再び、店員A
パタンーーー
お店の扉が閉まり、春香と店員Aの二人きりになった店内。
店員Aは、ごそごそと食材の整理をマスターに言われた通りにやっていた。
春香はというと・・・ソファーに身体を預けて、にやにやしていた。
頷いてしまった。でもここに泊まれて、あの美味しい味噌汁が飲めるってことはラッキー!!!3食付きでタダ。破格すぎる!この建物もマスターが所有してそうな言い方だったし、やっぱり財閥とかそういう系なのかな?このソファーも最高だし、部屋のベッドとかもすごいのかな~、なんかもう楽しみになってきちゃった!!!
危機感があるのか、ないのか・・・
とはいえ、あの味噌汁美味しすぎたな~2杯も飲んじゃったよ。出汁が美味しい!でも、味噌もいいやつなのかな。わかめは高そうだった、絶対乾燥わかめじゃないはず。はああ・・・お腹すいてきちゃう。
ぐぅぅぅ~と鳴っているかのように春香は自分のお腹に手を当てて、食欲を抑えていた。
「終わりっと。」
カウンター内からよっこいしょという声とともに店員Aは立ち上がり、春香を見た。
「マスターの味噌汁、美味しかった?」
妄想の中で泳いでいた春香は、ふとした質問で現実に戻ってきた。
「あ、へ?味噌汁・・?美味しかったですよ!もちろんっ!最高でした!」
胸を張って言い切った。
「くくっ・・それならマスターも喜んだと思うよ。」
声を抑えるように笑いながら、店員Aも喜んでいるように笑っていた。
「あ、そういえば、店員・・Aさん?ここって・・」
「店員A?!本気でそう呼ぶの?俺のこと!!!いくらお客さんでも悲しいんだけど!」
春香に被せるように店員Aという呼び方に対して、敏感に反応していた。
「あ、いや、あの、すみません。お名前、知らないので・・・店員さん?お兄さん?」
困ったように呼び方の候補を挙げていく。
「あ~お兄さんって響きがいいね、お兄さん・・俺、お兄さんかぁ・・」
腕を組みながら、満更でもない笑顔で頷いていた。
愉快な人だな・・・悪い人ではなさそうだけど。
ひとりで楽しんでいる店員Aをそのままにし、また妄想の世界で飛び込んでいった。
あの味噌汁は具材変えても美味しいし、あー炊き立てのご飯も食べたい。ニート生活は、本当にゲームと呼吸しかしてなかったし、料理もしてなかったもんな~。焼きたての鮭、いや、鯖でもいいかも?太刀魚も美味しいらしいから食べてみたいし、やっぱり和食食べたいな~ここは、洋食かな?洋食ならオニオングラタンスープとかオムライス!ナポリタンも捨てがたい!!!ランチとディナーもやってるってことは、あのお兄さんとマスターが作ってるんだ、今日の夜から、むしろランチから出たりするかな~でももうランチは終わってるかな。
永遠に食べ物のことばかりである。
ニート生活のときとは打って変わって、食への興味、探求心が溢れかえっていた。
こう見えても春香は、自炊が好きで食べて美味しかった料理を再現したりと、料理スキルは意外と高いのだ。好きこそものの上手なれ、とはよく言ったものだ。
お兄さん呼びに浸っていた店員Aは現実に戻り、よだれを垂らしていそうな半開きのままの春香の口をみて、何かを思いついた。
笑みを浮かべて春香に忍び寄る店員A。
まだまだ妄想は止まらない春香は、自分に近づく店員Aに気づくわけもなかった。
彼は紙袋から持ってきたものの包装を開け、春香の口に目掛けてそれを入れた。
コロン
「っ!!!」
思わず口を閉じた春香は、同時に目も開けて今起きた出来事を確かめていた。
よだれがこぼれていないかと焦るように息を吸い、粗相はしていないと安心した途端。
口の中に広がるのは、ほんのり甘さと酸味。花見の定番、桜の香りを感じた。
「・・さくらんぼ?」
コロンコロンと口の中で動かしながら、味を堪能し、ポロっと声がでていた。
「そう!その飴美味しいでしょ。お兄さんのお気に入り。」
カウンターにいた彼が、自分の目の前にいることに驚いて、目を見開きながら頷いた。
「自分でお兄さんって呼んでるのヤバいんじゃないの。店員Aでいいでしょう。」
マスターが呆れたような顔で戻ってきた。
「マスター!いつの間に!じゃなくて!店員Aって寂しすぎません?そう呼んだことないじゃないですか!」
「そうだったかな?私と二人なんだし、これからは、マスターと店員Aでいいと思うよ」
さらっと店員Aあしらうマスター。
「嘘だろ・・!!お姉さん、ここの手伝いもするって言われてたよね!?!?」
マスターから春香の方に身体を向け、春香の両肩をぐっと掴み、必死に同意を得ようと見つめてくる。
「は、はぁ・・」
店員Aの迫力に押され、曖昧に春香が返答すると、店員Aは肩から手を放し、不敵な笑みを浮かべてマスターにもう一度向き合い、声高らかに宣言した。
「ふっ・・じゃあ、俺は店員A!お姉さんは店員Bだ!!!」
・・・え、この人、ボケ担当だったの?
無視しよう、無視。
春香は驚いたように店員Aを見つめ、
マスターは呆れたとばかりに首を横に振り、カウンターに戻っていった。