西洋館の秘密
「店員Aのせいで遅くなっちゃったけど、先に部屋を案内しよう」
「あ、はい。よろしくお願いします。」
春香は立ち上がり、マスターにお辞儀をして自分の荷物を持ってお店の入口まで向かった。
「戻ってくるまでよろしくね、店員A」
「はいはい、いってらっしゃい。」
冗談交じりで言葉を交わすマスターと店員A。結構長年の絆があるような気がした。
喫茶店しろくまを出て、一度あの大きな玄関扉まで戻った。
広くて、迷子になりやすいため、玄関から案内するようにしているとのことだった。
「この建物大きいでしょう?慣れるまでは迷子になりやすいから気を付けて。
あとは、一応個人の所有物だから、入っちゃいけないところも多いから、逆に誰でも入れるところを案内していくね。」
「わかりました。よろしくお願いします。」
マスターから離れないように距離を測りながら、後ろをついていく。
やはり毛足の長い絨毯には、靴の跡は残っていない。
「まずここは、最初の玄関。広いし、高いよね~。ここは、誰かがノックしたら開くから特に気にしなくていいよ!そういえば、どうやってここからうちのお店まで辿り着いたの?」
吹き抜けのような高い天井を見上げながら春香に質問をしてきた。
「私もよくわかんないですけど、お店の前にきたら、ここだなと思って。」
「ふぅ~ん、やっぱり運がいい。さ、次はロビーだ。」
春香からの質問は受け付けないかのように、次の案内場所へ進んだ。
「このロビーはお客様の待機場所だったり、待ち合わせ場所としても使われるよ。だから、フリースペースって感じかな。ここに誰かいても挨拶くらいでいいよ。」
何畳あるんだという広いスペースには、また模様が異なる絨毯が敷かれ、店内と同じような高級ソファーやテーブル、調度品が品よく飾られていた。
自分の生きていた世界線とは異なりすぎて、さすがに言葉が出ず、これが社交界ってやつなのかとため息まで出ていた。
「掃除はここのロビーとお店の掃除がメインかな。掃除用具とかも揃ってるし、絨毯とかテーブルを拭けるところを拭いてもらえれば大丈夫だから安心してね。」
マスターは軽く言っているが、本当に高そう、いや、高いのだ。値段も高さも。テーブルやソファーは高さがバラバラで、春香が座れる高さもあるが、マスターでも座れない高さもある。それに高級そうすぎて、庶民が触ってもいいものなのか、戸惑うレベルの空気感である。春香は、「はぁ・・」としか答えられなかった。
ロビーを通り過ぎた先に大きな階段があった。
ここにも絨毯が敷かれ、真鍮のカーペットホルダーが一段ずつ鎮座していた。
「この階段を上がると、生活空間というか客間というか、準備したお部屋もこの階段からしか行けないから覚えておいてね。」
「この階段から・・」
「そう、ロビー奥の階段はここしかないから大丈夫だと思うよ。」
スタスタとマスターの長い脚は、高級絨毯を容赦なく踏みつけて階段を上がっていたが、
春香は緊張して、つま先歩きで階段を上がっていった。
2階に上がると、左右に伸びる廊下があり、一番奥までみることが出来ないほど遠くまで伸びていた。
マスターが言うにはそんなに長くはなく、節電中だから、奥まで見えないらしい。
私の部屋は、上ってきた階段からみて右側の廊下を進んで、3番目の扉だ。
美術品かと思うくらいの装飾をされた鍵を差し込み、開錠する音が廊下に響いた。
ガチャンーーー
「さ、ここが準備したお部屋だよ。寝具はちゃんと天日干しとかしているから安心してね。
もし、アレルギー症状とか出たら教えてね、古い建物だから念のため。」
春香は一歩部屋に足を踏み入れると、部屋がぱぁぁっと明るくなった気がした。
見るからにふかふかのダブルベッドに一人用ソファーとテーブル、簡易キッチンもついて食器やカトラリー、紅茶も準備されていた。シャワールームにトイレも洗面台もついていて、ホテルなら何十万としそうな部屋である。
「うわあぁぁぁ・・・・こんな素敵なお部屋いいんですか。これ、タダって本当にいいんですか?」
スイートルームってこんな感じなのかなと想像を膨らませ、期待以上のお部屋に目を輝かせていた。
「もちろん、古いけど丁寧に使ってはいるから、壊れたりとかもないはずだよ。
全館空調だから建物の温度は調整しにくいけどね。この部屋にあるものはどれでも使っていいよ。ルールは特にないけど、キレイには使ってほしいかな?」
マスターは穏やかな口調のまま、部屋を使う際の注意事項を話していたが、それほど注意するこはなさそうだ。
「気を付けてほしいことは、お店の手伝いとロビーの掃除は時間内にやり終えること、基本的に僕と店員A以外とは口をきかないこと、そこだけかな。
時間は10時から12時の2時間だけ。それ以外は、このお部屋にいても店内でのんびりしても、外の庭を散歩してもOK。ロビーは掃除以外、通り過ぎるだけにすること。」
意外とルールはそれだけなのかと、特に疑問を抱くこともなく春香は頷いた。
「お店と庭、ロビー、この3つが誰でも入れるところ。あとの部屋は、基本的には施錠されているけど、ほぼ同じ見た目だから間違えないようにね。」
帰ってこれなくなっちゃうからね、と人差し指、中指、薬指を順に伸ばし、子供に教えるように丁寧に言い聞かせてくれた。
「あの、ここらへんにスーパーとかありますか?」
自室で料理をする際に、食材は不可欠なのだ!
「え、スーパー?」
想像していない質問だったのか、首をかしげながら理由を知りたいようだった。
「もしこの部屋で料理をしたいとき、食材がなかったらなにも出来ないじゃないですか。もしかして、お湯を沸かすだけでしか使わない方がいいですか?匂いとかついちゃいますもんね・・」
あぁ、と納得したようにマスターは春香の質問に答えた。
「なるほどね、食材はお店のを分けてあげるからスーパーに行かなくて大丈夫だよ。」
「え、いいんですか?お店のなのに・・・」
「一人分くらいまったく支障ないよ。食材が口に合うといいけど。」
穏やかな口調のまま、意味深な発言をしたマスターだが、荷物を置いてお店に戻ろう、ランチ用意するよ、と春香の気を逸らして話題を打ち切った。
そんなお部屋に泊まってみたいです!!!
1週間くらい、優雅な生活してみたいですよね