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3 第二王子殿下のお茶会事情

 ゆっくり静かに歩くのは令嬢のたしなみだが、それにしてもずいぶん慎重な足取りに見えた。木立の影をひとつふたつ越え、テーブルの手前まで至ったところで、伏し目がちだった顔が、少しずつ持ち上げられる。

 紫色。その印象は圧倒的だった。豊かな黒髪が流れる小作りな白い顔の中、大きな紫色の目が更に見開かれて、こちらを見ていた。凝視、と言ってもいいほどの視線に、内心わずかにたじろぐ。

 数瞬、固まったような間があり、コホ、と伯爵が咳払いしたところで我に返る。

「……失礼。紹介いたします」

 令嬢も、はっと恥じ入ったように目を伏せる。紫色の視界が少し和らいで、カルヴァンも気を取り直していったん席を立った。

「殿下、娘のアイリーンです」

「お初にお目にかかります。アディンセルの一女、アイリーンと申します」

 耳をくすぐるような声だった。彼女は、春らしい空色のデイドレスの裾を片側だけ掲げて、淑女の礼を取った。流れるような美しい型だ。それにつれて、真っ直ぐな黒髪がひと房、肩口をさらりと流れ、艶が日差しを返して光の粒を散らす。

 女性の正式な最高礼はスカートの両側を手に取って足を引き膝を曲げるものだが、夜会や公式の場で用いられる礼法だから、この明るい陽射しの私邸では過度になってしまう。いま彼女が取ったのは、それに準ずる礼だ。場をわきまえつつ、王族への敬意を表そうとしてくれているのが分かった。同時に、彼女がきちんとマナー教育を受けた淑女であることも。

 令嬢は普通、男性を面と向かって凝視したりしないものだから、少しどきりとしてしまったが、無作法と咎めるほどの間でもなかった。

 それより、(目が合った……)とじんわり思ってしまった自分が、カルヴァンは少々情けない。今まで、良い家柄のご令嬢ほど、まともに目が合わなかったので。

「アイリーン、こちらはカルヴァン第二王子殿下」

「お会い出来て光栄です、アイリーン嬢」

 カルヴァンも、仰々しすぎない格の礼を送る。向かい合った令嬢からは、庭園の花が一輪増えたかと思うような微笑が返ってきた。


 ――従妹は、とっても可愛いわよ。期待しててね――


 なぜか、馬車内で言われたノエリアの言葉を思い出してしまう。

「さあさあ、紹介は済んだわね。堅苦しい挨拶はここまでにして、二人ともお座りなさいな」

 まさに思い出したのと同じ声の主が、砕けた口調でそう言ってくる。

 アディンセル伯爵とガーランド夫人が同時に目元を険しくした気がしたが、カルヴァンと令嬢が席につき、「そうですわね。始めましょう」と伯爵夫人が穏やかな声で取りなすように言うと、控えていた給仕たちが速やかに動き出した。

 焼き菓子や軽食を盛りつけた皿が運び込まれ、ティーカップがそれぞれの前に並ぶ。甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 それらの準備が進む間、ノエリアは「久しぶりね。元気そうで嬉しいわ」と、カルヴァンの向かいに座る令嬢に話しかけていた。対する令嬢は、「ええ、本当に……またこうしてお目にかかれて嬉しいです。お綺麗になられましたね」と少し声を詰まらせている。その大きな瞳に、何ともいえない色が揺らめいた気がした。

「いやぁね。あなたまでそういう堅苦しい口調はやめてちょうだい。私は今でも、あなたのリアお姉様よ」

「それは嬉しいけれど……そんなわけにもいきませんわ」

 それからアイリーン嬢は、ノエリアの隣に座る伯爵夫人、夫人の向かいに座る伯爵、その隣……令嬢の隣席でもある兄公子、と順々に、ゆっくりと視線を巡らせた。何かを噛みしめるような速度だ。馴染んだ家族ではないのだろうか。少々不思議な光景だった。

 と、一巡した令嬢の視線が、またカルヴァンに向き、目ががちりと合ってしまう。

 彼女は、また大きな目を見開いて、ぱち、ぱち、と何度か瞬きして、それからすぐ、はっと恥ずかしげに目を伏せる。カルヴァンも、こちらこそ失礼なほど令嬢の様子をうかがっていた、と自覚して、気まずく視線を逸らした。

 ……隣で、なんだか義姉がニヤニヤしている気がする。気のせいだと思いたい。別隣では、日傘を給仕に預かられて席を勧められたガーランド夫人が、目を光らせている気がする。こちらはおそらく気のせいではない。

「えー、それでは」

 茶席の用意が一通り整ったところで、ホスト席の伯爵の声が空気を割る。

「今日の佳き日を祝し、セムラート王国と王家に、この黄金の午後のような平穏と安寧が続くことを祈って。拙いもてなしではありますが、これよりは心ゆくまでご歓談ください」

 その挨拶を機に、茶会が始まった。

「殿下、こちらの焼き菓子は、当家の料理人の特製レシピでして。アディンセル領の高原で飼っている牛のミルクから作ったバターが使われている一品です」

「高地は寒冷で水も少ないですが、その分、ミルクや乳製品は濃厚な風味になると言われておりますのよ。紅茶は、デイヴィーズのものにいたしました。飲みなれている方が良いかと思いまして。すっきりした苦みがこのお菓子とも合いますしね」

「伯爵家の心尽くしに感謝します」

 伯爵夫妻の滑らかな勧めに従い、王室御用達の慣れた茶で喉を潤し、薄い焼き菓子を口にする。素朴ながら豊潤な、バターと小麦の風味が口に広がった。

「これよこれ。昔からこの家に来ると、このお菓子は絶対に食べたかったのよ」

 ノエリアも目を細めている。昔からずいぶん親密な親戚付き合いをしていたのだろう。

 王太子妃ともなれば、クリームやチョコレートをふんだんに使った高級菓子を並べ、高貴な令嬢や貴婦人の居並ぶ茶会もよく開いているものだ。しかし、そんなときの彼女よりも、素朴な焼き菓子を手にしている今の方が、寛いで楽しそうに見えた。比べるものでもないだろうが。

 ノエリアは、その後も茶会の中心となって明るく話題を振りまいた。

 伯爵夫人が手塩にかけた庭園を褒め、従兄妹に近況を尋ねる。その過程で、カルヴァンは、令息が王立アカデミーで薬草学を学んでいることや、令嬢が母の庭園の手入れを手伝うのを好んでいることを知った。

 耕作地の少ないアディンセル領では、高山植物から作られる薬品類が重要な特産品だったな、と思い出す。

 その一方で、新米王太子妃がガーランド夫人に世話になっていることや、新しい弟ができて嬉しいけどお堅くて困っちゃうのよね、この前騎士団で、なんて話も具体的なエピソードを交えて披露される。

 これは……見合いの席としては、後押しなのだろうか……。正直気恥ずかしいが、実の父母の前で「この人はお堅くて真面目な男よ」と保証されるのは、おそらくいいことなのだろう。たぶん。

 そしてやがて、茶が一杯二杯と飲み干され、茶菓子が半分消えたころ、ノエリアが思いついたように言い出した。

「そうだ、アイリーン。せっかくだから、カルヴァンに庭園を案内してあげたら? 私は何度も来たことがあるけれど、カルヴァンは初めてなんだもの」

 その言葉に、これがいわゆる『あとはお若い二人で』という展開なのか、と閃く。――六度目の見合いの席にして、初めてここに到達したのである。

 今までの歓談の中心はとにかくノエリアで、アイリーン嬢は、言葉少なに列席者をじっと見つめながら微笑んでいることが多かった。カルヴァンも口数が多いほうではないので、ここまでほとんど二人での会話は成立していない。ゆっくり二人で話しておいでなさい、という、これは義姉からの指示だろう。

「え、それは……その、殿下さえご希望でしたら……」

 令嬢も、頬をかすかに染めながらそう言ってくれる。カルヴァンは、席を立ち、テーブルを回って、彼女に手を差し出した。

「それはありがたい。ここに伺ったときから、少し歩いただけで素晴らしい庭園だとわかりました。令嬢にご案内いただければ嬉しく思います」

 アイリーン嬢が、差し出した手に、遠慮がちに手を重ねてくれる。あまりに小さくやわらかな手で、驚いた。小指の爪の透き通った薄さなど、今にも溶け消えそうでまるで冗談みたいだ。少し力を促しただけで、彼女は羽のように軽く立ち上がる。

「あの、ガーランド子爵夫人は……」

「わたくしは王太子妃殿下のおそばを離れるわけに参りませんので」

 ノエリアの「庭園が初めての者を案内」という表現を額面通りに受け取ったのか、礼儀としてなのか、令嬢はガーランド夫人にも声をかけ、即断されてしまう。

 レディー・エチケットが良しとするなら、『お若い二人で少々庭園を散歩』はごく健全な、あるべき展開なのだろう。

 カルヴァンは、令嬢の手を引き、「では、しばし失礼します」とその場を辞した。


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