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第10話:スパルタ×箱館戦争 〜誠の旗とガトリング砲〜

紀元前四八〇年。ギリシャ、テルモピュライ。


 レオニダスは目を開けた。

 肌を刺すのは、冷たく乾いた北風だった。

 空は鉛色に沈み、遠くで海鳴りが響いている。

 足元の土は凍てつき、まばらに残る雪が白く輝いている。


「……寒いな」

 アステリオスが白い息を吐いた。


「以前の山と同じくらいの寒さです。ですが、匂いが違います」

 レオニダスは鼻をひくつかせた。


 火薬の匂い。だが、今までの黒色火薬の煙たい匂いとは違う。もっと鋭く、洗練された、金属的な死の匂いだ。


 そして、遠くから響く音。

 ダダダダダッ!


 連続する破裂音。雷鳴でも、種子島の音でもない。

 それは、機械的に命を刈り取る「死の音」だった。

 レオニダスは丘の上に立ち、戦場を見下ろした。 


 奇妙な形の城が見える。星の形をした、幾何学的な要塞(五稜郭)。

 その周囲を取り囲む軍勢は、これまで見たどの軍隊とも違っていた。


 黒い筒袖の服。頭には帽子。手には長い銃剣付きの鉄砲。

 彼らの動きは組織的で、機械のように整然としている。


「……時代が変わったな」

 レオニダスは直感した。

 これまで旅してきたどの戦場よりも、ここは「先」にある。


 個人の武勇など無意味な、鉄と鉛が支配する時代。

 だが、その無機質な戦場の一角に、異質な輝きがあった。


 一本の旗だ。

 赤地に金色の文字で『誠』と染め抜かれた旗が、冷たい風に翻っている。


 その旗の下に、一人の男が立っていた。

 洋装に身を包んでいるが、その腰には日本刀を帯びている。


 男の背中からは、時代に取り残された者の哀愁と、それゆえの凄絶な美しさが漂っていた。


「……またか」

 レオニダスはニヤリと笑った。


 あの男からは、自分たちと同じ匂いがする。

 滅びを悟りながら、それでも踏み止まる者の匂いだ。


「行くぞ。どうやらここが、俺たちの最後の仕事場らしい」


◇◇◇


明治二年五月十一日。箱館。


 新政府軍の総攻撃により、旧幕府軍の防衛線は崩壊しつつあった。


 弁天台場の仲間を救うため、一本木関門を死守していた新選組副長・土方歳三は、馬上で静かに戦況を見つめていた。


 味方は逃げ惑っている。


 無理もない。敵の火力は圧倒的だ。エンフィールド銃の射程と精度、そしてアームストロング砲の破壊力。


 もはや精神論でどうにかなる差ではない。 

 侍の時代は、終わったのだ。


「副長! 下がってください! これ以上は支えきれません!」

 隊士が叫ぶ。


 土方は、フロックコートの襟を直し、愛刀『和泉守兼定』の柄に手をかけた。

 その表情は、氷のように冷たく、そして静かだった。 


「下がる?」

 土方は、ふっと笑った。


「どこへだ? 我々に帰る場所などない」

 新選組は、京の都で生まれ、戦い続けてきた。


 近藤勇は斬首され、沖田総司は病死し、多くの仲間が散っていった。

 生き残った自分がなすべきことは、無様に生き延びることではない。


 新選組という物語に、相応しい幕を引くことだ。 


「我、この柵にありて、退く者を斬る!」

 土方の一喝が、敗走する兵たちの足を止めた。

 鬼の副長。その畏怖だけが、崩れかけた軍を辛うじて繋ぎ止めている。


「よし、行くぞ。私に続け」

 土方は馬腹を蹴った。


 目指すは敵の司令部。死に場所を求めるような、単騎突撃。

 その時、敵陣から奇妙な音が響いた。


 ガァァァァァッ!

 空気を引き裂く回転音。


 ガトリング砲だ。

 近代兵器の極致。回転式多銃身機銃が、土方に向けて火を噴いた。

 毎分二百発の鉛の雨が、土方を肉塊に変えようと迫る。


(……これまでか)

 土方は目を閉じた。


 総司、近藤さん。待たせたな。

 だが、その弾丸が土方の体に届くことはなかった。


 カカカカカカカッ!!

 乾いた金属音が連続して響き渡る。


 土方が目を開けると、そこには「壁」があった。

 真紅のマント。青銅の輝き。


 数百人の半裸の男たちが、土方の前で亀の甲羅のように盾を組み、ガトリング砲の弾幕を全て弾き返していたのだ。


「……うるさい雨だ」

 レオニダスは、盾に伝わる衝撃に顔をしかめた。


 ガトリング砲の威力は凄まじい。青銅の盾がへこみ、腕が痺れる。

 だが、抜けない。


 スパルタの盾は、数千年の時を超えてなお、最強の防具だった。


「王よ! これはいけません! ペルシアの矢の比ではない!」

 アステリオスが悲鳴を上げる。


「ただの鉛玉ではありません! 回転しながら肉を抉りに来ます!」


「耐えろ! 所詮は玉だ! 槍の切っ先に比べれば可愛いものだ!」

 レオニダスは、盾の隙間から後ろを振り返った。


 そこには、馬上で呆然としている洋装の侍――土方がいた。

 レオニダスはニヤリと笑い、顎で前方を示した。 


「道は作ってやる。行きたいんだろう? 死に場所に」

 土方は、その言葉が聞こえたわけではない。

 だが、目の前の男の背中が語る「意地」を読み取った。


(……馬鹿な連中だ。裸で大砲の前に立つとは)

 土方は口元を緩め、懐から煙草を取り出して口にくわえた。


 マッチを擦ろうとするが、風が強くてつかない。

 その時、流弾が土方の顔の横を掠め、煙草の先端を赤く焦がした。

 土方は紫煙を吐き出し、笑った。


「ありがとよ。……世話をかけるな、赤鬼ども」

 レオニダスは前を向いた。


前進オティスモス! あの騒がしい玩具を壊しに行くぞ!」


「ウー! ハー!」

 スパルタ兵が雄叫びを上げる。


 亀甲陣テストゥドを維持したまま、青銅の戦車となって前進を開始する。

 ガトリング砲の弾丸が雨あられと降り注ぐが、スパルタの壁は止まらない。


 一歩、また一歩。

 死の距離を詰めていく。


 新政府軍の兵士たちは、信じられない光景に戦慄した。

 最新鋭のガトリング砲が効かない。


 古代の遺跡から抜け出してきたような半裸の集団が、弾丸を弾き返しながら、じりじりと迫ってくる。 


「ば、化け物だ! 撃て! 撃ち続けろ!」 


「弾切れです! 銃身が焼きつきます!」

 距離が詰まる。


 五十メートル。三十メートル。十メートル。

 レオニダスが吠えた。


「今だ! 盾を開け!」

 陣形が割れる。


 その中心から、一騎の影が飛び出した。

 土方歳三だ。


 彼は馬上で『和泉守兼定』を振りかざし、新政府軍の陣地へと躍り込んだ。


「新選組副長、土方歳三! 参る!」

 一閃。


 ガトリング砲の射手が、肩口から両断される。

 続いて、左右に展開したスパルタ兵が雪崩れ込む。


 長槍が銃兵を串刺しにし、重い盾が頭蓋を砕く。

 接近戦になれば、銃剣などスパルタの格闘術の敵ではない。


「チェストォォォ!」

 スパルタ兵の掛け声ではない。土方の気迫に呼応した、彼らの魂の叫びだ。


 土方の剣技は凄まじかった。

 無駄がない。美しさなど不要。ただ敵を殺すためだけに研ぎ澄まされた、喧嘩殺法の極致。


 レオニダスは、並走しながらその剣技に見惚れた。


(……いい腕だ。スパルタに生まれていれば、良い将軍になれたろう)

 レオニダスもまた、槍を振るう。


 近代兵器で武装した兵士たちが、古代の戦士になす術なく屠られていく。

 皮肉な光景だった。 


 進歩したはずの文明が、原始的な暴力と魂の前に敗北している。


 「誠」の旗と、「Λ」の盾。

 二つの紋章が、硝煙の中で並び立った。


 それは、滅びゆく「侍」と「スパルタ」という二つの種族が、最後に放った閃光だった。


 敵陣地は壊滅した。

 ガトリング砲はひしゃげ、銃兵たちは逃げ散った。 


 土方は馬を降り、血のついた刀を振るって鞘に納めた。

 乱れた髪をかき上げ、荒い息を吐く。


 レオニダスが歩み寄る。

 彼の体もまた、無数の銃弾を受けて血を流していた。盾は穴だらけで、ボロボロになっていた。

 だが、王は笑っていた。


「いい戦だった」

 レオニダスは、土方の肩に手を置いた。


「この時代は、俺たちには少し窮屈すぎるな」

 土方は、レオニダスの目を見た。


 言葉は通じない。だが、全てを理解した。

 こいつらもまた、「居場所」を失った者たちなのだと。


 時代が変わる。剣も槍も、博物館に飾られるだけの遺物になる。

 だが、魂までは風化しない。


「……ああ」

 土方は、短く答えた。


「だが、悪くない最期だ」

 遠くから、新政府軍の増援が迫る音がする。


 数千の足音。今度こそ、終わりだ。

 雪が降り始めた。


 白く、冷たい雪が、戦場の赤を覆い隠していく。

 レオニダスは、部下たちに合図を送った。


 霧が立ち込め始める。

 彼らの役目は終わった。


「さらばだ、最後の戦士よ」

 レオニダスは背を向けた。


 スパルタ兵たちが霧の中に溶けていく。彼らは歴史の表舞台から姿を消し、伝説へと還っていく。

 土方は一人、残された。


 彼の前には、押し寄せる新政府軍の大軍。

 だが、土方の背筋は伸びていた。

 彼はニヤリと笑い、再び刀を抜いた。


「新選組、ここに見参」

 一発の銃声が響いた。


 土方歳三の体は、箱館の地に崩れ落ちた。


◇◇◇


 箱館戦争は終結した。

 だが、新政府軍の勝利報告書には、不可解な記述と「未解決の謎」が残された。


 一つは、一本木関門の惨状である。


 そこにあった最新鋭のガトリング砲は、砲弾を受けたわけでもないのに、銃身がひしゃげ、台座ごと粉砕されていた。 


 その残骸の隙間からは、成分不明の青銅の槍の穂先が発見された。


 そしてもう一つ。

 目撃者の証言によれば、土方は銃弾を受けて落馬し、死亡したはずだった。


 しかし、戦後にどれだけ捜索しても、彼の遺体はおろか、愛刀『和泉守兼定』すら発見されなかった。


 一説には、彼は密かに生き延びて大陸へ渡ったとも、ロシアへ逃げたとも言われる。


 だが、当時、旧幕府軍の軍事顧問団として滞在していたフランス人将校、ジュール・ブリュネが残したスケッチブックに、奇妙な絵が描かれていることが近年判明した。


 その絵には、吹雪の中を去っていく、古代ギリシャ風の装束を纏った巨人の後ろ姿が描かれている。

 そして、その巨人の肩には、フロックコートを着た日本人の男が担がれていた。


 ブリュネはその絵の端に、震える文字で一言だけ書き残している。

 (軍神が、最後のサムライを連れ去った) 



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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