今日も朝が来る。
こんなぼくなら、産まれなきゃよかった。もう人生の中で――とはいえまだ16歳だけど――何度吐いたかわからないそのセリフを、居室の鏡面の前でまたも吐きつける。
(………………また、膨らんだ?)
左腕だけ袖を通したワイシャツの、合わせ目から覗くピンクの下着にそっと手を当てる。不愉快な弾力が、その手のひらに響く。
(また、か………………)
ずっと前に止まったはずの『変化』が、日に日に存在感を増していく。力を込めればぐにゅりと歪むその膨らみは、忌々しさを一心に集めて今日も此処に居る。
(………………そんなこと言ってても、もうどうしようもない、か。)
へくちっとくしゃみをして現実へと心を戻すと、片袖で止まっていたワイシャツを右腕にも通して前で合わせる。ちまちまと小さなボタンを合わせるのは煩わしくは無いけれど、ここの所の寒さのせいで指がうまく動いてくれない。今日は上から3番目をかけ違えてやり直した。
「………………行くか」
昨日のうちに用意しておいたカバンを手に部屋を出れば、一層の寒さに襲われる。思わず回れ右して部屋のベッドに戻りたくなったけれど、布団から這い出してもう一時間とちょっと、既に温もりなんて忘れている布団にはあんまり近寄りたくない。諦めて歩みを進めると、しばらくして眠たげな視線を向けたままふらふらと歩く人と、それを引きずっていく人とすれ違う。
「望乃夏、しっかりしなさいよ………………」
「ねーむーいー………………」
そんなやり取りを横目で流しつつ、二人を避けて寮を出る。更なる寒さが襲ってきて、布地に覆われていない私の太ももを撫でていく。
「………………これだからスカートは………………」
恨めしそうな視線を自分の下半身に向けつつ、歩みだけは止めない。まだまだ朝のホームルームには時間があるとはいえ、この寒さだから早いとこ寒さを遮れる場所に移動したいのだ。とは言っても、教室だって寒いものは寒いんだけど。
(………………タイツ、買うしかないか)
今までは『女の子の自分を受け入れることになる』から敬遠していたけれど、流石にこの寒さに抗って春まで生き延びられる自信が無い。詳しいことはよく分からないから、とりあえずは一番暖かそうなのを今日の帰りにでも買いに行くことにしよう。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか下駄箱を過ぎて一年六組の教室にたどり着いていた。
「お、凉ちゃん早いじゃん」
「………………茉莉花」
自分の机にカバンを置くと、寒さに少し身震いして、
「………………そっちも早いな、どうしたんだ?」
「ぼく? ぼくは二度寝させてもらえなかったから早く来ただけだよ。………………ったく、汐音の奴が朝っぱらから突撃して来るし、ほんとに何なんだよもう………………」
「………………なんか、大変そうだな」
茉莉花の頬に付いた真新しい傷をチラッと眺めて、とりあえずは当たり障りのない答えを返す。
獅子倉茉莉花、こいつはぼくの数少ない話し相手の一人だ。入学した時は、常に取り巻きを取っかえひっかえして楽しんでいる軽薄なやつだと思っていたけれど、向こうから話しかけられたのをきっかけにしてそれ程悪くない奴だということを知った。………………………………あとは、ごく自然に「ぼく」という一人称を使いこなせていることに、少しだけ尊敬の念を覚えている。お………………「ぼく」は自分を「ぼく」と名乗ることにやっと慣れ始めたばかりで、まだ自分でわかる不自然さが残っている。けれど彼女は、さも当たり前なように自分を「ぼく」と置く。そこの割り切りが素直に尊敬できるし、羨ましい。そしてちょっぴり憎々しい。
「凉ちゃんもいつもよか早くない?」
「………………ぼくもルームメイトに起こされた口だよ」
あいつ、目覚ましのセットを間違えて6:00に起こしやがったからな。いや、時間は合ってたんだ――そいつにとっては。しかし問題はその音量だ。………………なんでぼくも巻き添えにたたき起こす最大音量フルマックスなんだ!? しかも雑に止めたせいでスヌーズがかかって、10分毎に起こされるし。………………ほんと、帰ってきたらどんな文句を付けてやろうかな………………月夜のやつ………………
「ふぅん? 凉ちゃんもなかなか苦労してんね。」
「………………茉莉花程ではないけどな」
ぼくは、毎日のように茉莉花のとこに殴り込んでくる娘のことを思い浮かべる。微かに赤みのかかった髪で、顔を出す度ギャーギャー騒いでやかましいんだよなぁ………………茉莉花、他のとこでやればいいのに。
「あ、凉ちゃんもそう思う? ………………ったく、汐音は加減を知らないからなぁ。この前なんか………………………………いや、思い出したら後味悪くなってきた。」
いや、何をされたんだよ。ちょっと気になるじゃないか………………
「………………っと、そうだ。凉ちゃん、被服課題の計画立った?」
「課題? ………………あぁ、そう言えばあったな」
今の今まで忘れてた。
「ちょっ、大丈夫なのか凉ちゃん!? 年明けてちょっとしたら期限とはいえ、冬休みまでひと月切ってるんだよ!? 」
「まぁ、なんとかなるさ。………………あ、でもモデルを立てなきゃいけないのか。」
「そうだよ、今回のテーマ的には千歳でいいかなーって思ってるけど、汐音も捨て難いし………………あー迷うなっ」
「モデルに迷う、ってことは原案はできてるんだ?」
「まーねっ、あとはサイズとって型紙に起こすとこ。凉ちゃんは………………うん、まだっぽいね。早めに決めちゃった方がいいと思うよー、トルソーも人数分あるわけじゃないし、二年三年とも取り合いだし」
「………………あー、うん、考えとく………………」
そんな会話をしていると、チャイムがなってお互いの席に戻る。それからお昼までずっと原案について考えてはいたけれど、結局思いつかなかった。