8 ヒトマルハチ進行中
「47番通り東で108が進行中だ。遊撃隊ラウレス班は現場に出動する」
ラウレスが隊員たちに告げた。
その指示を受けてラウレス班が第7分署から飛び出した。
僕は何のことだか分からないので、とりあえずマチルダの後をついて走った。
しばらく街中を走ると黒煙を上げて燃えている家が見えてきた。
「火事か」
「そうよ」
『108』というのは火災が発生しているという意味のようだった。
「俺たちは治安部隊だ。火消しはできないぞ」
「それは消火隊が来てやるわ。私達は集まってきた野次馬を整理したり、火事場泥棒とかを警戒するのが仕事よ」
マチルダがそう答えた。
「本当に治安部隊というのは何でもやるんだな」
「そうよ。なんでもするわ。街の人の安全のためならね」
「下がってください!」
現場に着いた隊員たちは、集まってきた野次馬を燃え盛る家に近づけないように叫んだ。
女が一人、群衆の中から出てきた。
そして、放心したような顔をして燃え盛る家に近づこうとした。
「だめです。下がってください」
僕は女を制止した。
だが、女は僕の制止を振り切って家の中に入ろうとする。
「危険です」
僕は女の腕を掴んだ。
「子供が、子供が中にいるんです」
突然女は狂ったような叫び声を上げた。
そして、僕の手を振りほどこうとした。
僕はラウレスを見た。
「お子さんは本当にあの家の中にいるんですか」
ラウレスが女に訊いた。
「そうです。まだ2歳で自分で歩くことはできません。私が子供を残して少しの間だけ外に出ている間に……」
そう言うと女は家に入ろうとした。
「だめです!」
「どうしても止めるのなら、あなたが代わりに私の坊やを助けて!」
「あの中には誰も入れません。消火隊が来るのを待つしかありません」
ラウレスが厳しい口調で言った。
「そ、そんな……」
女が泣き崩れた。
「マチルダ」
僕はマチルダを呼んだ。
「なに?」
「この人のことを頼む。捕まえていてくれ」
「分かったわ」
マチルダが女の腕をかかえるようにした。
僕は到着した消火隊のもとに行った。
「子供が中にいるんです。救出して下さい」
消火隊の隊長が顔をしかめた。
「無理だ。これだけ火が回ってしまっては中に入れない」
「では、あの家をただちに消火することは?」
「それも不可能だ。我々ができることは延焼を防ぐことだけだ」
「分かりました」
僕は消火隊の隊員から水の入ったバケツを奪った。
「何をする?」
「子供を救出にゆきます」
「何を言っている、お前も死ぬぞ。それに火よりも恐ろしいのは煙だ。消火隊の隊員でも無い素人は引っ込んでいろ」
僕はそれを無視して、頭から水をかぶった。
もちろんそれはパフォーマンスだ。何もしないでいきなり火炎の中に飛び込んだら、いくらなんでも不自然すぎる。
僕は黒煙を上げて燃え盛る家に近づいた。
「誰かあの男を止めろ。自殺行為だ」
「ケイス!」
後ろからマチルダの叫ぶ声がした。
僕は無視して索敵魔法を発動した。魔力を薄く伸ばすようにして自分のいる中心から周辺に感覚を広げてゆく。
(いた!)
家の奥に生命の反応があった。
(まだ生きている)
僕は子供のいる場所を確認した。
背後からはマチルダが子供の母親を隊長に任せて、僕を止めるために駆け寄ってくるのが索敵で分かった。
それより早く僕は燃え盛る家の中に飛び込んだ。
「ケイス――」
マチルダの絶叫が響く。
マチルダは果敢にも僕の後を追って火炎の中に入ろうとしたが、消火隊の隊員に3人かかりで止められたようだった。
僕は魔法でアイスシールドを全身に貼った。本来は火炎魔法を防御するための魔法で通常は盾のように平面のシールドを展開するが、僕はそれを全身にまとわせるようにして貼り付けた。
次に風系の魔法で、自分の顔の周りに小さい竜巻のようなものを作り、顔の周りの黒煙を排出して、黒煙を吸わないようにした。さらに敏捷性、物理的耐性アップの間接魔法を自分にかけた。
すぐに家の奥の部屋に着いた。
寝台に幼児が寝ていたが、すでに体の大半が焼けただれていた。黒煙も吸っているようで肺が汚れていた。生命が失われる寸前の状態だった。
僕が上級の回復魔法を唱えると幼児の火傷と肺の損傷が回復した。
すかさず幼児に自分と同じようにアイスシールドを全身にまとわわせ、黒煙を吸わずに呼吸ができるように風魔法を顔の周りにかけた。
僕は幼児を抱きかかえた。
すると、侵入経路である玄関からこの部屋までの建物の一部が燃え落ちた。
その中を抜けて出てゆくのはためらわれた。
反対側の壁を見た。
窓の向こうは裏庭が見えた。すぐに外に通じていた。
僕は無詠唱で壁に向けて火炎の魔弾を打ち込むと、大きな穴が開いた。
僕はその穴を抜けて外に出た。
裏庭には火はまわっておらず、消防隊員もまだ来ていなかった。
幼児を下ろすと、注意深く観察した。
服は半分燃えて、体中煤だらけで真っ黒だったが、どこにも火傷はなく、肺も無事だった。
僕はアイスシールドを解くと、裏手からぐるりと回って正面の47番通りに戻った。
家は火事で半壊して、正面の玄関のあたりは完全に燃え落ちていた。
子供の母親と何故かマチルダが道に膝を突いて泣いていた。
その周りを遊撃隊の隊員と消火隊の隊員が、辛そうな顔をして囲んでいた。
集まっている野次馬たちがざわついていた。
通りがかりの人が野次馬の一人に何があったのかと訊いていた。
「子供があの家の中にいて、治安部隊員の一人が助けようと飛び込んで戻ってこないそうだ」
「もう助からないな」
「ああ、絶望的状況だ」
僕はその横を抜けて子供の母親の方に向かった。
野次馬たちが幼児を抱きかかえている僕の姿を見て、まるで幽霊でも見たかのようにギョッとした顔をして道を開けた。
「この子が、あなたのお子さんですか」
僕は地面に伏して肩を震わせて泣いている女に声をかけた。
女は驚いて顔を上げた。
「そんな……。トニー、トニーなの」
女は僕から幼児をひったくるように奪った。
「こんな姿になって……」
女は焼けた服の切れ端をまとい煤で真っ黒になった子供を抱きしめた。
「ごめんね。みんなママが悪いの」
するとトニーが泣き声を上げた。
女はびっくりした顔をしてトニーを見た。
「まさか、そんな。生きて……いるの?」
女はトニーの体を調べた。
「こんなことって……。ああ、神様」
女が大きな声で泣いた。
「大丈夫ですか。すぐにお子さんを病院に運びましょう」
ラウレス隊長が言った。
「それが、無事なんです。火傷ひとつないんです」
女が歓喜の表情で言った。
ラウレスが怪訝な表情で僕を見た。
「いや、すごく運が良かったです。奥の部屋にはまだ火が回っていなくて」
「でも、どうやってあの家から脱出した?」
「火の回っていない裏庭の方の窓を割って脱出しました」
「そうなのか」
ドド―ンという家が潰れる音がした。火事で家が全壊したのだ。
(僕が飛び込んだ時、奥の部屋がどうだったかの証拠はこれで何も無い)
殺気のような気配を感じて振り返ると、頬に平手が飛んできた。
ピシャリという音を立てて頬を打たれた。
「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!」
マチルダだった。
そして、マチルダは泣きながら僕に抱きついてきた。
僕はどうしてたらいいのか分からなくて、ただ佇んでいるしかなかった。
(父さんや母さんたちから学んだ暗殺術で、子供の命を救えてよかった)
そんなことを僕は考えた。
(でも、マチルダはどうして怒って、そして今度は泣いているんだろう)
普通の暮らしというのはまだまだ分からないことだらけだった。
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