傾国の災姫 17話
竜騎士たちの勝鬨が響き渡る中、俺はセレスの元へ向かおうとした。
その時だった。
「……っ」
セレスの身体が、ぐらりと揺れた。
「セレス、どうした?」
彼女は膝をつき、地面に手をついた。肩が激しく上下している。
「ぐ……っ、かはっ……!」
口元を押さえた手の隙間から、鮮血が滴り落ちた。
「セレス!!」
俺は駆け寄り、彼女の肩を支えた。
「おい、大丈夫か!? 回復を――」
「……待ちなさい!」
吐血しながらも、セレスの声は毅然としていた。
「お願い、騒がないで。 こんな姿……兵たちに見せるものではないわ」
「何を言って……お前、血を……!」
「問題ないわ」
彼女は俺の手を借りて立ち上がり、口元の血を拭った。
指先も震えている。明らかに普通の状態ではない。
だが、その瞳だけは、揺るぎなく俺を見据えていた。
「あいぼう」
「……なんだ」
「今日の夜、話したいことがあるの」
「話したいこと……?」
「戦後処理がひと段落したら。……二人きりで」
「……わかった」
それ以上は聞けなかった。
⚜⚜⚜
―夜―
焚火を挟んで、俺とセレスが向かい合って座っている。
エリーゼには引き続き戦後処理を任せてあるようだ。
投降した兵の扱い、負傷者の手当て、物資の確保、グレイドの謀反への表向きの対応など……やることは山ほどある。だが、それを差し置いても話しておきたかったことなのだろう。
セレスは黙って炎を見つめていた。
揺らめく火の光が、彼女の横顔を照らしている。あの圧倒的な力を見せた女王の姿は、今はどこにもない。どこか儚げで、疲れ切った少女がそこにいた。
「……」
俺も、黙って待った。
彼女が話し始めるまで、急かすつもりはなかった。
こういうのはモヒカンモードであっても得意なのだ。
どれほど続いただろうか。嫌ではない沈黙の時間だった。
やがて――セレスが、静かに口を開いた。
「あいぼう」
「…ん?」
「この世界のこと、貴方はどこまで知っているのかしら」
「……正直、ほとんど何も知らない」
嘘ではない。
俺はこのゲームの基本的な世界観すら把握していない。
雨宮さんから放り込まれて、成り行きでここまで来てしまった。
(まぁ、パンフレットの内容からある程度の状況は察しているが)
セレスは小さく頷いた。
「そう…でしょうね…なら、順を追って話すわ」
炎を見つめたまま、彼女は語り始めた。
「この世界では、『シジル』と呼ばれる紋章が、人の価値を決定づけているの」
(それはもうなんとなく分かる)
グレイドとの戦いで、何度も耳にした言葉だ。
「シジルは、生まれながらにして刻まれる力の証。その強さによって、人は明確に階層分けされる」
その言葉の一つ一つに、深い感情が込められている。
「皇族は代々、『真なるシジル』と呼ばれる力を受け継ぐ。別名『真実シリーズ』。世界を変えうるほどの、膨大な力よ」
「真なるシジル……」
「大貴族は『大シジル』。真実シリーズには及ばないけれど、大いなる力を持つ。中小貴族は『小シジル』。その下位に位置する力ね」
彼女は一度言葉を切り、炎を見つめた。
「そして平民は……『封印シジル』か、『無シジル』。能力の発現はほぼ限定的か、あるいは皆無。名称と相違ない力しか持たない」
「……つまり、生まれた時点で、人生が決まるってことか」
「そういうことね。シジルの強さが、そのまま社会的地位に直結する。……それがこの世界の常識よ」
俺は黙って聞いていた。
シジルによる階級社会。力がすべてを決める世界。
セレスが革命を起こそうとしている理由が、少しだけ見えた気がした。
「グレイドは……」
セレスの声が、わずかに硬くなった。
「『真なる炎帝のシジル』を持つ、正真正銘の化け物だった。真実シリーズを持つ者として、王の懐刀として、数え切れないほどの敵を焼き払ってきた男よ」
「……あぁ。その力は、見ての通りだったな」
あの灼熱の攻撃。セレスの竜を一撃で撃ち落とし、ルドガーを貫いた炎。
その力は、疑いようもないだろう。
「そして……」
セレスは、焚火から視線を外し、俺を真っ直ぐに見た。
「この国の皇帝、アルベルト・マクシミリアン・フォン・アズラーレは、わたくしの祖父よ」
一呼吸。
「……」
俺は黙っていた。ほとんど予測できていたことだ。
グレイドが『王の勅命』で動いていたこと。標的がセレスだったこと。そして彼女は只者ではないと。そう考えるのが自然だったから。
だが、俺は彼女の話を遮らなかった。
セレスは俺の沈黙を見て、かすかに微笑んだ。
「……気づいていたのね」
「そりゃ、まぁな…」
「ふふ…」
彼女は再び炎に視線を戻した。
「わたくしは、この国の第三皇女でありながら、唯一の王位継承権を持つ、皇族のひとりよ」
炎がパチリと爆ぜた。
「ねぇ、あいぼう」
「なぜ、わたくしが従兄弟たちや、父や母を差し置いて、唯一の王位継承権を持つのか……わかるかしら」
第三皇女。皇帝の孫娘。
普通に考えれば、皇帝の子である父母、もしくは従兄弟たちがその権限を持つはずだ。
その意味するところは――
(……ろくでもないことが起きたんだろうな)
だが、俺は首を横に振った。
「いや……どうだろうな」
嘘だ。察しはついている。
だが、口にはしたくなかった。
セレスは俺の沈黙の意味を汲み取ったのか、小さく息を吐いた。
「……優しいのね、貴方は」
「……」
彼女は膝の上で手を組み、綺麗な姿勢を保ったまま炎を見つめて続けた。
「わたくしには、二人の従兄弟がいた。第一皇子と、第二皇子。……どちらも、わたくしと同じ『劣等皇族』だったわ」
「劣等皇族……?」
「そう。わたくしたち三人は、真なるシジルを持って生まれなかった。 そして、私たちの両親も、真なるシジルを宿していながらも力をうまく引き出せない、中途半端な存在と蔑まれていたわ」
セレスの声が、わずかに震えていた。
「……」
「この国は、聖ルミナス教団の教義に強く影響を受けているの」
セレスの口調が、どこか皮肉めいたものに変わった。
「教団の教えではね、『無能力者の存在自体が神への冒涜』とされているの。シジルを持たぬ者、能力を発現できぬ者は、神に見放された存在。……生きていること自体が、罪なのよ」
「人間原理じみた考え方だな」
「皇族がそんな『劣等』を二世代もの間、抱え込むなど、あってはならないこと。……祖父は、そう考えたわ。孫に期待した分、落胆が大きかったのでしょう」
セレスの声が、さらに冷たくなった。
「だから、祖父は命じたの。『神の試練』を」
「神の試練……?」
「わたくしたち三人の孫に、それぞれの両親のシジルを移植する実験よ」
俺は息を呑んだ。
「……移植? シジルを? それは――」
「できるわ。……成功すれば、の話だけれど」
セレスは自分の左目に手を当てた。
「第一皇子は、実験に耐えられなかった。移植の途中で死んだわ」
淡々とした声。だが、その言葉の裏には、押し殺した感情が滲んでいる。
「第二皇子も同様。移植は成功したように見えたけれど、翌日には全身から血を吹いて死んだの。 幼い体では、到底受け止めきれなかったのね」
「……」
「当然、シジルを提供した父と母も、移植と同時にこの世を去った。シジルは魂に刻まれた紋章。それを奪われれば、命もまた奪われる」
炎がパチパチと音を立てる。
セレスは、その炎を見つめたまま続けた。
「第一皇子も、その両親も、第二皇子も、その両親も、わたくしの両親も……皆、『神の試練』という名の処刑台で命を落とした。残されたのは、わたくしだけ」
「……お前だけが、生き残ったのか」
「奇跡的に、ね。生き延びただけ、とも言えるわ」
彼女は自嘲気味に笑った。
「私が従来持つ、真なる増幅のシジルは、単体では力を持たないけれど、他のシジルの力との親和性を高める持っている。それが、父の氷帝のシジルとの相性が良かったのかもしれない。……何にせよ理由は、今でもわからないわ。ただ、わたくしだけが生き延びた」
俺は黙って聞いていた。
両親を、従兄弟たちを、その親たちを――すべて奪われた少女。
生き残ったのは、彼女ただ一人。
「だからわたくしは、第三皇女。唯一の正当な王位継承権者。……けれど」
セレスの声が、さらに低くなった。
「生き延びたところで、わたくしは『無能力』のままだった。増幅のシジルは、説明した通り。氷帝のシジルも、わたくしにはうまく扱えなかった。……今まではね」
「……」
「だから祖父にとって、わたくしは相変わらず『処分対象』でしかなかったの。いつでも殺せる。けれど、すぐには殺さない。なぜなら……」
彼女は皮肉げに微笑んだ。
「『新しい血』を仕込むまでの、体裁的な時間稼ぎが必要だったから。祖父はもう、いい年だし」
本当に人を道具として扱うような皇帝だと思った。
「今日の戦いで、ようやくわたくしは『力』を手にした。……いままでは、わたくしもただの非力な殺害対象でしかなかったけれど」
セレスは俺を見た。
その瞳には、複雑な感情が渦巻いていた。
「あいぼう。貴方がわたくしの器となってくれたおかげで、ようやく……ようやく、わたくしは戦える身体になったの」
「……そうか」
十分な間があったのにも関わらず、こんな言葉しかでてこなかった。
安易に同情も共感もしてはいけない気がしたんだ。
「貴方への感謝の言葉は、最期までとっておくけれど、今貴方に伝えたいことは、これだけよ。これから、わたくしがすることは、人として誤っていることだけれど、それでも、できる限り共に歩んでくれると、その……」
彼女が不器用ながらも笑みを見せた。
「共に歩んでくれると、嬉しいわ」
それなら、俺が返す言葉は決まっている。
「当然だろう、相棒なんだから」
不器用だった笑みが、いつしか自然なものへと変わっていた。




