第2話
次の日の朝、それもかなり早い時間。
私はとうとう眠っていたのだが、必死な声と共に揺り動かされた。
名前を呼ばれてハッと起き上がると、彼女が昨日の姿のままに目の前にいた。
走ってきたのか息が上がっている。
「ああ、良かった。死んじゃったかと思った」
彼女はごめんね、とはらはら泣いた。
なんだおおげさな、と思ったが、この人は一度犬を亡くしてるのだ。
仕方ないので元気よくしっぽを振った。
決して嬉しくて我を忘れてた訳じゃない。
私はクールな犬なのだ。
「帰ろっか」
彼女は私を抱えて歩き出す。
すると、その腕からふわりとたばこの煙の香りがした。
たばこなんて吸ったこともないはずなのに。
今思えばその日から少しずつ、日常が変わっていった。
同じ駅で待っていても、あの人の帰りが遅くなった。
香水の香りが変わった。
そんなこと知りたくもないのに、鼻が利くせいで、色んなことが彼女や部屋から伝わってしまう。
「もう迎えにこなくていいんだよ」
何度か言われた。
それは凄く遅くなった夜であったり、車で家まで送り届けられてしまった時であったり。
しかし、私は犬なのでとぼけた声を出した。
玄関は開けられさえすれば、オートロックというやつで勝手に閉まるのだ。
実家というところから、オートロックに住みなさいと言われたと言っていた。
原理は知らないが、部屋の心配をせずに出られるので、私はとぼけて、とぼけ続けて、駅へ悠然と歩いていた。
別に嫉妬心とかではない……とは言いきれないが、それが理由ではない。
どうやらあの人は恋人ができた。
犬が好きか嫌いかは知らないが、その恋人と顔を合わせたことはない。
その存在だけが香りの中にいて、私は嬉しいことなのだと思おうとした。
はずなのだけれど。
どうもあの人の表情がおかしい。
声も荒らげる人ではなかったのに、散歩中に出くわした人と口論になり、恐ろしい声を出していた。
なんだか知らないが、私がその場を逃げ出したため、彼女は私を追って走り出し、喧嘩は終わった。
怖かったのは怒鳴り声じゃない。
見知ったあの人が、どんどん別人のようになっていくのが怖かった。
きっと恋人は犬が嫌いなのだろう。
しばらく経ってもその姿は霧の中にぼんやりと浮かぶように、輪郭しか分からない。
彼女はよく分からない怪我が増えた。
また香水が変わった、のに、洗濯物がそこらに散らばり、部屋はゴミの異臭がした。
カーテンを開けなくなった。
犬には……犬にはなにも分からない。
実家というところともう話さないと彼女は泣いた。
仕事も変わったのかもしれない。
駅へ迎えに行って必ず会える訳では無いけれど、前よりももっと遅い時間にならないと、あの人は現れなくなった。
そうして、そんな日々が突然ぷつりと糸が切れたように、崩れ去る。




