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甲虫魔王の異世界征服録  作者: 黒沢 竜
第1章  異世界の甲虫魔王
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第1話  異世界転移


 大きな声を出したことで不安や怒りが吹き飛んだのか少しだけ冷静さを取り戻したゼブルはゆっくりと深呼吸をする。


「……落ち着け落ち着け。とりあえず何が起きたのかもう一度状況を確認しよう」


 取り乱しては正確に物事を判断することはできず、自分が何をするべきなのかも分からなくなる。そう自分に言い聞かせながらゼブルはその場に座り込んで胡坐をかいた。

 静かに吹く風は広場の隅にある草を揺らし、ゼブルが纏っているマントも僅かになびかせる。

 心地良い風に当たったことで気持ちが落ち着いたのかゼブルの心に余裕が戻ってきた。


「確か魔王迎賓館イビルゲストホールを出た直後におかしなメールが届き、それを見た途端に光に包まれて此処に飛ばされちまった。そしてどういうわけかメニューが開けず、視界にも変化が出た……」


 冷静にここまでの流れを思い出しながらゼブルは自身に何が起きたのか考える。

 VRMMOGでは運営側やゲーム自体にトラブルが生じた場合、プレイヤーの安全確保とトラブルの早期解決を考えてログイン中のプレイヤーを全員強制的にログアウトされることになっている。

 だが問題が起きたにもかかわらずゼブルはログアウトされずにいた。これらの点からゼブルはEKTに問題が起きたのではないと推測する。

 運営側の問題である可能性が低いのなら何が原因なのかゼブルは考え続ける。そんな時、広場の隅で風に揺られている草が目に入った。


「そういえば、此処に来てからちょっと変な感じがするんだよなぁ……」


 ゼブルは自身の違和感を不思議に思いながら両手の指を動かす。

 EKTをプレイしていた時と違い、指を動す時や草木などの動きに現実味があり、まるで本物が動いているような感じがするのだ。

 謎のメール、開けないメニューと視界の変化、運営側のトラブルである可能性の低さ、そして現実味のあるアバターと周囲の動き。これらの情報からゼブルは俯いて再び考える。

 しばらくするとゼブルはある答えに辿り着いて顔を上げた。


「まさかこれって、異世界転移ってやつかぁ?」


 ここまでの情報から導き出された答えにゼブルは驚きの反応をしながら若干力の入った声を出す。

 EKTのシステムによる転移などではなく、漫画や小説の世界での出来事が自身の身に起きた。普通なら信じられないことだが現状では一番可能性が高い。

 ゼブルは疲れたように溜め息をつきながらゆっくりと立ち上がると頭上に広がる星空を見上げる。


「多分……いや、間違いなく俺は異世界に転移しちまったんだろうな」


 否定しても現実は変わらないと考えるゼブルは潔く自分が別の世界に転移したことを受け入れた。そしてすぐに気持ちを切り替え、どうして自分が転移したのか考える。


「異世界に転移した理由は……十中八九あのメールだろうな」


 EKTではあり得ない差出人と題名の無いメール。そしてその内容からゼブルは自分に届いたメールこそが異世界転移の引き金だと確信する。


「あのメールが転移の原因だとして、俺はどうしてこの世界に転移させられたんだ。……あのメールの内容が何か関係しているのか?」


 内容は短く覚えやすかったため、ゼブルは書かれていたことを全て覚えていた。

 メールに書かれていた「選ばれし魔王、彼の地へ向かい魔王の使命を果たせ」。ファンタジー世界の古文書などに書かれていそうな文章だがそれほど難しいものではないのでゼブルはなんとなく理解できた。


「選ばれし魔王っていうのはETKのプレイヤーである俺のことだろうな。そして彼の地へ向かい魔王の使命を果たせっていうのは、今いる異世界で魔王として生きろって意味だと思うんだけど……」


 あくまで推測なので本当にそのとおりなのかは分からない。しかしゼブルは自分の推測が合っていると思っていた。


「あのメールを送ったのが誰でどうして俺が選ばれたのかは分かんねぇけど、魔王としての使命を果たせってんならやってやろうじゃねぇか」


 訳も分からずに異世界に飛ばされ、誰かに使命を果たせと命じられていることには少々気に入らないが、長い時間EKTの魔王として活動してきたゼブルにとっては興味があり、ある意味で面白いことだったので魔王として生きることに抵抗は無かった。

 魔王の使命を果たせばもしかすると元の世界に戻れるかもしれない。突然異世界に転移した者であれば元いた世界に戻るために行動しようと考えるだろう。

 だがゼブルの場合は元の世界に戻れるかなどは気にしておらず、ただ魔王として生きることだけを考えていた。そもそもゼブルは元の世界に戻りたいとは思っていない。

 ゼブルは現実の世界では自然保護官として働いており、給与もそれなりに良かった。

 しかし公園や自然環境の調査、保護など同じことをする毎日に退屈しており、日常では味わえないような刺激を求めていた。そんな時に通常のRPGとは異なるEKTと出会ったのだ。

 現実の世界ではできないことがゲーム世界ではできることで刺激を得られるようになり、魔王として活動する面白さを知ったことでいつの間にか自然保護官として働くよりも魔王ゼブルとして楽しむことの方が現実的なものになっていた。

 だから現実の世界には何の未練もなく、例え魔王の使命を果たした後に元の世界に戻れなくても問題は無い。寧ろ現実よりも刺激のある今のままでいたいとゼブルは思っていた。

 因みにアバターを魔蟲族に選んだのは自然保護官として多くの植物や昆虫と接していたからだ。


「さて、この世界で生きてくとなると、色々やることがあるな」


 ゼブルは自分の左手を右手で軽く殴りながら呟く。今のゼブルは転移した直後と比べてすっかり落ち着きを取り戻していた。

 普通なら突然何も知らない世界にやってくれば何をすればいいのか分からずに混乱するだろう。

 しかしゼブルは多くのVRMMOGをプレイし、ゲーム内で訳の分からない所に飛ばされた経験を何度もしている。そのせいか異世界に来た直後なのに既に適応できており、まず何をするべきが考えることができた。

 EKTの世界では人間側の国に攻め込んだりして領土を広げ、人間や亜人たちを支配していた。

 それならこの世界でもEKTの魔王として同じことをすればいいのではとゼブルは考える。だが領土を広げるにしても真っ先にやるべきことがあった。


「まずは拠点の確保だな。拠点が無ければ効率よく動くことはできないし、今後の方針を決めることもできない。それに自分が何処にいるのか情報を得る必要もある」


 使命を果たすためにも異世界の情報を手に入れ、安住の地を得る必要がある。それにゼブル一人では魔王の使命を果たすなんて到底できない。共に使命を果たしてくれる仲間も必要だ。


「あとは、俺自身の強さも確かめねぇとな」


 魔王として活動するには自分が魔王を名乗るに相応しい力を持たなくてはいけない。ゼブルは自分の力が異世界で通用するのかを確かめる必要があると思っていた。

 ゼブルはEKTの世界では最高のレベル100で多くのレアアイテムや技術スキルを持っており、並みのモンスターなら簡単に蹴散らし、同レベルのプレイヤーとも状況次第では互角以上に戦える強さだった。

 だがそれはEKTでの話で転移した世界でも同じ強さとは限らない。もしかするとレベルが大幅にダウンして弱くなっている可能性もある。

 異世界で生きていくためにも誰かと戦って自分の実力を確かめなくてはいけない。

 ゼブルは自身の強さを確かめるため、戦ってくれる相手を探すことにした。

 そんな時ゼブルの背後で小石が転がり、小石の音を聞いたゼブルが振り返ると数m先に茶色の腰巻だけを付けた全身緑色の小さな人型のモンスターが三匹立っており、石斧を握りながらゼブルを見ている。


「ゴブリンか……この世界にもいるんだな」


 ファンタジー世界ではお決まりとされているモンスターを見ながらゼブルは呟く。

 誰かと戦いたいと思っている時にゴブリンが現れたことでゼブルは丁度いいと思い、同時にゴブリンが存在していることから今いる世界はEKTに似た世界だと考えた。

 三匹のゴブリンはゼブルを見ながらゆっくりと彼に近づく。警戒している様子は無く、獲物を見つけたと思っているのか全員が笑っていた。

 ゴブリンと戦えば自分がどれだけ強いのか確かめられる。ただモンスターの中でも弱いとされるゴブリンが相手でもゼブル自身がゴブリンと同等もしくはそれ以下の強さだった場合は苦戦を強いられてしまう。

 最悪命を落とすかもしれないのでゴブリンが相手でも油断できない。


「EKTのゴブリンと同じ強さとは断言できない。まずはコイツらがどれだけ強いのか確かめる必要がある。ついでに魔法や技術スキルも問題なく使えるのかも確かめねぇとな」


 ゼブルはゴブリンの方を向くと構えずに一番近くにいるゴブリンを見つめて鋭い目を青く光らせた。


能力看破ステータス・アサルテイン


 相手のステータスを確認する魔法を発動させたゼブルは目の前にいるゴブリンを確認する。

 ゴブリンを見た直後、ゼブルの視界に自身の情報が映された時のようにモンスター名、レベル、種族、HPやMPが映された。


「名前やレベルが映ってる……相手の能力を見る魔法を使うとEKTの時のように見ることができるのか」


 魔法の効果が変わっていないという意外な事実を知ってゼブルは内心驚く。それと同時にEKTで使っていた魔法が異世界でも問題なく使えると知って安心する。

 EKTの魔法は下級魔法、中級魔法、上級魔法、極級きょっきゅう魔法の四種類があり、極級魔法以外の三つには更に三等、二等、一等と階級がある。

 一番位が低いのが下級三等魔法で魔法職を修めれば誰でも修得できる魔法。そのため、攻撃魔法は最も攻撃力が低く、戦闘やダンジョン攻略などで役に立つ魔法は少ない。

 逆に最も位の高い極級魔法は上級魔法職の極一部、もしくは特別なアイテムを使うことで修得が可能となる。

 極級魔法はEKTの中でも最も攻撃力が高くゲームバランスを崩壊させるような効力ばかりなので魔王であるプレイヤーしか習得できない。つまり眷属やモンスターは修得できないということだ。

 ゼブルが使用した能力看破ステータス・アサルテインは中級二等魔法で相手の名前や種族、レベル、HPとMPを見ることができるが、攻撃力や防御力、使用する技術スキルなどを見ることはできない。

 例えステータス全てを見ることができなくても、ゼブルにとってはゴブリンのレベルなどを見ることができただけでも十分だった。


「……一番前にいる奴はレベル8。後ろにいる二体はどちらもレベル7。強さはEKTと同じか」


 ゼブルは能力看破ステータス・アサルテインの効力が消える前に目の前にいる全てのゴブリンの強さを確認した。

 やがて魔法の効力が消え、視界に映っていたゴブリンたちの情報も消える。


「発動してから効力が消えるまでの時間も同じか。となると修得や発動するための条件なんかもEKTと同じの可能性が高いな」


 一度魔法を発動したことで複数の疑問を解くことができた。ゼブルはこの調子で残りに疑問も解決してしまおうと考える。

 魔法が使えることが確認できたゼブルは続けて自身の強さについて確かめようとする。

 ゴブリンたちのレベルが分かっても自身のレベルが分からないため、EKTの世界にいた時と同じなの調べる必要があった。

 EKTには自身のステータスを確かめる魔法や技術スキル、アイテムなどは存在しない。プレイヤーたちの視界には常に自分のレベルなどが映し出されているため、運営側が必要無いと考えて制作しなかったのだ。


「アイテムや魔法では自分のレベルやステータスを調べることはできない……なら、修得している技術スキルで確かめるしかないな」


 何かを決意したような口調で呟いたゼブルはゆっくりとゴブリンたちの方へ歩き出す。

 武器を持たず、構えもせずにモンスターに近づくのは危険な行為だと誰でも分かる。勿論ゼブル自身も理解していた。

 しかしゼブルはゴブリンに近づいてある技術スキルを使用するためにわざと無防備な状態で近づいているのだ。

 ゴブリンたちはゆっくりと近づいてくるゼブルを見ながらヘラヘラと笑っている。獲物が何も考えずに近づいて来ていると思って小馬鹿にしているようだ。

 ゼブルの行動を嘲笑うゴブリンたちは持っている石斧を構えて攻撃体勢を取る。そして一番前にいるゴブリンがゼブルに飛び掛かり、石斧を勢いよく振り下ろしてゼブルに攻撃した。

 ゴブリンが攻撃した直後、石斧はゼブルの体に命中する。だが不思議なことにゼブルは攻撃を受けたにもかかわらず無傷だった。

 攻撃したゴブリンは石斧がゼブルに当たると勢いよく弾き返され、体勢を崩して仰向けに倒れる。

 何が起きたのか分からないゴブリンは起き上がって周囲を見回す。他の二体も仲間が倒れた姿を見て驚きの反応を見せていた。


「どうやら問題なく発動したみたいだな」


 ゴブリンの前までやって来たゼブルは立ち止まって座り込んだまま混乱しているゴブリンを見下ろす。


「コイツは物理攻撃無効Ⅲ、レベルが80以上になった時に特定のアイテムや職業クラスで修得することができる常時発動技術パッシブスキルだ。装備すればレベル70以下の敵の物理攻撃は全て無効化できる」


 まるでゴブリンに解説するかのようにゼブルは技術スキルの効力を説明する。これこそがゼブルが自身のレベルを確かめる方法だった。

 物理攻撃無効Ⅲはレベル80以上にならなければ修得できず、ゼブルは物理攻撃無効Ⅲを修得してから常に装備していた。

 ゼブルは他に物理攻撃を無効化する常時発動技術パッシブスキルは装備していない。つまり異世界に転移したゼブルのレベルは少なくとも80はあるということになる。

 物理攻撃無効Ⅲが発動したことでゼブルは自分のレベルと常時発動技術パッシブスキルが問題なく発動することが分かって少しだけ心に余裕ができた。

 正直なところ、物理攻撃無効Ⅲが発動するかどうかは賭けだった。もし発動しなかったらゼブルは自分のレベルが分からず、ダメージも受けていたかもしれない。

 自身の強さが分からない状況では非常に危険で無茶な行動だと言える。しかしレベルを知る方法がない現状ではこれしか方法がなかったのだ。

 自分の求めているものを手に入れるには多少は危ない橋を渡る必要もある、ゼブルは心の中でそう思い、時と場合によっては再び同じような行動を執ることになるかもしれないと考えた。


常時発動技術パッシブスキルのおかげで俺のレベルが80はあることは分かった。……でも、折角だから他の技術スキルが使えるか確かめるついでに正確にレベル数を調べることにするか」


 ゼブルは目の前のゴブリンを見下ろしながら右手を高く掲げた。


魔王技術イビルスキル、魔王の覇気」


 新たに技術スキルを発動させたゼブルの体が薄っすらと紫色に光り、その直後に見えない何かがゼブルを中心に周囲へ広がる。

 見えない何かは無音でゴブリンたちを通過し、ゴブリンたちは自分に何かが触れたことに気づいていないのか驚いたような反応は見せていない。

 だが次の瞬間、三匹のゴブリンは目や口を開いたままその場に崩れるように倒れる。そしてそのまま二度と動かなかった。

 ゴブリンが倒れるとゼブルは右手を下ろして一番近くに倒れているゴブリンを見下ろした。


魔王技術イビルスキルも問題なく使える。しかも魔王の覇気を使えたということは俺のレベルはEKTと同じってわけだ」


 何処か嬉しそうな口調でゼブルは呟く。この時のゼブルは自分が最大のレベル100であることを確信していた。

 ゼブルが使用した“魔王の覇気”はプレイヤーのみが修得できる魔王技術イビルスキルという技術スキルの一つでレベルが100になった時に修得できるものだ。

 魔王の覇気を使用するとプレイヤーの周囲にいる敵に覇気を放ち、覇気に触れた者に様々な影響を与える。

 レベル1から30までの敵は即死し、31から60までの敵は付与しているバフ効果を全て解除され、更に恐怖状態という全てのステータスを低下させる状態異常になり、61から80までの敵はバフ効果だけを解除する。

 ただ、レベル81から100までの敵には一切効果は無く、即死と恐怖状態はアイテムや技術スキルで耐性を付けていれば防がれるという弱点もあるので使い方やタイミングを考えるのが重要だ。

 長い時間EKTをプレイしたゼブルもレベルを100まで上げて魔王の覇気を修得していた。その魔王の覇気を使用することができたということは今のゼブルは転移前と同じレベル100ということになる。

 レベルが低かったゴブリンたちは魔王の覇気を受けたことで自分に何が起きたのか理解することもなく死んだのだ。


「とりあえず、EKTにいた時の強さでこっちに来たということは分かった。これなら並みの敵には負けないだろう」


 今回の戦闘でこの先も問題なく戦えるとゼブルは理解した。しかし勝利できたのは技術スキルを使ったからであってゼブル自身の戦闘技術で勝ったわけではない。

 今後のために一度自分の力だけで敵と戦った方がいいとゼブルは考える。

 技術スキルは魔法と同じで四種類あり、その内の二つはプレイヤー専用の魔王技術イビルスキルと常に発動し続ける常時発動技術パッシブスキル。残りの二つは攻撃にのみ使用できる攻撃技術アタックスキル、もう一つは戦闘だけでなく、探索や援護、妨害など様々なことに使える補助技術サポートスキルである。

 EKTでは魔法を苦手とするプレイヤーは技術スキルを上手く使うことで戦闘やダンジョン攻略を有利に進めらることができ、プレイヤー同士の戦いであるPVPでも使用すれば壮絶な戦いを楽しむことができる。

 技術スキルは魔法と比べると応用性が高いため、プレイヤーの中には魔法よりも技術スキルを優先的に使う者も多かった。


「さて、自分の強さも分かったわけだし、次は拠点でも探すかな」


 本来の目的である拠点探しを始めるためにゼブルは崖の方へ移動して周囲を見回す。

 拠点として使えそうな場所、もしくは拠点を造るのに適した場所はないか月明りを頼りに探した。


「近くには良さそうな場所は無さそうだな。……周りには森や林しかないし、見える場所にある平原も見通しが良すぎる。この岩山は論外だし……」


 拠点を造るに相応しい場所が見つからずゼブルは残念そうな声で呟いた。


「少し移動してみるか。ここから見える場所には無いってだけで、他の所になら良さそうな……」


 崖下の森に視線を向けると森の中にある一本道を三頭の馬が走っているのが見えた。三頭の馬には一人ずつ人間が乗っており、一頭の後ろを二頭が勢いよく走っている。


「こんな時間に森の中を馬で散歩……なわけないよな。明らかに前を走ってる奴が後ろの奴らに追われている状況だ」


 ゼブルは馬たちが走っていた方角を見ながら呟く。

 異世界に来て初めて人間を目撃したことでこの世界には人間が存在することを知り、同時に異世界の情報を得るチャンスだとゼブルは感じた。


「この世界の住人を見つけたなら接触して情報を集めるべきだよな。……だけどさっきの様子から穏やかな状況でないのは確かだよな」


 追う者と追われている者に接触すれば高確率で問題に巻き込まれる。異世界に転移したばかりなのに面倒事に巻き込まれるのは御免だとゼブルは思っていた。

 しかし今接触しなければ次はいつ現地人に出会えるか分からない。未知の世界で生きるのならできるだけ早くその世界の情報を得る必要があった。

 現状で自分が何をするべきなのか、ゼブルは無言で考える。


「……仕方ない、行ってみるか。万が一戦闘になったとしても、今の俺なら問題なく倒せるはずだしな」


 情報を得るために現地人と接触することを決めたゼブルは馬たちが走っていった方角を向く。

 ゼブルが向きを変えると纏っていた真紅のマントが消え、代わりに広げられた緑色の甲虫のような前ばねと後ろばねが現れた。

 EKTでは自分が使用するアバターの種族を選んで好きな外見にすることができ、その際にアバターに翼や羽を付けることができる。翼や羽を付けるとそのプレイヤーは“飛翔”と言う補助技術サポートスキルを得ることができるのだ。

 飛翔は使用するとアバターを設定する時に付けた翼と羽を使って空を飛ぶことができるようになる。飛行速度は速く連続で三十分飛行することが可能だ。

 しかも使用回数に制限は無く、使用後のリキャストタイムも無いので三十分飛んだ後でもすぐに飛ぶことができるのでプレイヤーの多くはアバターに翼を付けている。

 ただ飛翔は魔蟲族など翼や羽を持っていてもおかしくない一部の種族しか修得できず、妖魔族などは修得できない。

 更に修得してもレベルが30にならないと使用することができない。そして飛翔を修得するとそれ以外の技術スキルを修得できる数が減ってしまい、飛行魔法も習得できなくなる。

 飛行魔法は飛翔よりも飛行速度が若干遅いが連続飛行が可能な時間は倍の一時間なのでプレイヤーの中には飛翔を修得するか魔法で飛べるようになるか悩む者も少なくない。

 ゼブルの場合はメイン職業クラスを戦士職に選んで魔法が不得意な点と昆虫好きだということもあったので迷わずに飛翔を修得した。


「翅は問題なく出せたな。技術スキルの使い方や効力がEKTと同じなら飛び方も同じのはずだ」


 ゼブルはEKTの世界で飛んでいた時の感覚を思い出すと地面を強く蹴って前に跳んだ。

 崖から飛び出すと同時に後ろ翅が動いてゼブルの体を宙に浮かせてまっすぐ前に移動する。

 無事に飛ぶことができたゼブルは現地人を追いかけるために馬が走っていった方角に向かって加速する。

 移動速度は速く、ゼブルはあっという間に遠くまで移動した。


――――――


 薄暗い森の中にある一本道を馬が勢いよく走り、その背には一人の若い女騎士が乗っている。

 女騎士は十五、六歳くらいで身長は約150cm、青い目と銀髪を持つ美少女だ。横髪は肩にかかり、後ろ髪は背中までの長さで三つ編みにしている。

 顔の部分が開いた銀色の兜を被っており、銀色の肩当てとハーフアーマー、赤いミニスカートを穿いた姿をしている。

 腰には剣の鞘が吊るされているか不思議なことに肝心の剣は納められていなかった。

 女騎士は顔やハーフアーマーを汚しており、必死な様子で馬を走らせている。速度を落とさないようにしながら後ろを向くと10mほど後ろで二頭の馬が走っており、馬には男が一人ずつ乗っている。


「かなり走ってるはずなのにまだ追ってくるなんて……」


 男たちのしつこさに女騎士はわずかに表情を歪める。彼女は長い時間男たちに馬で追われており、なかなか振り切れない現状に焦りを感じていた。

 二人の男たちは逃げる女騎士を見ながら不敵な笑みを浮かべていた。どちらも目つきが悪く薄汚れた長袖と長ズボン姿で一人は腰に剣を納めて、もう一人は弓矢を装備している。

 服装と雰囲気からして男たちは盗賊のようだ。

 

「へっ、頑張るじゃねぇかあの騎士様。アジトからここまで休まずに逃げ続けるなんてよぉ」

「まったくだ。もう少し遊んでやってもいいんだが、そろそろ追いかけっこはやめようぜ? あまり時間をかけるとかしらから大目玉を食らっちまう」

「ああ、そうだな」


 仲間の言葉に盗賊は馬を走らせながら弓矢を構える。素早く狙いを定めると矢を放ち、女騎士が乗っている馬の右股に命中させた。

 矢を受けた馬は痛みで体勢を崩して勢いよく倒れた。


「キャアアアッ!」


 走っている最中に倒れたことで乗っていた女騎士は大きく前に放り出されて地面に叩きつけられ、落下した拍子に兜は脱げてしまう。

 女騎士は数回地面を転がってから止まり、全身の痛みに苦痛の声を漏らす。

 盗賊たちは女騎士に近づくと馬から下り、笑いながら倒れている女騎士に近づく。

 迫ってくる盗賊を見て女騎士は急いで立ち上がろうとするが体を動かすと鈍い痛みが走るため思うように動けない。

 しかし痛むからと言って何もせずにいるわけにはいかない。女である自分が盗賊に捕まればどんな目に遭うか察しが付くため、女騎士は痛みに耐えながら必死で起き上がった。


「よく頑張ったがここまでだ。大人しく俺らと戻ってもらうぞ」


 盗賊は女騎士の前まで来ると腰の剣を抜いて切っ先を向ける。殺すつもりはないがもしも抵抗した場合は手足のような急所でない箇所を切って大人しくさせるつもりでいた。

 剣を持つ盗賊が女騎士に警告していると弓矢を持った盗賊が倒れている女騎士を見ながら不気味に笑う。


「ほほぉ? よく見るとなかなかいい女じゃねぇか。ガキだからあまり期待はしてなかったんだがなぁ」

「……ッ」


 舐めまわすように自分の体を見る盗賊に女騎士は悪寒を走らせる。盗賊たちの反応から女騎士は自分が予想していたとおりの展開になろうとしていると感じていた。


「なぁなぁ、連れて帰る前にちょっと楽しまねぇか? 頭も捕まえることができたら褒美で俺らに使わせてやるって言ってたしよう」

「フッ、そう言うと思ったぜ。……ああ、俺もそれでいいぞ」


 仲間が同じことを考えていたと知った盗賊は楽しそうに女騎士に手を伸ばす。

 女騎士は迫ってくる盗賊の手を見て僅かに涙を浮かべる。この涙は襲われることに対する恐怖だけでなく、盗賊に捕まってしまった自分の情けなさに対する悔しさからの涙でもあった。


(……皆、ごめんなさい。私、何もできませんでした)


 心の中で誰かに謝罪をした女騎士は覚悟を決めて目を閉じた。だが次の瞬間、女騎士の右側で何かが落下したような大きな音が響く。

 突然の音に女騎士は驚いて目を見開き、音が聞こえた方を向いた。

 盗賊たちも女騎士と同じように驚きの反応を見せながら轟音がした方を向くとそこには翅を大きく広げながら両膝を曲げて左手を地面に付けている人型の昆虫のような生物の姿があった。


「女騎士と盗賊か」


 体勢を直しながらゼブルは目の前にいる現地人を見て呟く。

 広げていた翅を消して真紅のマントを出し、改めて自分を見ている女騎士と盗賊たちを確認する。


(状況から考えて追われていたのは女騎士で追っていたのは盗賊たち。そして盗賊は抵抗できない女騎士を襲おうとしてるってところか)


 崖の上で見た時から誰かが襲われそうになっていることは予想していたゼブルは目の前の光景を見ても一切動じていなかった。

 ゼブルは慌てることなく冷静に次に自分がやるべきことを確認する。情報を得るために馬の後を追い、女騎士が盗賊たちに襲われそうになっている場面に出くわしたのなら、どちらか片方に味方して情報を得るべきだ。

 女騎士と盗賊のどちらの味方をするか、答えは聞くまでもなかった。


「な、何だコイツは!?」

「知るかよ! こんな気味の悪い化け物、見たことも……」


 剣を持った盗賊が仲間の方を向いて話しているとゼブルが一気に距離を詰め、右手で盗賊の頭を殴る。

 ゼブルの拳が触れた瞬間、盗賊の頭は水風船が破裂したかのように弾け、地面には大量の血が飛び散った。

 目の前で仲間の頭部が消えたのを見た盗賊は一瞬何ができたのか理解できず呆然としていた。だがしばらくすると我に返り、視線を目の前にいるゼブルを向ける。


「出会って早々悪いんだが、消えてもらうぞ? 盗賊ども」


 ゼブルは盗賊の方を見ると低い声で語りかける。

 女騎士から情報を得るため、ゼブルは盗賊を排除することにした。


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