2.妖魔夜行絵巻②
そのもう一つの交換条件というのが、私が鞍馬さんのお家で暮らすこと、だったのだ。
「そうすればいつ黒野が仕掛けてきても守れるだろ?」
鞍馬さんは屈託なくそう言う。
勿論、最初は断ろうと思った。だって鞍馬さんにはこれ以上甘えてはいけないと思っていたし、恋人という訳でもないのに男性の一人暮らしの家に転がり込むのは気が引けたから。
だけど鞍馬さんはこれも交換条件だからと譲らなかった。結局、私が折れて、ずっと入居していたアパートと同じだけの家賃を毎月鞍馬さんに納めるかわりに、鞍馬さんの家の一部屋を借りることにしたのだ。だから、今は大家と店子の関係。
でも、この家での暮らしは私にとって煌びやかすぎた。借りた部屋にはちょっとやそっとじゃ値段のつきそうにない高級な家具類やエアコンは言うに及ばず、トイレに洗面台、広々としたお風呂場までついていた。どう考えてもあのぼろアパートと同じ値段で住めるような場所ではない。
こちらにきてもう数ヶ月も経つけれども、私はいまだ自分の部屋に慣れられない。座っていても何となく落ち着かないので仕事をするのも一苦労で、結局共用のスペースを前の家以上に薄暗くして周りが見えないようにすることで、やっといくらかの落ちつきをもって作業が出来るようになったのだ。
その私の気も知らないような彼の言葉には、少しげんなりしてしまう。
「なんだよ。電話してたみたいだけど、何か秘密の話でもしてたのか?」
ムッとして唇を尖らせる鞍馬さん。その様子に、私は目をぱちぱちと瞬かせた。
後から聞いたのだけれど、やっぱり鞍馬さんは私よりひとつだけ年下だった。こうやって、思い通りにならないと少し拗ねてしまう所や、拗ねているのだという様子を隠そうともしない所なんかは、年下らしくて可愛いと言えなくもない。
そう思って、もう一度小さくため息をついてから、私はふと苦く笑ってみせた。まあ、私の方が年上だしね。きちんと答えてあげよう。
「そういう訳じゃないですよ。担当さんから、『黄昏』に載せてもらった小説が好評だったって連絡があっただけです」
私がそう説明をすると、鞍馬さんはぱっと表情を明るくして視線を上げた。あ、機嫌直ったかな?
「そっか、それは良かったな……」
淡く微笑み、しみじみとした口調で言った鞍馬さんはなんだか嬉しそうだ。それを見て、私の頬も緩む。
「鞍馬さんの挿絵のおかげです、ありがとうございます」
私は鞍馬さんに目礼して感謝の気持ちを伝える。しかしそれを聞いた鞍馬さんは少し困ったように苦笑した。
「いや、それは先生の小説の評価だろ」
「……そうでしょうか」
私は少し考える。全てが自分の手柄だなどとは思えなかったけれど、そう言って貰って悪い気はしなかった。
「それにしても、先生と俺を小説に登場させる、なんて最初は実感湧かなかったけど、面白い表現方法だよな」
「ふふ、ありがとうございます」
「だけど、御陵先生がしょうけらのことを小説に書くなんて思わなかった。怖いと思わなかったのか? それとも案外、転んでもただでは起きないタイプなのか?」
「えっ……?」
私は驚いて声を上げた。
怖い? ああ、確かにあれだけ怖い思いをした体験を書くなんて正気の沙汰とは思われないかも知れない。だけど、私は商業的な成功を目指してそれを成したわけでもない。
私はゆっくり、自分の気持ちを吐き出すように言葉を紡いだ。
「私はただ……。その……、確かに、私は望んでしょうけらのことを創ったわけでないけれど、せっかく生まれてきたんだから、誰にも知られずにいるなんて悲しいなと……。誰かに知って貰える機会があるならば、それをみすみす逃してしまうのは、生みの親としてどうかなと思ったまでで……」
「え……?」
私の主張を聞いて目をまん丸にした鞍馬さん。私は恥ずかしさに頬を染めて肩を竦めた。ああ、あれだけ私を苦しめたしょうけらに同情的になってこんなこと言うなんて、変な奴だと思われたかも知れない。
「あー、そうだな……。生みの親……か。考えたこともなかったな……」
私の言葉を反芻するように呟いて、鞍馬さんは眉を顰める。やっぱり変な奴だと思われたのだろうか。
でも、鞍馬さんはしばらくの後に、うんと頷いてさっと私の手を取った。
「創り手が命を生む母親なら、器を与える造り手は父親ってところだしな。大丈夫、俺たちの子も、今頃は満足してるよ……」
「……鞍馬さん」
鞍馬さんが本当に私の考えを解ってくれているのかどうかは解らない。でも、私の考えを頭から否定しないでいてくれたことに、私はじんと目頭が熱くなるのを感じた。
「鞍馬さん、あ――」
「そっか、創り手と造り手……子作り……なるほどな……」
ありがとうございます、と言いかけて、私は鞍馬さんの呟いたその単語にぎょっとする。創り手が母親で、造り手が父親で……。もしかしなくても、私はとんでもない概念を鞍馬さんに植え付けてしまったのでは?
つまり私と鞍馬さんが……。
「ん、どうしたんだ? 耳まで真っ赤になって……」
鞍馬さんのなんでもないような、理解していないような、そんな声が引き金だった。私は真っ赤になった顔を両手で覆って、思わず叫んでいた。
「わっ! 忘れてぇぇぇぇぇ!!」




