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8 伯爵令嬢の一筆事情

 夢のような時間を終えたアイリーンは、名残を惜しみつついったん自室へ下がった。

 本当は、家族とともに今日の客人を門扉まで見送りたかったが、それをしてしまったら、客人たちが去った途端に、自分は家族の前で倒れてしまう羽目になるだろう。そんなことはできなかった。

 それでもまだ、身の内に幸福の残り香がくすぶっているようだ。

 五年ぶりに、目を見て話せた家族。父母はあまり変わらなかったが、兄がずいぶん背が伸び凛々しくなっていることに、感動した。

 同じく、ずっと自分を心配してくれていた従姉。以前から綺麗だったが、妙齢になり高貴な立場となった彼女は、羽化した蝶のように美しくなっていた。

 それから……。

 心に描いた面影を、大事に抱きしめるように胸に手を当てていると、メイドに慌ただしく、父が居間で呼んでいると伝えられた。

 アイリーンの自室と、家族たちの生活空間は、屋敷二階の東西の棟に分かれ、完全に動線が別にされている。むろん、これは家族の気遣いだ。廊下で家族とばったり会っただけで、アイリーンは倒れてしまう有様だから。

 アイリーンが固有魔法に覚醒した五年前から、家族は、領地のカントリーハウスでも、この新しく買った王都の邸宅でも、様々な工夫を重ねてきた。アイリーンが過ごしやすいように。アイリーンの目をいたわれるように。先ほど伝言に来たメイドのように、魔力を持たない使用人でアイリーンの周囲を固めたことも、その一つ。

 優しい家族。大好きだ。

 そうして作られた居間は、アイリーンの椅子の回りに、魔遮布を張った衝立がいくつも置かれ、他の椅子に座る家族の顔が見えずとも、ともに部屋で過ごせるようになっている。もはや見慣れたこの家独自の家具配置だ。

 そして衝立の向こうでは、どこか騒然とした家族の気配があった。小さく、ペン先が紙を滑る音がする。お父様、と声をかけると、ペンの音がいったん止まった。

「……来たか、アイリーン」

「はい」

「私は今、王室にお送りする今日の礼状をしたためている。早さが大切なのだ」

 父が、そのように急ぐ理由を端的に教えてくれる。どうやら、アディンセル家として『このご縁を歓迎する』と意を示すためには、この返信は早ければ早いほどいいらしい。

「……もっとも、内々の縁談などどのみち王室の決定次第なのだ。第二王子殿下ともなれば、婚約者候補は列をなしているだろうしな。であれば、当方としては、殿下の訪れを歓迎する、という意志と、王家の意向にもちろん従う、という忠心を、示しておくにしくはない」

 少し険しい声の父が、この降ってわいた縁談に不安を持つのはよくわかる。アディンセル伯爵家の家格は、決して第二王子妃を輩出するのに不足なわけではないが、アイリーンは、五年もひきこもりで、社交デビューも果たせていない世間知らずだ。

「それで、アイリーン。この書状に、おまえも、カード程度なら同封してもいい。今日のお礼を、簡潔に、非礼のないよう、したためなさい」

 そして、世間知らずのアイリーンは、突然の父の指示に慌てる。王族へのメッセージカードなど、書いたことがない!……いや、王家に籍を入れた従姉にはよく手紙を送っているが、それとはまったく話が違う。

「待ってください、お父様。殿下に差し上げるカードですか? どんなカードを使えばいいのです?」

「手持ちのものでいい。これはそういう礼法なんだ」

 そ、そういうものなのか。

 ただ、幸いにして、アイリーンは好んでカードやレターセットを集めている。ひきこもりのアイリーンにとって、手紙やカードは大切な交流手段なのだ。家族間でも、直接言葉を交わすには衝立などの準備が必要なため、ちょっとした用事では、カードをよく使っていた。母との庭の手入れの相談、兄への買い物の頼み事、仕事を終えた父への労いの言葉。使用人に伝言を頼むより、自分の字で伝え、相手の文字で返事があることが、ちょっぴり嬉しい。そういうものだ。

 メイドに自室から持ってきてもらった、未使用のカードを収めた文箱から、少し悩んで空色のカードを選ぶ。

 従僕がサイドテーブルを出してくれて、その上でカードに書く文面に頭を悩ませる。衝立越しの向かいでは、父が礼状の執筆を再開した音がする。なんだか、時間に追われた共同作業みたいだ。

 結果として、アイリーンのカードは、三回書き直した。いや、セルフ没による清書を含めれば、四回。

『またお会いできれば嬉しいです』といった文言を入れれば、父に「王族の予定を左右したがるような分不相応を書いてはいけない」とたしなめられ、それではと堅実な文章を端的に記せば、これも父に「これは若い娘が書くものとしては硬すぎるだろう……」と難色を示される。

 最後は母の助言ももらって、なんとか伝えたい文章をまとめた。父は最後まで「これでもまだ図々しいのでは……」と渋ったが、母に「若い娘が、縁談だと言って、素敵な王子様にお会いしたのよ! このくらいの期待感は乗せるべきでしょう。あまり礼儀正しくしすぎては、令嬢の方は乗り気でないのかな、なんて思われてしまいますよ」と言い込められていた。

 けれど、そうして考え考え書いたカードは、文字の配置が少し悪い気がして、最後に新しく清書し直した。

 最後に書き直すときに、思いついて、インクにラティムスの保存魔法液を少し混ぜた。

 これは、母がアディンセルの新しい特産品として流行らせようとしている品だ。ラティムスは魔力を帯びているので、花の抽出液は魔法薬として使用できる。抽出液に簡単な保存魔法をかけたものをインクに混ぜると、インクが色あせにくくなり、上品で控えめな良い香りがする……という、女性に人気の商品である。アカデミーで薬草学を学ぶ兄と、領内の魔法士が協力して開発したと聞いている。

 ラティムスは、可愛らしい釣鐘型の底から、紺色のグラデーションが花弁先の白に溶けていく、美しい花だ。

 アディンセル高地に咲く、もともと好きな花だから、この庭にも植えてもらった。王都は気候も高度も違うので、根付かせるのに試行錯誤は必要だったが、庭師や兄の助力も受けながら、なんとか庭園の一区画に咲かせることができた。

 そして今日。あの、美しい紺碧の瞳をもつひとに、似合うと思ったから、贈りたくなった。

 もっとも、今日、彼と見たラティムスは、真っ白だった。そういえば図鑑にも白い花だと載っているし、幼い頃見ていたのはこの色だったか、と思い出した。

 それでもいい。白いラティムスも、彼の凛々しい立ち姿に似合っていた。花言葉も、彼にふさわしく素敵なものだし。

 ラティムスの抽出液を混ぜたインクは、アイリーンの目には、キラキラと紺色の光の粒が散って見える。これもたぶん、他のひとには見えないだろうが、それでもこのインクのカードを彼が手にすることを想像すると、心が弾んだ。少なくとも、香りはきっと、届くだろう。

 今日を思い出すよすがに、なってくれればいいが。でも、そんな期待をかけるのも、父に言わせれば、不敬でおこがましい考えだろうから、これはアイリーンだけの秘密だ。

 そうして完成したカードは、父の美しい文書と同封されて、王城へ送り出された。邸宅に護衛として滞在している領軍騎士の一人に、馬で早駆けさせたそうだ。本当に、速度が大事なのだ。

 そんな慌ただしい返信作成の時間が終わると、さて、と、父が改めて話を切り出した。

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