傾国の災姫 27話
アズラーレとヴェルディアの戦場領域を抜けてからしばらくして、空から見下ろす景色が変わった。
どこまでも続く、深く鬱蒼とした 深い森が続いているのだ。
「あいぼう、あれが首都よ」
その前方に、その都市はあった。
森に囲まれた翠緑の都 エメラルディア。
ヴェルディア王国の首都にして、エドワード・アーサー・ヴェルディアの居城を擁する王都。
城壁の代わりに巨木があり、十数メートルはありそうな大木たちが、都市を守るように都市の外縁をぐるりと取り囲んでおり、幹と幹の間を太い蔦が隙間という隙間を埋め尽くしていた。
それが自然にできたものなのか、シジルの力で意図的に形成されたものなのかは分からないが、結果としては堅牢な防壁を築いている。
そして、その巨木の根元や枝の上を、森の魔獣が動いている。
巨大な四足の獣、枝を伝って移動する巨猿のような何か…
それらが都市の周囲を当然のように徘徊していた。 さしずめ自然の歩哨といったところか。
「…たしかにこれは、陸路からの正攻法では攻めづらいな」
「貴方のおかげよ」
アズラーレの蒼銀の都ルナリアが「人工的な防衛都市」だとすれば、ここは自然そのものが要塞として機能している都市だ。
この防御機構は、あくまで地上から攻めてくる敵を想定して構築されている。
城壁代わりの巨木も、徘徊する魔獣も、蔦で覆われた門も、すべてが陸戦の防衛に特化した構造だ。
だが、上空からの侵攻に対しては――見たところ、これといった対策が取られていない。
この世界で大規模な戦力を軍隊規模で運用できる勢力なんて、今までなかったんだから、仕方がないといえばそれまでだが。
俺は振り返った。
後方に続く黒翼の竜騎士団。 その数、およそ六百騎。
真なるシジル保有者二名を撃破した戦いで少なくない損耗があったが、それでもこの規模の空軍は史上類を見ないだろう。
死ぬほど頑張ったかいがあった。
やがて、翠緑の都の上空にさしかかり、竜の影が覆っていく。
「バリスタや魔法が飛んできたりは……しないか」
「攻められ慣れていないのが仇になったわね」
セレスの立てた作戦は、最初から正しかった。
敵はほぼ全戦力を投入しており、わずかに残った敵兵たちも、こちらを指差しては慌てふためくくらいで役に立っていない。
たまに弓を射るもの、魔法を放つ者もいるが、当然とどかないし、射程に収めても速度が違いすぎて当たらない。
空からの侵入に対してどう対処していいか分からないといった様子。
都市の中央に鎮座する城が、近づいてきた。
巨木と蔦に覆われた、というより巨木そのものが城になったような建造物で、自然の造形と人工の意匠が一体となっていて、とても美しい城だ。
アズラーレ神聖帝国のような、代表的な西洋風の国もいいけど、これはこれで良い。
(もし他のプレイヤーが遊ぶなら、ここをスタートにするのも面白そうだ)
なんて考えていると、セレスが段取りを指示し始めた
「エリーゼ、城を空から取り囲みなさい。合図で焼き払えるように」
「かしこまりました」
「あいぼう、貴方はわたくしについてきなさい 乗り込むわよ」
「あぁ」
⚜⚜
玉座の間
俺とセレスは大広間に足を踏み入れた。
天井まで伸びた大樹の幹が柱となり、枝葉が天蓋を形成している荘厳な空間。
(綺麗な場所だな…)
だが、その美しさとは裏腹に、玉座の空気は重く沈んでいた。
側近たちの顔を見れば、一目でわかる。 皆 終わった という顔をしているから。
目を伏せている者、唇を噛みしめている者、ただ虚空を見つめている者。
中には肩を震わせて泣いている文官もいた。
まるで葬式だ。
玉座に座る男が、ゆっくりと顔を上げた。
エドワード・アーサー・ヴェルディア。
ヴェルディア王国の国王にして、真なる森王のシジルの保有者でもある。
その肉体は年齢を感じさせない屈強さを湛えていた。
深い緑の長衣に身を包み、短く刈り込んだ灰色交じりの髪と、鋭く知性的な碧眼。
だが、その碧眼には、もう戦う者の光はなかった。
疲れ切った、それでいてどこか達観したような目で、セレスを見つめている。
「……傾国の災姫か」
低く、よく通る声だった。
「噂には聞いていたが、直接目にするのは初めてだ」
セレスは冷たい声で言った。
「セレスティア・フォン・アズラーレよ 物騒な二つ名をありがとう」
大広間の空気が一段と張り詰める。
側近たちの中には、反射的に剣の柄に手を伸ばしかけた者もいた。
だが、エドワードがそれを片手で制した。
「やめよ」
短い一言。
王が再びセレスに向き直る。
「お前たちが竜を率いてここにいるということは、国境に送った者は『全て』敗れたということだな」
「……」
セレスは答えない。ただ真っ直ぐにエドワードを見据えている。
「真なるシジル保有者が二人同時に討ち取られる。 あり得んと思っていたが……結果がそれを証明している。 あの二人を謀で出し抜けるとも思えぬ」
エドワードは セレスのボロボロの格好を見た後、玉座の肘掛けに手を置いたまま、深く息を吐いた。
「……我が国の防衛はな、この森と大地を基盤としている。 陸から攻めてくる敵に対しては、この都市は難攻不落だ。 森の魔獣も、巨木の城壁も、すべてがこの地を踏む者を拒むように設計されている」
一度、天井を仰いだ。
「だが、空から数百の竜に降ってこられては、打つ手がない。 そもそもこれほどの竜を有する軍など、二百年の戦史に一度もなかったことだ。 ……協力者に恵まれたか」
彼は俺を一瞬だけ一瞥し 静かに立ち上がった。
周囲の側近たちが身構える。
俺も一瞬、身体が強張った。 真なるシジル保有者が動いたのだ。ここで最後の抵抗に出る可能性だってある。
だが、エドワードは剣を抜いて、その剣を投げ捨てた。
武器を捨てる 即ち、降伏の意だ。
「陛下ッ!!」
側近の一人が叫んだ。 甲冑を身に纏った壮年の騎士が前に出る。
「まだです!! まだ我々は戦えます!! 翠緑騎士団の残存兵力を結集し、陛下のお力さえあればこのような小娘など――」
「止めよと言っている」
騎士の言葉が止まる。
「我が国が誇る最強の盾と最速の矛が破られた。 お前たちがいくら命を賭けたところで、結果は変わらんよ」
「しかし……ッ!」
「これ以上、犠牲を出す必要はない」
エドワードの声には、有無を言わせない重みがあった。
騎士は、拳を震わせながらも、やがて力なく頭を垂れた。
「………………御意」
周囲の官僚たちから、押し殺したすすり泣きやざわめきが漏れた。
セレスが口を開いた。
「物分かりがいいのね」
冷たい声だった。だが、侮蔑のそれではない。 どちらかといえば、相手を正当に評価している声色だった。
「……それで、傾国の災姫よ。 貴様は何を望む?この国を焼くか それともこの首か」
セレスは一歩前に進み出た。
「わたくしが望むのは、制度の破壊であって 人の破滅ではない。 人が人らしく生きる世界を作るため、すべてを壊す必要があるだけよ 立ちふさがるならば容赦はしないけれど」
彼女に、大広間の全員の目が集まった。
「シジルの強さで人の価値が決まり、生まれや血だけで運命が定められる。 シジルは戦争の道具にされ、人の命すら弄ぶ実験材料になる。 そんなものは、もう終わりにする。 あなたの国も、わたくしの国も、等しく破壊するわ」
エドワードの表情が変わった。
「エドワード王 人の価値はシジルが全てではない だからシジル至上主義を終わらせる。 降伏するというのならば……その力を貸しなさい」
大広間が静まり返った。
エドワードは長い沈黙の後、疲れたように目を閉じた。
「……シジルによる秩序を壊すか。 それが成ったとして、その先に何がある。 天からの才こそが人を正しい位に位置付けさせる、この世の唯一絶対なる指標だと理解できぬわけではないだろう」
「そうやってまた、貴方の子も孫も同じ苦しみと病に侵される。 絵が好きな子も 歌が好きな子も 読書が好きな子も 望まない戦いを強いられる」
エドワードの口元に、かすかな苦笑が浮かんだ。
「若いな」
「何が言いたいの」
「自らが選択した結果が最良とも限らない。 自ら選んだ道に破れた者は、何に縋って生きていけばいい? 役割を与えられるという救いを、お前は奪おうとしているかもしれぬぞ?」
試すような王の問いかけに、セレスは力強く返す
「選択とは何かを選び取らなければならないもの その時点で最良の結果なんて存在しない。 どちらかを選択しなければならないのなら 自ら選び取ることに大きな意味があるのよ。 赤子が自らの意思で歩く努力を、痛みを伴いながらも諦めないように 人が持つ可能性を わたくしは信じる……だからこそ、シジルだけが、人を測る指標であってはならないのよ」
再び沈黙。
エドワードは玉座に視線を戻し、それからセレスを見た。
そしてゆっくりと、口を開きかけた。
「若さ、か……。 ……まぁ、いいだろう。 我が国の民を守ると誓うなら、余はお前の熱意に賭けてみるとしよう――」
そのとき。
光が差し込んだ。
(…なんだ? この嫌な感じは……)
天井の枝葉の隙間からではない。 大広間のどこからでもない。
空間そのものが発光したかのような、白く、柔らかく美しい光が、大広間の中央に滲み出した。
「な――」
反応したのは、セレスが最も早かった。
反射的に後退し、剣の柄に手をかける。 彼女の表情が、さっきまでの冷静な交渉者のものから、一瞬で戦士のそれに切り替わった。
「っ!! 何事だ!」
エドワードも異変を察知し、声を上げる。
光の中から、足音が聞こえた。
ゆっくりとした、しかし確かな歩調。 まるで散歩でもしているかのような、余裕に満ちた足取り。
光が晴れていく。
そこに立っていたのは、白と金の法衣に身を包んだ老人だった。
穏やかな笑みを湛えた、慈愛に満ちた眼差し。聖人の佇まい。
一目見ただけで、この人物が「善き者」であると信じてしまいそうになる
そんな、危うい空気を纏った男。
「これはこれは。 随分と物騒な話をしているようですね?」




