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甲虫魔王の異世界征服録  作者: 黒沢 竜
第1章  異世界の甲虫魔王
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第2話  現地人との接触


 突然現れて仲間を殺した人型の昆虫に盗賊は恐怖を感じて思わず後ずさりする。

 人間の頭部をいとも簡単に粉砕したのを見て目の前の化け物はとてつもなく危険な存在だと直感していた。

 座り込んでいる女騎士は盗賊の一人を殺した存在に驚いている。しかし自分を襲おうとしていた盗賊を倒したため、敵ではないかもしれないと感じているのか恐怖は感じていなかった。


「人間の頭をこんなに簡単に潰しちまうなんて、俺って思っている以上に力が強いのかもな」


 レベル100なので強大な力を持っていることは予想していたが思った以上に簡単に相手を殺すことができたのでゼブルは自身の強さに内心驚く。

 だがこの時のゼブルは自分が強いこと以上に驚いていたことがあった。


「EKTと違って殴った時や頭を潰した時の感覚に現実味があるな」


 VRMMOGをプレイしていた時と違う感覚にゼブルは改めて自分がゲームの世界から異世界に転移したことを実感する。

 感覚が違うことにも驚いていたが、人を殺したのに罪悪感や恐怖と言ったものを一切感じていない自分に驚いていた。

 EKTではプレイヤーやNPCを殺害しても相手が本当に死ぬわけではない。しかしゼブルはたった今ゲームではなく現実で生きている人間を手にかけた。

 普通なら人を殺せば冷静さを失って錯乱したりする。だがゼブルは全く動じなかった。


「盗賊とは言え人を殺したのに何も感じない……これって魔王としてこの世界に来た影響なのか?」


 異世界に転移する前の自分なら絶対にあり得ないことにゼブルは自身の手を見ながら軽い衝撃を受ける。

 しかし敵を殺しても何も感じないのは魔王として生きていくに寧ろ好都合だった。ゼブルは体と心が本物の魔王になったのだと確信する。

 現実を受け入れたゼブルは盗賊を倒すことに気持ちを切り替え、残っている盗賊の方へゆっくりと歩き出す。


「ち、近寄るんじゃねぇっ!」


 迫ってくる化け物を見て盗賊は後ろに下がりながら矢を放つ。

 至近距離で矢を放てば確実に当たり、場合によっては一撃で相手を倒せると盗賊は思っていた。


「……遅いな」


 呟くゼブルは歩きながら素早く左手を動かして勢いよく飛んできた矢を簡単に掴んで止めた。

 常人の目では盗賊の放った矢は速く見えるがゼブルにはスローモーションで飛んで来ているように見えた。

 ゆっくりと飛んでくる矢を見たゼブルは折角だから避けずに手で掴んでみようと思っていたのだ。

 仮に掴むことができなかったとしても物理攻撃無効Ⅲで攻撃を無力化できるので何の問題もない。

 盗賊は自分の矢を掴んで止められた光景に再び驚愕した。

 仲間の頭部を粉砕する力と矢を掴む素早さ、目の前にいる化け物はゴブリンのような雑魚モンスターとは明らかに力の次元が違うと盗賊は感じ取り、今すぐこの場から逃げなくてはと本能で悟った。

 盗賊は恐怖の声を上げながら化け物に背を向けて自分が乗ってきた馬の方へ走り出す。もはや女騎士を連れ帰ることや仲間の敵を討つなんてことなど頭の中には無かった。

 逃げ出そうとする盗賊を見たゼブルは右腕を上げる。このまま逃がせば何処かにいる仲間に自分のことを報告されて後々面倒なことになるため逃がすつもりなかった。


黒螂こくろうの大鎌」


 ゼブルの右手から黒い靄のような物が出現し、見る見る形を変えて大きな蟷螂の鎌のような形になった。

 靄の形が変わるとゼブルは盗賊に向かって右腕を斜めに振る。すると黒い鎌もゼブルの腕に同調して斜めに振られ、逃げようとする盗賊と近くにいる馬の一頭を両断した。

 魔王技術イビルスキルである黒螂の大鎌は魔蟲族のプレイヤーだけが修得できる。大きな鎌を作るため攻撃範囲も広く、その大きさとは裏腹に素早く動くため命中率も高い。

 ゼブルは攻撃型の魔王技術イビルスキルの威力を確かめるため、そして確実に盗賊を仕留めるために黒螂の大鎌を使用したのだ。

 盗賊の体は右肩から左腰まで綺麗に切られており、上半身が滑り落ちると下半身も静かに倒れる。

 馬も胴体を斜めに切られ、盗賊が倒れると同時に馬も崩れるように倒れた。

 生き残っているもう一頭の馬は目の前で仲間が死んだことに恐怖したのか鳴き声を上げながら逃げていく。

 ゼブルは作り出した黒い鎌を消しながら逃げていく馬を見つめる。馬は盗賊と違って情報を他者に教える心配も無いので放置しても問題なかった。


「さてと、これで落ち着いて情報収集ができるな」


 座り込んでいる女騎士を見るゼブルはとりあえず挨拶をしようとゆっくりと近づく。

 近づいてくる異形の存在に女騎士は一瞬ビクッと反応するが、敵である可能性が低いことから怯えたりはしなかった。しかしそれでも相手は人間ではなく敵ではないと確証はないので最低限の警戒はしている。

 女騎士は目の前まで近づいてきた異形を無言で見上げる。すると異形は大きな手を目の前に差し出した。


「立てるか? もし立てないのなら力を貸すぜ?」


 ゼブルが女騎士に助けが必要か尋ねると女騎士は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。

 情報を得るにはまず自分に敵意が無いことを伝える必要があると判断したゼブルはとりあえず立ち上がる手助けをしようと考えた。

 女騎士はしばらくキョトンとした後に我に返り、ゆっくりと目の前の手に自分の手を乗せた。

 ゼブルは女騎士が自分を敵でないと理解したと感じ、潰さないよう気を付けながら手を握って女騎士を立ち上がらせた。


「あ、あの……助けていただいて、ありがとうございます」


 深く頭を下げながら礼を言う女騎士を見たゼブルはとりあえず会話ができると知って安心する。

 普段のゼブルならこの後優しい言葉をかけたりするのだが、自分は魔王としての使命を果たすと決意したため、ここは魔王らしく接しようと考えた。


「気にするな。お前に聞きたいことがあったから助けただけだ」

「聞きたいこと、ですか?」


 何を聞いてくるのだろう、女騎士は不安と興味を抱きながら視線だけを動かして目の前の異形の生物の全身を確かめる。

 ゼブルは女騎士が自分の観察していることに気づくと自分が何者なのか気になっているのではと考え、更に警戒を解くためにも名乗ることにした。


「そう言えば自己紹介がまだだったな。俺はゼブル。別の世界から来た魔王だ」

「ま、魔王!?」


 目の前にいるのが魔王だと聞かされ女騎士は思わず大きな声を出す。女騎士の声に驚いたのか近くの木から数羽の鳥が飛び出して夜の空へ飛んでいく。

 ゼブルは女騎士の驚き方から魔王という存在は異世界でも知られており、人々から恐れられている存在だと確信する。

 しかも女騎士の反応から異世界には嘗て自分以外の魔王が存在していたかもしれないとゼブルは推測した。

 人々にとって恐怖の対象となっているのなら今の段階で魔王であることは教えない方が良かったかもとゼブルは少し後悔する。

 だが今更後悔しても遅いため、このまま魔王として女騎士と接することにした。


「安心しろ。さっきも言ったようにお前に聞きたいことがあるだけで危害を加えるつもりはない。信用できないだろうけどな」

「え、えっと……その……」


 意外な反応を見せるゼブルに女騎士はどう返事をすればいいのか分からなくなる。

 ただ、目の前の魔王は自分を盗賊から救っており、危害を加える気があるのならわざわざ立ち上がらせたりしないだろうと女騎士は考えた。

 女騎士はゼブルの様子から本当に自分を傷つけるつもりはないのでは感じる。


「そ、それでお聞きしたいこととは何でしょうか?」


 戸惑いを見せながら尋ねてくる女騎士を見てゼブルは意外に思う。

 魔王だということに驚いてはいたが質問に答えようとする女騎士を見て一応友好的な関係になれたのかとゼブルは思った。


「あ~それじゃあ……まず此処が何処だか教えてくれ」

「此処ですか? 此処はセプティロン王国の南部、マトルア共和国との国境近くにある森です」

「セプティロン王国……それが今俺がいる国の名前か?」

「ハイ……」


 自分がいる国と現在地の情報を知ったゼブルは顎に右手を上げながら小さく俯く。

 現在地だけでなく別の国との国境が近くにあることから国と国が隣接しているということも分かったので情報としては有力と言える。

 考え込んでいるゼブルを女騎士は無言で見つめている。そんな中、何かに気づいた女騎士はフッと反応し、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「あ、あの……助けていただいてこのようなことを言うのは失礼なのですが、私は今先を急いでおります」

「あ?」


 低い声を出して聞き返すゼブルに女騎士は思わず息を飲む。

 助けられた身でありながらろくに謝礼もせずに魔王を名乗るゼブルの機嫌を損ねてしまったのではと感じ、微量の汗を流す。

 ゼブルは危害を加える気はないと話していたが、それは情報を得るためだからだ。情報を提供せずに立ち去ろうとすれば恩を仇で返す女と考えて殺すかもしれない。

 女騎士は危険な発言をしてしまったと思い、小さく俯きながら握った両手を震わせる。


「急いでるって何か急用でもあるのか?」


 発言を非難されると思う中、ゼブルが急ぐ理由を気するような発言をしたため女騎士は目を丸くする。

 てっきり殺されると思っていたのに機嫌を悪くする様子も見せずに尋ねてくるゼブルに女騎士は内心驚いていた。

 機嫌を悪くしていないのであれば、急いでいる理由を話せば行かせてくれるかもしれない。女騎士は勇気を出して話すことにした。


「ハ、ハイ……実は今近くの都市に……」


 急いでいる理由を説明しようとしている時、ある光景が目に入って女騎士は言葉を止める。

 視線の先では女騎士が乗っていた馬が口から泡を吹きながら倒れており、馬を見た女騎士は慌てて馬に駆け寄った。

 ゼブルは急いでいると話したら、今度は倒れている馬に駆け寄る女騎士を見て不思議に思う。

 状況を理解できないゼブルは腕を組みながら女騎士を見る。


「どうしよう……これじゃあとても走れない。まさか、さっきの矢に毒が?」


 馬に刺さっている矢を見た女騎士はどこか焦っているような素振りを見せる。先を急いでいる女騎士にとって馬が使えないのはまさに最悪と言える状況だった。


「どうした。急いでるんじゃないのか?」


 ゼブルは小声で何かを呟いている女騎士に声をかけた。

 女騎士はゼブルの声を聞くと振り返ってゼブルを見た。鋭い目で自分を見つめるゼブルをしばらく見た後、女騎士は俯いて黙り込む。

 やがて女騎士は何かを決意したような顔をしながらゼブルの方を向くと跪いて両手を地面に付けた。


「……何だ」


 ゼブルは女騎士の行動を見て低い声を出す。先を急いでいると言っていた女騎士が自分に土下座をするような体勢を取ったことで何かあると直感していた。


「助けていただいてお礼もせずに先を急ごうとしていたのに、更にこのようなことを言うのは失礼極まりないことですが、それを承知の上で貴方様にお願いがございます」


 態度を変える女騎士の言葉にゼブルは小さく反応する。

 命の恩人に礼もせずに去ろうとした上に頼み事までするなど一部の者からは虫のいい話だと思われるだろう。

 だがゼブルは出会ったばかり、それも魔王である自分に跪いてまで頼みごとをしようとする女騎士に興味が湧いており、話だけでも聞いてみようと思っていた。


「ご挨拶が遅れました。私はセプティロン王国第五騎士団第八遊撃隊所属、ティリア・モル・フォリナスと申します」

「へぇ、騎士団の人間だったのか」


 格好からティリアと名乗る少女が騎士であることは分かっていたが、十代半ばくらいの若さで騎士団に所属しているとは思っていなかったゼブルは意外そうな声を出す。


「それで俺にお願いって言うのは何なんだ?」

「ハイ。……私たちは此処から西に行った所にあるトリュポスと言う都市を拠点にしており、ある任務を命じられました」


 なぜゼブルに頼み事をするのか、どのような内容なのかを理解してもらうためにティリアはここまでの経緯を説明し始めた。

 今から三ヶ月ほど前、大都市トリュポスの近くに盗賊の一団が現れて都市の外に出ていたトリュポスの住人を襲撃する事件が起きた。

 それから盗賊たちは頻繁にトリュポスの近くに現れて次々と人々を襲うようになったそうだ。

 盗賊たちは主にトリュポスの住人や都市を出入りする商人、トリュポスの近くを移動している旅人を襲撃して金品や食料などを奪い、時には若い女性をさらったりもしている。

 盗賊の被害が増えていることでトリュポスの管理者でありその土地の支配者である貴族は騎士団の団長に盗賊の討伐を命じる。だが盗賊たちがいつ何処に現れるのか正確な情報が無かったため、騎士団は盗賊を討伐することができずにいた。

 騎士団が討伐に苦労している間も盗賊たちは人々を襲い続け、その行動は更に激化していく。

 今まではトリュポスの外にいた者を襲っていた盗賊たちは遂にトリュポスの周辺にある村を襲撃するようになった。

 村にまで被害が出たことで騎士団は情報収集に更に力を入れた。そして二日前にようやく盗賊たちの情報を掴んだ。

 今まで目撃された盗賊たちは同じ組織、つまり盗賊団として活動しており、人数は二十人ほどでトリュポスの南東にある古い砦を隠れ家にしていることが分かった。

 これ以上盗賊たちの好きにはさせないと考えた騎士団長はその日の翌日にティリアが所属する第八遊撃隊に討伐を命じた。

 命令を受けたティリアたち第八遊撃隊は移動しながら盗賊たちを討伐するための作戦を練り、隠れ家である砦の近くまで来ると盗賊たちの隙を突くために夜襲を仕掛けることにした。

 辺りが暗くなり、盗賊たちが油断していると予想したティリアたちは砦に奇襲を仕掛ける。

 遊撃隊の人数は三十人と盗賊たちよりも上だったのでティリアたちは勝てると確信していた。

 ところが盗賊たちは砦の入口である正門の周りに落とし穴などの罠を無数に仕掛けており、何も知らずに攻め込んだ遊撃隊の騎士たちは次々と罠に掛かってしまう。

 しかも盗賊の人数は四十人以上とティリアたち遊撃隊よりも多かった。

 情報と全く違う盗賊たちにティリアたちは動揺しながらも必死に戦うが戦力の違いと罠に掛かったことで態勢が崩れ、第八遊撃隊は敗北してしまった。

 生き残った騎士たちは盗賊たちに捕まって砦に連れ込まれそうになる。だが遊撃隊の隊長はティリアにトリュポスに戻って救援を要請するよう頼み、盗賊たちの隙を突いてティリアを逃がしたのだ。

 救援を託されたティリアは必ず戻ると隊長や仲間たちに約束して砦から逃げ出し、馬を奪うとトリュポスに向かって走らせた。


「成る程なぁ。砦から逃げ出すことはできたが、盗賊たちに見つかって追われていた。そして追いつかれて捕まりそうになったところに俺が現れたというわけか」

「ハイ」


 ティリアの話を聞いていたゼブルは腕を組みながら納得する。同時に騎士団の得た情報があまりにもいい加減だったことに呆れていた。


「お前が救援の要請に選ばれたのはお前が隊の中で一番馬の扱いが上手いからとか、そう言った理由からか?」

「いえ、私は騎士団に入ってからまだ一ヶ月ほどしか経っていない新人です。多分隊長は私の身分を考えて逃がしてくださったのだと思います」

「身分?」


 優先して逃がされるほどティリアの身分は高いのかと疑問に思いながらゼブルはティリアを見つめる。

 ティリアはゼブルの顔を見て自分の正体が気になっているのかもしれない考える。

 ゼブルに自身の頼みを聞いてもらうためにも正直に話した方がいいかもしれないとティリアは思った。


「私はトリュポスと王国の南東を支配するフォリナス辺境伯の娘なのです」

「お前、貴族令嬢だったのか」


 普通の人間と違って特別な身分だと予想はしていたが辺境伯、それも領主の娘だとは思わなかったゼブルは少し意外に思いながらティリアを見つめる。

 ティリアはトリュポスで領主である父、母の二人と暮らしながら騎士として働いている。理由はフォリナス家が騎士の家系だからだ。

 フォリナス家は騎士の家系で当主は代々騎士でなくてはならない。ティリアも女であることなどは関係なく、次期当主という立場から騎士の心得や技術を学ぶために騎士団に入団しているのだ。

 騎士の家系に生まれたからには将来がどうであれ騎士にならなくてはならない。ティリアもそのことに不満を抱いたりせずに騎士として生きることを決意した。

 領主の娘だから隊長はティリアを優先して逃がしたかもしれない。ゼブルは隊長の意思を予想しながら考える。

 もし予想どおりだとして、その判断が正しいのかはゼブルには分からないし興味もない。ただ貴族の人間を助けようという騎士道精神は大したものだと感じていた。


「捕まっていた時、盗賊たちは捕らえた私たちを奴隷商に売るために夜明けと共には砦から連れ出すと言っていました」


 ティリスの話を聞いてゼブルは当然だろうと思った。

 盗賊からしてみれば騎士団の人間は自分たちを狙う敵であるため、いつまでも手元に置いておく理由が無い。

 隠れ家に残しておけば捕られている騎士が何らかの方法で外にいる仲間と連絡を取り、自分たちの情報をトリュポスにいる騎士団に報告する可能性が高い。現に今もティリアが逃げ出し、トリュポスに救援を呼びに行こうとしている。

 騎士たちを仲間として引き入れるという選択もあるが敵だった者たち、それも騎士が盗賊に寝返るとは思えない。

 つまり騎士たちを残しておいても盗賊たちにはメリットは無いということだ。

 残しても役に立たないなら奴隷として売り飛ばし、金に換えた方がいいと考えたのだろうとゼブルは予想し、それが一番盗賊にとって都合のいい選択だと思っていた。


「本来であれば今すぐにでもトリュポスへ戻るべきなのですが、馬は盗賊の毒矢を受けてもう走れません。かと言って走って戻っていたら時間が掛かってしまい、仲間が連れ出される前に救援部隊を連れてくることもできません」


 今の状態では捕まった仲間たちを助けることは非常に難しい。ティリスは俯いて仲間を失うかもしれない絶望と何もできない自分の情けなさに小さく体を震わせる。

 ゼブルが俯いているティリスを見つめていると地面に付いているティリスの手の近くに雫が零れ落ち、ゼブルはティリスが泣いていることを知った。

 ティリスは顔を上げると涙を流しながら真剣な眼差しをゼブルに向けた。


「どうか、貴方様のお力で仲間たちをお救いいただけないでしょうか!」


 ゼブルは表情にこそ変化は無いが人間や亜人とは異なる姿、それも魔王を名乗った自分に助けを求めてきたティリアに少し驚いていた。

 初めて魔王を名乗った時のティリアの反応から魔王がこの世界の住人にとって危険な存在なのは間違いないだろう。

 しかしティリアは魔王であるゼブルに涙を流しながら仲間の救出を懇願してきた。それはティリアにとって仲間たちが魔王の力を借りてでも助けたいほど大切な存在だということを意味している。

 仲間を想うティリアの見てゼブルは黙り込む。異世界に来る前の自分だったらティリアの優しさに感動して迷わず助けることを決意しただろう。

 しかし今のゼブルは自身の使命を果たすため、以前のような考え方は捨てている。


「断る」

「えっ……」

「何度も言うが俺がお前を助けたのはこの世界の情報を得るため、つまり俺自身のためにお前を助けたんだ」


 決して善意で盗賊から救ったわけではない。ゼブルは自分が冷徹な存在だということをティリアに印象づけるように語る。


「そもそこ俺は魔王だ。何の得もしないのに人間に力を貸すつもりはねぇ」

「お礼なら盗賊から救っていただいた分も含めてなんでもします。無事にトリュポスに戻ることができれば、お金でも宝石でも!」

「保証の無い約束を信じるほど俺はお人好しじゃない。まぁ今此処で前金代わりに何かくれるって言うなら別だがな」

「そうは仰られても、今の私にはお渡しできる物は何もありません」

「なら、諦めて当初の予定どおり自分の足で助けを呼びに行くんだな。俺もこっちの世界で生きていくために色々やらなきゃならないことがあるんだ。無意味なことに時間を使ってる暇は無い」

「そんな……」


 ショックを隠せないティリアは目を閉じながら俯く。

 強大な力を持つゼブルが手を貸してくれればトリュポスに戻らず仲間たちの救出に向かえる。しかしゼブルは無情にも頼みを断り、ティリアは最後の希望が打ち砕かれたような気持ちになった。


「急いでるなら早く拠点がある都市に行った方がいいぞ。俺もこれ以上お前を足止めするつもりもねぇから行かせてもらう」


 別れの挨拶をするかのようにティリアに語り掛けたゼブルは背を向けて歩き出す。

 ティリアは顔を上げてゼブルの後ろ姿を目を見開きながら見つめる。

 このままゼブルを行かせてしまったら本当に仲間たちを救うことができなくなる。何とかゼブルが力を貸してくれる方法は無いかティリアは必死になって考えた。

 焦りを感じながらティリアは良い方法がないか考え続ける。すると何かを閃いたティリアは再び目を見開き、ゼブルを見つめながら立ち上がった。


「お待ちください!」


 ティリアに声をかけられたゼブルは立ち止まり、後ろを向いてティリアを見つめる。


「まだ何か用か?」

「貴方様は先ほど、この世界で生きていくために情報を欲していたと仰いましたね?」

「ああ、確かに言った」

「つまりそれは情報を提供する協力者がいれば貴方様にとって利益になるということ。違いますか?」

「……そのとおりだ」


 ゼブルはティリアが何を言いたいのかよく分からず、とりあえず自分が情報を欲しているという事実をを伝えた。

 返事を聞いたティリアは何処か安心したような反応を見せて静かに深呼吸をし、鎧の上から自分の胸にそっと手を当てる。


「では、私が貴方様の協力者になります」

「……は?」


 ティリアの言葉にゼブルは思わず気の抜けたような声を漏らしてしまう。

 出会ったばかりで魔王を名乗る自分の協力者になると予想外の言葉を口にしたため、ゼブルは一瞬聞き間違いかと思った。


「今、俺の協力者になるって言ったか?」

「ハイ」


 迷う様子などは見せずにティリアはゼブルの問いかけに対して力強く頷く。

 ゼブルは聞き間違いでないことを再確認すると同時にティリアの態度からその場しのぎの嘘を言っているわけではないと悟ってますます驚く。


「仲間を救ってくださるのなら、その見返りとして私が貴方様の協力者になります。私の持つ知識や情報は無条件で提供しますし、必要ならばこの身を好きにしてくださって構いません」

「いやいやいや、お前自分が何を言ってるのか分かってるのか?」

「勿論です」


 真剣な顔をするティリアを見たゼブルは自分が取り乱してはマズいと感じ、落ち着きを取り戻してから改めてティリアと向き合った。


「もう一度言うが俺は魔王だ。魔王がどんな存在なのかお前は分かってるのか?」

「ハイ。魔王は人類にとって危険な存在だと家族や周囲に人たちから聞かされてきました」

「その魔王である俺の協力者になるってことはお前は魔王に魂を売り、人類に敵対する立場になるってことになる。それも分かって言ってるんだろうな?」


 人類の敵になる、ゼブルの言葉にティリアは小さく反応する。人間でありながら同じ人間たちに敵対すると言われれば心が揺らぐのは当然だ。


「……分かっています。正直、人々の敵になることは少し怖いです。ですが今の時点では貴方様に頼る以外に仲間を救う方法がありません。仲間を助けられるのであれば、私は迷わずにこの身を捧げます」

「お前は騎士団に入ってまだ一ヶ月程度しか経っていないんだろう? 同じ隊の仲間と過ごした時間も短くそこまで繋がりが深いわけではないはずだ。なぜ自分を犠牲にしてまで助けようとする?」


 長い時間一緒に過ごしていた家族や親友、同志を助けるためなら自分を犠牲にしようとするのは分かる。しかし僅かな時間しか共に過ごしていない知り合い程度の者たちを助けるために魔王に魂を売るのはおかしい。

 ゼブルはティリアがそこまでして仲間たちを救おうとする理由が分からなかった。


「確かに一緒に騎士団で過ごした時間は短いです。ですが彼らは辺境伯の娘である私に遠慮したり、陰口を言ったりするこなく普通に接してくれました。分からないことは丁寧に教えてくれましたし、失敗して落ち込んでいる時には励ましてくれました」


 入団してから自分が経験したことをティリアは静かに語る。

 話の内容からティリアは短い間に同じ第八遊撃隊の仲間との間に確かな絆を作っていたようだ。


「短い時間しか過ごしていなくても、彼らは私の大切な仲間です……ですから、どうしても助けてあげたいんです」


 軽く俯くティリアは拳を小さく震わせる。仲間を救えなかった時のことを想像して辛さが込み上がってきたのかもしれない。


「改めてお願いいたします。どうか盗賊に捕まった仲間たちをお救いください」


 ゼブルは助けを求めるティリアを無言で見つめる。この時ゼブルはティリアの人としての器と意思の強さに僅かに心が引かれていた。

 短い間だけ共に過ごした者たちを大切な仲間だと考え、その仲間を助けるために自分を報酬として魔王に差し出そうとするなんて誰にでもできることではない。

 ゼブルはティリアがいい加減な気持ちや生半可な覚悟で提案を出したわけではないと知る。

 これほどの覚悟を決めているティリアの頼みを断るのは、魔王として生きることを決めたとしてもやってはいけないとゼブルは思った。


「……自分で言ったからにはちゃんと約束は守ってもらうぞ?」

「それでは……」

「ああ、契約成立だ」


 ゼブルの協力を得られたことにティリアは無意識に笑みを浮かべる。

 強大な力を持つゼブルがいれば捕まった仲間たちを必ず助けられるとティリアは確信していた。


「では、早速盗賊たちの隠れ家までご案内します。私の後に……」

「おいおい、まさか走っていく気か?」


 走り出そうとするティリアをゼブルは咄嗟に呼び止める。

 少しでも早く捕まった騎士たちを救出しなくてはならないのなら走って砦に向かうべきではないとゼブルや思っていた。


「で、ですが馬が無い以上、走って戻るしか……」

「わざわざ走る必要なんてない」


 そう言ってゼブルはティリアに近づいて右手をティリアの背中、左手を膝に回して抱き上げる。俗にいうお姫様抱っこの持ち方だ。

 突然自分を抱き上げたゼブルの行動にティリアは驚く。ティリアほどの年頃の女であれば異性に抱きかかえられれば照れて頬を染めるだろう。

 だがゼブルは二足歩行する昆虫のような姿をしているのでティリアはときめいたりせず、ただ驚くだけだった。

 ゼブルはティリアを抱き上げるとマントを消して甲虫の翅を出し、勢いよく地面を蹴って飛び上がる。

 森を一望できる高さまで跳び上がるとゼブルは後ろ翅を動かして空中に浮いた。


「え、えええええぇっ!?」


 一瞬にして数十mの高さまで上がって宙に浮いている状況にティリアは声を上げる。

 初めてゼブルを見た時は上空から落下するように下りてきたので遠くからジャンプして来たのだろうとティリアは思っていた。

 だがゼブルは変わった形の羽を出して空を飛んでいるため、ティリアは高く跳び上がったことだけでなく、ゼブルが飛んで自分の前に現れたと知って衝撃を受けた。


「ティリア、盗賊たちの隠れ家である砦はどっちの方角だ?」


 名前を呼ばれたティリアは我に返り、これからやるべきことを思い出して周囲を見回す。


「え、え~っと……砦は南東の方にあるので……あっちの方角です」


 そう言ってティリアが指差すと遠くが薄っすらと明るくなっている。

 明かりはゼブルは転移した岩山からそれほど遠くない所に見え、ゼブルは砦で盗賊たちが明かりを確保するために火を起こしているのだと予想した。


「あそこか。よし、しっかり掴まってろ」


 ゼブルは翅を動かすと勢いよく明かりがある方へ飛んでいく。その速さはティリアたちが乗っていた馬とは比べ物にならなかった。


「うあああああああぁっ!!」


 とてつもない速さにティリアは再び驚きの声を上げ、ゼブルと共に隠れ家の砦に向かった。


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