第三話 隣に咲く花は綺麗3
土曜日。家でゴロゴロするしかやることがない。もやもやした時、なにか趣味があればきっと発散できるんだろうな。姉ちゃんは本を読むのも、文章を書くのも好きで、それが高じて喜志芸術大学という芸大の文芸学科に入学した。熱中できるものがあっていいなと思う。
俺は宿題をして、SNS見て、昼寝してたらあっという間に夕方。いつもと変わらない休日。
冷蔵庫に入っていた晩ご飯の麻婆豆腐をレンジで温めていると、家の門扉が開く音がした。建付けが悪くて、開閉するとぎぃーっと大きな音がする。
まだ七時前だ。この時間だと、父さんと母さんじゃない。遊びに行ってた姉ちゃんだろう。確か、京都に行くとか言ってたような。微かに話し声が聞こえる。家の前まで付いて来てるということは小学校か中学校の友達と京都に行ってたのか? ま、興味ないけど。玄関前で立ち話をしてなかなか家の中には入ってこない。
そういや、まだ窓のシャッター閉めてなかった。冬場は特に日が暮れたらシャッター閉めといてって母さんがうるさいんだよな。
しゃーねぇなと、カーテンを開くと、姉ちゃんがキスしてた。
「へ?」
気の抜けた声が出てしまう。斜め横からの角度だから、姉ちゃんの表情は少ししか見えない。慌てて閉める。落ち着く間もなく、もう一度ゆっくり細い隙間を作って覗く。相手はどんな奴なんだろう。いや、別にどんな男と付き合ってようがどうでもいいはずなのに、なんというか気になってしまう……。
姉ちゃんよりもまだ十センチ以上高く、一瞬女かと見間違えるような長い巻き髪を後ろでまとめている。え? 女じゃないよな……? それなりにガタイはしっかりしてるけど。脚が長くてスタイルがやたら良いし、服もしゃれてるし、海外のファッションモデルみたいな……。少なくとも高校生の俺の周りにはいない。そのあと少しまた言葉を交わし、姉ちゃんの額にまた軽くキスをし、去っていく。
そして、姉ちゃんはその背中に向けて言った。
「わたしも愛してるよ」
窓閉めてても聞こえるような声量で言うなよ……! 俺まで恥ずかしくなる。
その時、電子レンジが俺を呼ぶ。その音にハッと現実に戻って来た感覚になり、心臓がバクバクしてることに気づく。急いでカーテンを閉めて、リビングからそのまま続いているキッチンに走る。温まった麻婆豆腐を取り出し、テーブルに置く。とんでもない現場を目撃してしまった。偶然とはいえ、このあと姉ちゃんと嫌でも顔を合わせなきゃならない。どんな顔すりゃいいんだよ。
姉ちゃんがドアを開き、いつもより明るいトーンで「ただいまー」と入ってきた。俺は何事もなかったように、麻婆豆腐と白飯を交互に食べる。
「お姉ちゃん、今日京都に行ってきてね。これ、おみやげに生八つ橋。あ、みんなで食べるから、一人で全部食べちゃダメだよ」
「わかってるっつの。姉ちゃんじゃねーんだから、一人でこんなデカいの食べきれねぇし」
「悠ちゃんはすぐそういうこと言うんだから」
笑いながらキッチンから出ていった姉ちゃんから甘い花のような香りが少しした。さっきのヤツがつけていた香水だろうか。……どーでもいいけど。
そのあと父さんと母さんも帰ってきたが、姉ちゃんは普段通りだった。まあ、まさかキスしてるところを弟に見られてたなんて気づいてないし、父さんも母さんも姉ちゃんがデートしてきたなんて思ってもないだろう。順番に風呂も入ってこたつでそれぞれまったりしてたら、母さんが立ち上がった。
「お父さん、悠太。今日、真綾が京都行ってきたのよ。生八つ橋買ってきてくれたから、食べましょっか」
「おう、いいじゃないか」
「お母さん、お茶入れるの手伝う」
母ちゃんと姉ちゃんが温かい緑茶と生八つ橋を人数分配膳する。生八つ橋は、ニッキと抹茶の二種類が小皿に盛りつけてある。
「生八つ橋美味しいわねぇ」
「父さんも久しぶりに食べた。おいしいなぁ」
「喜んでもらえて良かった」
みんなが笑顔で会話してるのを黙って見ながら俺もニッキの生八つ橋を口に入れる。やわらかくて、中の餡の甘さもちょうどいい。
「あのね、お父さん、悠ちゃん」
姉ちゃんはそう言うと正座して、俺と父さんを見る。
「わたし、彼氏が出来たの。実は今日、その彼氏と京都行ってて」
「へぇー……え……?」
食べていた生八つ橋を置いて、何度も瞬きをしている父さん。母さんは特にリアクションもなく、生八つ橋を頬張っているってことは知ってたのか。
「今度、みんなに紹介したいから、家に彼氏……君彦くんって言うんだけど、呼んでもいいかな?」
「勝手にしたら」
「悠太、そんな言い方ないでしょ」
また口ゲンカになりそうな雰囲気の中、父さんはお茶を一気に飲み干し、
「……わかった」
と、低い声で言った。生八つ橋を持つ手がかすかに震えている。めっちゃ動揺してるじゃん。姉ちゃんもう大学生だし、彼氏の一人二人くらい出来たっておかしくないのにな。紹介したいっていうのはビックリしちまうもんなのかもしれない。
「ありがとう、お父さん」
そう言うと、姉ちゃんは顔を真っ赤にして生八つ橋を頬張った。幸せそうな顔。今は無性に腹立つ。
喋りたくもないから、茶をすすりながらスマホを見る。今日も岸野からはメッセージは来ていない。でも、岸野のアイコンが、まだ俺が描いたヘタクソな猫の絵のままなのが少し安心した。