21.往く死神 ―Reverse―
それはじりじりと焦がれるような時間だった。
春の日中は凍えるほど寒くはない。だけど恐怖に歯の根は合わず、細かにかち合って微かな音を立てていた。
相変わらず視線と気配は部屋の片隅からじっとりと私を監視している。
早く、誰かに助けて欲しかった。
汗で泥濘む掌に携帯電話を握りしめて、私はただ、祈ることしかできなかった。
(……神さま、仏さま……悪魔さま……!)
私には信じる神仏はない。助けてくれるならいっそ悪魔でも良かった。でも、それでも不足ならば。
(鞍馬さん……!)
草壁氏……鞍馬さんの助けを信じていいのかは解らない。だけど、他に頼るあてもなくて、いつの間にか私の頭の中は彼のことでいっぱいになっていた。
(お願い、鞍馬さん……早く……助けて……!)
そして、私が一際強く願った時だった。
♪ピッポーパッポーピッポッパー、
パッポーピッポーパッピッポー♪
「……っ!」
気の抜けるような電子音。いつもなら黒野さんからの連絡だと反射的に思う音。
だけど今日の私は、携帯電話の通話ボタンを押すと同時に泣き喚くように悲壮な声で彼の名を呼んだのだった。
「鞍馬さんっ!!」
急に大きな声で話したせいか、くらくらという眩暈を感じて頭に手をやる。
ややあって、電話の向こうから耳触りの良い男の人の声が聞こえた。
『御陵先生?』
それは紛うことなく、鞍馬さんの声だった。黒野さんの声のように馴染みがあるわけではないけれど、久しぶりに安心する声で名前を呼んで貰って、私は胸がいっぱいになるのを感じた。
「ぐらっ……ぐらましゃん……わだっわたしっ――!」
じわりと涙がにじみ、鼻声になり、発音も乱れる。それはかなり滑稽だっただろうけど、鞍馬さんは笑うでも呆れるでもなく、優しい声で宥めるように言葉を続けてくれた。
『すぐに行くから、今いる場所を教えてくれますか?』
「は、はいっ、はいっ!」
私は涙と鼻水でぐしょぐしょになりかけた顔で、ぶんぶんと首を上下に振る。
普段の私なら、出会って間もない男の人に住所を教えるなんてしなかったと思う。だけど、今は話を聞いてくれる誰かに会いたくてたまらなくて、私は何の躊躇もなしに素直に住所を口にしていた。
住所を伝えると、鞍馬さんから小さく頷く気配が感じられた。
『多分、三十分くらいで着きます。もし、不安なようなら通話したままにしますけど……』
「お、お願いします……っ」
『解りました』
そう言いながら、彼は車に乗り込んだようだった。車のドアの開閉音やエンジンの始動音が響く。どうやら、彼は車でここまで駆けつけようとしてくれているらしい。そのことに、嬉しさや安堵を感じる一方、私はなんだか申し訳ないような気持ちにもなる。
「ごめんなさい……」
困惑させるだろうかとは思ったが、私は謝罪の言葉を口にした。
鞍馬さんは少しの間、その言葉に反応しなかった。だけど私がそのことに不安を募らせる前に、はぁと軽いため息をついて、いままでより砕けた口調で語りかけてくる。
『こういう時はさ、謝られるより嬉しい言葉があるじゃん?』
彼の言葉に、私はヒヤッとする。私は何か間違えてしまったのだろうか。
だけど、彼の言葉には責めるような色合いはない。考えることを許してくれているのだと思った。そうだ、私が彼に伝えなければならないのは……。
「ありがとう……ございます……」
卑屈になりすぎていた私には言えなかった言葉。だけど素直に考えれば、まず伝えなくてはならなかった言葉だ。
『どういたしまして!』
ようやく伝えられた感謝の言葉に、携帯電話の向こうで鞍馬さんが小さく破顔した気配を感じた。




