第6話 交渉
捕らわれていた隊長を救出した直後、生き残っていた盗賊は全て投降し、アドバース砦は完全に制圧された。
アドバース砦には頭目であるガバルドを含めて四十人以上の盗賊がいたが暴食蟻のよって多くの盗賊が殺され、最終的に生き残ったのはわずか八人だった。
大量の死体が転がる中庭を目にした騎士たちはあまりにも酷い光景に言葉を失い、それと同時に盗賊たちを手にかけた暴食蟻たちに小さな恐怖を感じていた。
アドバース砦を制圧した後も暴食蟻たちは騎士たちを襲ったりせずに大人しくしているが、それでも何かの拍子に襲ってくるのではと騎士たちは不安に思っている。
騎士たちは生き残った盗賊たちが逃げ出さないよう自分たちが捕らわれていた牢屋に入れられる。
牢屋に入れたのは逃走を阻止する以外にも盗賊たちが暴食蟻に襲われないようにするためでもあった。
盗賊たちを牢屋に入れた後、騎士たちは状況確認をしながら盗賊の死体を一ヵ所に集める。死体を運ぶ間、何人かの騎士は状態の酷い死体を見て吐き気に襲われ、しばらく動けなくなった。
動ける騎士たちは苦しむ仲間たちを助けながら砦内の死体を一つずつ集めていく。
騎士たちが作業をしている間、暴食蟻たちはゼブルに指示されて砦の中を見回る。他にも騎士たちの代わりに正門前でアドバース砦に近づいてくる者がいないか見張りをしていた。
「騎士は全員救出できたし、砦も制圧できた。とりあえずはティリアとの約束は果たせたってことになるな」
中庭の片隅で木箱に座りながら足を組むゼブルは作業する騎士たちを眺めている。
ゼブルが頼まれたのは騎士たちを救出することなので制圧後に騎士たちの作業を手伝いをする義理は無い。異世界の騎士がどんな仕事をするのか観察しながらゼブルは今後何をするのか考える。
異世界に来た直後、ゼブルは活動拠点を手に入れることを目標としていた。
ティリアとの約束を果たした今、ゼブルは再び拠点探しに気持ちを切り替え、何処かに良さそうな拠点はないか考える。
「できれば敵が攻めてきた際にこっちが戦いやすい場所に拠点を造りたいんだが、そんな都合のいい場所は簡単には見つからねぇよな……」
好条件の揃った拠点は見つけるのが難しい、そう考えるゼブルは後でティリアに何処か良い場所は無いか聞いてみようと思っていた。
だがそんな時、ゼブルは自分が今いる場所を思い出してフッと反応する。
「……そう言えばこの砦って入口がある方角以外は全部岩山に面してたな。周辺は荒地で見通しが良く、ティリアも防衛拠点として建設されたって言ってたかな」
アドバース砦が拠点に適した場所だと考えるゼブルは木箱から立ち上がって砦内を見回す。
場所だけでなく広さも申し分なく、セプティロン王国の軍が放棄したことで所有する者はいない。ゼブルはアドバース砦がある場所を拠点にすることにした。
ただアドバース砦自体を拠点として使うつもりはない。いくら場所が良くても城壁や内部の物が壊れたり、劣化していては使い物にならないため、ゼブルはアドバース砦を自分に都合のいい拠点に造り替えるつもりでいた。
「幸い異世界に来る前に拠点を造るためのアイテムは手に入れてたからな。新築するには何の問題もない」
普通は軍が放棄したとは言え、セプティロン王国内にある建造物を無許可で造り変えたり、勝手に使うことは許されない。しかし魔王であるゼブルはセプティロン王国の法律や領土など気にもせずに使うつもりでいた。
万が一排除されそうになったとしても返り討ちにできるとゼブルは確信している。
「ゼブル様」
背後から声が聞こえ、ゼブルが振り返るとティリアが駆け寄ってくる姿が目に入った。
「ゼブル様、隊長がお話があるそうです。居館までいらっしゃってください」
ティリアの上官が呼んでいると聞いてゼブルは小さく反応する。
話によると隊長はガバルドから拷問を受けて怪我を負っていると聞いたため、会話ができると知って意外に思っていた。
「大丈夫なのか? 救出した時は全身傷だらけだったって聞いたぞ」
「確かに傷は多かったですが酷い傷は無かったので会話や移動をするのには問題ないそうです」
「そうか……なら、一度ちゃんと挨拶しておかねぇとな」
ティリアはゼブルを案内するために来た道を戻って居館へ向かう。
ゼブルはどんな話をするのか気にしながらティリアの後をついて行く。
作業をする騎士の中には暴食蟻と同じようにゼブルを警戒している者もおり、ゼブルが近くを通る際はできるだけ目を合わせないようにしていた。
魔王が人間に警戒されたり、恐れられたりするのは当然のこと。それを理解しているゼブルは騎士たちの反応を見ても気分を悪くすることはなかった。
ゼブルはティリアに案内されて目的地である二階建ての居館に辿り着いた。
屋根や壁の一部は劣化しており、窓も何枚か割れている。だがそれでも建物自体は形が残っているので崩壊する心配は無く、生活するにも問題無かった。
ティリアが出入口である扉をノックすると、扉が開いて一人の女騎士が顔を出す。
「ゼブル様をお連れしました」
「ご苦労様、入って」
女騎士が扉を大きく開けるとティリアは静かに居館に入る。
ゼブルもティリアの後に続いて居館に入った。
目の前を通るゼブルを見た女騎士は緊張したのか思わず息を飲む。
自分や他の騎士はゼブルに対して恐怖心を抱いているのにティリアはどうして平然としているのだろうと女騎士は疑問に思っていた。
居館の中は複数の長い机があり、その周りでは沢山の丸椅子がある。
机の上には食べかけの干し肉やチーズ、空の木製ジョッキが無造作に置かれており、ゼブルたちが襲撃するまで盗賊たちが此処で食事をしていたことを物語っていた。
部屋の奥にも机があり、その近くには隊長と二人の騎士の姿がある。
隊長たちはゼブルとティリアが来たことに気付くと一斉に姿勢を正して二人の方を向く。
「隊長、ゼブル様をお連れしました」
「ああ、ご苦労だった」
ティリアに労いの言葉をかけた隊長はゼブルの方を向く。腕や足には包帯が巻かれ、顔にはガーゼのような物が貼られている。
ゼブルは隊長の姿を見て拷問で受けた傷の手当てをしたのだと知り、同時に回復系のポーションは無いのかと疑問に思った。
隊長たちの近くにある机は他の机と違って綺麗に片づけられており、その上に大きめの地図が広げられていた。
ゼブルとティリアが来るまでの間、隊長たちはトリュポスまでの道の確認や今度のことについて話し合っていたようだ。
「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
隊長は目の前に立つゼブルを見ながら深く頭を下げる。
他の二人の騎士も隊長と同じように頭を下げた。
騎士たちの顔にはゼブルに対する警戒や不安が見られる。だが隊長はゼブルを警戒していないのか真剣な表情を浮かべていた。
「私はセプティロン王国第五騎士団、第八遊撃隊の隊長を務めるソフィア・シルトロンドと申します。盗賊と捕らわれた我々を救出してくださったこと、改めてお礼を言わせていただきます」
「気にするな。俺は自分の意思で動いたんだからな」
「いえ、どんな理由であろうと助けてくださったのは事実。感謝するのは当然のことです」
「……ホントに気にしなくていいんだけどなぁ」
真面目なソフィアを見たゼブルは頬の部分を指で掻きながら呟く。
騎士たちを助けたのはティリアと言う協力者を手に入れるためであって騎士たちのためではない。故に善意で助けてくれたと思い込むソフィアに対して少し複雑な気分になっていた。
「まぁ、アンタたちが感謝したいのならしてくれていい……ところで俺に話があるそうだな?」
「あ、ハイ。とりあえずお掛けください」
ソフィアから丸椅子に座るよう言われたゼブルはとりあえず近くにある丸椅子に腰を下ろした。
ゼブルが座るとソフィアも丸椅子に座り、机を挟んでゼブルと向かい合う。
ティリアと騎士たちはそれぞれゼブルとソフィアの後ろで付き従うように立っている。
「ティリアからお聞きしていると思いますが、私たち第八遊撃隊はこのアドバース砦を根城にしていた盗賊たちを討伐するためにやって来ました」
「ああ、聞いてる。最近トリュポスの近くで好き勝手やってるから討伐に来たんだろう?」
「ハイ。盗賊の討伐が完了したのでトリュポスに戻るために夜が明けたら砦を発つつもりです」
盗賊を倒したのだから拠点があるトリュポスに戻るのは当然のことだ。しかし今は深夜で視界が悪く、現状で外を移動するのは危険すぎる。
ソフィアは安全にトリュポスに戻るため、そして疲れを取るためにもアドバース砦で一夜を過ごすことにしたのだ。
ゼブルもすぐに出発しない理由に気付き、ソフィアを見ながら仲間想いで冷静に物事を判断ができる優秀な騎士だと思った。
「盗賊については我々ではなくゼブル殿がお一人で討伐したも同然なのでしっかりと謝礼をさせていただきます」
「その必要はない。礼ならティリアから貰うことになってるからな」
騎士たちはゼブルの言葉に反応する。
さっきまで真剣な顔をしていたソフィアも深刻そうな表情を浮かべながらゼブルを見ていた。
ソフィアたちの反応を見たティリアは僅かに表情を曇らせる。その理由はゼブルを呼びに行く少し前のソフィアとの会話にあった。
ティリアはゼブルを呼びに行く前にソフィアに呼ばれてゼブルについて質問された。
ゼブルは何者なのか、なぜティリアがゼブルと行動を共にしているのか、色々なことを聞かれたティリアは一つずつソフィアの問いに答えていった。
まず、ゼブルは自分が盗賊に追われていたところを助けて、自身を魔王と名乗ったことをソフィアに話した。
ソフィアは魔王と言う言葉を聞いた途端に目を見開く。
近くで話を聞いていた別の騎士たちも全員が驚愕した。自分たちを助けた昆虫のような存在が人類の敵である魔王を名乗ったと聞かされたのだか無理もない。
正直、ソフィアや騎士たちはゼブルが本物の魔王なのかいまいち信じられなかった。しかし異形であることや凶暴な暴食蟻を従えているのを考えると本当に魔王かもしれないと感じてしまう。
ティリアは続けて捕まったソフィアたちを救出を頼み、その見返りとして自分を報酬にしたことも隠さずに正直に説明した。
ゼブルが魔王を名乗ったことに驚いている中、ティリアが自分を報酬にしたと聞かされてソフィアは更に驚く。
なぜ自分自身を報酬になどしたのか、ソフィアはティリアの決断を愚行と思いながら尋ねた。
ティリアは当時の状況ではゼブルに助けを求めるしかソフィアたちを助けることはできず、自分を報酬にするしかなかったと伝える。
全ては自分たちを助けるためだと聞かされたソフィアはティリアの決断に対してそれ以上何も言えなかった。
仲間を助けるために自身を犠牲にするなんて半端な覚悟ではできないことだ。心の底から仲間を助けたと思っていたことを知ったソフィアはティリアの決断を否定することができなかった。
ティリアは自分の意思でゼブルの報酬になることを選んだ。だが仲間が魔王を名乗る者の報酬になるのを黙って見過ごすなどソフィアにはできなかった。
「……ゼブル殿、ティリアから聞いたのですが、私たちの救出に力を貸す代わりにティリアを報酬としてご自分のものにするのですよね?」
「ん? ああ、そうだ」
「彼女を報酬として手に入れた後はどうなさるおつもりですか?」
「勿論、俺の傍らに置いておく。そしてこれからは魔王の協力者として色々と手伝ってもらうつもりだ」
「つまり、ティリアは家族と離ればなれになると?」
「……まぁ、そうなるな」
ゼブルの返事を聞いたソフィアは小さく俯きながら黙り込み、しばらくすると顔を上げて真剣な眼差しをゼブルに向けた。
「私は貴方にお話があってお呼びしましたが、その話と言うのは先程話した夜明けに砦を発つことではないのです」
「ほお?」
本題は別にあると聞かされたゼブルはどんな話なのか気になり、腕を組みながらソフィアを見つめる。
ソフィアはゆっくりと立ち上がると両手を机に付けて頭を下げた。
「ゼブル殿、ティリアを報酬にするという話、無かったことにしていただけませんか?」
「……はあ?」
ドスの利いた声が響き、同時に部屋の中の空気が一気に張り詰める。声の低さからゼブルが機嫌を悪くしたことはすぐに分かった。
ゼブルの声にティリアを始め、ソフィアや後ろの控えていた騎士たち、出入口を見張る女騎士の顔に緊張が走る。
ただ低い声を聞いただけなのになぜか自分たちは危機的状況に立たされている、ティリア以外の全員がそう直感していた。
「どういうことだ、説明してもらおう」
頭を下げるソフィアは汗を流しながらゆっくりと顔を上げてゼブルを見る。
表情こそ変化はないが目を見ればゼブルが納得できず不機嫌になっていると感じ取れた。
ゼブルはティリア自身が報酬になると言ったため、捕まったソフィアたちの救出に手を貸した。にもかかわらずティリアを報酬として渡せないと言われたのだから腹が立てるのは当然のこと。
納得できないが理由を聞かずに憤慨するのは見っともないため、ゼブルはとりあえず冷静に話を聞いてみることにした。
ソフィアは魔王を名乗る者の機嫌を損ねたことで今後の運命は自分の発言によって左右されると考え、言葉を選びながら慎重に説得しなくてはいけないと自分に言い聞かせる。
「ティリアが貴方の協力者となれば彼女は王国を敵に回すことになるかもしれません。そうなればいつかは祖国の者と戦うことになるでしょう」
ティリアがゼブルの所有物となったらどうなるのか、ソフィアは細かくゼブルに説明する。
この時のソフィアはとても緊張しており、言葉を間違えないよう気を付けながら話していた。
「私はティリアに祖国の者と戦うという過酷な道を歩ませたくないのです。何よりティリアの家族は彼女を愛しており、ティリアも家族を大切にしています。ティリアを家族と離ればなれにさせたくない……」
「隊長……」
自分のために必死にゼブルを説得するソフィアを見てティリアは胸を締め付けられるような気持ちになる。
「ソフィア隊長、アンタの言いたいことは分かった」
「それでは……」
「……断る」
ゼブルの口から出た言葉にソフィアは表情を歪めた。
ティリアもゼブルが何と答えるのか分かっていたが、答えを聞くと少しだけ表情を暗くする。
「俺は報酬を出すと言われたから力を貸したんだ。全てを終えた後に報酬を受け取れないと言われて納得できるはずが無いだろう」
「勿論、代わりはご用意いたします。こちらの要求を呑んでくださった分、それに見合った報酬をお渡しするつもりです」
「一部隊長であるアンタにそんなことができるのか?」
「そ、それは……」
ゼブルの言葉にソフィアは何も言えずに黙ってしまう。
ティリアを助けたい気持ちで別の報酬を出すと言ったが、実際ソフィアにはそんな権利も代わりに出せる報酬も無い。完全に無計画な交渉だった。
「それにティリアはアンタたちを救うために自分の意思で報酬になることを決めたんだ。仲間のためとはいえ、魔王である俺の助ける得るために自分を差し出すなんて半端な覚悟じゃできないことだ」
「確かに、仰るとおりです」
ソフィアの返事を聞いたゼブルは後ろで控えているティリアの方を向いた。
「ティリア、お前は自分が俺の所有物になると聞いた時、今までどおりの生活を送れると思っていたか?」
「い、いえ、自分を報酬にすると決めた時から今までの暮らしを捨てる覚悟をしていました。……勿論、家族と一緒にいられなくなることも」
ティリアが覚悟を決めていることを再確認したゼブルは意志が強く、協力者としてよく働いてくれるだろうと思った。
ゼブルはティリアの答えを聞くとソフィアの方を向き直す。
「ソフィア隊長、アンタがティリアのために提案したことは分かる。だが考え方を変えればアンタの提案は仲間のために人生を捧げたティリアの覚悟を否定することになるんじゃないのか?」
どれほどの覚悟でティリアがゼブルに助けを求めたのかを知ったソフィアは表情を曇らせる。
救いたいという気持ちで交渉しようとしていたが、ソフィアはゼブルの話を聞いて自分とティリアでは何かを成し遂げようとする意志の大きさが違うと知り、自分の意志の弱さを情けなく思った。
「そんなわけでアンタの頼みは聞けないし、約束どおりティリアは報酬として貰う。いいな?」
「……ハイ」
現状と自分の力では説得は不可能、そう直感したソフィアは小さな声で返事をする。
会話を聞いていた他の騎士たちもティリアを解放することは無理だと知って全員が残念そうな顔をしていた。
「他に話が無いなら俺は行くぞ? 夜の間に色々とやらなければならないことがあるんでな」
席を立ったゼブルはソフィアに背を向けて出入口である扉の方を向いた。
「ああぁそれから、アンタたちが砦を出発する時に俺も同行させてもらう。アンタたちの本拠地がどんな都市かこの目で見てみたいんでな」
「トリュポスをですか?」
異形の存在、それも魔王を名乗る者を大勢の人がいる場所に連れていくのは色んな意味でマズいとソフィアは思っていた。
もしもゼブルが都市に入れば間違いなく騒ぎになり、下手をすればトリュポスの衛兵や騎士たちと戦闘になるかもしれない。
ソフィアは暴食蟻を統率するほどの存在であるゼブルと争いを起こすのだけは何としても避けたいと思っていた。
「安心しろ、トリュポスに着いても俺は中には入らん」
「そ、そうですか……」
都市には入らず、外で待機していると聞いてソフィアは安心する。
ゼブルは騎士隊に同行することを伝えると出入口の方へ歩き出す。だがすぐに立ち止まってティリアの方を見た。
「ティリア、ソフィア隊長たちを救出したからお前は正式に俺の協力者となった。これからはなるべく俺と同行するようにしろ」
「は、ハイ」
ティリアが返事をするゼブルは前を向いて再び歩き出した。
歩き出すゼブルを見たティリアは先程の発言からゼブルが「ついて来い」と言っているのだと感じてゼブルの後を追う。
言葉と現状だけで自分が何をするべきかすぐに理解する点からティリアは洞察力もそれなりに高いようだ。
ゼブルが出入口の前まで来ると見張りの女騎士は慌てて扉を開ける。
今の状況で再びゼブルの機嫌を損ねるような行動はしてはいけないと考えていた女騎士は指摘される前に自分から扉を開けたのだ。
扉が開くとゼブルは女騎士を見ることなく外に出ていく。ゼブルが出ていったことで少しだけ重苦しい空気が和らいだ。
ティリアも居館から出ていこうとする。すると扉の手前で立ち止り、ソフィアの方を向いて軽く頭を下げる。
「……隊長、私のために交渉してくださってありがとうございます。ですが、私は自分の意思でゼブル様の協力者になる道を選びました。例え多くの人を敵に回すことになったとしても、隊長や皆さんを助けることもできましたから後悔はしていません」
「ティリア、すまない……」
「謝らないでください。隊長たちは何も悪くありませんし、私なら大丈夫ですから」
寂しそうな笑顔を浮かべるティリアはもう一度頭を下げてから建物から出ていく。
後悔はしていないと言ったが、やはり今までと同じ生活を送れないことには寂しさを感じているようだ。
ゼブルとティリアが出ていった後、ソフィアは丸椅子に座って深く溜め息をつく。
交渉に失敗し、ティリアに何もしてやれなかったことに対してソフィアは改めて情けなさを感じていた。
「まさかこんなことになるとはな……」
「隊長、これからどうなさるおつもりですか?」
後ろに控えていた騎士の一人が落ち込むソフィアに話しかける。
何もできなかったソフィアにどう励ましや慰めの言葉をかけていい分からなかった騎士はただ今後のことを尋ねるしかできなかった。
「……予定どおり夜が明けたらトリュポスへ帰還する。町に戻ったら今回の一件を団長に伝えるつもりだ」
「団長は、ゼブル殿のことを知ったらどうなさるつもりでしょう?」
「今の時点では分からない。ただ、ゼブル殿やティリアのことを団長に話せばすぐにフォリナス伯にお伝えするはずだ」
盗賊の件が片付いた直後に魔王を名乗るゼブルが現れたこと、ティリアがゼブルの協力者となったことが領主の耳に入ったらどうなるのか、騎士たちは深刻そうな表情を浮かべながら想像する。
「ゼブル殿は自身を魔王と名乗っていましたが、本当に彼には魔王を名乗るだけの力があると思いますか?」
「私も直接ゼブル殿が戦っているのを見たわけではないから分からない。ただ、ティアラから聞いた話や先程の交渉で感じ取った威圧感を考えると嘘ではないのかもしれないと私は思っている」
「もし彼が本当に魔王だとすれば、嘗てこの世界の現れた魔王と同じことをするのでしょうか?」
ソフィアは騎士の言葉に反応し、他の騎士たちも仲間に視線を向ける。
騎士が言ったとおり、この世界には嘗てゼブル以外の魔王が存在していた。
今から二百年前、この世界とは異なる世界から一人の魔王が多くのモンスターを従えて現れた。
魔王はモンスターたちに容赦なく人々を襲わせて恐怖をまき散らし、人間を始め全ての生物を支配しようとしていた。
人々は魔王の強大な力に絶望し、この世界は魔王の物になってしまうと考える。
だがある時、魔王を倒す存在である勇者が現れ、世界を救うために魔王と戦いを挑んだ。苦戦を強いられながらも勇者は魔王を打ち倒し、この世界は魔王の脅威から救われた。
それから二百年の間、人々は世界を救った勇者と世界を支配しようとしていた魔王の存在を語り継いでいき、今の時代でも多くの人が二百年前の勇者と魔王のことを知っている。
ソフィアたちも周囲の人々や書物などで二百年前に魔王が現れ、勇者と戦ったことを知っている。詳しいことは分からないが魔王が危険な存在であるということは理解していた。
「ゼブル殿がどんな存在かは知りませんが、もし二百年前に現れた魔王と同じ行動を取ったら……」
「そう決めつけるのは早い。二百年前からゼブル殿が現れるまでの間に新たに魔王が現れたことはない。魔王に関する情報が無い以上、彼を二百年前の魔王と同じと決めつけるわけにはいかん」
「もし、ゼブル殿が恐怖で全てを支配しようとする存在だった場合は……我々は戦うことになるのでしょうか」
ソフィアは俯きながら机の上の両手を強く握る。
「ゼブル殿はティリアや私たちを救ってくださった恩人だ。恩人に剣を向けるなど絶対にあってはならないこと。……だが、彼が恐怖や力で人々を蹂躙しようとするのなら話は別だ」
万が一ゼブルと戦うことになれば、騎士として国と民を守る立場にある自分は戦うとソフィアは決意する。
周りの騎士たちも自分を救ってくれた者と戦うことには抵抗を感じるが、祖国や家族を守らなければならない状況になったら恩人が相手でも戦うつもりでいる。それはティリアが相手でも同じだった。
しかし、ゼブルと敵対せずに済むのならそれが一番なため、ソフィアたちはゼブルやティリアが自分たちの敵にならないことを祈るのだった。
「とにかく、ゼブル殿に関しては情報が少なすぎる。トリュポスに戻ったらとゼブル殿のことを調べてみるよう団長に話しておくつもりだ」
「それが良いと思います」
この先ゼブルがどんな行動を取るにせよ、性格や目的を知るために情報を集めるのは重要だとソフィアたちは考えている。
「……よし、ひとまずこの話は終わりだ。夜が明けたら出発するから、作業が終わり次第休むよ言う皆に伝えてくれ」
『ハッ!』
控えていた二人の騎士は仲間の下へ向かうために居館から出ていく。
残ったソフィアは地図を見てトリュポスまでの道のりを確認する。