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古龍の因子


「チッ、追いつかれるか」


 後方から執事が追ってきている。

 異世界の魔術で身体能力を強化しているのか、その速度は尋常ではない。

 時期に追いつかれる。

 背後から襲撃を受けるくらいなら、迎えうつか。

 幸い、追ってきているのは執事だけ。

 一人だけなら勝機はある。


「ここにするか」


 ちょうど広く空けた空間に出る。

 そこで立ち止まり、振り返り様に鋒を向けた。


「観念した。という訳ではないようだね」


 追いついた執事が、眼前に立つ。

 その視線からエリザベスを隠すように、立ちはだかった。


「不可思議だな」


 執事はそう言って首を傾げる。


「キミは今、なぜそうしている。エリザベス様とは縁もゆかりもない赤の他人だろう。自身の命を張ってまで、なぜ助けようとする?」

「そんなの決まってるだろ」


 俺は曲がりなりにも魔術師だ。


「助けを求められたからだよ」


 人助けは魔術師の本分だ。

 ここでエリザベスを見捨てたら、俺は魔術師として生きてはいけない。

 だから助けた。


「ふん。英雄気取りのつもりか」


 一笑に付し、執事は腰の剣を抜く。


「夢に殺されるタイプだな、キミは」

「そう思うなら確かめてみろ。自分がいかに的外れかわかる」

「戯れ言を」


 その言葉を最後に、空気が張り詰める。

 大気が肌に貼りつくような感覚に陥り、心臓の鼓動が内側にこだました。

 その最中にあって、俺は鋒を別方向へと向けた。

 角度を九十度ほど折り曲げて、刀身を見せつける。


「なんのつもりだ?」

「見事なもんだろ? 俺の国では宝とされている物もあるんだぜ?」


 俺と執事との間に刀をおいた。

 刀身の側面をもって、自身の口元を隠す。

 そして、背後のエリザベスにだけ聞こえるよう言葉を紡ぐ。


「エリザベス。教えてくれ、どうすれば因子を受け継げる?」

「――勇者様、それは」

「あぁ、腹は括った。もう言い訳はしない」


 この先、この世界で生きていくなら必要なことだ。

 刀の一振りで生きていくには、守り通すには、この異世界は未知がすぎる。

 だから、受け継ぐ。古龍の因子を。

 俺に資格があるのかどうかはわからないが、試してみる価値はある。


「わかりました――」


 エリザベスは告げる。

 受け継ぐ方法を。


「ん? なにをこそこそと話している」


 それがちょうど終わるころ、執事にことが露見する。


「まさか、貴様ッ!」


 これから成そうとすることに察しがついたのか。

 執事は即座に地面を蹴って肉薄した。

 人知を越えた速さで間合いに踏み込み、剣は直進を描いて突き出される。

 その速度は放たれた矢に匹敵した。

 だが、その程度の剣撃など脅威にはなり得ない。


「邪魔だ」


 下方から掬い上げるように鋒が跳ねる。

 弧を描いたそれは這い上がり、執事の剣撃を弾き上げた。

 頭上まで弾かれた剣に釣られて、腕すらも持ち上がる。

 その間、胴はがら空きだ。


「引っ込んでろ」


 蹴り飛ばす。

 靴底はみぞおちを抉るように食い込み、衝撃は身体を吹き飛ばす。

 いくら身体強化を施そうと、態勢の崩れたところへ攻撃を食らえば一溜まりもない。

 執事は地面を転がるように吹き飛んだ。


「エリザベス」

「はい、勇者様」


 距離は空いた。

 執事が次の一手を繰り出すまで猶予はある。

 それまでに済ませるとしよう。

 古龍の因子、その割譲を。


「――待てッ!」


 悪足掻きとばかりに、崩れた体勢から魔術が放たれる。

 極小の太陽がごとき火球。

 それが周囲の大気を焦がしながら迫る。

 しかし、この一刀のまえでは無意味だ。

 幻怪さえ捕らえる剣の技量は、魔術すら斬り伏せる。


「な……に?」


 太陽は、真っ二つとなり霧散する。

 これでもう、邪魔はできない。


「待てッ――待ってくれ!」


 そして、古龍の因子は割譲された。

 エリザベスとの口付けによって。


「んっ――はっ」


 唇が離れ、エリザベスは崩れ落ちる。

 それを支えるように腰に手を回すことで抱き留めた。


「大丈夫か?」

「は、はい。なんとか」


 紅潮した様子で腰を抜かしていたエリザベスは、なんとか自身の足で立つ。


「やって……くれたな。この薄汚い小僧が」


 執事は土の付いた燕尾服を気にも止めずに立ち上がる。

 眼光は鋭く、怒気を孕む。

 そこには明確な殺意があった。


「エリザベス。すこし離れていてくれ」

「は、はい」


 殺意に当てられて、こちらも刀を構え直した。


「貴様に――貴様なんぞにッ」


 執事は地面を蹴る。


「資格がッ、あって堪るものかッ!」


 先ほどよりも、更に速い。

 身体能力が大幅に強化されている。

 繰り出される剣撃は稲妻のように鋭く、斬り込まれた。


「うるせぇよ」


 鋭く、速く、力強く、剣撃は放たれる。

 だが、そのいずれもがこの身に届くことはない。

 すべてをいなし、弾き、防ぐ。

 いくら鋭くなろうと、速くなろうと、強くなろうと、関係ない。

 技量の上でこちらが勝っている以上、それらはすべて捌き切れる。


「この――身体強化もなしにッ」


 執事の剣には冴えがない。

 ただ刃を振っているだけで、太刀筋が死んでいる。

 それを見切るのは、赤子の手をひねるよりも容易いことだ。

 ゆえに、執事の剣撃に対して、俺は左手を伸ばした。


「なッ」


 この手は掴む。

 放たれた突きを、握りしめて受け止める。

 手の平は傷つかない。

 なぜなら、守られているからだ。

 魔力の殻――魔殻まかくによって。


「その――魔力はッ」


 瞬間、執事の動きが停止する。

 この好機を逃すことなく、刀を逆手に持ち替えた。

 そして、この身に宿った古龍の因子。その魔力を解放する。


「どうやら、俺には資格があったみたいだ」


 身体の内側から放たれる古龍の魔力は、刀身を伝って放出された。

 魔術もなにもない、純粋な魔力の奔流は、その激しさゆえに地表を削る。


「貴様――」

「じゃあな」


 刀を振り上げる。

 突き上げるように振り抜いた一刀は、古龍の魔力を舞い上げた。

 まるで古龍が放つ息吹のごとく、それは天へと遡る。

 先端が雲をも超えて途切れたころ。

 宙を舞った執事は地面に叩き付けられた。


「――終わったのですね」

「あぁ、たった今な」


 起き上がる様子はない。


「シースは、死んでしまったのですか?」

「いや。まだ生きてる。止めておくか? 息の根を」


 今なら簡単に仕留められる。

 俺自身、人を殺めた経験はないけれど。

 この先、この異世界で生きていくなら、いずれは経験することだ。

 なら、速いに超したことはない。


「……いえ、この者はすでに勇者様の相手にはなりえません。捨ておいても差し支えないでしょう。ですから……」

「わかった。なら、そうしよう」


 自らの親兄弟を謀殺した人間を見逃す、か。

 色々と思うところはあるが、口には出すまい。

 それがエリザベスの結論なら、俺はそれに従おう。


「なら、さっさと逃げるとしよう。このストーカーが起き上がらないうちにな」


 この執事の目が覚めるまえに、痕跡を消して逃げなくては。

 兵士たちはまだ消火に手間取っているようだ。

 森の奥のほうに見える赤が、それを物語っている。

 追っ手はもういない。いまなら逃げ切れそうだ。


「あの、勇者様」


 どこへ逃げようかと考え始めた矢先のこと。

 エリザベスの不安そうな声が耳に届く。


「このような事態に陥ってから訪ねるのは身勝手だと承知しています」


 それは良心の呵責に思い悩んでいるようでもあった。


「ですが、聞いておきたいのです。勇者様は、これでよかったのかと」


 それは、この異世界に召喚されたことか?

 それとも古龍の因子を割譲されて、一国から追われる身になったことか?

 どちらにせよ、答えは決まっていた。


「今更だな」


 抜き身の刃を鞘へと納刀しつつ話す。


「俺は魔術師――人の平穏を維持するためにある守護者だ。助けを求められたなら、それに応えたいんだよ。異世界でも、そいつは変わらない」


 まぁ、正式な魔術師となる機会は、失われてしまったけれど。


「それに嫌なら、そこで伸びてる執事に引き渡したさ。大人しくしているから、命だけは助けてくれってな」


 あるいは、エリザベスを見捨てて一人で逃げていた。

 自身の命を最優先にするなら、それが一番、生存率が高い。


「でも、そうしなかっただろ? それが答えだよ」


 あのときの俺に、その選択肢は浮かばなかった。

 親兄弟を謀殺され、天涯孤独の身となった憐れな姫君。

 彼女を――エリザベスを、見捨てることなど到底できなかった。

 それがたとえ、俺をこの異世界に引き込んだ張本人だったとしても。


「勇者様……感謝します。深く深く、感謝いたします」


 エリザベスはまたしても頭を下げた。

 涙ながらに、感謝の言葉を口にした。


「感謝はあとだ。そいつは後でたっぷり聞くから、いまはここを離れよう」


 消火に当たっている兵士たちが、古龍の息吹をみて集まってくるかも知れない。

 移動するなら速やかに、静かに行われるべきだ。


「わかりました。では、すぐにでも――え?」


 涙を拭いながら顔を上げたエリザベスは、驚いたような表情をする。

 なにか信じられないような物でもみたように。


「どうした?」

「ゆ、勇者様のお身体が……」

「身体?」


 俺の身体がどうかしたのか?

 そう疑問に思いながら、自身の身体を見やる。


「――これは」


 光に包まれていた。

 いや、違う。

 粒子化した身体の一部が発光している。

 これは、この現象は召喚の予兆。

 誰かが俺を召喚しようとしている。

 そこまで理解したところで、足下に光りかがやく召喚陣が描かれた。


「この構築式……百合か」


 この召喚陣の構築式には見覚えがある。

 百合特有のくせが見て取れた。

 異世界に召喚された俺をみて、すぐに再召喚を試みたんだ。


「そう言えば……」


 そこまで思い至ったところで、懐に手を突っ込む。

 取り出したのは、召喚の寸前に百合から投げ渡されたもの。

 アイリスの押し花で造られた栞だ。


「これが座標の代わりになっているのか」


 これのお陰で、百合は俺の正確な位置を探り当てた。

 このまま召喚に応じれば、現実世界に帰ることができる。

 エリザベスを一人、残して。


「勇者様……」


 この召喚陣の意味を、エリザベスも理解していることだろう。

 とても、とても、悲しい顔をしている。

 そんな表情を、俺は見てはいられなかった。


「エリザベス」


 思わず、手を引いた。

 エリザベスの手を取り、抱き寄せた。


「ゆ、勇者様!? な、なにを……」


 腕の中に収まったエリザベスは、驚いたように目を見開く。

 このままでは自身も一緒に召喚されてしまう、と。


「一緒に行こう。こっちの世界に」

「勇者様の……世界に?」

「あぁ。たしか最初に言ってたよな? ここではないどこかに連れ去ってほしいって」


 そう言ってやると、エリザベスはハッとした表情になる。


「俺が連れ去ってやるよ。世界の垣根を越えて」

「勇者様……」

「嫌なら陣から出てもいい。そのときは俺も一緒に出る」


 そう言ってみたけれど。

 エリザベスは召喚陣から出ようとはしなかった。


「もう……いけず、です」


 俺の衣服を握りしめ、エリザベスは胸に顔を埋めた。


「はっはっはっ、悪いな」


 そうして、二人の粒子化は完了し、召喚陣に吸い込まれた。

 こうして、異世界から二人の痕跡は完全に途絶えることとなる。

 かくして、俺たちは世界の垣根を越えて現実世界に帰還した。

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