ヒカリとホズミ
りん子の家の近所に、ヒカリとホズミという姉妹が住んでいる。公園や空き地でよく遊んでいて、二人はとても仲が良い。
年子らしく、背格好は同じくらいだ。顔もそっくりで、髪型も同じロングヘアなので、りん子はつい呼び間違えてしまう。
「ヒカリちゃん、今日は学校お休み?」
「私、ホズミです」
よく見ると、左目の下にほくろがある。でも、ヒカリにもあったかもしれない。つむじの位置が少し右寄りだ。でも、それも同じだったかもしれない。
本当にそっくりね、とりん子が言うと、ホズミは首を振った。
「姉のほうが、ほんのちょっとだけ可愛いんですよ」
恨めしげな目と自嘲的な笑みに、ああホズミだ、とようやく思う。姉のヒカリはもっと明るくてあっけらかんとしている。だから可愛く見えるのだ。でもそうは言えないので、本当にそっくりよ、とりん子は繰り返した。
ホズミはなおもかぶりを振る。
「姉のほうが、何でもほんのちょっとだけ良くできるんです。勉強もピアノもマラソンも、早口言葉もカラオケも、ほんのちょっとだけ」
「そうかしら」
「でもほんのちょっとの違いで、姉のほうがずっと友達が多くて、男の子にももてるんです」
りん子は頭をひねった。ほんのちょっと早く生まれてきただけで、そこまで格差が生じるものだろうか。ホズミの暗い顔を見れば見るほど不思議になる。
「そんなことがあっていいはずないわ。一緒に考えましょう」
りん子は飲み物を買ってきて、ホズミとベンチに座った。ホズミはペットボトルのふたを静かに開け、一口、二口飲んでため息をついた。
「私がこの百円の水だとすると、姉はほんのちょっとだけ高いレモン水なんです。ほんのちょっとレモン味がついてるだけなんですけど」
「何か、ホズミちゃんにだけできることはないの? 英語の歌を歌うとか、連続逆上がりとか」
「できますけど……姉のほうがほんのちょっと巻き舌が上手で、ほんのちょっと握力が強いんです」
うーん、とりん子は唸った。ホズミの思い込みのような気もするが、小さい頃から嫌というほどそんな思いを味わってきたのだろう。
「じゃあ、ホズミちゃんのほうが我慢強いんじゃない?」
「私は片足立ちで一時間耐久できますけど、姉は一時間十五分できます」
「それじゃあ、単純作業はどう? このペットボトルのラベルを剥がしてゴミを分別するとか」
「月末にやってますけど、姉のほうがいつも一個だけ多く剥がします」
りん子はほとほと嫌になり、ペットボトルを投げ出そうとした。するとホズミが受け取り、自分の分と一緒にゴミ箱へ放った。二つのペットボトルは綺麗な放物線を描き、数メートル離れたゴミ箱に収まった。
「すごい! 上手ね」
「姉と一緒に飲むと、いつも私が捨てに行かされるので……こんな横着を覚えちゃいました」
これだわ、とりん子は思う。ホズミにできて、ヒカリにできないことはやっぱりあったのだ。ゴミ捨てのたびに鍛えられた命中率は、いろいろなところで役に立つはずだ。
ホズミは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そういえば私、ドッジボールで当てるのはすごく得意です」
「でしょでしょ!」
「でも……姉は避けるのが得意なので、結果的にそっちのほうがチームの役に立つんですよね」
ホズミはまたしょんぼりと眉を下げる。そんなだから幸運が逃げていくのよ、と言いたくなるのを抑え、りん子は顎に手を当てた。
「試してみる価値はあるわ」
「何を?」
「ホズミちゃんの命中率と、ヒカリちゃんの回避率、どっちが上か勝負するのよ」
ボールやペットボトルを投げるのでは面白くない。もっと緊張感がなければ、とりん子は考えた。
「あっ、そういえば」
ホズミは少し元気を取り戻して言った。
「姉はフキノトウが大嫌いで、見るのも触るのもだめ、口に入れたら気絶するんですよ。私も嫌いですけど、見たり触ったりはできます」
「それだ!」
りん子は膝を打ち、立ち上がった。さっそくフキノトウを買ってきて細かく刻み、ほうれん草と一緒に煮込んで味噌汁を作った。
ヒカリを呼びに行くと、当然、露骨に嫌な顔をされた。
「うっ……それ、どこかにやってくれないかな。できれば地球の裏側あたりまで」
ヒカリの顔はやはりホズミにそっくりだが、こんな状況でしかめっ面をしていてもどこかユーモアがある。
「ごめんお姉ちゃん、少しだけ我慢して」
「ううう……においだけでも死にそう」
ヒカリは青い顔をして後ずさる。りん子はフキノトウ汁の入った鍋と杓子をホズミに持たせた。
「ルールは簡単よ。ホズミちゃんはひたすらフキノトウ汁をかける。ヒカリちゃんは逃げる。一時間以内に気絶させたらホズミちゃんの勝ち。逃げおおせたらヒカリちゃんの勝ちね」
そんな、とヒカリは情けない声を出したが、ホズミは既に目つきが変わっている。杓子に汁を汲み、力いっぱいヒカリにかけた。
「熱い! 何するの」
ヒカリは台所を飛び出し、玄関のほうへ逃げていく。ホズミは大きな鍋を抱えて追いかけ、今度はフキノトウの部分をたっぷりすくい、ヒカリの背中に投げつける。
しかしヒカリの運動神経も負けてはいない。さっと斜めに跳び、フキノトウを全てかわした。顔に浴びた汁をぬぐいながら窓に張り付き、天井をつたって逃げていく。
ホズミは次々と汁を汲み、ヒカリの行く先にまき散らす。手を滑らせて落ちたところに、鍋の中身を浴びせかける。
「そこまで! ホズミちゃんの勝ち……」
りん子は夢中で二人を追いかけていたので、玄関のドアが開いたことに気づかなかった。
「きゃっ……!」
「何だこれは!」
ヒカリに似た可愛らしい表情をした女性と、ホズミに似た生真面目な雰囲気の男性が、部屋の中を見て立ち尽くしていた。
どこもかしこも味噌汁だらけで、壁にはほうれん草がこびり付き、フキノトウのにおいが充満している。そして、いつも行儀のいい娘たちが血相を変えて走り回っている。
まずいことになったわ、とりん子は思った。そろそろと歩き、夫婦の間をすり抜けようとしたが、ツーサイドアップの髪が引っかかり気づかれてしまった。
『あの子が始めたの』
ヒカリとホズミが口をそろえて言った。さっきまで味噌汁をかけ合っていたのに、素早く仲良し姉妹に戻っている。
りん子は髪をふりほどき、走った。
「待ちなさい!」
夫婦が怒鳴り、追いかけてくる。何だ何だ、と隣の家や向かいの家からも人が飛び出してきて、一斉にりん子を追いかける。
味噌汁を作ってあげただけなのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのだろう。りん子は家の柵を跳び越え、ちょうど置いてあったスケートボードに乗って坂を下った。それでも夫婦たちはしつこく追いかけてくる。
「捕まえろ! 縛り上げてヘビの餌にするんだ!」
冗談じゃないわ、とりん子は思う。坂が終わり、スケートボードが失速し始める。
もうだめか、と思った時、突き当たりの川からカワウソが顔を出した。
「早く、ここに入れ!」
小さな手で懸命に、魚捕り網の口を広げている。そこには既に鮭が二、三匹かかって泳いでいた。りん子は迷ったが、夫婦たちがすぐそこまで追ってきている。ぐっと息を詰め、体を縮めて網の中に飛び込んだ。
追っ手たちは川の前まで来ると、息を切らしてりん子を探した。ホズミの父親は網を覗き込み、ここには鮭しかいない、と言った。
母親のほうはカワウソにあれこれ聞いていたが、食べ物を持っていなかったので、結局何も聞き出せずに帰っていった。
りん子は網の中で水に半分浸かったまま、ほっと息をついた。鮭が耳をつついてきたり、尾びれで平手打ちをしてきたりするのはあまり良い気分ではないが、とりあえず命は助かったのだ。
「代金はきっちり貰うからな」
カワウソがにんまりと笑って見下ろしている。鮭に添える大根下ろしで十分ね、とりん子は思った。