彩名の告白
「お姉ちゃん…みゆね、パパのことを考えると眠れないんだ」
「大丈夫よ、みゆ!お姉ちゃんがずっとそばにいるからね!」
「ちょっと待って、ここってそんなに大きな声で元気にいっちゃっていいのかな」
「…えっと」
わからない。客観的に見れていないから。本読みの段階では感情移入をして読めるのにいざ自分が「芝居」をしようとすると全く客観的に見れなくなるし感情も入らなくなる。どうしよう。
「2人は虐待されてるんだよね。みゆは4歳でしょう、いくら4歳だからといって何もわからないわけじゃないと思うんだよね。」
最もだ。それはわかる。
「ずっと我慢してきたみゆが初めて布団の中でお姉ちゃんに勇気を出して自分の気持ちをこぼすセリフなんだよ」
「はい」
「みゆの小さな叫びを初めて聞いてお姉ちゃんはどう感じてる?」
……まって、答えられる。答える。少し整理させてほしい。ほか15人の前でなにか発しようとしているのだ。ただでさえ頭が混乱しているのだから。
「えっと…私としては、はじめて弱音を吐いてくれたので…受け止めてあげたいというか…。姉として。守ってあげたいと感じていると思います」
「そしたらどうなる?パパのこと考えると眠れないんだって言ってきた妹の想いを受け止めたいとしたら」
「……」
「もう一回やってみて、前の「みゆ、もう寝ようか」から」
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私は人一倍他人の変化に敏感で、相手の声色やふとした表情で感情がどう動いたかなんとなく察してしまうところがある。別に特別な能力でもなければ珍しいことでもない。そして勿論、いいことでもない。気づくことが多い分、気遣うことも、傷つくことも増えるのだ。私の場合、化学物質にも敏感に反応してしまうし、店の装飾の変化にも敏感である。世の中ではこういった人をHSP(Highly Sensitive People)と呼ぶのだという。更に厄介なことに、とにかく自分に自信のない私は、大勢の人の前でレッスンを受けることがとても苦手だった。正解なんてない。それ故に芸術は人を虜にするのだろう。様々な解釈があり、人の数だけ感じられることもある。しかしいざ自分が 「演技」をしようとすると「正解のない」事実が私の首を絞める。自由に表現して、それおかしい、それ変。と思われたらどうしよう。いや。こう思っている時点で私の芝居は随分と内側にこもったエゴの塊なのである。心をオープンにして自分の殻を破る必要がある舞台人として生きようとしている私にとって、この性質は厄介なものだった。
「舞冬」
ふと声をかけられて思わず体がビクつく。
「ごめん!何?」
「こっちこそごめん。すごい真剣な顔してたから話しかけるの躊躇した」
そういってふわりと笑うのは、同じレッスン生の岩本彩名である。左に流してある長い前髪は緩いカーブを描いてその透明感のある顔を更に引き立てていた。
「一緒に帰らない?相談したいことがあって」
そういった彼女は少し困ったような笑みを浮かべた。それすら絵になるなぁなんて思いながら私は
「いいよ!準備できたら言って。待ってる。」
と言った。
白い息を吐きながら私たちは冷たい空気の中を歩いていく。駅まで徒歩十分。道の狭さゆえに電信柱の電線が空にやけに多く張っているように見える。まるで蜘蛛の巣だ。
「で、どうしたの?」
横目で彩名の顔を盗み見る。鼻から下を淡い水色のスヌードに埋めていたその横顔からは迷いと自信が見て取れた。
「…あたしね。この間新宿でスカウトされたの。」
「えっ!すごいじゃん!なに、事務所?」
「うん。事務所。アイドルやらないかって」
「え?」
アイドル?それって
「それって彩名のやりたい事とは全然違うよね?」
一応の確認のつもりでそう念を押す。
「………」
「…彩名?」