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魔女の条件(まじょのじょうけん)

作者: のまいと

これはきっと誰かの物語です。

そして、私の物語です。

貴方にはどうですか…。

気に入っていだだけたら嬉しいです。


北国の海の色は深い影がある。


その暗がりをまとった蒼に、私は魅了されている。

夕暮れの血潮のような紅に染まる海岸線を、当てもなく私は歩む。


冬の風は冷たく凍っていて、私の靴が刻む音を立てながら、砂浜に足跡を残してゆく。


穏やかに凪いだ眼前の海は、私の家族を奪って行った。


牙を持つあぎととなった波は、街をまるで砂に描いた落書きみたいに掻き消して、無数の人々を呑み込んだ。


私の両親は心の通わない夫婦であり、あの家には私の居場所は無かった。


食卓は堅い沈黙に覆われて、食物を咀嚼そしゃくする僅かな音が騒音のように響き渡る。


私は怯えて震えるすべしか知らなかった。


逃げ出したいと、そればかり思っていた家族ではあったけれど、喪失した後は私には本当の孤独だけを残して行った。



空は茜と藍が交じり合い、去ろうとする陽射しと訪れようとする夜の闇とが、海の色を繊細な彩りにして、波音が永遠の伴奏を続けていた。


世界は、こんなにも静謐せいひつだった。


私は潮風に撫でられながら髪に触れ、制服のスカーフを直した。


瞳を閉じれば父と母の面影は、もう淡い線描でしかない。


私は深い漆黒に支配されつつある空と海を、見つめながら歩き出す。


私の居場所に。


あの人の待つ家に。


波音は追いすがるように、私の背中で遠く鳴っていた。




微かな照明と深い暗闇に包まれて、私のからだは熱く燃え上がっている。


小さな北の街の小さな2LDKのマンションの狭い寝室。


真っ白いシーツに被われたこのベッドの上の小さな宇宙。


17歳の私の世界の全て。


唇が私の普段はお喋りな唇を塞ぎ、熱い吐息と舌が入ってくる。


私は懸命にそれに応えながら、彼の名前を呼ぶ。


堅く厚い筋肉質の軀を抱きしめる。


淡い灯のなか、彼の眼が私の瞳に映る。

切れ長の目元のしわと二重の目蓋の下の瞳に、私と同じ炎が点っていた。


彼は私の養父で、私の男。


引き取られたのは12歳の時だった。


震災で両親を亡くした私を、母の末弟であるこの人が迎え入れてくれた。



寒い冬の夜だった。


リビングで少し震えている私のために、暖房を入れて自分の着ていたカーディガンを、私の小さな肩に掛けてくれた。


温かいココアのほのかな香気の漂うマグカップを、私に不器用に渡す。


遠慮から戸惑う私に微笑みかけると、掌にマグカップをそっと握らせてくれた。


乾いた暖かな指が私の手に触れていた。


  「大丈夫だよ……」


切れ長の涼しい眼の奥に優しい光が灯っていた。


整った相貌に不似合いな程の人の良さそうな笑顔と暖かな声が、私に大事な何かを感じさせてくれた。


  「大丈夫だよ……。僕が居るから……」




いつから好きになったかは、もう覚えていない。


積み重なっていく日常のなかで、遊歩道に黄金色の落葉が降り積ってゆくように、私はこの人を愛し始めていた。



15歳の雷雨の夜。


世界の終わりが来るのではないかと思わせる程の豪雨がもう何日も降り続いていた。


電気が遮断された本当の暗闇のなかで、私はこの人の名前を呼んだ。


窓越しの瀑布ばくふのような雨音にかき消されぬに、何度も何度も呼んだ。


彼は私を抱きしめると、最初に出会った時と同じ言葉を私の耳朶じだにささやいた。


  「大丈夫だよ……。僕が居るから……」


ごく自然の流れだったと思う。


むしろ呆気ない程に私達は父娘から男と女になった。


私の胸には後悔など無かったし、彼の全てを受け入れた時に、初めて出会った少女の夜から私のなかに棲む女は、それを望んでいたのではないかと思った。


苦悩は、むしろあの人の方にこそ深かった。


誰にも知られない夜毎の逢瀬の後に、彼が深夜のダイニングに、額の前に指を組んで長い時間、独りで自らの行為に向き合っている姿を何度も見た。


海の底の沈黙のようなその姿を影から見つめながら、私の畏れは私達の犯している原罪には無かった。


彼が私を愛することをやめるのではないかという恐怖だけが、私を縛りつけていた。



父娘になりたての頃、私はリビングに小さな玩具の家の模型を持ち込んで遊ぶことを好んだ。


屋根を取り外すと幾つかに別れた室内が現れる。

私の幼い手は其処そこにテーブルや椅子、家具や家電のミニチュアを自分の思うままに並べてゆく。


私が特にこだわったのは寝室だった。


精巧な造りの天蓋付きのベッドを、最も日当たりが良くて風通しの心地良い場所に置き、デザインが気に入った幾種類ものレースのカーテンを何度も付け替えた。


あの人は、傍のソファーに座り、コーヒーの香りに包まれて、私を見つめていた。


振り向くと優しい視線と穏やかな微笑が、私を迎えてくれた。


私は再び、この新しい日常と寝室を整える遊びに夢中になり、心を染み込ませてゆく。



退屈な高校の授業がやっと終わった放課後。


古風な造りのお洒落なインテリアが同級生達に人気の店。


私の女友達はタピオカカフェを飲みながら、同じクラスの彼氏とのファーストキスのことを夢見るような表情で語っている。


  「もう私ね、胸が一杯になってちょっと泣いちゃった」


私は臙脂色のビクトリア朝のテーブルの上で、大人しくしている陶磁器のコーヒーカップの薄さを、指先でもて遊びながら静かに微笑む。


  「架純かすみは彼氏とか作らないの。貴方に憧れてる男子結構居るよ」


そう語る彼女の笑顔は、自分より経験の劣る者への同情と優越感が浮遊していた。


  「……私はそういうの苦手だな」


  「ふうん。まあ架純はオクテて感じだもんね。もったいないよう。恋愛しないのって」


そう言って彼女は、指先でカールしている自分の髪を軽く巻いた。


  「……うん」


私はあの人の面影を想い浮かべた。


黒い液体に溶け合うミルクの甘い乳色が、芳香を漂わせながら陽光にわずかに煌めく。


私は微笑したまま、それを傾ける。


熱い温もりが私の軀にしま染み入り、その熱は軀の奥から去ろうとしなかった。




彼の腕が私を強く抱きしめる。


私の心が、壊してと声を挙げた。


そのたくましい筋肉が私の柔らかな軀を包み、私の乳房は堅い胸板に押し潰される。


未来など知らない。


人の命など、木の葉みたいに呆気なく掻き消されてしまう程度のものでしかない事を、私は肌身に染みて知っていた。


罪など知らない。


見知らぬ権力者が、私に断りもなく定めた法律や掟など、私には少しも関係のないものにしか過ぎなかった。


道徳モラルもそうだ。


この熱を、温もりを、悦びを罪と言うなら、何処の誰かは知らないけれど、罰を与えればいい。


私はそれを無言で微笑のまま受け入れるだろう。


きっと、断頭台の上で微笑む私を、人々は魔女と呼び、怖れと侮蔑する視線で眺め回すのだろう。


投げつけられる石礫いしつぶて


私は、それらの一切を全く視界にも思考にも入れていない。


ただ、この人を。

暖かな瞳と指を。

彼の面影と愛撫だけを、想い描くだろう。


ギロチンの凍った刃が、私の意識と心を遮断したとしても。



私の全部が、私の男が、私の耳元にささやいた。


  「……愛しているよ……」


私の指がこの人の背中を、それ自体が意志を持った別の生き物のように、彷徨い、這い、堅く尖った爪を縦た。


刻みつけるように、深く喰い込ませた。


わずかな苦痛を与えながら、彼の背中から一筋の血が流れている。


その血は静かにたくましい背筋を這いながら、やがて彼に包まれている私に届くだろう。


私の軀を淡く紅く染める彼の血。



世界が厳然として世界で在り続けてゆく静寂のなか、私は震えながら、私の運命を私自身が愛していることを確信していた。

愛には憎しみが双生児のように寄り添います。

罪には罰が寄り添うのでしょう。

この愛が罪かどうかは…貴方が決めていただけたら充分です。

ありがとうございました。

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