フラれたので髪を切って心機一転したら、元カノが俺だと気付かずに一目惚れした
高校時代。青春の最盛期ともいえるこの3年間、俺・琴吹博には恋人がいた。
出逢いは入学式の日。
初めての教室と初めてのクラスメイトに胸を躍らせながら、俺は登校する。
教室に着き、ふと隣の席を見ると、俺の好みどストライクの女子生徒が座っていて。俺は一瞬で、彼女に心を奪われたのだった。
彼女の名前は、妹尾奏衣。誰もが認めるくらいの美少女だった。
奏衣の素晴らしさは、何も外見に限った話じゃない。
明るく成績優秀で、その上コミュニケーション能力も高い。なのでいつもクラスの中心にいた。
それでいてあまりクラスに馴染めていない生徒にも声をかけたり、困っている人を見たら率先して助ける。まさに非の打ち所がない、完全無欠の美少女だった。
俺も入学した次の日に、早速声をかけてもらった。
「そのラノベ、今流行っているやつよね? 今度私にも貸してくれない?」
ラノベ=オタクの読むものというわけのわからない等式が成り立っている中、それでも奏衣は俺に声をかけてくれた。
彼女がラノベに興味を持っていることより、そのことがこの上なく嬉しくて。
奏衣のことを知り、接する度に、俺の彼女への好意は累乗のごとく増幅していった。
だけど……俺みたいな陰キャラを、クラスの人気者たる奏衣が好きになる筈ないよな。
この頃の俺は自分に自信がなく、また人と関わることに恐怖すら抱いていた。
前髪で目を隠して、なんとか人と視線を合わせないよう努めているくらいだ。
だからこの恋心は、不毛だ。決して叶うことのない願いだ。
そう何度も自分に言い聞かせて、自分を納得させて……それでも結局、俺は奏衣への好意を捨て切ることが出来なかった。
どうやら俺は自分ではどうしようも出来ないくらいに、奏衣のことを好いてしまったようだ。
自分で終わらせられないのなら、誰かに終わらせて貰えば良い。
そしてその誰かとは、奏衣をおいて他にいない。
俺はフラれる為に、奏衣に告白した。
「――好きです。俺と付き合って下さい」
「はい! よろしくお願いします!」
えぇっ!? マジで!?
自分から交際を申し込んだというのに、俺は思わずそんな声を上げてしまった。
だってクラス1の人気者が俺なんかと付き合ってくれるなんて、そんなのあり得ないだろう?
俄かに信じられなかった俺は、奏衣に「罰ゲームですか? それともドッキリですか?」と尋ねてみた。すると、
「そんなわけないじゃない! 私が琴吹くんを好きな気持ちを、バカにしないでよ!」
後にも先にも、奏衣が本気で怒ったのはこの時だけだった思う。
それから高校在学中、俺は奏衣の彼氏でい続けた。
朝は一緒に登校したら、昼は奏衣お手製のお弁当を食べたり、休日は二人でデートをしたり。本当、楽しい毎日だった。
青春ラブコメなんて俺みたいな陰キャラには縁のないものだと思っていたけど……案外そういうわけでもなさそうだな。
地味な男子生徒が人気者の女子生徒とイチャイチャするなんて、まるで俺の読んでいるラノベみたいだった。
しかし――そんな楽しい青春も、ずっとは続かない。
俺と奏衣の物語にも、完結というものがあって。
「別れましょう」
卒業式の日、奏衣から突然別れ話を持ち出される。言うまでもなく、俺は目の前が真っ暗になった。
「……やっぱり、俺なんかと付き合っていても楽しくなかったか」
「ううん、それは違う。あなたと過ごす日々は、凄く楽しいわ。だけど……それだけなの。3年近くあなたの恋人として過ごして、私はあなたの隣にいることに慣れてしまった。あなたに恋焦がれていた時のようなドキドキを、今では全く感じなくなってしまった。だから――あの時のようなドキドキを、私はまた探しに行きたいのよ」
新しい恋を見つけたい。そんな理由で、俺は奏衣にフラれた。
あれだけ熱を上げて愛し合っていたのに、冷める時はあっという間だ。
高校を卒業し、大学に進学する頃には、お互いに連絡すら取り合わなくなっていた。
大学の入学式の前日、俺は美容院に足を運んだ。
大学に進学するにあたり、イメチェンしてみようと考えたのもある。あとは、前髪を切ることで人の目を見て話せるようになりたいとか。
でも1番の理由は、失恋をしたから。髪を切ることで過去の自分と、奏衣の彼氏だった自分と決別し、新しい生活に臨もうと考えたからだ。
「……バッサリ切って下さい」
美容師のハサミが、俺の髪に触れる。
さようなら、今日までの俺。そしてさようなら、奏衣。
◇
大学での俺は、テニスサークルに所属していた。
中学生の頃はテニス部に入っていたし、全く出来ないわけじゃない。
それに進学と同時に陰キャラを卒業すると決めたからな。人の視線はまだ怖いけれど、それでもなんとか俺はテニスサークルの中で活動出来ていた。
友好関係も築けてきたある日、俺は同級生の三原仙一から飲みの誘いを受けた。
「なぁ、博。今夜飲みに行かないか?」
「バイトもないし、別に構わないが……お前、昨日も飲んでいたんじゃなかったか?」
それも朝まで飲んでいたって言っていた気がする。金銭的にも体調的にも大丈夫だろうか?
「俺も正直断ろうと思ったんだけどな、今日ばかりは参加しないわけにはいかないんだ。……合コンなんだよ」
「合コン? 一応聞くけど、合唱コンクールのことじゃないよな?」
「馬鹿野郎。健全な男子大学生が参加する合コンといえば、合同コンパに決まっているだろうがよ。相手は近所の女子大。なっ、行くだろ?」
「近所の女子大ねぇ……」
確かそこは、奏衣の進学先だった気がする。
まぁ大学なんて何千何万もの生徒が在籍しているわけだし、ピンポイントに奏衣と再会するとは思えない。
だけど正直恋愛は、当分控えようと思っているんだよなぁ。
そんな俺の思いとは裏腹に、三原は勝手に俺の分の席も予約する。
「あっ、先輩っすか? 琴吹、参加するみたいです。なので二人分の席の確保お願いしまーす」
「おい。俺はまだ行くとは言ってないぞ?」
「まぁまぁ、そう言うなって」
三原は俺の肩に手を乗せる。
「どうせお前も彼女なんていないんだろ? 折角の大学生活を彼女なしで過ごすなんて、そんなのつまらないじゃないか」
「……俺に彼女がいないって決め付けんなよ」
「いやいや。明らかに大学デビューのお前に、彼女なんているわけないって」
この野郎。言わせておけば好き勝手言いやがって。
これでもつい1ヶ月前まで彼女がいたんだぞ? 世界一の彼女が。
……って、ダメだな。
髪を切って過去とお別れした筈なのに、未だに奏衣のことが忘れられずにいる。
ここは敢えて合コンに参加して、新しい恋を探すのも悪くないかもしれない。他に良い人が出来れば、奏衣への未練もなくなることだろう。
◇
合コンは夜7時から、駅近の居酒屋で催された。
男性陣は俺と三原を含めて四人。女性陣もまた、同じ人数だ。
居酒屋の近くにはそういうホテルがあるわけじゃないので、男性陣からの下心をまるで感じさせない。
あくまでプラトニックな交際を望んでいるというこちらの主張を、全面的にアピールしていた。
合コンと聞いた時は、ぶっちゃけそういう集まりを想像してしまって(完全に偏見だ)あまり乗り気していなかったけど、今日集まったメンバーに非常識な人間はいないみたいだし、意外と楽しめるかもしれない。
ただ一つ、不満があるとしたら――合コンに参加する女性陣の中に、奏衣の姿があったことだった。
新しい恋を探すべくこの合コンに参加したというのに、元カノがいるんじゃ本末転倒じゃないか。
全く目を合わせないのも不自然かつ失礼なので、俺は10回に1回くらいの割合で奏衣に視線を向ける。
俺と目が合うと、奏衣はニコリと微笑んできた。
その笑みは、彼氏だった頃の俺に向けていたそれとは異なっていた。寧ろ初めて会った時の笑顔に近しいような。
……もしかして、俺だと気づいていない?
合コンが始まると、早速自己紹介タイムになる。
自己紹介ということは、当然名乗ることになるよな? ただ親交を深めようという名目で下の名前だけ名乗ることになったのが、不幸中の幸いだった。
男性陣が右側から順番に自己紹介していき、とうとう俺の番が回ってきた。
「……博です。よろしくお願いします」
奏衣を注視しながら名前を口にすると、案の定彼女は俺の名前に反応した。
「えっ、博?」
「ん? どうかしたのかい?」
放っておけば良いものの、三原が律儀にも奏衣の発言を拾う。ありがた迷惑も良いところだ。
「いえ……元カレと同じ名前だったから、驚いただけよ」
でしょうね! だって俺がその元カレですもの!
しかし博という名前なんて沢山いるし、俺の外見もかなり変わっているわけだから、なんとか正体がバレずに済んだようだ。
よくいる名前で良かったと、生まれて初めて思った。
自己紹介は盛り上がりを見せながらもテンポ良く進んでいき、今度は奏衣の番になった。
「自己紹介の前に、ここで問題です。私の名前は「かなえ」というのですが、一体どんな漢字を書くのでしょうか? そうねぇ……では、仙一さん。答えてちょうだい」
「ほう、そういう感じの自己紹介できたか」
「ただの自己紹介も、そろそろ飽きてきたでしょう? で、回答は?」
「そうだなぁ……願いを叶えるの「叶」って字じゃないかな?」
「残念、不正解よ。結構その字を当てるものだと勘違いされるけどね。……それじゃあ次は、博くん。どうかしら?」
「……俺も「叶」だと思っていた」
「あら、そうだったの。……正解は出なそうだし、もう私の口から発表しちゃうわね。正解は……演奏の「奏」に衣類の「衣」で奏衣でした!」
うん、知ってる!
だけどその2文字で「かなえ」と読むなんて、一体誰が想像出来ようか? 俺が正解していたら、不自然極まりなかったと思う。
合コンの最中、俺は終始奏衣の言動に注意を払っていた。
全く話さないわけにはいかないので、最低限の受け答えはする。だけどボロを出さないよう、話す内容にはかなり気を遣っていた。
合コンの時間はつつがなく過ぎていき、時計の針が10時を回ったあたりで、今夜はお開きとなった。
会計を済ませ、俺たちは店の外に出る。
……良かった。どうにか俺の正体がバレずに済んだようだ。
ホッと胸を撫で下ろす俺だったが、その安堵は長く続かなかった。
「あの、博さん」
奏衣が突然、俺に声を掛けてきたのだ。
「なっ、何だ?」
「良かったら、連絡先交換してくれないかしら?」
「連絡先? あぁ、別に良いぞ……」
スマホを取り出そうとしたところで、俺は気が付いた。
俺は奏衣に連絡先を教えることが出来ない。なぜなら……俺の電話番号もSNSのアカウントも、奏衣は既に知っているのだから。
高校時代毎日のように使っていたアカウントを提示されれば、流石の奏衣も俺=元カレだと気が付くだろう。
苦労してこの合コンを乗り切ったというのに、最後の最後で正体がバレてしまっては元も子もない。
しかし一度了承してしまった以上、連絡先を教えないという選択肢はない。さて、どうするか……。
俺は脳みそをフル回転させて、打開策を導き出した。
「実は俺、SNSをやっていないんだ。だから、メールアドレスでも良いか?」
SNSのアカウントと電話番号は教えているが……メールアドレスだけは、まだ奏衣に教えていなかった。
深い意味があって教えなかったわけじゃない。単にメールを使う機会がないから、教えなかっただけだ。
「勿論! それじゃあ私も、メールアドレスを教えるわね」
そうして俺たちは、互いのメールアドレスを交換し合う。
帰宅後、俺のスマホに、早速メールが送られてきた。
差出人は、言うまでもなく奏衣だ。そしてその内容は……
『今週末、暇かしら? 良かったら、デートしない?』
予想だにしない、デートの誘い。
どうしよう……。フラれた元カノに、興味を持たれてしまった。
◇
新しい恋を探そうと息巻いて、結果一目惚れしたのはフった元カレでした。もしその事実を奏衣が知ったら、計り知れないショックを受けることになるだろう。
だから奏衣には俺が元カレだと知られるわけにはいかない。他ならぬ、彼女の為に。
合コンは乗り切った。だからデートも正体をバレることなく遂行出来るだなんて、そんな保証はどこにもない。というか、絶対にバレる気がする。
それ故デートをしないのが、最善の策なのだ。俺は早々に断りのメールを送った。
しかし……俺は忘れていた。奏衣という女は、欲しいものはそう簡単に諦めないタイプなのだ。
『一度だけデートしてくれないかしら? それでも私に魅力を感じなかったら、大人しく諦めるから』
たった一度、されど一度。その一度が、命取りになるんだよなぁ。
しかし奏衣がこう言っている以上デートの誘いを断る上手い口実もなく、俺は渋々デートを受けることにした。
やってきたデート当日。
俺は高校時代では考えられないくらい目一杯のオシャレをして、デートに臨んだ。
当時の俺とは似ても似つかないこの姿ならば、正体を見破られる心配もないだろう。
待ち合わせ場所には、既に奏衣が到着していた。
「悪い、待たせたか?」
「いいえ、今来たところよ。……あっ、これ気遣いとかじゃなく、本当の話ね」
そう付け加えるのもまた、彼女なりの気遣いだった。
そういう優しいところ、変わっていないのな。
この日のデートプランは、奏衣が考えてくれていた。男の俺がエスコートすべきだと考えたわけだが、「誘ったのは自分だから」と言って、奏衣は聞かなかったのだ。
「はじめはどこに行くんだ?」
「まずは映画館。このアニメ映画、凄く面白いの。博さんも絶対気に入ると思う」
……あぁ、気に入るだろうよ。だってそのアニメはライトノベルが原作で、そのラノベをお前に教えたのは他ならぬ俺なんだもの。
忘れもしない。俺と奏衣が初めて会話するきっかけになった作品だ。
映画を観た後は、近くのイタリアンレストランで食事をして。それからボウリングとカラオケに向かった。
ありふれたデートプランだが、本音を言えばとても楽しかった。それは多分、デートの相手が奏衣だからだろう。
クソッ。こんなんじゃ余計に奏衣のことを、忘れられなくなってしまうじゃないか。
奏衣に案内されて最後に向かったのは、とある公園だった。
その公園も、俺は知っている。ここは奏衣と初デートの時に訪れた場所だ。
俺と奏衣は、芝生の上で寝転がる。
既に日は沈んでおり、夜空には星々が輝いていた。
「綺麗だな」
「でしょう? 私、この場所が好きなのよ。ここに来てこうやって夜空を見上げると、凄く落ち着くの」
初デートの時と同じセリフを、初デートの時と同じ表情で口にする奏衣。俺はその横顔に、またも心が動かされていた。
ダメだ。この気持ちは忘れなければいけないんだ。
俺はもう、奏衣にフラれているんだ。
思考と気持ちを整理させるべく、俺は一度立ち上がる。
「どうかしたの?」
「ちょっと、トイレに行ってくる」
そういう口実で一度この場を離れ、「奏衣はもう彼女じゃない」と自分に言い聞かせた後、再び彼女のもとに戻る。
「ただいま」
「おかえりなさい。……博さん、この公園に来たことあるんですか?」
帰ってきて早々、俺はそんなわけのわからない質問をされた。
「いや。どうしてそう思ったんだ?」
「だって……トイレの場所を知っていたから」
……しまった。
初めてここに来たという体を装う以上、俺は奏衣にトイレの場所を尋ねるべきだったのだ。
ジーッと凝視しながら、奏衣は俺に顔を近づける。いくらイメチェンしたとはいえ、こんなに至近距離で見られたら……。
俺の不安は、見事的中した。
「もしかして……琴吹くん?」
「……はい、そうです」
俺は観念するかのように、両手を上げた。
「驚いた。名前が一緒だとは思っていたけれど、まさか琴吹くんだったなんて」
「俺だって驚いているよ。まさかお前が元カレの顔を忘れているなんて」
「それは……だって琴吹くん、見た目が高校の頃と全然違うから」
「カッコ良くなったか?」
「……うん」
おい、そこで肯定してくれるなよ。こっちまで恥ずかしくなっちゃうだろうが。
奏衣は自身の胸に手を当てる。
「……何よ。あなた相手でも、まだちゃんとドキドキ出来るんじゃない」
「え? それってどういう……」
「ドキドキ出来るなら、別れる必要なんてなかったって言ってるの。だって私は――今でもあなたが好きなんだもの」
告白同然の奏衣の言葉に、俺は平静を装ってなどいられなかった。
だってそうだろう? 彼女は暗に、ヨリを戻したいと言っているのだ。
「……随分勝手な女だな」
「逆よ。女の子はみんな等しく勝手な生き物なの。それにそんなわがまま女を、あなたは好きになったんでしょう?」
まったく、その通りだ。
今ヨリを戻しても、奏衣はまた別れ話を持ち出すかもしれない。俺に対してドキドキしなくなるかもしれない。
その時は、どんなイメチェンをして彼女を口説き落とすとしようかな? そしてその度に、彼女をドキドキさせてやるんだ。
奏衣が何度だって俺に一目惚れしてくれるというのなら、俺はいつまでも君を好きでい続ける。俺は強くそう誓うのだった。