黒炭弁当………………………………50mg
沖春中学校。
授業終了のチャイムが鳴る。
「ウエストミンスターの鐘」などという大層な名前があるけど、このメロディはそんないいものじゃない。授業が始まるときもこの曲だから、学生にとっては地獄の授業時間を知らせるチャイムだ。
一方、授業が終わる時にも同じ曲がかかる。その時は始まる時の絶望感とは打って変わって、皆心が解き放たれたように喜ぶ。しかし、その10分後にはまたチャイムが鳴る。今度は絶望の意味を伴って。
そんなチャイムも今ではその役割を失っている。なぜならば、チャイムが鳴って授業時間はもう終わったはずなのに授業が終わらないから。
その元凶である先生は全く悪びれる様子もなく、授業が終わる気配すらもない。
現在は数学の時間だけど、チャイムが鳴る寸前、「あと一問」と言ってから数分が立ち、問題の解説はまた半分も終わっていない。
早く終わらないかなー?
そう思っていると、先生がチョークを投げた。
「もうええわ。次の時間にもっかいやるわ。ほんじゃ、授業終わり。すまんなー」
とだけ言うと、流暢な関西弁だけを置いて、挨拶もせずにそそくさと帰っていった。
先生が居なくなった教室はさっきとうって変わって騒がしくなる。
女子も男子も席を離れ、友人同士で集まり会話しだし、あるものは空き教室で昼ご飯を食べるために先生に続いて廊下に出て、またあるものは机を集めて弁当を広げだす。
一方、その流れの中で未だ静かな者もいる。二人しか居ないが。一人は自席で弁当を広げ出す男子だ。その男子が食べ始めた所、二人が寄ってきて一緒に食べ始める。
そして、残されたもう一人というのが、私こと、羽衣紡希だ。
私は弁当の結び目を掴み上げて、カバンから取り出す。同じように一人で弁当を広げ始める……訳では無い。
弁当を持って椅子から立ち上がると、そのまま教室の扉の方へ。少しばかり力を入れないと開かない扉を引いて、廊下に出た。
「紡希ちゃん」
廊下の窓側から私を呼ぶ声。
「遅かったね」
廊下の壁に寄りかかっていた可憐な少女が可愛らしい晴れた笑顔を見せた。
「数学の授業がちょっと長引いて」
と、目の前にいる絆に答える。
絆は、大変だったね、と笑って
「それじゃ、行こっか」
つま先を廊下の先に向けた。
…
絆と一緒に廊下を歩く。向かうのはいつもお昼を食べる所。
「この頃の私達、すごく頑張ってるなって思うんだ」
その言葉に、私は最近のことについて思い出す。
最近の大きな出来事といえば、やはりメデューサ戦のこと。最近と言っても、もう一ヶ月前のことになるのだけど、昨日のことのように思い出せる。
あの戦いでは、得たものが大きかった。主に自分の心に関することなのだけど。
絆は最近の一例をあげる。
私と同じくメデューサのことだ。
「一番は、メデューサと戦った時。あの日の夜は死神と戦ったり、街中を行ったり来たりしたね。1日だけで1年分の働きをした気分だったよ。それで、全部終わって帰った時、すぐにベットで寝ちゃった」
「私もだよ。次の日の昼まで寝ちゃってた」
絆は、お寝坊さんだね、と言って笑う。
笑い過ぎじゃないかな、と思うほど笑った。
「ごめんなさい、おかしくって」
と、謝ってもまだ笑っている。ひとしきり笑ったあと、絆はトンネルの開けた先で出会った少女のことをふと思い出した。
「そういえば。花音さん、元気でやってるかな?」
「もう一ヶ月になるね」
そう、花音と分かれたのも、同じく一ヶ月前。メデューサ戦のすぐ後のこと。
それ以降は連絡も取ってないし、もちろん会うこともないから、彼女について何も知らない。今、どこ で、何を、しているのかも何も知らない。
でも、強く思ってる。
「きっと、元気でやってる」
私の言葉に絆は窓の外のどこか遠い所を眺めながら、つぶやく。
「そうだね。花音さんは強い娘だから、今もずっと元気で頑張ってるよね……」
私も絆越しに窓の外を眺める。
葉は落ちて、草は枯れた冬の季節だった。
「……私達も頑張ろう」
私はゾンビ戦に向けて静かな決意をした。
…
いつもお昼を食べている楠の下に辿り着く。
吸い込む息は冷たく、風が葉を落とした枝を揺らしている。
夏には影を作っていたいつものベンチには陽があたっている。
いつもならば、玲奈や蒼がそこに座っていて紡希たちを待っているのだが、そこには蒼しか座っていない。
「あれ? 蒼ちゃんだけ?」
「うん。玲奈は風邪で休んでる」
「そうなんだ」と相槌を打つ絆の横で蒼の弁当がいつもと違うことに気がついた。
「その弁当どうしたの?」
「蒼が自分で作った!」
蒼の手元にある弁当箱の中身は食べ物というべきかわからないくらい黒焦げた炭のようなものしか入っていない。
「そっ、そうなんだ……」
「えっと……。これは、何?」
「これ?これは野菜炒め!」
無邪気に答える。
それに、「たはは……」と絆は苦笑する。
蒼は野菜炒めだという物体を口に運んだ。
見るからに食べられそうにないというのに躊躇がない。
その結果は、思った通り蒼の表情には陰りが見えるものだった。
「……おいしくない」
蒼は見るからに落ち込んでいる。
自分の作った弁当をまじまじと見つめたまま黙り込んでいるほどで、しかも、目に涙を浮かべている。
絆は隣に座って、自分の弁当箱を広げる。それは自分で食べるためじゃなくて。
「蒼ちゃん、落ち込まないで。ほら私のおかずあげるから、ね?」
「ほんとうか!?」
思いもよらなかった提案に蒼は飛び跳ねる。
何かを思い出して、絆が「あっ!」と声を上げる。
「蒼ちゃんがいつも食べる量には全然足りないかも……」
弁当の中身は赤緑白と彩りよく盛り付けられている。が、蒼がよく食べる肉類は少なく、総量も少なめだ。
「蒼はいつももっとたべるぞ」
「いつもあまり食べないから……、ごめんね」
「絆はわるくないぞ。蒼がたべすぎるからいけないんだ。今日はがまんする!」
紡希も膝の上で弁当箱を開く。
「それじゃさ、私のもあげるよ」
「やったぁ!! これでいっぱいだ!!」
「ふたりにおねがいなんだけどな。玲奈のかわりに家事をやりたいんだ。
だから、放課後いっしょに来てくれないか…?」
蒼の切実なお願いに絆と紡希の二人は目を合わせあった後、うん、と縦に首を振った。
…
「それで──、ここが蒼ちゃんの家?」
目の前に立つ建物を見て、絆が尋ねた。
「ううん、ここは玲奈んちだぞ。蒼んちは隣。こっちだぞ」
蒼は首を振って、隣の一軒家を指さす。
「昔は家族みんなで住んでたんだ」
「“昔は”?」
些細な疑問を持った紡希が問い返す。
「今だれも住んでない。おかあさんとおとうさんは蒼だけ置いてどっか行っちゃったし、蒼は一人じゃせいかつできないから、玲奈んちで住んでるんだ。
だから、蒼んちはもう物置みたいな感じなんだ。夏服とかはあっちに置いとくんだ」
紡希は聞いて後悔した。
蒼の家庭環境には闇があった。その闇を無意識に探ってしまった時、なんと返答すればいいのか、奥底までを探ってしまって無為に相手を気付つけさせないようにと考えて、会話を続かせるための言葉が何も出てこない。
紡希が返答に困って、言葉を返せないでいると、誰もしゃべらない妙な沈黙が生まれてしまった。気まずい空気が三人の間に漂っている。
そこで、絆が空気を変えるように話題をそらす。
「確か、蒼と玲奈は昔からの仲なんだよね」
「そうだぞ。隣だったからな。しょっちゅう行ったり来たりしてたんだ。あと、合鍵も持ってる。蒼にとっては二つ目の帰る所なんだ」
蒼は合鍵を見せて、にかっと笑った。
玄関のドアを開けて、家の中へ。
蒼の手招きで玄関右側のリビングに入る。
「この上の部屋が玲奈の部屋だ」
蒼は玲奈を起こさないように小さい声で話す。
それに倣って、小さい声で返事をした。
「私達は何をすればいいかな?」
「じゃあ、さいしょは──」
と、蒼が言いかけたところでリビングの扉が開く。
「ちょっと、蒼。帰ってきたのなら、手を洗ってくださいよ」
扉を開けて入ってきたのは玲奈だった。
寝巻のままで、寝ぐせも付いていてちょうど今起きてきたという様子だ。
「皆…。来てくれてたのですね」
「体調は大丈夫?」
絆が問う。
「まあまあです。だいぶしんどさは抜けたのですが、まだ熱はあります」
「なら、まだ休んでなくちゃだね。家事とかは蒼と私たちがやっておくから、部屋で寝ててよ。あ、もしかして降りてきたのも何か取りに来たとかだった?」
「いえ、トイレと水を飲みに来ただけなので」
「水くらいなら、持っていくよ。他に何かいるものはない?」
「特に何も……、」
玲奈のお腹が鳴る。
「食欲はあるみたいだね」
おもわず突っ込んだ紡希に絆はくすりと笑って、
「何か食べやすいのを作るから部屋で待ってて」
そこにすかさず待ってましたと言わんばかりに、蒼が胸を張る。
「ご飯なら蒼が作ったぞ! 朝、弁当と一緒に作ったんだ!」
玲奈は感心して蒼の作った料理に期待を寄せる。
蒼は今まで食べる専門で、玲奈に食事を提供することなどなかったからだ。
「では、それをください」
「やったぞ! 蒼の料理初めて食べてもらえる! 玲奈!すぐ持っていくから、早く部屋に戻って待っててな!」
「嬉しいのはわかりましたから、少し声を抑えてください。頭に響きます」
「そ、そうか、ごめんなさい」
「楽しみに待ってますよ、蒼」
玲奈はリビングを出て、自室へと戻っていった。
だが、玲奈のいなくなったリビングでは
「だめだめだめ! あれを病人に食べさせるなんて正気の沙汰じゃないよ」
慌てて制止する。
その言葉に蒼は目に涙を浮かべ出した。
「一生懸命に作ったから…、玲奈に食べてほしくて。でも、あんな失敗した料理、玲奈は嬉しくないよね。本当はわかってた」
「あ、いや…。ごめん。そういうことじゃなくて、あの…、えっと…、」
蒼の突然の変わりように驚いて、言葉を紡ぎだせない。
紡希は蒼を貶したいわけではなくて、真剣に風邪をひいている玲奈の体には悪影響を及ぼすかもしれないと考えたからで、思った瞬間ストレートに伝えてしまった。
号泣する蒼と慌てふためく自分。そんな耐え難い空気となったリビングで、絆は仲裁に入る。
「もう一回作ってみようよ」
泣き腫らした蒼の顔を覗き込み、優しく提案した。
「あの料理もきっと玲奈ちゃんは喜んではくれると思うよ。
だから、あの料理でもだめじゃないんだけど。
だけど、なんというか─。そう!もっと素敵なもの作って、玲奈ちゃんのもっと喜ぶ表情見たいよね…?」
蒼はいまだ泣きっ面のまま、濁音の着いた声で「う゛ん゛」と頷く。
「たぶんそんなことを紡希ちゃんは言いたかったんだと思う。だよね?」
申し訳ない気持ちを込めて頷く。
「蒼、ごめん。言い方が悪かったよ」
「う゛う゛ん゛。つむぎ、わるくない」
「じゃあ、もう一度。今度は私と紡希ちゃんも一緒に。もっと素敵な手料理つくっちゃおう!」
「おー!」
声を合わせた三人は早速キッチンに向かった。
「それで何を作るんだ?」
調理台に手を置いてもたれかかる蒼が冷蔵庫を開けて中を確認する絆に尋ねる。
「そうー、だねー……」
冷蔵庫の中には、使えそうな材料が少ししかない。
「蒼ちゃん、冷蔵庫の中っていつもこんな感じなの?」
「いつもは結構入ってるぞ。ごはん作る時、いっぱい失敗していっぱい使っちゃったから全然ないんだぞ」
「そうなんだ……」
台の上に着いた手を支えにして足を浮かせている蒼が答えるも、絆の反応は薄く、どの料理がいいか思考するのに意識が向けられている。
「これ終わったら買い出し行った方がいい?」
今朝の蒼が洗い残していた食器を洗いながら、尋ねる。
「いいや、それは大丈夫だよ。玲奈ちゃんにはすぐ持っていくって言っちゃってるし、ある物で手早く作れるものにする予定だから。
でも、まだ何を作ったらいいのか、何も浮かばないんだよ」
「なるほど。今、冷蔵庫の中って何があるの?」
「えぇと。野菜類はなしで…、お肉もない。卵が数個ほどくらいかな」
「お米とインスタントはこっちにあるぞ」
蒼が付け加えて言う。
「なるほど。蒼が玲奈のために作る料理だから、行程も単純なものがいいよね。じゃあここは、おかゆとかどうかな」
「それだ! おかゆだと、食べやすいし、何より簡単だから、蒼ちゃん主体で作れるもんね!」
「蒼もおかゆ作ってみたいぞ!」
「それじゃあ、決まりだね。でも、材料がないから買い出しに行こう」
三人は近所のスーパーへ買い出しに向かった。
…
翌朝。
静かな朝を破る目覚まし時計の音で玲奈は目を覚ます。
病後のけだるさを感じてか鈍い動作で煩く鳴る音の根源に手を伸ばす。頭を押された目覚まし時計は連続するベルの音を止ませ、静かな朝に針の動く音を添えるのみとなる。玲奈は起き上がり、寝覚めのぼやけた頭と視界で自分の体調を確認する。
「んー。あー。あー」
喉の調子は良好だと確認。額に手を当てて熱を測る。触れた指先に肌触りのいい布の感覚に続いて、ジェルの感覚。額に貼られたそれをつまんで剥がす。見れば、風邪の時に使うジェルシート。寝る前に貼った覚えはない。だから、多分蒼がやってくれたのだろう。
ジェルシートを剥がした方と反対側の手で、再度温度を測る。額は異常はなく平温。ジェルシートの効果もあるだろう。一方、全身については少しけだるさが残るのみ。それを確認すると、起き上がってベットの上に座す。その時に、布団がめくれてしわを作る。視界の端に見慣れた顔が見えた。
「蒼……」
玲奈の目には蒼が見えた。蒼は眠っている。ベットの上に置いた腕を枕にして。手に持っているジェルシートと見比べて思ったことを口にする。
「蒼が看病してくれていたのでしょうか……」
玲奈は蒼をおこさないようにベットから這い出る。すると、冬の寒気が肌をさして、ぶるっと肩を震わせる。
「もう、冬ですね」
独り言をつぶやきながら、蒼に毛布を掛ける。
物音を立てぬようそっと歩いて扉を静かに開けて部屋から出た。寒さで完全に目が覚めて、頭がすっとした、その状態で階段を下りる。
いつも朝食含め食事は玲奈が作る。今日も朝ご飯を蒼の分まで作るために、リビングに向かう。
リビングにたどり着いた玲奈は一枚のメモ書きを見つけた。
『冷蔵庫にある』
と、だけ書かれたメモ書きだ。蒼が書いたにしては端的過ぎるが、少し下手な字の癖は蒼の字そのもの。それよりも、主語がが抜けたメモの内容。冷蔵庫の中には、なにがあるのか。メモ書きはその場に置いて、キッチンに立つ。冷蔵庫を開ける前に使い終わったジェルシートを捨ててから、冷蔵庫の取っ手を握る。開けてみたそこには作り置かれたおかゆが入っていた。
「これを蒼が……」
玲奈は驚いた。
蒼は料理はからっきしで、料理に関すること全部玲奈がやっていたから。
紡希や絆の助けもあっただろうが、それよりも蒼が自分でここまでの料理をやっていたことは今までになかった。ひとまず驚いた後の玲奈は、蒼の成長を感じて嬉しくなった。
おかゆをレンジで温める間、洗濯物のことを思い出した。自分が寝ている間、洗濯物が溜まっているのではないかと考え、すぐさま洗濯機を開けに行く。が、洗濯機の中身は空っぽだった。
もう一度リビングに戻って洗濯物を確認する。さっきは見ていなかったが、全て畳まれていた。もちろん、洗濯機を回すところから全て。ここでレンジのベルの音が鳴った。玲奈は温められたおかゆを取り出し、食卓に着く。そして、スプーンですくって一口。
「なんだ、ちゃんとできるじゃないですか」
この言葉が発せられた意図、そもそも発せられたこと自体、寝ている蒼は知る由もなかった。
今日を以て玲奈・蒼の共同生活において、家事の分担が始まった。




