雨を拭いながら周囲を見渡す。


「島ですか? いや、巨大な都が……燃えています」

 後方を振り返れば、湖の中央に浮かぶ巨大な島――アステカ帝国の首都テノチティトランが、雨の中でも消えぬ紅蓮の炎に包まれていた。 


 巨大なピラミッド型神殿がシルエットとなって浮かび上がり、そこから無数の松明の明かりが、堤防の方へと向かってきている。

 追っ手だ。


 そして、前方(逃げる方向)には、奇妙な鎧を着た集団が、悲鳴を上げながら団子状態になっていた。

 鉄の胸当て、鉄の兜。だが、彼らは戦うどころか、荷物を抱えて逃げることに必死に見えた。


「グェェェェッ!」

 獣の咆哮が響く。


 湖面から無数のカヌーが現れ、堤防の上の集団に矢や投石を浴びせている。

 さらに、闇の中から飛び出してきたのは、ジャガーや鷲の皮を被った「獣人」たちだった。


「……獣の仮装か? 祭りの行列にしては殺気が本物だな」

 レオニダスは、即座に状況を理解した。 


 一本道での撤退戦。

 左右は水。逃げ場なし。

 これ以上ないほど、スパルタ好みの地形だ。


「行くぞ。あの鉄の服を着た連中が、獲物のようだ。また『殿しんがり』の仕事だぞ!」 


西暦1520年6月30日深夜。メキシコ、テノチティトラン。


 スペインの征服者エルナン・コルテス率いる遠征軍は、絶体絶命の危機にあった。

 アステカ皇帝モクテスマ2世を人質に取り、都を支配していた彼らだが、皇帝の死と民衆の蜂起により、都を追われることになったのだ。


 目指すは対岸へ続くトラコパン堤防。

 だが、アステカ軍は彼らの逃走を許さなかった。

 太鼓の音が不気味に響き渡る中、湖を埋め尽くすカヌーから、数万の戦士が襲いかかってきた。


「急げ! 立ち止まるな! 橋を架けろ!」

 コルテスが叫ぶ。


 堤防は数カ所で寸断されており、彼らは携帯用の木橋を架けて渡らなければならなかった。

 だが、雨で濡れた橋は滑り、馬も人も次々と湖へ転落していく。


 最大の敵は、彼ら自身の「欲望」だった。

 兵士たちは、皇帝の宝物庫から略奪した黄金を、ポケットや袋に詰め込めるだけ詰め込んでいた。

 その重みが、彼らの足を鈍らせ、水に落ちれば浮き上がることを許さなかった。


「助けてくれ! 沈む!」

「黄金を捨てろ! 命の方が大事だ!」

 指揮官の命令も届かない。貧しい生まれの彼らにとって、黄金は命そのものだった。


 そこへ、アステカの精鋭「ジャガーの戦士」たちが躍り込んだ。

 彼らはスペイン兵を殺さず、捕まえようとする。生贄として神に捧げるためだ。


 生きたまま引きずられていく仲間の悲鳴が、恐怖を倍増させる。


「だ、駄目だ……全滅する……」

 最後尾を守っていたペドロ・デ・アルバラードは、押し寄せる敵の数に絶望した。


 剣を振るう腕も上がらない。

 ジャガーの口が、喉元に迫る。

 その時。

 横殴りの雨を切り裂いて、一本の槍がジャガーの戦士の胸を貫いた。


 ドスッ!

 重く、鈍い音と共に、ジャガーの戦士が吹き飛んだ。

 アルバラードが目を見開くと、そこには赤いマントを羽織った、半裸の巨人が立っていた。


「な……インディオの援軍か? いや、肌が白い……」

 スパルタ王レオニダスは、助けたスペイン兵を一瞥もしなかった。


 彼の視線は、今倒した敵が持っていた武器に釘付けになっていた。

 木の板の両端に、黒く鋭利な石片が埋め込まれた剣。


 マカナ(マクアフティル)。

 鉄を知らぬアステカ文明が生み出した、至高の斬撃兵器。


「石か?」

 レオニダスは、足元に落ちていたマカナを拾い上げようとした。

 その瞬間、別のジャガーの戦士が襲いかかってきた。


「シペ・トテック(皮剥ぎの神)に生贄を!」

 独特の言葉と共に、マカナが振り下ろされる。


 レオニダスは反射的に青銅のアスピスで受けた。

 ガリィィィッ!!

 耳障りな音と共に、火花ならぬ石の粉が散った。


「……ッ!?」

 レオニダスは驚愕した。


 盾の表面が、深く抉られていたのだ。

 鉄ですら弾くスパルタの盾に、石器が傷をつけた。


 黒曜石の切れ味は、カミソリに匹敵する。肉などバターのように切り裂き、馬の首すら一撃で斬り落とす威力がある。 


「……面白い!」

 レオニダスは獰猛に笑った。


 侮っていた。蛮族の石器だと思っていたが、これは一級品の「武器」だ。


「アステリオス! 気をつけろ! こいつらの持っている石は、そこらの鉄より切れるぞ!」

「承知! 盾のリムで受けます!」

 スパルタ兵たちが、スペイン軍の最後尾に壁を作る。


 狭い堤防の上。アステカ軍の数の利は消え、個々の戦闘力が勝負を決める。

 アステカ戦士がマカナを振るう。

 スパルタ兵は、盾の「面」ではなく「縁」の分厚い部分で受け止める。


 パァン!

 硬い青銅にぶつかり、脆い黒曜石が砕け散る。

 切れ味は凄まじいが、横からの衝撃には弱い。それが黒曜石の弱点だ。


「武器が壊れたな。次は貴様の番だ」

 レオニダスは、武器を失って呆然とするジャガーの戦士の懐に入り込み、短剣を心臓に突き立てた。


 スパルタ兵の奮戦により、アステカ軍の進撃は一時的に止まった。

 だが、スペイン軍の撤退は遅々として進まない。

 原因は、やはり黄金だった。


 橋の継ぎ目で、黄金を詰め込んだ袋を背負った兵士たちが、重さに足を取られ、もたついているのだ。


「邪魔だ! 早く渡れ!」

「俺の金だ! 離すもんか!」

 欲に目が眩んだ兵士たちが、狭い橋の上で押し合い圧し合いをしている。


 レオニダスは、その醜態を見てブチ切れた。

 戦場で最も重いものは「盾」であるべきだ

 仲間を守るための盾を捨てて、欲望のための石ころを抱えているなど、戦士として許しがたい。


「おい、そこの豚ども!」

 レオニダスは、黄金を抱えてうずくまっているスペイン兵の元へ歩み寄った。


 そして、兵士の襟首を掴み上げ、怒鳴りつけた。


「命より重い石などない! 捨てろ!」

 兵士がいやいやと首を振ると、レオニダスは容赦なく鳩尾みぞおちに拳を叩き込んだ。


 「ぐはっ!」

 兵士が黄金の袋を取り落とす。

 レオニダスはその袋を蹴り上げ、湖の中へ放り込んだ。


 ドボン!

 沈んでいくアステカの秘宝。


「あぁぁ! 俺の金が!」

「文句があるなら拾いに行け。ただし、鎧を脱いでからな」

 レオニダスは、次々と兵士たちを殴りつけ、蹴り飛ばし、強制的に黄金を捨てさせた。


「捨てろ!」「走れ!」「生きろ!」

 スパルタ式・断捨離。


 身軽になったスペイン兵たちは、泣きながら、しかし飛ぶような速さで橋を渡り始めた。

 その間も、アステカ軍の攻撃は続いている。


 湖のカヌーから、投石器スリングによる石弾が飛んでくる。

 カン、カン!

 スパルタ兵は亀甲陣テストゥドを組み、石の雨をやり過ごす。


「しつこいな。祭りの客引きにしては強引すぎるぞ」

 アステリオスが毒づく。


「王よ、後ろからカヌーが回り込んできています! 挟み撃ちです!」

 堤防の両側面から、ジャガーの戦士たちが這い上がってくる。


 足場はぬかるみ、視界は雨。最悪の乱戦。

 だが、レオニダスは笑っていた。


「上等だ。四方八方敵だらけ。槍をどこに出しても当たる!」

 彼はマカナを奪い取り、自らの武器とした。


 黒曜石の剣を振るうスパルタ王。

 スパッ!

 襲いかかる鷲の戦士の腕が、鎧ごと切り飛ばされる。


「……なるほど、いい切れ味だ。ペルシアのナマクラとは違う」


 夜が明けようとしていた。

 雨は小降りになり、東の空が白み始めている。

 スペイン軍の主力は、なんとか対岸のポポトラ村へと脱出していた。 


 殿を務めたスパルタ兵たちも、じりじりと後退し、最後の橋を渡り終えた。

 コルテスは、岸辺の大木の下で座り込み、涙を流していた。


 軍の三分の二を失い、多くの仲間と財宝を失った。

 「悲しき夜」だ。

 だが、全滅は免れた。


 最後尾を守り抜いた、謎の巨人たちのおかげで。

 レオニダスは、コルテスの前を通った。


 彼の体は、黒曜石による切り傷だらけだった。マントはズタズタに裂け、盾には深い傷跡が残っている。

 だが、その歩みは王者のそれだった。

 コルテスは顔を上げ、震える声で言った。


「……グラシアス(ありがとう)。貴公らは、神の使いか?」

 レオニダスは、奪ったマカナをコルテスの足元に突き刺した。


 そして、湖の向こう、炎上するテノチティトランを指差した。


「いい都だ。だが、欲をかきすぎたな」

 レオニダスは、軽蔑と憐憫の入り混じった目でコルテスを見た。


「次は剣だけを持ってこい。袋を持ってくるな」

 アステカ軍の追撃が止まった。


 彼らは堤防の端に並び、去りゆくスパルタ兵たちを睨みつけていた。

 ジャガーの戦士の一人が、倒された仲間の黒曜石の剣を掲げ、雄叫びを上げる。


 それは、勝利の叫びではなく、強敵への敬意の咆哮だった。

 霧が立ち込める。

 レオニダスは、アステカの戦士たちに向かって、槍を掲げて応えた。


 「いい石だったぞ。大事にしろ」

 スパルタ兵たちは、朝霧の中へと消えていった。


 彼らが去った後には、黄金の装飾品と、砕けた黒曜石の破片だけが残された。

 後に、コルテスはアステカを征服する。

 だが、彼の日記には「悲しき夜」の恐怖と共に、こう記されている。


 『我々は黄金を失ったが、魂を拾った。赤いマントの悪魔たちが、我々に生きる道を示したのだ』と。

 メキシコ国立人類学博物館には、アステカの遺跡から出土した奇妙な遺物が展示されている。


 それは、黒曜石の刃が食い込んだまま化石化した、青銅の円盾の破片であるという。



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