31.それぞれの守るべきもの
暖かいお屋敷内から一歩外に出ると、冷たい外気に晒された首元がすうすうとした。長かった髪が短くなったせいだろう。落ち着かずに、私は一度首に手をあてる。
私と鞍馬さんは随分長々と滞在させて貰ってしまったマリアさんのお屋敷をお暇するために玄関を出たのだけれど、私はと言えばなんだか首筋が心許なくて、そわそわとしていた。
「じゃ、車を回してくるからちょっと待ってろよ」
鞍馬さんは、そう言ってから敷地の一画にある駐車場へと小走りに向かっていった。そう遠くはない場所だ。私は素直に「はい」と答えてポーチの屋根の下で彼を待つことにする。
だけどそれを見計らったようにポーチにいる私の真後ろでカツカツというヒールの音が聞こえてきて、振り返った。そこに居たのはマリアさんだ。さっきまでのドレスの上にパープルのショールを羽織っただけの姿だけれど、その姿は堂々としていて少しも寒そうには見えない。
マリアさんと桜さんたちも私たちを見送るために玄関ホールまで来てくれていたから、彼がそこにいること自体は不思議には思わなかった。だけど、何故かマリアさんは私の方を見ようとはしない。
マリアさんはゆっくりと私の隣までやってくる。それでもやはり一切視線を交えようとはせずに、でも伏せがちにした瞳にその長い睫毛の影を落としながら、こう話しかけてきたのだった。
「ごめんなさいね」
「?」
急に謝られて、私は混乱する。私の方が謝ったり、感謝をしなければならないことならたくさんあった気がするけれど、マリアさんに謝られる心当たりがなかったから。
私の混乱を察したのだろうか、マリアさんはふふと苦笑した。
「アタシね、さっき鞍馬くんに言ってしまったの。もしも今夜、彬ちゃんを見捨てることで鞍馬くんに降りかかる危険が回避できるなら、そうしてしまってもアタシは何も言わない、って」
穏やかな語り口だけど、その内容は衝撃的だった。
私はごくりと息を呑む。それはつまり……。
「ええ、アタシは貴方を見殺しにしてでも鞍馬くんを危険から守りたかったわ」
何の躊躇もなく、マリアさんは言った。それが、マリアさんのその言葉が伊達ではなく本気であることの証明のようだった。私はそんな彼になんと返したら良いか解らなくて、ぎゅっと手を握りしめる。
「あの子は少し家庭が複雑だから、アタシや戒十さんが兄がわりに成長を見守ってきた側面もあるわ。だから、アタシはあの子を危険な目に遭わせたりはしたくなかったの。アタシにとってあの子はいつまで経っても子供で、守ってあげなきゃいけない存在だと思っていたわ」
「全部、過去形なんですか?」
「あら、鋭い」
私のちょっとした疑問は思ったより的を射ていたようだ。
マリアさんは戯けたように肩を竦めた。
「でも、彼はアタシの提案を突っぱねて言ったわ。『これは自分で決めたことだ』『後悔しないためにも先生を助けることは辞めない』『皆が笑って終われるように、絶対に成功させてみせる』ってね」
胸の前で手を組んで、視線を上げるマリアさん。それはまるで星空に祈るようだった。
「ああ、この子はもう守るべきものを見つけた一人前の男なんだなって思ったわ。成長が嬉しくもあり、まだまだ心配でもあったけど。もうアタシの手の内に収まって守られているような器ではなくなっていたのね」
そこまで言って、マリアさんはやっと振り返って私を見ると、あのチャーミングでゴージャスな笑顔を私に向けた。だけど今のその笑顔には一抹の寂しさと不安も見て取れた。




