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竹と梅

作者: 赤柴紫織子

少女のまぶたを開かせたのは、轟音に次ぐ轟音だった。

静寂で満たされ、暗闇に閉じられた部屋にただ一人置かれた彼女にとっては久方ぶりの刺激である。


轟音は次第に近くなりそれにともない悲鳴や怒声もはっきりと聞こえるようになる。

空気がびりびりと震え、少女の柔肌を叩く。誰かが強力な術を使ったのだろう。あまり気持ちのいい感触ではない。無意識のうちに彼女はぎゅっと着物の袖を握りしめる。

だが、それもわずかな間で消えうせてしまった。

つい先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように暗闇の向こう側は――少女の居る部屋の外からは音が途絶えた。


――どれぐらい時がたったのか。

少女には元々時の概念はなかったが、それでも空腹具合から察するに二回は食事を抜かれている。

何か悪いことをしてしまったのだろうか。何かあったのだろうか。

問いかける人間も答える人間もいない、ひとりぼっちの闇の中で少女はうずくまり誰かを待ち続ける。


やがて。

完全に音と気配の消えた外に、新しい気配が入り込んでくるのを少女は感じ取った。

己の心の臓の音を全身で感じながら体を起こし、ただじっと暗闇を見据える。

ぎぃ、ぎぃ。

ぎぃ、ぎぃ。

聞き覚えのない、床のきしみが近づいてくる。


足音は少女の居る部屋の前で止まった。

得体の知れぬ何かと少女を隔てるのは封印の札がべたべたと貼られた異様なふすまだけだ。

少女はもちろん、よほどの術者でない限りここを開けることはできない。少女の世話をするため以外には開けられることはない。

だが、それを向こう側にいる誰かは鼻で笑うと意図もあっさりと破ってしまった。

そしてふすまを開け放つ。

少女は久しぶりの突き刺すような光の暴力に思わず目を瞑った。

少しして痛みが引き、伸びた前髪の間からおそるおそる瞳をのぞかせる。


見えたのは、光を背中に背負い、黒々とした逆光で塗りつぶされたそれ。


「暗くて敵わんな」

おとこの声でそれはつぶやき、なにやら低い声で唱えると弱弱しい鬼火らしきものが出現する。

ようやくのこと互いの顔が見えるようになりたっぷりとした時間見つめ合った。

「なんと――」

先に声を出したのは一間はあろうかというおとこだった。

老いているとも若いともいえない。顔やむき出しの腕、足に無数の傷痕が刻み込まれている。

少女とは真逆だ。

清潔な着物を着、露出している部分は顔と手、足ぐらい。傷のないすべらかな白い皮膚が華奢で小柄な身体を覆っている。

そんな少女を見、おとこは目を細める。

「面白いものを見たものよ。わっぱ、そこで何をしておる」

「あ、え…」

なにをしていたのかと問われたところで、なにもしていない。

ただ飼い殺しにされ、早くに死が訪れるのを望まれる。彼女の役目はそれぐらいだった。

口ごもる少女を見ておとこは何を思ったのか質問を変えた。

「そこまで警戒するな、と言っても無理な話か。おぬしの名前はなんだ」

「こ、小松」

「小松か。わしは竹馬ちくま。松に竹とは、なんともめでたい」

「ちくま」

「ああ。さて、もう一度聞くぞ。どうしてこんなところに?」

なぜそのような問いをされたのか分からないと言った風に小松は首をかしげる。

「わたしは、鬼だから」

竹馬はきょとんとした後、呵々――と笑いだした。

「鬼? 鬼と言うたかよ。わしにはそうは見えぬが」

なめらかな額、愛らしく口内に収まる八重歯、透明な眼玉、華奢な身体に薄い爪。

竹馬のいうとおり、『鬼』と名乗るにはあまりにも遠い外見だった。

しかし小松は主張を譲らず首を振る。

「妖を呼ぶんだって。妖を呼んで、みんなを危ない目にさらす鬼だって。父様も、まじない婆さまも、声聞師さまも、みんな言っていた」

「確かに」

竹馬は鼻を上に向け、すんと嗅いだ。

「おぬしの身体は――いや、血か。面白い匂いがするのう。まるで梅のようだ」

梅の花の香りのよう、とはそれは家人にけなしの文句として言われてきたが、竹馬は純粋な気持ちで呟いたようだった。

自分を肯定されたような心持になり、小松はわずかに身を乗り出す。目の前のおとこは危険だと直感的に感じてはいたが、ひととまともに話したのも久しぶりだったのだ。

そんな気配を察してか、竹馬はずんずんと女人の部屋に入り込み、屈む。

それでも小松との目線の高さは合わない。しかし距離は縮んだ。

「まあ、安心せよ、小松。おぬしはおぬしが思うほどには鬼でもないし脅威でもなかったのだ」

分からないと言いたげな小松に竹馬は笑う。

「おぬしが生きているということはおぬし目当てで来たわけでもないようだ。とすると、ここにいた人間の誰かが愚かなことに執念深き妖に喧嘩を売ったのであろうよ」

なんとなくだが、父だろうなと小松は思った。

そしてそれは当たりともいえる。

都では妖をいくつ倒したかが術師の腕前を現しているというのが一種の流行となっている。小松の父もその流行りに乗っかり、それなりの業績を上げている。

ならばなぜ小松の血によって引き寄せられた妖も同じように倒そうとしないのか。

答えは単純だ。ただ単に、彼女の父は弱い妖しか相手に出来なかったのだ。

だから強弱も大小も関わらずどのような妖でも呼び寄せてしまう血を持つ娘は父にとって脅威でしかなかった。

しかし幼い子供を放り出すのも世間体が悪い。常に噂を欲している町民などに知られたらどうなるかは火を見るより明らか。小さな村の術師が娘を捨てたなど格好の種だろう。

だから、小松を暗闇に閉じ込めた。

「あなたは? あなたは、どうしてここに?」

「食い残しを掠めに来ただけよ。傷が痛むのでな、あまり激しく動きたくはない」

「どこか怪我をしているの?」

竹馬は無言で自分の左肩を指さした。

初めてそこでおとこの左腕がない事に小松は気付く。

「痛そう」

「痛かったぞ。まったく、ひとりでしばらくめそめそしていたわ」

「どうして、腕がないの?」

「妖食いに喰われたのだ」

笑いをひっこめて、竹馬はむっとした顔で応える。

「あやかしぐい?」

「おう、おう。ちょうどおぬしぐらいの小娘でなぁ。だがおぬしよりもっと可愛げがなかったぞ。わしの腕を丸々一本かじった後に出た感想が『まずい』だ」

「まずいの?」

「どうやら『ひからびただんごよりまずい』らしいぞ」

 確かにあれは不味いが、腕もそうなのだろうか。社会経験の薄い小松はそんなことを思う。

「ま、このような話などどこでもできる。どうだ、おぬしもこんなところは退屈だろう。外に出ないか」

小松は頷きかけて、それから悲しげに首を振った。

「みんな困るから、出られない」

「みんな? みんなとは誰のことだ」

「村の人たちが」

「ふむ」

「声聞師さまが」

「ふむ」

「家の人たちが、小間使いが、まじない婆さまが、父様ととさまが」

「ふむ、ふむ、ふむ!」

竹馬は呵々大笑する。

「困る人間などもう居らぬ。小さな子ども一人閉じ込めて満足している人間などもう居らぬ。みなもうどこぞの妖の餌よ」

この幼い少女にとっては衝撃的な事実だっただろう。

普通に育てられていれば。

しかし隔離され、人と離され育てられた彼女にとっては遠い話のようにしか思えず、ただ「そうか」としか思わなかった。

そうか。もう、みんないないのか。

「残り物とはいえ、わしの胃袋にもすぐ収まってしまったわ」

その言葉を聞き、小松は改めて竹馬の全身を観察した。


額からは太い角が一本。むき出しの手足は大きく、爪は鋭い。

岩石のようにごつごつとした身体にぼろを纏っている。

――おとこは、本物の鬼だった。


「わたしは?」

「む?」

「わたしは食べないの」

「あいにくと腹いっぱいでの。それにそんな細っちいのは食った気もしない」

大きな手で小松の髪をわしゃわしゃと乱す。

一体どれくらいぶりに撫でられたことだろう。どこか気持ちよさそうに小松は目を閉じて鬼の手を受け入れる。

鬼はそんな少女に僅かにほほ笑むと立ち上がり、入ってきたふすまとは逆方向の壁へと向かっていく。

「さて出るか」

慌てて少女はその背に呼びかける。

「で、出口はあっちのはず」

「構わぬ。人の決まりに鬼が従うかよ、のう?」

――来る途中にいくつもの惨状があることを鬼は知っている。それを少女に見せたくないのは、ただの気まぐれか。

とにかく、めちゃくちゃな理由を上げながらおとこは壁を蹴った。

二回蹴ると大穴が空き、四回蹴ると外へつながった。

広がった光景に、ああ、と小松は言葉にならぬ声を漏らす。

季節は新緑。世界は初々しい緑に溢れていた。

天から溢れる光と、濃く香る草の香。ゆるりとした風が小松の頬を撫でる。

「ふむ。おぬしの柔い足の皮膚ではあっという間に傷だらけになるな」

憧れた外に感動する小松の横で、極めて現実的な問題を竹馬は口にする。

「担いでやろうか。おぬし一人ぐらい大した負担にもならぬしな」

小松は首をぶんぶんと横に振った。

先ほどよりも瞳の中で輝く光が増え、唇は喜びにほころんでいた。

「いいの、わたし、わたしの足で歩いてみたい」

「そうか、そうか。ならばどこぞで草鞋でも調達せねばな」

気休めにと竹馬は布団の布を引き裂いて少女の足に巻き付ける。

そして、ふたりは外の世界へと出た。

忙しくあたりの景色を見る少女の頭を見ながら、鬼は苦笑した。

「孤高の鬼が、腕を食われて弱った挙句にわっぱまで拾うとはなぁ」

あの妖食いが聞いたなら大笑いするだろう。

行くぞ、と声を掛けて竹馬は歩き出す。小梅は慌てて足を動かした。

一歩、二歩。ただそれだけなのに一気に距離が離れてしまう。

それに気づき呵々と鬼は笑った。

「遅い遅い。それではすぐに夜になり、夏になり、冬になってしまうぞ」

言いながら、竹馬は歩調を合わせてやった。

小梅が隣を歩けるように。

「あ、ご、ごめんなさい」

「なに、のんびり歩くあいだにおぬしも大きくなるであろう」



とある小さな村が妖によって食われたのとほぼ同時期に。

ぼろを着た大男と、小さい娘が方々で見かけられたという。

妖にも見えるそのおとこは巨体に似合わず巫女の足に合わせてゆっくりとした速さであったと、伝え聞く。


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