第十話 咲くも枯らすも自分次第3
今日の沈黙はいつも以上に気まずく、パンを急いで食べると、そそくさと家を出た。普段より一時間くらい早く出てきてしまった。
駅から高校までの通学路はまだ学生は少なく、冬のしんとした静かさも相まってどこか寂しさがある。それがなんだか今はとても心地良い。
靴箱に向かうと、一人の女子が靴を履き替えていた。
あれは岸野だ。今日も寒そうにマフラーを何重にも巻き、ダッフルコートのボタンをしっかり締めて、黒いタイツを履いている。
周りには他に人はいない。声をかけようか。……何て声かけるんだよと、心の中で問いかける。上履きに履き替えた岸野は、俺に気づくことなく歩きだす。俺も靴を履き替えると後ろをついていく。なんかこれじゃストーカーみたいで嫌だな……。どうせ同じクラスなんだし、堂々としてもいいのに。
教室に入るかと思いきや、そのままスルーしてまだまだ廊下を進む。
どこ行くんだ?
そのままついていくと、彼女は一つの部屋へと入って行った。
なんだここ? と顔を上げると、ドアの上につけられている札には「図書室」と書かれていた。アイツも姉ちゃんと一緒で本読むの好きなのかな。読んでる姿も安易に想像できる。似合ってる。
俺もアルミの引き戸を開け、中に入ってみる。インクなのか埃なのかわからないあの独特のにおいが出迎える。図書室なんて高校生になって初めて入った。入ってすぐ、長机とパイプ椅子が並んでいて、その奥には司書の先生が一人座っている貸出カウンター。両脇に本棚の森が広がる。
岸野どこ行ったんだ。思わず入ってしまったが、岸野に見つかったら見つかったで言葉に困るのは自分だ。サッと見るふりして出よう。
それにしても本を読まない人間からすると、こんなに本があると何が面白いのか、全然わかんねぇな。タイトル見て、面白そうって思っても、中開いて字がずらりと並んでいるのを見ると一気に読みきる自信がなくなる。きっと慣れなんだろうけど、その一歩がなかなか。姉ちゃんはどうしてあんな楽しそうに本を読むんだろう。
鍋で煮物煮ている間とか、俺がテレビ観てる時も横で読書してる。こんなに話しかけづらくなる前に、そのおもしろさだったり、楽しさを聞いてみればよかった。
次の棚を覗くと、岸野が熱心に本を眺めていて、思わず棚の陰に隠れる。ゆっくり顔だけ岸野の方に向ける。岸野は雑誌くらいの大判の本をじっと眺めていた。眉をひそめ、「うーん」と小さい声で唸って、何冊も手に取って悩んでいる。そして、何冊か選ぶと、立ち去る。カウンターの方から声が聴こえる。どうやら借りる手続きをしているようだ。
俺は周りを見渡してから、岸野が立っていた棚の前へ行く。そこは手芸・園芸に関する本のコーナーだった。服の型紙が掲載されている本、花の育て方が書かれている本。そのほとんどに『初心者でも出来る!』とか『はじめての~』がタイトルの頭についている。人生にもこんなわかりやすい本があれば、俺もこんなに悩むことないのにな。
なんて、心の中で苦笑していると、
「佐野くん?」
突然声をかけられた俺はびっくりして飛びのく。岸野だ。あのあと教室行ったわけじゃなかったのかよ。まさか戻って来るなんて……完全に油断してた。
岸野はじっと俺を見て、手でマフラーを触りながら、俺の返答を待っているみたいだ。けれど、頭は真っ白だった。
何も言わず、岸野を横切り、早足に図書室を飛び出した。教室に入ることなく、俺は校舎の外に出て、走る。そして、気がつけば、あの人気のないベンチに辿り着いていた。肩で息をしたまま、座面に座った。身体の力を抜いて、目をつむる。
「情けねぇ~……」
ぼやいていると、冷たい北風が容赦なく吹きつける。「全くもってそうだ」と言われてるような気がした。