暖かな雪と眠りと祝福と。
よろしくお願いします。
いつも誤字報告ありがとうございます。
本当に助かっております。、
「ほら、あの方また……」
「いやぁね。卑しいわ」
芽吹の季節を迎え、様々な生き物たちが目を覚ます。彼女が生まれた土地では、芽吹と実りの季節の訪れは遅く短い。訪れと同時に、眠りの季節に向けて保存のきくものを仕込まなくてはいけなかった。
(だって性分なのよ!……それにこんなにも美味しそうなフゥの芽があるのに……)
この時期だけ得られるフゥの芽。大きくなると大層な見た目になり、非常に苦味が強く食べれたものではない。しかし芽が出たばかりの葉が開きかけ、贅沢をいうなら雪の下から掘り出した葉が全く開いていないもののあの柔らかさと甘さと美味しさと言ったら………。保存はきかないので、旬の物として皆で美味しく頂くものだった。
(いけない。想像だけで涎がでてしまうわ。……私が収穫しないとそのまま大きくなってしまうじゃない。もったいないわ!!)
本当はこれを故郷に送りたいが、まだ故郷は雪に閉ざされており、そこまで行く馬車が出ていない。だからありがたく彼女が頂くのだ。
ただそこら辺に生えている野草を摘み、食す様子は貴族である彼女の同級生達には異端に見え、卑しい、見窄らしいと日々罵られてしまう。
「ここのお食事は舌にあわないのかしら?」
「ここのお食事は人間の物ですから、猿の舌には……」
「まあ!確かにそうだわ。獣にはあわないかもしれないわねぇ」
(耐える。耐える。辺境の皆の期待に応えないといけない。ここでたくさん勉強して帰る。家族のため。領民のため)
彼女の名前はイゾルダ・シュルツ。最北端の領地を治める辺境伯令嬢。そして彼女は雪の女王と季節の一柱に愛されていた。
***
この国の秘境ともいえる最北端を治める辺境伯の令嬢は、とても変わっていた。その変わり具合は、同級生にはとても受け入れ難いものだった。そして過敏な年頃の少年少女達は、その一風変わっている少女を異端として扱った。
「あー、なんか臭いなぁ」
「確かに青臭いな」
「雑草が近くにあるのか?匂うな」
「「確かに」」
貴族令息らしからぬ物言いで、あえて、イゾルデに聞こえるように話して去って行く。
(……そんなに臭いのかしら……)
日々の嫌がらせに心が落ち着くはずもなく、疲弊するばかりだった。
それでも野草摘みがやめられないのはこれが一番落ち着くからだ。美味しそうな実りをありがたく頂戴して、部屋に併設されている小さなキッチンで少々手を加えるだけで、美味しいものが出来上がる。先ほど収穫したフゥの芽も、いくつかは捧げ物として精霊や神に捧げ、残りは油で揚げ炒めて間食にするつもりだった。
(あー、もう少しするとフデが大きくなる。あれはえぐみがいい。……量は食べられないけど。コルも茹でて水につけておこう。こちらのものは小さいけど悪くはない。食べ応えはないけど。たくさん取れたら送ってもいいかな。果物ももう少し暖かくなったらそろそろかなー。あの赤くて甘い実は日持ちしなさそうだから美味しくいただいてジャムにしようかなー。あの酸っぱいのも青いうちに収穫して送ろうかしら)
現実に目を向けても良いことはないので、楽しいことを考える。それでも限界は近いことはわかっていた。
(……領地にいた時の冬籠りは、辛いけど楽しかったなぁ。皆で助け合って準備して……。お父様やお母様は将来のためここに通えっていうけれど……。学園に来てもライ様にもそんなに会えないし……)
去年は帰省するな、と言われ、やむを得ず婚約者のライナーの元へと身を寄せてはいた。だが今年は帰ろうか、帰って英気を養って戻るか戻らないか決めてもいいのかもしれない、そんなことをイゾルダは思い始めていた。一度思い始めると魅力的に思えてしまう。
(ダメ元でいいから家に手紙出して、思い切って実りの季節には休学届でも出して一年休んでもいいかしら?魅力的だわー)
そんなことを考えながら授業に参加していた。だから周りのことが目に入らず、相手の思惑通りになってしまうのだった。
今は魔法の実演授業の一環で、グループ毎に分かれて学園の敷地内にある森へ行き、精霊から祝福をもらう課題を行なっていた。
精霊から祝福を得るのは非常に簡単である。小さな精霊であれば、その精霊が何を司り何を好むのかを調べて祈りとともに貢物を捧げれば良かった。精霊毎に決まりがあり、それを行えば良いだけだ。ただ禁忌がある。それを犯すと例えちいさな精霊であっても、数による報復やその上位精霊による報復がある。それは小さな怪我レベルから小さな村や町、国すらも簡単に潰されるレベルのものまであった。そしてそれらは精霊の気まぐれで変わるものでもあった。だから精霊の禁忌は何が起こるかわからず、尚且つ国が滅ぶ危険性もあるため、禁忌とされていた。
「……ねぇ、本当に報復ってされるのかしら?」
「聞いたことはあります。非常に恐ろしいものだとか……」
「見たことはあって?」
「……いいえ、聞くばかりで……」
「ええ、聞く話が恐ろしいものばかりですから、実際はどうなんでしょう?」
イゾルダがこの話を聞いていたのであれば、すぐに止めただろう。ただ彼女は現実逃避をしており、妄想のただ中にいたので、同じグループの同級生が不穏なことを言っているとは思わなかった。
***
精霊の禁忌はその精霊によって異なる。木の精霊は根を意図的に剥き出しにされるのが禁忌であるし、お皿の精霊は舌で舐めることを禁忌とする。今回は水の精霊から雨よけの祝福を貰う授業内容である。水の精霊の禁忌は、水の汚染である。毒や鉱物汚染ではなく、魔術汚染。順序を踏んだ呪いならば良いが、悪意ある汚染は報復対象であった。
「少しだけやってみましょうよ」
「……だ、大丈夫かしら」
「……やめたほうがいいと思うわ……」
「意気地が無いわね。何かあればあの野蛮人のせいにしたら良いのよ。彼女、人間の言葉わからなそうでしょ?」
「……ど、どうなのかしら……」
「…………」
「あの野蛮人なんて精霊も何もわからないわよ。いつも草ばかり食べてるじゃない」
そして学生達が集まっているきれいな小川へと辿り着いた。
「……ねえ、やめましょう」
「私もやっぱり……」
「何よ貴女方。たかが小さな精霊よ。報復されても大したことないに決まっているわ」
「そうよ、問題にすらならないわよ。なっても問題ないしね」
そう言いイゾルダのほうに視線をやる。
「じゃあ行くわよ」
そう言い、グループメンバーの一人が水を汚染させて行く。極々僅かな量だ。
「……ふふ、なーんだ。何も起こらないじゃない。大したことないわね」
「……私ドキドキしているわ」
「大丈夫よ!!やっぱり何でもなかったのね!」
「………よ、良かったぁ」
しかし、彼女達がいくら捧げ物をして祝詞をあげても、水の精霊が祝福をあげることはなかった。
***
(何か変)
それに気づいたのは、あの魔法実技の演習から一週間経ったくらいだった。
(……何か変、おかしい)
イゾルダが気づいたのは、森の実りが明らかに減っているからだった。それも病気によるもので変色したり腐っている物が明らかに多かった。ただその病気もイゾルダが見聞きしたことのないものだった。
そして体調不良を訴える学生も多くなっていった。
(すぐにライ様に手紙を出して、あとは先生にも話を……)
そう思った瞬間、空気が震えた。
そして空を見上げると明らかに不機嫌な水の上位精霊がいた。
『我は待ちくたびれた。禁忌を犯した人間に通告する。犯した罪を告白せよ。刻限は半刻とする』
わかりやすい通告だった。この学園の中に水の精霊の禁忌を犯したものがおり、水の上位精霊は犯人が自ら謝罪するのであれば許そうと言っていた。
(温厚な水の精霊を怒らせるなんて……。国一つ滅んだ話を知らないのかしら)
いつもは穏やかな水の精霊は禁忌を酷く嫌う。今回は恐らく子どもが行ったことと量も僅かだったことが良かったのだろう。怒りながらも丁寧に通告しに来てくれたのだから。
(朝露で機嫌とれないかしら)
イゾルダは簡単な祈りの場を作り、今朝方採れた朝日と月光を浴びた朝露を捧げた。
『お主、なかなか殊勝な心がけだが、お主がやったわけではなかろう』
「はい、精霊様。これは賄賂でございます」
『ははっ賄賂か。では受け取ることはできぬ。小さきもの達に与えてくれ』
祈りの場に小さな姿で現れた水の高位精霊は、賄賂では許すことはできないとすぐに姿を消し、周りには小さな水の精霊達がやってきていた。
「ふふ、はい、どうぞ。下賜されたものだから皆で分けてね」
キーキー、キャーキャー言いながら朝露を皆で分けて行く姿を微笑ましく見ていると、慌てたように教師がやってきた。
「イゾルダ君、ちょっと話があるんだが来てくれるか」
「……それはここでは話せないことですか?」
「あの水の精霊の件だ。……学生達が君がやったと言っているんだ」
「やってませんよ?」
「その祈りの場を見ればわかる!収拾がつかなくなってるんだ。とりあえず君も来なさい。……これまで逃げていたことにケリをつける良い機会ではないか?」
「……ケリはつけなくてもいいです。もう休学しますから」
「ライナー様が悲しむ」
「…………もう辛いんです。先生」
後もう少し卒業まで頑張りたかったが、もうこれ以上は我慢できなかった。頑張れなかった。誰かのためではなく自分のために何かをしないと、息ができなくなりそうになっていた。しかも禁忌を犯したのはイゾルダだと言っていると。辺境出身の彼女は、精霊と馴染み深く決して禁忌を犯すことはなかった。もしイゾルダが禁忌を犯すとしたら、それはそれは徹底的に容赦無くやるだろう。
「あ、いたわ!!貴女早く謝りなさい!!!」
急に耳に入ってきたキンキン声が頭に響く。
「貴女が何か変なことをしたのを知っているのよ!貴女でしょう!?あの精霊を怒らせたの!」
「……私ではありません」
「早く謝りなさいよ!!」
キンキン声で叫ぶ同級生の後ろから、学生がぞろぞろと付いてきており、ひそひそと小声で何やら話している。
「あー、あの野蛮人何も知らないからやっちゃったの?」
「言葉がわからないからかー」
「さっさと謝ればいいのに」
「何ぐずぐすしてんだよ」
心無い言葉が弱くなった心に突き刺さり、もうイゾルダは限界だった。
「私ではないのに……。どうして、どうして信じてくれないの……」
「嘘だからでしょう!?本当のことを言いなさいよ!!」
キンキン声で叫ぶ彼女は、禁忌を犯したことで上位精霊が現れるとは思わなかった。今まで聞いたことは真実だったのか。国が滅んだとか街が流されたなんてただの誇張だと思っていた。水の精霊がキーキー騒ぐ程度か何も起こりはしないと思っていたのだった。
『ふむ。認めぬか。さらには罪をなすりつけようとは……。仕方あるまい。祝福をやろう。雨の祝福じゃ』
祝福と聞き生徒は皆一瞬ほっとするが、教師達とイゾルダは違った。
「申し訳ございません!!我々の指導不足でございます」
「今回のこと、主犯とその一族ともども謝罪に参らせます」
「朝露だけではなく、月光を浴びた世界樹の葉から採れた朝露も進呈させていただきます」
『其方達の気持ちはよう伝わったが、見当違い甚だしい。祝福は与える。違えることはない。後は禁忌を犯した者達次第』
そう言い姿を消した後、しとしとと雨が降り始めた。
***
すでに一月近く小雨が降り続いていた。太陽が差し込むこともないので農産物の収穫が落ち込み始め、川の増水、崖崩れ、病の流行の兆し、それらが気になり始めていた。
国の騎士団や兵団、地方領主達の私兵達が被害をおさえるために奔走しているがそれも限界になっていた。
学園での出来事は、国家機密扱いとなり決して外に情報が漏れることのないように、学生、教員全員に魔術契約を結び、情報を中に封じ込めた。
そして禁忌を犯した彼女達は、未だに口をつぐみ、イゾルダを犯人扱いしようとしていた。何となくではあるが、イゾルダが犯人ではないと皆が思っている。イゾルダを犯人扱いしている令嬢達ら比較的高位の身分のため、あまり声高に指摘もできない状況となっていた。
パアァァンッ
イゾルダは頬に平手打ちを受けて、その勢いのまま廊下へ倒れ込んでしまった。
「貴女!私が犯人だって言うの!!?」
「……私は可能性の話をしただけです」
イゾルダは休学しようと思っていたが、生憎のこの小雨。これにより馬車が最北端まで行かなくなってしまい、計画が頓挫してしまった。そのせいか、イゾルダの胸中は振り切れてしまった。良いのか悪いのか、この小雨で収穫も滞りストレスが溜まりに溜まり、イゾルダに話しかける人全てに噛み付いていた。そのおかげかあんなにあったいじめもほとんど鳴りを潜め、孤独には変わらないが快適な生活を享受できるようになっていた。
ただやはりかのご令嬢達は何も変わらなかった。ただ今までいた見物人達も息を潜めて現状を見守るしかなかった。
「貴女、良い加減になさい。私があえて謝罪の機会を与えていると言うのに」
「そちらこそ水の精霊の言葉を聞いていなかったのですか?この事態を引き起こした者達が謝罪をすればいいだけです」
「それが私だって言うの!?」
「そんなことは言ってません!」
彼女達も大なり小なりの罪悪感を抱えていた。謝罪で許されるのなら謝罪してしまいたい、と思ってる者もいたが、主犯格のご令嬢が頑なに拒んでいた。
「貴女、身分が下の分際で私に楯突くとは……。お家取り潰しも覚悟なさい」
ご令嬢がイゾルダを脅しているところに、野次馬たちがにわかにざわつき始めた。
「へー、たかが侯爵家のご令嬢が陛下お気に入りの辺境伯を取り潰しにできるなんて初めて知ったよー」
「なっ………あ、あなたは……っ」
この聞き慣れない声が誰のものか振り返り、ご令嬢は驚いた。ここにはいないはずの人だからだ。くせっ毛のプラチナブランドに空色の瞳。それはこの国の第二王子、ライナーだった。
そしてそれはイゾルダの婚約者の名前でもあった。
「もー、この雨大変。髪が余計にぼさぼさだぁ。イディはどう?」
「ライナー殿下。まずご挨拶をさせていただけませんか?」
「イディ、そんな堅苦しくなくていいのに。学校はどう?」
「ぼちぼちです」
「えー、大変って聞いてるのに何言ってるの!今回の騒動の元凶のニーマン侯爵家とシュリーマン伯爵家、ヤンセン、メンガー両子爵家に略式起訴をして、強制的に謝罪させようかと思ってね。執行官も連れてきたよ」
何だか大変なことになったと思い、かのご令嬢達を見ると顔色が真っ青となり子爵家のご令嬢達はガタガタと震えていた。
「もー、学生だから良かったねー。卒業していたら一族郎党首を落とされていたからね。気をつけてね」
かと言って何も罰を与えないことはなかった。彼女達は卒業後はしかるべき修道院へ入る予定となっていたし、現当主達は病気療養となり、親戚筋から当主が選ばれることになっていた。
「で、殿下、しかし、その、私達がやった、わけではなく、そこの……イゾルダが……」
「んー、ごめんねー。イゾルダは僕の婚約者でね、護衛がついてるんだ。だから彼女が何をしていたのかしていないのかは王家が保証できるんだ。それで?なんだろうか?イゾルダが何?」
にっこりと微笑む王子の顔は人好きのする顔ではあるが、目が笑っておらず額に青筋が浮かび、口元も僅かに引きつっていた。
「…………い、いえ。イゾルダ様は何も………っ。私達がお、行いました……」
「あー、よかった。僕は手荒なことは嫌いでね。でもほら、彼らね。執行官はね、決められた通りに動く人形だから。君達が謝罪しないってなったらね。ちょっと傷がついちゃう可能性もあったから。君達、心はちょっとあれだけど見た目はまあ、悪くないから。傷つくと大変でしょ?治りが悪いと余計にね?」
執行官はライナーの言う通り、魔法生物で、特定の契約魔法の元その執行にのみ従事する。本来であれば屋敷内の物品の押収や証拠品探しなど、できる限り人が関わらない場面での運用で活躍ができるものだった。何度か人が関わる場面でも活用してみたこともあったが、残念ながら非常に多大な犠牲を伴ってしまい、中止せざるをえなかった過去がある。
それを殿下が令嬢たちに謝罪をさせるために持ってきたと言う。
つまり言外での死刑宣告と同等であった。
「イディ、水の精霊を呼べる?」
「やってみましょう」
イゾルダは雪の女王と季節の一柱に愛されている。そのおかげか、精霊達と縁を結びやすく、好かれやすい。
イゾルダは簡単に水の精霊を呼び出す祭壇を作り、言葉をかけると水の上位精霊が召喚された。
『可愛い子。美味しい朝露は対価として頂こう』
「水の精霊様、私の呼びかけに応えて下さりありがとうございます。先日の件でお話がございます」
『なんだ?あやつらは謝る気になったか?』
水の精霊はわかっていながらも確認する。
「謝る気にさせました」
『ん?二番目か?なんでここにおる?お前がいると血生臭くて仕方ぁない』
「仕方ありません。彼女達は、国を滅ぼしかけましたから。皆は学生だから温情を、というが、あと何ヶ月かで卒業です。一族郎党の首を貴女に捧げたいくらいだ」
『ごめん被る。そんなのは嬉しゅうない。いっそ全て水に流したほうが良いのではないか?綺麗になるぞ?』
「それはなかなか面倒だ」
水の精霊とライナーのやり取りは、あまりにもはらはらさせられるものだった。精霊によってはそれだけで祝福を与えられるやりとりだからだ。
『それで誠心誠意謝ると?』
水の精霊が今回の出来事を起こした令嬢達をみると、彼女達は顔を青くしながらも否定した。
「私達がやったわけではないのよ!彼女が……っ」
『二番目の時と態度が違うのう。舐められてるのか?まあ、よう、わかった。反省はしていなさそうだな。お前も大変よのう?こやつらの上に立つのも骨が折れそうだ』
「……祝福の重ねがけか」
『我は優しいほうじゃ。感謝するが良い。猶予はあるものにしよう』
そう言い残し水の精霊は去って行った。以降はイゾルダの呼びかけにも応じず、交渉の余地はなかった。
「……殿下、黒い雨です」
「はぁ……。参ったな。そこのご令嬢達は城へ連れていけ。国家反逆罪だ」
ライナーが連れてきていた執行官に彼女達の連行を命令した。
「お、お待ちください!ライナー様!!」
「不敬だ。名を呼ぶことは許していない」
「し、しかしながら彼女は……!」
「いいんだよ。イディは私の特別だからね」
何やら叫びながら令嬢達はひきずられて行った。
「殿下、これは毒の雨です。ただ温情なのか……非常に弱い」
「有難いのか何やら……。すまないが頼めるか」
「承知しました」
イゾルダは雪の女王と眠りの季節の王を呼び出すための場を作り上げ、祝詞を捧げていく。
『何と無様な』
『…………スー、スー』
一人は異様に白い髪と肌、全身に白い甲冑を見に纏った雪の女王、そして安らかな寝息を立てているのが眠りの季節の王。
「このような荒れた場に呼び出して申し訳ございません。ただ、この雨を収めてほしく……。贄は万年雪の下のフゥと無垢な乙女が作ったムートンの枕はいかがでしょうか?」
『我は贄は不要じゃ。全く不甲斐ない婚約者だ』
『枕いる……。スースー』
まずは眠りの季節の王が毒の効果を無効化した。そして雪の女王が雨を雪に変え、そして溜まった水を雪と氷に変えていく。
『しばらくは溶けないようにしている。後始末はしらん』
『………おやすみ。早く戻ってきてね……』
季節の一柱は早々に退散し、雪の女王はイゾルダの側にいった。
『全く愛らしいお前を放って仕事とは情けない。しかもこの体たらく』
「言い訳のしようもなく……」
雪の女王がライナーに軽くイゾルダの待遇に不満があることを伝える。
『早く帰ってこい。皆待っている。お前には雪と氷が似合う』
優しく頬を撫でられイゾルダはその冷たさを心地よく思う。
『これ以上は花と南風に迷惑がかかるからな。まっているぞ』
そう言い残し雪の女王も姿を消した。
「イゾルダのおかげで助かったよ……」
「ライナー様のお役に立てて嬉しい限りです」
事の顛末を見届けていた同級生達は顔色を失っていた。自分達のストレスを発散させるためにこきおろしていた、田舎から出てきていた令嬢が王子の婚約者とは思ってもみなかったからだ。
王族の婚約者は婚約式を大々的に行うことで周知されるが、第二王子のライナーは今後婿養子に出ることが決まっているため、王族として婚約式を行うことはなかった。内々にはイゾルダの婚約者として、今後辺境伯の跡を継ぐことは決まってはいた。それをお披露目するかどうかは、辺境伯一族と本人達の意向で、と王族側から伝えられてはいた。そのため皆の話し合いの結果、特にイゾルダの強い意向もありお披露目はせずに婚約、卒業と同時に結婚という流れにはなっていた。
「今まで本当にごめん。義父上に殴られそうだよ……」
「その時には躱してクロスカウンターです」
「……そんなの無理だよー」
「何かあったら逃げましょう?森の中でなら生活できますよ」
「そうなったら猟師になるよ」
「楽しみですね」
しかも仲がとても良さそうだった。早い者は自分の身の振り方を考えるべくその場を去っており、いまだに動く事ができない者が多かった。
「………もう手回しはしているから今更どうしようもないのに」
「何か言いました?」
「いいや。もう少しで結婚して辺境に向かえる事が楽しみなんだ」
「ふふ、寒いですよ」
「知ってる。初めて行った時は大変だった……」
「手足が凍傷だらけで。小さな子どもみたいでした」
「もう、それ未だにみんなに言われて……。また行ったら揶揄われるんだよなー」
ライナーはイゾルダに御執心だった。だからイゾルダのことを面白がり、心無い言葉を投げかけ、物の破損、紛失に関わった者達はすでに調べ上げており、ライナーの名で其々の家に処分が言い渡されていた。当人達が知るのはもう少し先のことだが、ライナーはイゾルダのことを相当愛しているので、こればっかりは手心を加える事ができなかった。
「今度行く時にはハシの実をたっぷりと食べるんだ……」
「ビービーは?」
「……ジャムで食べたい」
「季節の一柱から毛糸を貰えたら手袋と帽子を編みますね」
眠りの季節の一柱から得る毛糸は、暖かく決して濡れて冷えることのない代物だった。
「イゾルダ、愛しているよ。面倒な仕事はもう無いから。早く結婚してしまおう」
「ふふ、それもいいですね」
「……学校行けなくなっちゃうよ?」
「卒業したかったのが本音ですけど、今はまあ、どちらでもいいかなーという気持ちです」
「…………ごめんね。近くで守れなくて」
「選んだのは私です。気になさらないで」
「陛下や辺境伯とも相談する。その間少し休んだら?城に部屋を準備するよ」
後数ヶ月ではあるが、嬉しい提案ではあった。もう少しで雪が降り帰ることもままならなくなってしまう。今回のことで過ごしやすくなるかもしれないとは思うが、その分煩わしさも増えそうだった。
「社交はしなくてもいいし、イディは好きなことして過ごしていればいいし?」
「私、ライ様がいないとダメ人間になってしまいそう」
「!!いいよ。ダメ人間になってもいいよ?ずっとお世話したい。許されるなら色んなお世話だって……」
ゴッホンと、ライナーの侍従が咳払いをした。これ以上この話題を掘り下げることは、イゾルダに恐怖を抱かせてしまうだろうし、下手すると婚約解消にもなりかねなかった。
「じゃあ、今日のところはこれで」
「はい、ライナー様。ご機嫌よう」
二人はそこで一旦別れた。イゾルダは学園内の様子を見に、ライナーは今回の後始末のため。
***
温かい雪が降る。
雪解けも近い。
イゾルダは、卒業を待ってライナーとともに辺境へ帰る予定だ。
あの後、人海戦術で雪と氷を魔法で蒸発させながら、毒の被害を確認して解毒作業を行っていった。雪が溶ける頃にはなんとか作業が全て終わった。
そしてイゾルダに心無い言葉をかけたり、嫌がらせをしていた学生達は一人残らず、自主退学をして去っていった。
かのご令嬢達は国家反逆罪として主犯の侯爵家、伯爵家は取り潰され、令嬢らは毒を勧められた。二つの子爵家は当主交代の後、領地にて病気療養となった。ご令嬢達は厳しいと噂の修道院へ入ったという。
イゾルダとライナーは、辺境に戻ったら結婚式の準備をして、雪が降り始める前に挙式の予定だ。
「あ、雪だ」
温かい雪は春が近い証拠。冬の精霊は恩恵は少ないが、豊かな実りのためには、眠りにつくことは必要なことだった。北の辺境の人々は知っている。だから、実りを大切にして眠りの季節に備えて準備をする。
「暖かいね」
「そうだね」
雪解けが近い。雪の下からは少し早いフゥの芽が顔を出している。
「これ美味しいんですよ。ちょっと待っててください」
「雪の女王の好物だった?」
「冷たい雪の下から健気に芽吹くのがたまらないって。あと柔らかくて美味しいって」
供物には好物を捧げると、精霊達は喜びそれは祝福という形で皆にもたらされる。
眠りから覚めた命は、実りをもたらす。時折怒り狂った精霊は容赦無く皆を打ち据えるが、先人達が対策を講じており皆で協力して乗り越えてきた。
次の眠りの季節にはきっとライナーと結婚しているだろう。そしてその前には領地を治めるための勉強も始まる。王都にはほとんど来ることもない。
優しい婚約者とならどんなことだって乗り越えられる。今回も挫けかけたけど乗り越えたのだから。経過は色々あったけど、結果は何とかなったのだから。
「殿下、温かい雪が降ると雪溶けはもう少しですよ」
「んー、じゃあもうすぐで雪溶けかー」
「皆が起きてきますね」
「起きるのはいいんだけど、変なモノも起きるからな」
「まー、確かにそうですね」
二人は辺境に帰り領地を治める勉強を始める。それをよく思わない者、美味い汁を吸いたい者、王太子をよく思わない者、そういった者達の思惑が絡み一悶着以上の騒動が起こるが、それはまた別のお話。
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フゥ→ふきのとう
フデ→つくし
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