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第1話:スパルタ×長坂橋の戦い 〜張飛の大音声と三百のバックコーラス〜

紀元前四八〇年。ギリシャ、テルモピュライ。


 スパルタ王レオニダスは、戦場の喧騒の中でふと意識を飛ばしていた。

 奇妙な夢を見た気がする。


 花が咲き乱れる雲の上の庭園で、ヒステリックな女(女神だったか?)に説教されたような……。あるいは、東の果ての島国で、奇妙な武器を持つ戦士たちと共闘したような……。


 だが、それらの記憶は、朝霧が太陽に焼かれるように急速に薄れていく。

 残っているのは、魂の奥底に刻まれた「まだ戦い足りない」という渇望だけだ。


「……王よ」

 副官のアステリオスの声。


 レオニダスは目を開けた。

 テルモピュライの灼熱の太陽……ではない。

 肌にまとわりつくような、黄砂を含んだ乾燥した風。


 見上げれば、空は広く、どんよりと曇っている。


「……どこだ、ここは」

 レオニダスは身を起こし、周囲を見渡した。


 岩場ではない。広大な平原だ。

 だが、彼らが立っているのは平原の真ん中ではない。古びた木造の橋の上だった。


 足元では、濁った茶色い水が、激しい勢いで流れている。

 背後には鬱蒼とした森。前方には、地平線まで続く荒野。


「また、飛ばされたようですね」

 アステリオスが、慣れた様子で槍の石突で橋板を叩く。


「夢の続きか、あるいはここが新しい死に場所か。いずれにせよ、平和な場所ではなさそうです」

 レオニダスは鼻をひくつかせた。

 土埃の匂いに混じって、濃厚な殺気が風に乗って流れてくる。


 それも、桁外れの殺気だ。数千、数万という単位ではない。大地を埋め尽くすほどの「暴力」が、こちらに向かって行軍してきている気配。


「王よ。あそこに誰かいます」

 兵士の一人が指差す。


 橋のたもと、スパルタ兵のすぐ目の前に、一騎の武者が立っていた。

 漆黒の馬にまたがり、手には奇妙な形をした、蛇のようにうねる長柄の武器――蛇矛じゃぼこ


 身の丈は八尺(約184cm)あろうかという巨漢。

 虎のような髭を蓄え、のように見開いた巨大な眼。


 その男は、たった一人で、橋の向こうから迫りくる土煙を睨みつけていた。


「一人で殿しんがりか」

 レオニダスは口元を吊り上げた。


 状況は一目で理解できた。

 橋の向こうから来るのが敵。背後の森へ逃げたのが守るべき友軍。

 そして、この橋が唯一の防衛ラインだ。 


「いい度胸だ。だが、相手の数が多すぎる。一人では流石に」

 レオニダスは、その孤独な戦士の背中に、自分たちと同じ「退かぬ者」の魂を見た。

 理由など要らぬ。気に入った。


「並べ! あの一人ぼっちの戦士に、スパルタ流の応援をつけてやる!」


◇◇◇


建安十三年(西暦208年)。中国、荊州・当陽県長坂。


 乱世の奸雄・曹操孟徳が率いる大軍勢は、南下して荊州を飲み込もうとしていた。


 劉備玄徳の軍勢は、曹操軍の精鋭騎兵「虎豹騎こひょうき」の急追を受け、民草と共に逃げ惑っていた。


 悲鳴と怒号。泣き叫ぶ子供の声。

 劉備は妻子すら見失うほどの混乱の中で、一人の男に後事を託した。


 義弟にして、万夫不当の豪傑、張飛益徳ちょうひえきとく


「益徳よ! 追っ手を食い止めてくれ! 民を逃がす時間を稼ぐのだ!」


「兄者、任せておけ! 俺様が睨みを利かせりゃ、曹操の軍なんざ一歩も通さねぇ!」

 張飛は二十騎の手勢と共に長坂橋に残った。

 だが、彼は部下たちに奇妙な命令を下した。


「お前らは森の中で馬の尻尾に枝をつけて走り回れ! 砂煙を上げて伏兵がいると思わせるんだ!」 


「将軍はどうなさるのですか!?」 


「俺か? 俺はこの橋の上で、曹操をお出迎えしてやるのさ」

 部下たちが去り、張飛はたった一人、橋の上に残った。 


 静寂。

 川のせせらぎだけが響く。

 だが、その静寂はすぐに破られた。


 ゴゴゴゴゴ……。

 地鳴りが響く。 


 地平線が、黒く染まり始めた。

 曹操軍の先鋒、五千の精鋭騎兵。その後ろには、歩兵を含めた十万の大軍が控えている。


 巻き上がる砂煙が太陽を隠し、無数の旗指物が風に鳴る。

 鋼鉄の波が、たった一人の男を飲み込もうと迫っていた。


 普通なら、その威圧感だけで心臓が止まり、失禁して逃げ出す光景だ。

 だが、張飛は不敵に笑った。  


 蛇矛を片手でブンと振り回し、空気を切り裂く。


「へッ、来やがったな曹操の犬ども! 数ばかり多くて、一匹ずつじゃ喧嘩もできねぇ腰抜けが!」

 張飛は、腹の底に空気を溜め込んだ。


 彼の最大の武器は、蛇矛ではない。その「声」だ。

 雷鳴のごとき大音声は、戦場で敵の鼓膜を破り、肝を潰すと恐れられていた。


「俺は燕人えんひと、張益徳なり! 誰か俺と死負(勝負)せん者はいないか!」

 ドォォォォン!!


 空気が物理的に震えた。

 先頭を行く曹操軍の馬たちが、ビクリと足を止める。


「な、なんだあの男は……?」


「たった一人で……罠か?」

 疑心暗鬼が広がる。諸葛孔明の策があるのではないか? 森の中から上がる砂煙は、伏兵の大軍ではないか?

 曹操軍の将が剣を抜いた。


「怯むな! ハッタリだ! たった一人だぞ! 射殺せ!」

 その時だった。


 張飛の背後、無人のはずの橋の向こう側から、規則正しい金属音が響いてきた。


 ザッ、ザッ、ザッ。

 そして、砂塵の中から現れたのは、数百人の半裸の巨人たちだった。


「な、なんだあれは!?」


「伏兵だ! やはり罠だったんだ!」


「見ろ、あの巨体……西域の蛮族か!? 何百人もいるぞ!」

 張飛もまた、背後の気配に気づき、ギョッとして振り返った。 


「あん?」

 そこには、異様な集団がいた。


 血のように赤いマント。頭には鶏冠とさかのついた青銅の兜。

 そして何より、その肉体。


 鎧を着ていない。鍛え上げられた筋肉そのものを鎧とし、巨大な円盾を構えている。


 彼らは張飛の後ろにピタリと停止し、無言で横一列に展開した。

 橋の幅いっぱいに隙間なく並んだ、青銅と筋肉の壁。


 レオニダスは、馬上の張飛を見上げ、ニヤリと笑った。

 言葉は通じない。だが、男同士の魂が共鳴する。


 目の前の巨漢(張飛)が放つ覇気は、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスにも劣らない。


 (おい、髭の大将。いい声だ。だが、独りは寂しかろう。)


 張飛は、一瞬呆気にとられたが、すぐに豪快に笑い飛ばした。

 こいつらは敵じゃねぇ。俺と同じ、戦場ここに居場所がある連中だ。


「ガハハハ! こりゃあいい! 兄者(劉備)の援軍じゃねぇな。孔明の策でもねぇ。どこの馬の骨かは知らねぇが、面白ぇ面構えだ!」

 張飛は、得たりとばかりに蛇矛を天に突き上げた。


 背後に得体の知れない援軍を得て、その気迫は十倍にも膨れ上がった。


「さあ来い! この張飛と、後ろの赤鬼どもが相手になってやる! 命の要らぬ者は前に出ろォッ!」


 その瞬間。

 レオニダスが槍を掲げ、合図した。


 「アウ! アウ! アウ!」

 三百人のスパルタ兵が、一斉に吼えた。


 同時に、槍の柄で盾を打ち鳴らす。

 ガン! ガン! ガン!


 張飛の雷鳴のような怒号と、スパルタ兵の腹に響く重低音。

 そして盾を叩く金属音。

 それらが融合し、物理的な衝撃波となって曹操軍を襲った。


「う、うわぁぁッ!?」

 曹操軍の馬が怯え、竿立ちになり、乗り手を振り落とす。


 最前列にいた武将の一人、夏侯傑かこうけつは、あまりの恐怖に肝を冷やした。


(な、なんだあいつら……)

 心臓が早鐘を打ち、視界が暗転する。

 彼は口から泡を吹き、落馬して絶命した。


「か、夏侯傑将軍が死んだぞ! 叫び声で殺された!」


「化け物だ! 関羽よりも恐ろしいぞ!」


「後ろの奴らを見ろ! 一歩も動かん! あれは人間じゃない、鬼だ!」

 曹操軍にパニックが伝染する。


 曹操軍の本陣で、曹操孟徳は傘の下で冷や汗を流していた。

 遠目に見てもわかる。橋の上の異様さ。


 張飛一騎だけでも「万人敵ばんにんてき」と恐れられる豪傑だ。

 だが、その後ろに控える歩兵集団……あれはなんだ? 


 微動だにしない。

 呼吸すらしていないかのように静止し、ただ純粋な殺気だけを放ち続けている。


 中国の兵法にはない陣形。見たこともない装備。

 だが、曹操の優れた軍事的直感が告げていた。


『あれは、触れてはいけないものだ』と。


(関羽が言っていたな。「我が弟・張飛は、百万の軍の中から上将の首をのる事、ふくろのモノを探るが如し」と。……それに加えて、あの謎の兵団)

 もし攻めかかれば、こちらの被害も甚大になるだろう。


 いや、それ以前に、これは孔明の罠に違いない。あのような異形の兵を隠し持っていたとは、劉備め、侮れん。


「……引け」

 曹操は決断した。


「あれは虎の穴だ。不用意に手を出すべきではない。橋を落とされる前に、全軍、退却せよ!」


 ジャーン、ジャーン!

 退却の銅鑼が鳴り響く。


 十万の曹操軍が、たった三百人と一騎の前から、雪崩を打って撤退を開始した。

 橋の板一枚踏ませることなく、最強の軍勢を「声」と「威圧」だけで追い返したのだ。 


 地平線の彼方まで敵影が消えると、張飛は蛇矛を地面に突き刺した。

 そして、ドカドカとレオニダスの前に歩み寄った。


 東洋の猛将と、西洋の覇王。

 二人の巨漢が、橋の上で向かい合う。


「やるじゃねぇか、赤鬼!」

 張飛はレオニダスの肩をバシバシと叩いた。岩を叩くような音がする。


「お前らの声、腹の底に響いたぜ! お陰で喉が枯れずに済んだ! どこの国の言葉だがありゃ? 気合が入ってて良い!」

 レオニダスは苦笑した。言葉はわからないが、褒められているのはわかる。


 王は腰に下げていた革袋を外し、張飛に投げ渡した。

 中身は、アテナの神殿からくすねてきた神酒ネクタルだ。


「飲め。勝利の祝いだ」

 ジェスチャーで伝えると、張飛は躊躇なく袋の口を開け、鼻を近づけた。


「くんくん……ほう、甘い匂いだ」

 張飛は袋をあおり、一気に飲み干した。 


「プハァッ! ……なんだこりゃ!?」

 張飛が目を丸くする。


「甘くて、とろけそうだ! だが、腹の底から力が湧いてくる! こいつは天上の酒か!?」

 張飛は上機嫌で笑い、自らの腰に下げていた酒袋をレオニダスに渡した。


 こっちは、喉が焼けるような中国の濁酒だ。

 レオニダスもまた、それを一気に煽った。

 カッと胃が熱くなる。粗野だが、泥と汗の味がする、戦士の酒だ。


「……効くな。悪くない」

 二人は顔を見合わせ、大声で笑い合った。


 言葉はいらない。酒と戦場があれば、男は兄弟になれる。

 やがて、足元から白い霧が立ち込め始めた。 


 次の戦場へ行く時間だ。

 レオニダスは手を挙げ、張飛に別れを告げた。


「さらばだ、大声の将軍よ。その喉、大事にしろよ」

 スパルタ兵たちが霧の中に消えていく。


 張飛は、彼らが見えなくなるまで手を振っていた。

 その後、劉備と合流した張飛は、興奮気味に語ったという。 


「兄者! すげぇ連中がいたんだ! 裸で、筋肉で、声のでかい奴らがよ! あいつらがいりゃあ、曹操なんて怖くねぇ! また会いてぇなぁ!」

 だが、誰もその話を信じず、張飛の酒癖の悪さによる幻覚、あるいは戦場の興奮が見せた夢だと片付けられた。


◇◇◇


長坂橋の伝説。

 張飛の一喝で川が逆流し、橋が落ちたという。

 その「轟音」の一部が、三百人のスパルタ兵による「魂の共鳴」だったことは、歴史の正史には記されていない。

 

 そして、張飛が後に太守を務めた閬中ろうちゅうの古刹・張飛廟。


 その宝物殿の奥深くには、一般公開されることのない、出所不明の「異国の酒器」がひっそりと収められている。


 その器は、当時の中国の様式とは全く異なる、二つの取っ手がついた浅い青銅杯であり、底にはライオンを狩る裸の戦士の姿が浮き彫りにされているという。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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