第7話 帰路
太陽が昇って周囲が明かるなり始めると騎士たちは予定していたとおりアドバース砦から出発するための準備を進める。
僅かな時間しか眠れていないからか、騎士たちはまだ眠たそうな顔をしているが全員が眠気に耐えながら作業をしている。
正門前には砦内にある厩舎から連れてきた馬を待機させ、その内の何頭かには盗賊が使っていたと思われる荷車を繋げ、そこに捕らえた盗賊たちを乗せた。
馬は全て騎士隊がトリュポスを出る際に乗ってきた馬で、騎士たちを捕まった際に盗賊たちが回収していたのだ。
厩舎には他にも盗賊たちが使っていた馬もいたが、自分たちが乗ってきた馬が無事ならそれに乗ろうと騎士たちは考え、迷わずに自分たちの馬を選んだ。
作業する騎士の中にはティリアの姿もあり、盗賊たちが人々から奪った金品などを荷馬車に積んでいる。
盗賊たちはかなりの量を奪っていたため、全てを積むと荷馬車一台が一杯になってしまった。
他にも攫われた若い少女も何人かおり、騎士たちに誘導されながら捕らえた盗賊たちとは別の荷馬車に乗せられている。
攫われた少女たちはトリュポスに帰還した後、家族の下に帰されることになっているため、騎士たちは少女たちやその家族のためにも必ずトリュポスに連れて帰ると誓う。
やがて出発の準備が整うと騎士たちは自分の馬に乗り、荷馬車の御者席に座った。
「全員、準備は済んだな?」
馬に乗るソフィアは後ろで同じように馬に乗っているティリアや他の騎士たち、荷車に乗っている騎士に声をかける。
騎士たちはいつでも出発できる状態で先頭のソフィアが動くのを待っていた。
「よし、行くぞ!」
出発できると判断したソフィアは前を向いて馬を進ませる。
ティリアたちも馬と荷馬車を走らせてソフィアの後を追う。隊長であるソフィアを追い抜かないよう、速度を上げずに進んだ。
現在の速度だとトリュポスには昼過ぎ頃に到着する。
途中でモンスターなどに遭遇した際は問題なく戦うことができ、積み荷や少女たちを守れるよう陣形も整えて移動した。
太陽が高くなり、青空がハッキリと見えるようになった頃、ティリアたちはアドバース砦から少し離れた所にある森に入り、道に沿って進んでいく。
今通っている場所は左右を森に挟まれており、突然モンスターや狼のような獣などが飛び出してきてもおかしくない場所だ。
現在は夜が明けたばかりで大抵のモンスターや獣は眠っている時間だがそれでも安心はできないため、騎士たちは警戒し続けながら移動している。
「隊長、もう少し進めば森を出られるはずです。そこで一度休息を取ってはいかがでしょう?」
ソフィアのすぐ後ろで馬に乗っている騎士は地図を見ながら休息を取ることを提案する。
アドバース砦を出てから此処まで休まずに移動したため、仲間や馬たちを休ませた方がいいと騎士は思っていた。
「……そうだな。トリュポスまではまだ時間が掛かる。皆も砦の件でまだ疲れが残っているはずだからこまめに休んで移動した方がいいだろうな」
そろそろ休息を取るべきだと判断したソフィアに騎士は小さく笑う。
騎士の隣ではティリアが同じように馬に乗りながら微笑みを浮かべていた。
ティリアは盗賊の件が解決してからゼブルの協力者となり、ソフィアたちにとってある意味で特別な人物となった。
ソフィアはティリアの立場上、自分の近くにいさせた方がいいかもしれないと考え、トリュポスに着くまでの間、自分の後ろをついてこさせることにした。
「……ティリア、トリュポスに戻ったらお前はどうするつもりだ?」
「え? 戻ったら、ですか?」
突然質問されたティリアは即答できずに難しそうな顔で俯く。
ソフィアは後ろを向いて黙り込むティリアを見つめながら答えるのを待つ。
近くにいる他の騎士たちもティリアとソフィアの会話を聞いて二人に注目している。
「戻ったらまず、両親に私の身に起きたことやゼブル様のことをお話しします。その後は町を出てゼブル様と共にアドバース砦に戻るつもりです」
「砦に? なぜだ?」
何の目的で放棄された砦に戻るのか分からないソフィアは詳しく聞くためにティリアに尋ねる。
不思議そうに自分を見るソフィアにティリアは軽く目を逸らす。
ティリアはゼブルがアドバース砦に戻ろうとしているのか理由を知っている。だからこそ複雑な気持ちになって目を逸らしたのだ。
「……ゼブル様はあの砦をご自分の拠点として利用すると仰っていました」
「拠点!?」
ソフィアはティリアの口から出た言葉に驚きを隠せずに大きな声を出す。魔王を名乗る者が国内に拠点を作るなどと聞かされれば驚くのは当然のことだった。
ティリアは深夜の内にゼブルからアドバース砦を、正確にはアドバース砦がある場所に異世界で活動するための拠点を造ることを話していた。
突然拠点を造ると言われたティリアは当然驚き、ゼブルに使われてないとしてもセプティロン王国内にある建造物を無断で使用したり、解体するのは違法になるのでやめた方がいいと説得した。
ゼブルも他国の建造物を破壊、無断使用するのは許されないだろうと思っている。だが魔王である自分はセプティロン王国の法に背くことになっても関係ないと話し、アドバース砦を解体した新しく拠点を造ることを決めた。
そもそも許可も無しに勝手に建物を造ること自体が違法になるため、何処に拠点を造って同じだった。
結局違法になるのなら自分の気に入った場所に拠点を造った方がいいと考えたゼブルはアドバース砦がある場所を選んだのだ。
ティリアは拠点の造ることについてゼブルから口止めはされておらず、教えても構わないと言われたため、隠さずにソフィアに話すことにしたのだ。
周りの騎士たちもソフィアの方を向いて目を見開いて驚いていた。
ただ中には会話が聞こえていなかった騎士もおり、ティリアとソフィアを見ながら不思議そうにしている。
「拠点として利用するって、あのボロボロのアドバース砦をか?」
「いえ、ゼブル様は砦を破壊した後に自分で考えた拠点を造ると仰いました。それも今ある砦よりも大きくて強固な物にするそうです」
「そんな馬鹿な、いくら何でもそんなことができるはずが……」
信じられないソフィアは小さな声で呟く。
いくらゼブルが異形の存在だとしても既に建てられている砦を破壊し、その後に新しい拠点を造るなんて不可能だと思っている。
ただゼブルは魔王を名乗っているので、自分たちの知らない力を使ってそれを可能にするのではとソフィアは考えていた。
「……ティリア、ゼブル殿はどちらにいらっしゃる?」
直接ゼブルに話を聞いてみようと考えるソフィアはティリアにゼブルの居場所を尋ねた。
ティリアは必死そうな様子のソフィアに驚いて思わず目を逸らす。そして小さく苦笑いを浮かべながら自分の頬を掻く。
「え~っと……上です」
ティリアは頬を掻いていた指で真上を指す。
ソフィアや周りの騎士たちが上を向くと数十m上空で何かが飛んでいるのが見える。既に周囲は明るくなっており、よく見れば何が飛んでいるのか確認できた。
目を凝らすと奇妙な形の羽を広げて飛んでいるゼブルが見え、ソフィアたちはゼブルの姿を見て驚きの反応を見せる。
暴食蟻を支配するだけでなく、空まで飛べると知ったソフィアたちはますますゼブルが魔王を名乗れるほどの力を秘めているのではと考えるようになっていった。
ゼブルはアドバース砦を出発する時、ティリアから馬か荷馬車に乗って移動することを勧められた。
だが夜中では見れなかった異世界を明るい時に見てみたいと思っていたため、馬や荷馬車には乗らず、空を飛んでトリュポスに向かうことにしたのだ。
因みに暴食蟻たちはゼブルが戻るまでの間、アドバース砦に誰も近づかないよう見張らせるために砦に残してある。
「なかなかいい世界だな」
ソフィアたちが見上げていることに気付いていないゼブルは飛びながら周囲を見回す。
青空の下には広大な大地が広がっており、見えるのは殆どが平原で所々に森や林、丘や川などもある。遠くには山もあり、EKTの世界で見た風景とよく似ていた。
異世界に来た直後は夜でどんな場所なのかよく分からなかったが、明るくなってから確認すると本当に綺麗な世界だとゼブルは感じている。
「この世界で俺は魔王の使命を果たすために生きていくわけか。……できる限りこの綺麗な世界を壊さないようにしないとダメだな」
現実では自然保護官だったため、美しい自然を見ると破壊するのに抵抗を感じてしまう。
ゼブルはこの世界の形を可能な限り残すよう努力することを決める。同時に自然を大切にしようと考える今の自分は魔王らしくないと思うのだった。
「ゼブル様ーーっ!」
異世界を確認し終えたゼブルが目的地であるトリュポスを探そうとした時、真下から声が聞こえて下を見る。
数十m下ではティリアたちが自分を見上げている姿か見え、自分を呼んでいると知ったゼブルは降下してティリアの下へ向かった。
ゼブルは馬に乗りながら移動するティリアたちの左側に移動し、目線が合う高さで高度を下げた。
「どうした?」
「あの、隊長がお話があるそうです」
またティリアを自由にしてほしいという話か、と予想しながらゼブルは話を聞くためにソフィアの方を向いた。
「ゼブル殿、ティリアからアドバース砦がある場所に拠点を造られるそうですが、本当ですか?」
予想していた話とは違う話題にゼブルは意外に思う。
ただ拠点については尋ねてきたため、話さなくてはいいことは話さないよう注意しながら答えるよう自分に言い聞かせた。
「ああ、あそこは拠点を造るのには条件がいい場所だからな。アドバース砦を破壊した後に一から造るつもりだ」
「一から……それは魔法や技術を使って造られるのですか?」
「それは教えられねぇな。魔法や技術の情報って言うのは簡単に人に教えていいものじゃない」
何も話さないゼブルにソフィアは若干不満そうな顔をした。
しかし味方でもない者に自分の使える魔法や技術、それも拠点を造れるような優れたものの情報を話す者がいるはずがない。それを考えるとゼブルの反応は普通と言えるだろう。
「では、他国の建造物を無断で破壊し、新たに建造物を造って利用することが禁じられていることはご存じですか?」
「……ああ」
本当はセプティロン王国の法律なんて何も知らない。だが現実の世界でも許可を得ずに建物を造ったりするのは違法建築とされるので、異世界でも同じだろうとゼブルは考えていた。
実際にソフィアから許可を得ずに拠点を造ることは許されないと聞かされたため、ゼブルは現実の世界と似た法律があると知って安心する。
「ゼブル殿はティリアや私たちを救ってくださり、盗賊の討伐にも協力していただきました。そのことは感謝しています。……ですが、それでも王国内で勝手に拠点を造ることは許されません」
恩はあるが法律に背く行動を取ることは騎士団の人間として見過ごすことはできないことをソフィアは静かに語る。
ゼブルもソフィアの言っていることは正しいと思い、無言で話を聞いていた。
「魔王を名乗る貴方が無断で王国の建造物を破壊し、ご自身の拠点を造ればセプティロン王国に対する敵対行為とみなされる可能性だってあります」
「そんなことは分かってる」
「理解なさっているのならなぜ……」
わざわざ自分の立場を悪くするような行動を取ることが理解できないソフィアはゼブルに尋ねる。
「単純なことだ。俺が魔王だからだよ」
予想もしていなかった答えを聞いてソフィアや周りの騎士たちは目を見開く。
「魔王だから人間の都合なんて気にせず、好き勝手にやりたいことをやる。ただそれだけのことだ」
「それで、ご自身が多くの人を敵に回すことになったとしてもですか?」
「そうだ。人間を敵に回す覚悟もない奴が魔王の使命を果たすなんてできるわけない。そもそも人間たちが敵に回ったとしても俺は彼らに勝つ自信がある」
魔王だから人間の国の法律や決め事には従わず、思ったことを躊躇いもなく実行すると言うゼブルにソフィアは微量の汗を流す。
目の前にいる異形の存在はこの世界の人間を敵に回すことに恐怖や不安などは一切感じていない。この瞬間、ソフィアはゼブルのことを魔王だと認めた。
しかしゼブルが二百年前にこの世界に現れた魔王と同じ邪悪な存在かと聞かれると自信を持って「そのとおりだ」とは言えない心境だった。
「話がそれだけなら俺は上に戻るぞ。もう少し周囲に何があるか確かめたいんでね」
ゼブルは後ろ翅を動かし、先程と同じ高さまで上昇していく。
ソフィアは飛び上がるゼブルを無言で見上げている。
万が一セプティロン王国と敵対することになっても何も感じないゼブルをソフィアはある意味で強く、恐ろしい存在だと思った。
その後は予定どおり数回の休息を入れながら移動し、ゼブルたちは大都市トリュポスを目指す。
幸い移動中にモンスターなどの襲撃を受けることは無かった。
――――――
広大な平原の中に大都市トリュポスがあった。高い城壁に囲まれ、北と南には一つずつ門があり、そこから都市に入れるようになっている。
都市内にはもう一つ城壁があり、二つの城壁の間には市場、王国軍の駐屯地、共同墓地、そして“冒険者ギルド”が存在する。
冒険者ギルドとは、冒険者と呼ばれる軍とは別にモンスターや盗賊の討伐、薬草などの調達を行って報酬を得る傭兵のような存在が集まる場所だ。
冒険者たちはギルドで依頼を受け、依頼を完遂したら報酬を受け取ることができる。更も軍とは違って試験のようなものを受ける必要は無く、ギルドで登録すれば誰でも冒険者になれる。
ただし登録できるのは成人だけで未成年は登録することはできない。異世界では十五歳以上が成人であるため、冒険者に憧れたり、冒険者として働きたい者は十五歳になるとすぐに冒険者登録する。
因みにEKTにも冒険者は存在し、魔王であるプレイヤーを倒すために冒険者のNPCが襲撃してくることがよくある。
二つ目の城壁の先は市民たちの家や宿屋、神殿、食料などを保管する倉庫が大量にある。トリュポスを訪れる人々のために多くの宿屋が存在し、冒険者も活動拠点として利用していた。
トリュポスの中央部にはトリュポスの都市長であり、領主であるフォリナス辺境伯の自宅、特別な来客を招くための貴賓館がある。
フォリナス辺境伯の自宅は屋敷で市民たちが暮らす場所から少し離れた所にある。更に貴賓館も近くにあるため、市民たちは滅多に近づかない。
屋敷を訪れるのは騎士団長や内政官のような特別な身分の者ばかりだった。
「あれがトリュポスか……」
飛んでいるゼブルは遠くにある都市を見ながら呟く。異世界に転移して初めて大勢の現地人が集まる場所にやって来たため、どんな場所なのか興味があった。
しかし今回は騒ぎにならないようトリュポスには入らず、都市の外で待機することにしていた。
ゼブルが真下を見るとティリアたちがトリュポスに向かって真っすぐ移動しているのが見えた。
トリュポスを目視できる所まで来たことで早く戻ろうという気持ちが強くなったのか馬の走る速度も少し上がっている。
騎士隊が速度を上げたのを見たゼブルも遅れないよう速度を上げ、ティリアたちの頭上を飛びながらトリュポスへ向かう。
トリュポスの南門では門番の兵士が数人、周囲を見張りながらトリュポスを訪れる者を待っている。
南門の前に立つ兵士の一人が槍を肩に掛けながら遠くを見ていると、近づいてくる一団を見つけて目を凝らす。
少しずつ一団が近づいて来て姿は見えるようになると兵士は自分と同じセプティロン王国軍の騎士たちだということに気付いた。
ソフィアを先頭に騎士たちは一斉に南門の前で停止し、門番である兵士たちもソフィアたちの所属を確認するために近づいてくる。
「第八遊撃隊のソフィア・シルトロンドです。アドバース砦を拠点に活動していた盗賊の討伐を終えて帰還しました」
「シルトロンド殿! 帰還予定日を過ぎても戻ってこられないので皆心配していましたよ」
「ご心配おかけしました。少々盗賊たちに苦戦して時間が掛かってしまいました」
申し訳なさそうな顔をしながらソフィアは事情を説明する。
兵士たちは話を聞くとソフィアたちの帰還が遅くなったことに納得した。
それからソフィアは今回の任務で盗賊を数人捕らえたこと、自分の部隊にも数人の殉職者が出たことなどを伝える。
騎士が亡くなったことを聞かされた兵士たちは残念そうな顔で俯き、仲間を失ったソフィアたちに同情した。
「私たちはこのまま駐屯地へ向かい、帰還したことを団長に報告しますので盗賊たちをお願いします」
捕らえた盗賊が乗っている荷馬車を兵士たちに見せると、兵士たちはソフィアを見ながら敬礼する。
「了解しました。責任を持って連行します」
ソフィアは兵士に軽く頭を下げると待機している騎士たちと共にトリュポスに入ろうとする。
この時のソフィアは任務を終えて戻ったことだけでなく、ゼブルことを急いで騎士団長に報告しなくてはいけないと思っていた。
「隊長、よろしいですか?」
ティリアが馬に乗りながらソフィアの隣までやって来る。
声をかけられたソフィアは不思議そうな顔でティリアの方を見た。
「私はこれから自宅に戻って父と母に今回の一件と私自身のことを伝えたいのですが、別行動の許可をいただけますか?」
ソフィアはティリアを見て彼女が両親に何を話すのか気付いた。
「ゼブル殿の協力者になったことを報告に行くんだな?」
「ハイ」
予想どおりの答えにソフィアは僅かに表情を曇らせる。
自分たちが原因でティリアがゼブルの下へ行かなければならなくなったことにソフィアは改めて申し訳なさを感じた。
しかしティリアが自分の意思で決めたことなので、彼女の覚悟を否定しないためにもソフィアは引き留めたり説得しようとは思わなかった。
「……分かった。ただ、フォリナス伯に会う前に団長にゼブル殿のことを少しだ話していってくれないか」
「それはアンタがすればいいだろう」
頭上から声が聞こえ、ティリアたちが一斉に上を向くとゼブルが勢いよく降下してティリアたちの近くに着地した。
突然姿を現した人型の昆虫のような生物に何も知らない兵士たちは驚愕し、咄嗟に持っている槍を構えて警戒する。
兵士たちを見たティリアはゼブルを攻撃するのではと考え、慌てて兵士たちを止めた。
「ま、待ってください! この方は敵ではありません」
異形の存在に敵意は無いとティリアから聞いた兵士たちは状況が理解できず、困惑しながらゼブルを見つめる。
ソフィアはゼブルの存在が兵士たちに知られてしまって面倒に思う。
異形の存在であるゼブルが騎士である自分たちと同行していると知られて誤解を招くかもしれないと不安を感じていた。
ゼブル自身も大騒ぎになることを避けようと思っていた。だが門番の兵士しかいない状況なら騒ぎにはならないと考え、更に魔王である自分の存在を認識してもらおうと姿を見せたのだ。
「シルトロンド殿、これはいったいどういうことですか?」
「あ~、説明すると長くなるのですが……」
本来なら騎士団長への報告を優先するべきことなのだが、兵士たちを不安にさせたまま残すわけにもいかないため、ソフィアは簡単にゼブルのことを説明してからトリュポスに入ることにした。
ソフィアが兵士たちに説明しようとした時、ティリアが視界に入り、彼女が家族に会うために帰宅したいと言っていたのを思い出す。
「ティリア、後は私たちがやっておくからお前は帰れ。騎士団長たちにも私が話しておく」
「あ、ハイ。ありがとうございます」
許可を得たティリアは手綱を握って馬を走らせようとする。
「ティリア」
突然ゼブルに呼び止められてティリアは振り返る。振り返った直後、何かが飛んできてティリアはそれを咄嗟に両手でキャッチした。
ティリアの手の中には手の平ほどの大きさで赤紫の宝玉があり、宝玉を見たティリアはゼブルの方を向く。
状況から宝玉はゼブルの持ち物で自分に渡すために投げたとすぐに分かった。
「ゼブル様、これは……」
「帰還の宝玉。使用すると予め設定しておいた場所に転移することができるマジックアイテムだ」
「て、転移のマジックアイテム?」
自分の手の中にある宝玉がとんでもない物だと知ったティリアは目を丸くする。
異世界では転移は非常に高度な能力で並みの魔導士では使うことは愚か修得することはできない。可能なのは勇者と同等の力を持つ魔導士、もしくは英雄級の実力者と呼ばれる優秀な存在の中のごく一部だけと言われている。
転移を行うには転移魔法かその魔法を封印した巻物を使うしかない。
現在、転移魔法が使える者は数えるほどしかおらず、巻物も非常に珍しく手に入れるのが困難だと言われるほどだ。
使うこと、目にすることが難しいとされる転移を可能にする物が目の前にあることにティリアは驚きと小さな興奮を感じている。そしてそんな強力なマジックアイテムを所持しているゼブルは魔王を名乗れるほど大きな存在だと思っていた。
「その帰還の宝玉の転移先は此処に設定してある。それを使えば一瞬で此処に戻ってこれる。使い方はそれを持ったまま転移したいと念じればいい」
ゼブルはティリアに使い方を間違えないよう分かりやすく説明する。
因みにゼブルはアドバース砦にいる時、誰も見ていない時にEKTの世界にある自分の拠点を転移先に設定した帰還の宝玉を使用したが転移できなかった。
これにより転移魔法やマジックアイテムを使ってもEKTの世界には戻れないことを知り、ゼブルはより強く魔王の使命を果たすことを決意する。
近くにいるソフィアや他の騎士たちは門番の兵士たちにゼブルのことを説明していたため、ゼブルとティリアの話が聞こえていなかった。
もしソフィアたちに帰還の宝玉のことを聞かれれば面倒なことになっていたかもしれないため、ゼブルはティリアだけが話を聞いていたことを運が良かったと思っている。
「両親に会って俺の協力者になったことを説明したら、帰還の宝玉で戻ってこい」
「は、ハイ」
「時間は一時間だ、一時間以内に必ず戻れ。……それと“例のこと”はちゃんと伝えておけ?」
「分かりました」
ティリアは帰還の宝玉を腰のポーチに仕舞うと前を向く。
帰宅して家族にゼブルと取引したことを話し、家を出れば家族と離ればなれになる。それを考えるとやはり寂しさを感じてしまう。
しかし自分はソフィアたちを助けるために覚悟を決めてゼブルと取引した。そのことを後悔していないティリアは真剣な表情を浮かべる。
ティリアは馬を走らせた門を潜り、トリュポスに入っていく。全速力で馬を走らせたため、あっという間にティリアは小さくなった。
ゼブルはティリアが走り去る姿を無言で見つめている。
ティリアを帰らせる時、家族への説明を済ませたらすぐに戻れ、とは言わずに一時間以内に戻ってこいと言ったのはゼブルなりの配慮だ。
今まで一緒に暮らしていた家族と別れることになるのだから、少しぐらい一緒に入れる時間を与えようとゼブルは思っていた。
「……さてと、ティリアが戻ってくるまでトリュポスの周りに何があるか調べてくるかな」
ただトリュポスの外で待っているのも退屈なため、ゼブルはマントを消して翅を出すと勢いよく地面を蹴って真上に飛び上がる。
飛び上がった時の音と風でソフィアたちはゼブルが飛んだことに気付き、全員が小さくなったゼブルを見上げて呆然としていた。