第8話 別れ
馬で移動しながらティリアは自宅を目指す。
時間が限られているため、馬を走らせて自宅へ向かうべきなのだが、街中では馬を歩かせて移動するのは良いが走らせることは禁じられている。ましてや自分は騎士団に所属しているため、規律を破ることはできなかった。
ティリアは急ぎたい気持ちを抑えながら街道を移動する。ただ、ゆっくり移動しなければならないのなら、その間、街を見ておこうと思っていた。
ゼブルの協力者となった自分はトリュポスを出なければならない。もしかするとトリュポスに戻ってくることも二度とないかもしれないため、今の内に自分が生まれ育ったトリュポスの風景を目に焼き付けておくことにした。
今いる街道には騎士としての見回りに来たり、休暇で買い物に来たりなどでよく訪れていた。その時のことを思い出すティリアは懐かしさを感じ、ゼブルの下へ行った後もトリュポスに戻ってこれればいいなと思っている。
街を見ながら移動するティリアはトリュポスの中心部にやって来た。中心部に近づくにつれて人の数も少なくなってティリアの周囲を静かになる。
静かな雰囲気に少し寂しさを感じながらティリアは移動し、やがて一軒の屋敷の前にやって来た。
屋敷は二階建てでレンガ作りの壁や屋根、窓などは綺麗でトリュポスの市民が暮らしている一軒家とは明らかに雰囲気が違う。
更に屋敷と敷地に入る正門の間には広めの庭があり、複数の花壇と休息のために長い椅子も置かれてあった。
遠くにある屋敷を見たティリアは馬に乗ったまま敷地内に入る。
目の前の屋敷こそティリアの実家であるフォリナス邸だ。一般の民家と比べると大きいが他の貴族の屋敷と比べたら小さい方で部屋数も少なかった。
ティリアが庭の中央付近まで来ると掃除をしている五十代後半の男が目に入る。
庭にいたのはフォリナス家の庭師で長年フォリナス家に仕えている人物だ。長い間庭師として働いているため、当然ティリアのこともよく知っている。
ティリアが幼い頃はよく庭で談話をしたり、育てた花を渡したりしていた。
「おおぉ、ティリア様!」
庭師はティリアを見ると掃除の手を止めて駆け寄る。その表情からはティリアが帰ってきたことに対する驚きと喜びが見られた。
「ジャストロ、ただいま戻りました」
ティリアは庭師をジャストロと呼びながら微笑みを浮かべる。任務で家を出る前に会っているのに数日間会っていないような感覚がして懐かしさを感じていた。
「ティリア様、ご無事でしたか。帰還予定日になっても戻ってこられなかったので皆心配しておりましたよ? 特に旦那様と奥様はティリア様に何か遭ったのではと不安になっておられました」
「ごめんなさい。事情があって帰還するのに時間が掛かってしまったのです」
心配を掛けたことを謝罪しながらティリアは軽く頭を下げた。
ジャストロはティリアをしばらく見つめてから小さく笑みを浮かべる。理由が何であれ、ティリアが無事に帰って来たことを心から喜んでいた。
「とりあえず、旦那様と奥様に帰ったことをお伝えください。他の者には私から伝えておきますから」
「分かりました、ありがとうございます」
ティリアは馬を歩かせて屋敷の方へ移動する。心配させたので少しでも早く会って安心させてあげたいと思っていた。
しかしその後のことを考えると複雑な気持ちになってしまう。
玄関前までやって来るとティリアは馬から降り、玄関の扉を開ける。
中に入ると広くて天井の高いエントランスが視界に入った。シャンデリアが吊るされて奥には二階へ続く階段もあり、部屋の隅には高級そうな壺を乗せた小さな机、全身甲冑などが飾られている。
ティリアがエントランスを見回しながら奥へ進むと左側にある通路から一人の女性がエントランスに入って来た。
女性は三十代後半ぐらいで身長は160cmほど。ティリアと同じ背中の辺りまでの長さの銀髪で綺麗な顔立ちに茶色い目をしている。少し濃い黄色のドレス姿で指には小さな宝石が付いた指輪をはめていた。
「ティリア? ティリアなの!?」
女性はティリアを見ると速足で駆け寄り、そっと右手で少し汚れた頬に触れた。
「ただいま戻りました、お母様」
微笑むティリアは自分の頬に触れる女性の手を左手で触れた。
目の前にいる女性はアナクシア・エリア・フォリナス。ティリアの母親にしてフォリナス辺境伯の妻だ。
任務から戻らない娘が心配で今まで自室や屋敷の中を歩き回っていたが、エントランスに来てティリアが帰ってきたことに気付くと安堵したのだ。
「任務から戻る日になっても戻らなかったから心配してたのよ。大丈夫なの?」
アナクシアはティリアの全身を確認し、腕や足に付いているかすり傷や汚れを目にする。
ティリアの状態から任務で激しい戦いを繰り広げたのではアナクシアは想像した。
「ご心配おかけしてすみません。大きな怪我は負っていませんし、任務も無事に完遂させてきました」
「そう、よかった……」
大丈夫なことを知って安心したアナクシアは小さく笑う。
ティリアとアナクシアが笑い合っていると二階から誰かが勢いよく階段を駆け下りてくる。
足音を聞いたティリアが階段の方を向くとそこには四十代前半で身長が約170cm、茶色の短髪で青い目を持ち、白と青の貴族服を着た男の姿があった。
「ティリア!」
「お父様」
階段を下りた男はティリアに駆け寄ってアナクシアと同じようにティリアの全身を確かめる。
二階から下りてきた男こそ、ティリアの父親にしてセプティロン王国の南東の領主、そしてフォリナス家の現当主であるレテノール・モル・フォリナス辺境伯だ。
「貴方、書斎にいたはずなのに何時ティリアが戻ったことに気付かれたのです?」
「たった今だ。お前が大きな声でティリアを呼んでいるのを聞いてな」
自分が騒いでいたのを聞いてティリアのことを知ったのだと聞いたアナクシアは若干恥ずかしそうな顔をする。
レテノールはティリアが大怪我を負っていないのを確かめると静かに息を吐く。そして目の前に立つ娘を見ながらそっと肩に手を乗せた。
「戻って来るのに時間が掛かったので心配したぞ? 大丈夫なのか?」
「ハイ、ご心配をおかけしました」
「……無事に戻ってこれたのならそれでいい」
娘の無事を喜ぶレテノールは小さく笑う。
フォリナス家の次期当主として騎士になったのだからティリアが危険な状況に立たされることはレテノールも分かっていたし、覚悟もしていた。
だがそれでも一人娘の身に何かあれば心配するのは親として当然のこと。レテノールはティリアが無事に戻ってきたことに安心し、心から喜んだ。
ティリアは自分を心配してくれることは嬉しいが必要以上に心配する父と母は少し過保護すぎるのではと思い、思わず苦笑いを浮かべる。
「それでいったい何があったのだ? まさか討伐に失敗したのか?」
「い、いえ、盗賊の討伐は完了しました。盗賊も何人か生き残り、全員をトリュポスに連行しました」
「討伐は成功したのか。ではなぜ帰還が遅れたのだ?」
「……」
レテノールの問いにティリアはすぐに答えられずに黙り込む。これから話す内容を考えれば当然のことだ。
「実はそのことで大事なお話があります」
真剣な表情を浮かべるティリアにレテノールとアナクシアは不思議そうな顔をする。
盗賊の討伐は完了したのにそれ以外で重要な話とは何なのだろうと二人は疑問に思った。
「……お父様、お母様、突然ですが、私は今日で家を出させていただきます」
「何?」
ティリアの言っていることが理解できないレテノールは思わず聞き返す。
隣にいるアナクシアもティリアを見ながら瞬きをしていた。
「家を出るとは、どういう意味だ?」
「私は、今日限りでフォリナス家……いいえ、セプティロン王国の人間であることを捨て、あるお方に仕えます」
「待て待て! 唐突すぎて理解できん」
いきなり家を出ると言われたのだからレテノールが困惑するのも無理はない。
ここまでのやり取りからティリアが家を出る原因は盗賊の討伐任務に関係があるとレテノールは推測する。
だがそれだけでは何も分からないので、理由を知るためにも直接ティリアの口から説明してもらうしかなかった。
「ふ、二人とも落ち着いて。とりあえず、場所を変えて話しましょう?」
アナクシアが宥めるとレテノールは落ち着きを取り戻し、話し合える場所へ向かうためにエントランスの左側の通路に向かう。
ティリアも両親に事情を説明するため、何も言わずにレテノールの後をついて行く。
エントランスを出たティリアたちは一階にある部屋に移動した。
部屋に入るとティリアは部屋の中央にある長いソファーに腰を下ろす。
レテノールとアナクシアもティリアが座ったソファーの向かいにあるソファーに並んで座り、机を挟んでティリアと向かい合った。
「では、話してもらうぞティリア。なぜ突然家を出ると言い出したのだ?」
「……私たちは盗賊たちの討伐に向かいました。ですが盗賊たちの罠にはまり、一度隊長たちが捕まってしまったのです」
「何、シルトロンド隊長たちが?」
「ハイ、隊長は盗賊たちの隙を突いて私を逃がし、トリュポスに戻って救援の要請を出すよう指示したんです」
自分たちの身に何が起きたの、ティリアは正直に一つずつ両親に説明していく。
「私は急いでトリュポスに戻ろうとしましたが、途中で盗賊たちに逃走がバレてしまい、追手の盗賊たちに捕まりそうになったのです」
知らない所でティリアが危険にさらされていたと知ったレテノールとアナクシアは僅かに驚いた表情を浮かべながらティリアを見つている。
「もう駄目だと思った時、あるお方に助けられたのです」
「あるお方?」
「……ゼブル様と言う、自らを魔王と名乗るお方です」
「ま、魔王!?」
二百年前にこの世界を支配しようとした存在と同じ異名を名乗る者が現れてレテノールは驚愕する。
隣で話を聞いていたアナクシアも魔王がどんな存在なのかは知っているらしく、右手を口に当てながら驚いていた。
それからティリアは自分がゼブルと出会って仲間の救助を頼んだこと、助力を得る代わりに自分を報酬にしたこと、盗賊を討伐したらゼブルの協力者になることなど、ここまでの流れと家を出る理由を全てレテノールとアナクシアに話した。
全ての説明が終わるとティリアは俯いて黙り込む。仲間を救うために勝手に自らを報酬とし、家から出ていかなくてはいけない状況を作ったため、両親に対して申し訳ない気持ちになっていた。
「つまり、貴方は騎士隊の仲間たちを救うためにそのゼブルという魔王と取引したから、彼の下へ行くために家を出るということなのね?」
「ハイ……」
ティリアが仲間を救うために自分を犠牲にしたことにアナクシアは言葉を失う。
自分を報酬にしてまで他人の助力を求めようと考えるティリアの覚悟はアナクシアも立派だと感じている。
だが人々から邪悪と言われている魔王を名乗る者に自分の身を差し出したのは間違っていると思っていた。
「どうして自分を報酬になどしたのだ。そんなことをしなくてもトリュポスに戻って救援部隊を連れていけばシルトロンド隊長たちを救えたのではないのか?」
アナクシアと同じように自分を報酬にしたことは間違っていると考えるレテノールは若干力の入った声でティリアに尋ねる。
やはり父親として娘が魔王と名乗る者にその身を捧げようとしているのは納得できないようだ。
「あの状況では不可能でした。トリュポスまで距離がありましたし、馬も盗賊に殺されてしまったので走って戻っては間に合わなかったのです。あの時、ゼブル様に助けを求めなければ隊長たちは確実に奴隷商に売られていました」
ゼブルの力を借りる以外選択肢は無かった、ティリアは当時の自分が感じ取っていたことをレテノールに伝えた。
実際、ゼブルのおかげでソフィアたちが奴隷商に売られる前に救助することができ、盗賊たちも討伐できたため、ティリアの判断は間違いではないと言える。
レテノールは黙り込みながらティリアを見つめる。
仲間を救うための行動だということは理解できるため、レテノールもティリアの行動の全てを否定する気は無い。だがそれでも自らを差し出そうという考えだけは認められなかった。
「お前が仲間を守りたかったというのは分かるが、自分自身を犠牲にする必要があったのか? シルトロンド隊長たちには失礼だが、お前たちはまだ一ヶ月程度の付き合いだ。そこまでして助けなければならないほど、彼女たちは親しい存在ではないと思うのだが」
「ゼブル様にも言われました。なぜ自分を報酬にしてまで深い繋がりの無い隊長たちを助けるのかと」
ティリアは初めてゼブルと会った時、どんな気持ちでゼブルに助けを求めたか思い返す。
「隊長たちは私を貴族の娘ではなく、自分たちと同じ一人の騎士として扱い、騎士に必要な技術や知識を教えてくれました。例え付き合いが短くても私にとって既に隊長たちは自分を犠牲にしてでも助けたい仲間なのです」
ソフィアたちを助けるために自分自身をゼブルに差し出したことは後悔はしていない。ティリアはそう思いながらレテノールに自分の意思を伝える。
レテノールはティリアがソフィアたちを大切に思っていたこと、半端な覚悟で自分を報酬にしたわけでないことを聞かされて驚きの反応を見せた。
まだ騎士になって一ヶ月ほどしか経っていないのに既にティリアとソフィアたちの間には絆ができていたことを知り、同時にティリアが仲間だと思っているソフィアたちの命を軽く見ているような発言をしたことを恥ずかしく思うのだった。
「……ティリア、お前の意思は分かった。だが、やはり私はお前をこのまま魔王を名乗る者の下へ行かせることはできん」
「私もよ。ティリア、考えを改めることはできないの?」
説得してくるアナクシアを見ながらティリアは申し訳なさそうな顔をしながら首を横に振った。
「私は隊長たちを救うために自分の全てをゼブル様に差し出すことを決めました。これは騎士として、そして一人の人間として決断したこと。ここで考えを変えてしまったら私自身の意思や覚悟を否定することになってしまいます」
ティリアに心変わりする気は無いと知ってアナクシアはショックを隠し切れずに無言で俯く。
「そもそもここで考えを変えればゼブル様を裏切ることになってしまいます。騎士として決断した以上、恩を仇で返すようなことはできません。何よりもゼブル様自身が私を協力者として欲しがっておられます。私に考えを変える気が合ってもゼブル様は納得されないでしょう」
「……ティリア、ゼブルと言う魔王は今何処にいる?」
突然ゼブルの居場所を聞いてくるレテノールにティリアは思わず反応する。
「ゼブル様はトリュポスの南門前にいらっしゃるはずです」
「そうか……」
居場所を聞いたレテノールは何かを決意したような顔をしながらゆっくりと立ち上がる。
今の状況でレテノールがゼブルの居場所を聞く理由、ティリアはすぐに父親が何を考えているのか察した。
「お父様……まさかゼブル様にお会いするつもりですか?」
「そうだ。これからゼブルに会い、お前を返すよう交渉する」
予想していたとおりの行動を取ろうとするレテノールをティリアは無言で見つめる。
ティリアを解放するという交渉はアドバース砦でもソフィアが試みたが、ゼブルはソフィアの要望を拒否したため交渉は決裂している。
決裂した場面を見ていたティリアは父であるレテノールが交渉してもゼブルは受け入れないだろうと思っていた。
「お父様、それは無理です。……ゼブル様と出会って少ししか経っていませんが、あの方は自分が得をしない取引には一切応じません」
「お前を協力者にできないことで損をするから交渉は行わないと?」
「恐らく……」
「心配するな。お前を取り戻すためなら私はどんな要求だって呑む。望むだけの金銭を払い、物資を求めるなら欲している物を好きなだけ出すつもりだ」
レテノールはティリアのためなら何でもすると語り、ゼブルの下へ向かうために部屋を出ようとする。
ソファーに座っているアナクシアはレテノールの後ろ姿を見ながら、ティリアを救ってほしいと願っていた。
「待ってください、お父様!」
レテノールが扉のノブを掴もうとした時、ティリアが立ち上がり、大きな声でレテノールを止める。
突然呼び止められたレテノールは思わず手を止め、振り向いてティリアの方を向いた。
「ゼブル様はこの世界の協力者を求めています。つまり、自分と共に活動する存在を欲しているのです。例え多くのお金や物資を出してもダメだと思います」
「その時は代わりにゼブルの協力者となる者を用意する。勿論、協力者となる者が束縛されたり、親族と引き離されに済むよう交渉はするつもりだ」
「とんでもない! 別の人を身代わりにするなんて私にはできません」
自分は望んでゼブルの協力者になると決めたのに望まない者を身代わりにするなどティリアには絶対にできなかった。
レテノールは自分のやり方を否定するティリアを無言で見つめる。
娘を救うためとは言え、他人を身代わりにするなど許されることではない。レテノール自身もそれは理解している。
だが娘を魔王の協力者にさせたくないレテノールはどんな手を使ってでもティリアを助けてやりたいと思っていた。
「それにゼブル様は協力者を傍らに置いておくと言っていました。自分の近くに置いておけないという条件は決して吞みません」
「しかし、魔王を名乗る者の協力者になる上に家族や友人から引き離すと言うのはあまりにも酷い仕打ちだ。協力するのだから親しい者の傍にいることを希望する権利ぐらいはあるはずだ」
「……そうかもしれません。ですが、魔王様はそう思われないと思います」
他人の都合を考えず自分の利益を優先する、レテノールはティリアの発言を聞いてゼブルが冷酷な性格の持ち主だと感じた。
これまで見てきたゼブルの言動から彼は決して自分の都合の悪い条件は認めないとティリアは確信している。今の状況でもっとも平和的に事を収めるにはやはり自分が協力者になるのが一番だと感じていた。
ティリアはゆっくりレテノールの下へ歩き、隣までやって来ると寂しそうな顔で父の顔を見た。
「お父様、私は誰かに身代わりになってもらうとは思っていませんし、後悔もしていません。寧ろ、隊長たちを救うことができてよかったと思っています」
「ティリア……」
自分の行動でソフィアたちを救えたことに満足しているティリアを見たレテノールは僅かに表情を曇らせる。
ソフィアたちを救うためにゼブルに協力を頼んだのもティリアが優しいから。この時のレテノールはティリアが優しすぎたせいで自分たちから離れてしまうのだと思っていた。
「私は、私の意思でゼブル様の下へ向かいます。……私の勝手な決断を許してください」
小さな声で告げたティリアは扉を開けて部屋を後にする。それはまるで別れの挨拶をしたように見えた。
「待ちなさい、ティリア!」
「ティリア!」
勝手に退室するティリアをレテノールとアナクシアは慌てて後を追う。まだ自分たちは納得していないため、何とかしてティリアを説得して傍にいさせたかった。
速足でティリアを追いかけるレテノールとアナクシアはエントランスに出る。
エントランスの中央ではティリアが俯きながら自分の手の中にある赤紫色の宝玉を見ていた。
レテノールとアナクシアはティリアが持つ宝玉が何なのか気になっていたが、それ以上にティリアと話をすることが重要だった。
「ティリア、話は終わっていないぞ。部屋に戻りなさい」
大きな声を出しながらレテノールはティリアに声をかける。
ティリアは暗い表情を浮かべながらレテノールとアナクシアの方を向く。その顔からは両親に対する申し訳ないと言う気持ちが伝わってきた。
「お父様、お母様……私はこれからゼブル様と合流し、アドバース砦へ向かいます。そこでゼブル様の協力者として彼の活動に力を貸していきます」
そう言った直後、ティリアは持っている帰還の宝玉を光らせる。
光り出した宝玉にアナクシアは驚き、レテノールも何か起きると予想しながら警戒した。
「親不孝な娘で……すみませんでした」
両親に謝罪した直後、ティリアの体は薄っすらと赤紫に光りだし、その直後にティリアの体はエントランスから消えた。
目の前で消えたティリアにアナクシアは何が起きたのか理解できず戸惑った顔をしている。
だがレテノールはティリアが突然消えたことから彼女が何かしらの方法で転移魔法を使ったのではと推測した。
「ティリア、ティリア!」
レテノールは何度も娘の名を叫びながらエントランスを見回し、その後に玄関を開けて外に出る。
転移魔法を使ったのなら既に屋敷にはいないだろうとレテノールは予測していた。しかしそれでもティリアが自分たちの下を去ったことが受け入れられず、近くにいるかもしれないと思い込んで探しているのだ。
庭の何処にもティリアの姿は無く、レテノールはティリアが本当に自分たちの下を去ったと改めて理解し、ショックで膝を地面に付ける。
アナクシアも娘がいなくなったことに絶望し、その場で口を押えながら泣き崩れた。
――――――
トリュポスの南門のから少し離れた所ではゼブルが腕を組みながら立っている。トリュポスの周辺の確認は済ませており、ゼブルはティリアが戻ってくるのを待っていた。
南門の近くでは門番の兵士たちがゼブルを見ながら不安そうにしていた。
既にソフィアたち第八遊撃隊はトリュポスに入っており、南門には兵士たちとゼブルの姿しかない。
兵士たちはゼブルが何か問題行動を取るのではと不安に思いながら警戒していた。すると遠くで立っているゼブルの近くに一人の少女が突然現れ、その光景を見た兵士たちは驚愕する。
「おっ、戻って来たか」
ゼブルは数m先に現れた人物を見て呟く。視線の先にいたのは自宅に戻ったはずのティリアだった。
状況から家族に会ってきたティリアが帰還の宝玉を使って転移したのだとゼブルはすぐに気付く。ただ予定していた一時間よりも早く戻ってきたので少し意外に思っていた。
ティリアは自分が南門の前に転移したことを知ると周囲を見回しながら転移の凄さを実感する。
そんな時、遠くに立っているゼブルを見つけ、ティリアは走ってゼブルの下へ向かった。
「ただいま戻りました」
「ああ。……家族には会ってきたのか?」
「……ハイ、別れの挨拶もしてきました。あと、ゼブル様の指示どおり、私たちがアドバース砦に戻ることも伝えました」
ゼブルはティリアが家族と会ってやるべきことをやったと知ると無言で頷く。
実はゼブルはティリアに前もって指示していたことがある。それは家族のところへ戻った時に自分はゼブルと共にアドバース砦へ向かうことを領主である父に伝えろというものだった。
ティリアがトリュポスに入る時にゼブルが言っていた“例のこと”とはそのことだったのだ。
なぜわざわざアドバース砦に戻ることを教えるのか分からないティリアは指示を受けた時にゼブルに尋ねた。
ゼブルによると人間側だけが魔王である自分の拠点の位置を知らないのは平等ではないから教えたと説明した。
普通なら拠点の場所を教えない方が魔王として活動しやすいと誰もが思うだろう。それなのにわざわざ拠点の位置を教えるなんて、自分が動き難くなる状況を作っているようにしか見えなかった。
ティリアはゼブルが拠点の位置を人間側に教えたことに疑問を抱く。ただ、ゼブルのことだから何か他に理由があるのではないかと予想していた。
「さて、もう此処には用はねぇ。砦に戻るぞ」
「……あっ、ハイ」
考えていたところを話しかけられ、ティリアは我に返って返事をする。
ゼブルはティリアの立ち位置を確認するとトリュポスの南門の方を向き、門番である兵士たちの方を向いた。
「転移」
呟いた瞬間、ゼブルと近くにいたティリアの姿が一瞬にして消える。
兵士たちは遠くで姿を消したゼブルはティリアに驚いて目を大きく見開きながら呆然としていた。




