3月(下)
宮殿群と市街地はそれなりに距離がある。
それでも市街地の方がお祭り騒ぎになっていることは、カメリア宮のバルコニーからでも容易に窺い知ることが出来た。
夜になった分、お祭りの灯りが街中を彩っているのが良く見える。
「おぉー……凄いな」
そして何より凄いのは、夜空に咲く火薬の花だ。
花火。
ベガにはそれがどうやって作られているのか全くわからないが、しかし、夜空で花開くそれがとても綺麗なことはわかる。
微かに聞こえる音にバルコニーに出てみれば、花火が打ち上げられていたのだ。
最初にそれを目にした時、ベガは一瞬、全てを忘我した。
星を掻き消す火の花、花枯れる一瞬に除く白煙、風が届ける微かな火薬の香り。
五感全てに訴えかけてくるそれは、確かに芸術的だと、そう思った。
「こっちの方が、私としては性分が合ってるような気がするよな」
少なくとも、「これ」よりは。
そう思って摘んだのは、床にまで届く長いスカートだ。
髪も結い上げられていて、普段は見せないうなじがちらりと覗いている。
表着のローブとパニエで膨らんだロングスカート、胸元を隠す胸当て、絹で織られた深緑のドレスは、花火の赤に照らされて良く映えていた。
「――――お妃様、そろそろ宜しゅうございましょうか。お身体が冷えてしまいます」
「……ええ、わかりました」
バルコニーの入口、つまり室内側のカーテンがめくれて、メイドが姿を見せた。
外の空気を吸いたいとバルコニーに出てきた――逃げて来たとも言う――ベガではあったが、そうそう長くは外せない。
何しろ、一応……そう、一応は、この国の摂政の妻なのだから。
……夫婦らしいことは特にしたことが無いと言うのは、この際は問題では無かった。
「有難う、もう大丈夫です」
カーテンの前に立って、人の出入りを封じていただろうメイド達にお礼を言う。
彼女らは皆一様にお腹の前で手を組み、同じ角度で頭を下げていた。
目線を合わせてくる者がいないのは、自らの領分をわかっている、と言うポーズだ。
(プロだよなぁ、何と言うか)
感心しつつ、気を入れ直す。
余り得意では無いが、だからと言って嫌がって逃げることも出来ない。
それにまぁ、何と言うか。
実際の所、さほどキツいことでは無いのでは無いかと、最近では思い始めてもいるベガだった。
◆ ◆ ◆
カメリア宮の円形ホールには、淑やかな音楽が流れていた。
中央には何組もの男女のペアがくるくるとワルツを踊っていて、見るからにダンスパーティーと言う風だった。
ホールの一角には食事の並んだテーブルもいくらかあり、軽食が摂れるようになっていた。
「ああ、ベガ。気分はどうかな?」
「少し風に当たったおかげで、身体の熱も引きました。リチャード様」
手を取られ、腰を引かれる。
ベガとしては努めて静々とリチャードに寄り添う形になるが、その動きは自然だった。
流石にもう緊張はしない様子で、傍目から見ると仲の良い夫婦にしか見えなかった。
周囲にいた貴族らしき人々の中から、そう言った類の声が上がっている。
正直、気恥ずかしさとむず痒さを感じるが、これも役目だ。
それに喋るのはリチャードの役目であって、自分はニコニコ笑って隣に立っているだけだ。
そんなことを考えつつ、ベガはちらとホールの中を見渡した。
自分の知っている顔がいくつかあるのでは無いかと思ったが、そもそもシスタニアで自分の知っている顔と言うのが余り無いことを思い出した。
(お、あそこにいるのはエドワードさん?)
ホールの中心で踊っている人物の中に知っている顔を見つけて、おやと思った。
何やら綺麗なお嬢さんと踊っている様子で、しかもホールの片隅で彼のことをちらちらと見ている女性達の姿も見えた。
どうやら、エドワードはモテるらしい。
まぁハンサムで地位もあってとなれば、そう言うこともあるのだろう。
(えーと、あれ? 主役がいないな)
一方で、主役――つまりヴィクトリアだが、その姿が見えなかった。
もちろんベガもヴィクトリアがこんなイベントに喜び勇んで参加するとは思っていないが、それでも流石に皇帝の誕生日パーティーに皇帝本人がいないと言うのは、流石にどうなのだろうか。
と、ベガがそんなことを考えていると……。
「きゃっ」
不意に腕を引かれて、ベガは後ろを見た。
視界の高さが合わず戸惑うが、それもすぐに解消した。
何しろ、相手の背が思ったよりも低かっただけだ。
「こ、皇帝陛下?」
華美なフリルに装飾されたヴィクトリアがそこにいた。
周囲の人々が驚愕しひれ伏す中、しかしヴィクトリアはそちらには一切の興味を向けなかった。
ただ黙ってベガの腕を引き、どこかへと連れて行こうとしていた。
驚きつつも、ベガはそれに逆らうことをしなかった。
◆ ◆ ◆
硝子の燭台。
無数の硝子の燭台が、カメリア宮の中庭に設置されていた。
それは上から見ると星座に、地上から見ると迷路のように感じられた。
そこへ、ヴィクトリアがベガの腕を引いてやって来る。
「ちょ、ちょっと待ってヴィクトリア。この服、走りにくいから」
「姉さま、こっちだよ!」
ヴィクトリアはベガを中庭へと案内すると、ドレス姿のままぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
何と言うか行儀が悪いが、今さらそれを注意する気はベガには無かった。
むしろ、ぜぇぜぇと息を整える方に必死である。
その間にもヴィクトリアは跳び跳ねながら、何やら中庭のあれはこうだ、それはああだと何やら説明していた。
「ここ、姉さまのお庭だよ」
「私の?」
一瞬、言葉の意味をわかりかねた。
まわりを見渡せば、ガラスで覆った燭台の灯りに照らされて、何とも幻想的な風景が広がっている。
シンメトリーに剪定された木々や白石のアーチ、足元を流れる水路と、季節ごとに咲く場所の変わる花々とその苗木。
見ただけで相当の人手が入っているとわかる、デザインからして洒落ている。
四季で咲く花が変わる苗木の配置――例えば今は冬と春の花々が入り混じっている――等、構想だけでも素人の仕事ではあるまい。
まぁ、それ自体は今さら驚くべきことでは無い。
「……もしかして、私の誕生日のために?」
「うん!」
驚くべきことがあるとすれば、それはベガが1日でそれを作らせたと言う所だろう。
もちろんベガが手ずから言ったわけでは無く、命令したのだ。
想像するとお腹が痛くなるので、ベガはそこで考えることをやめた。
自己防衛である。
「今日からここはね、姉さまのお庭。姉さまって、良くお庭でお散歩してるでしょ?」
「そ、そうか……」
「だから、今日からここはベレンガリア庭園よ!」
「いや、それはやめて。ほんとに、うん。気持ちだけ、気持ちだけで十分だから」
自分の名前の庭園が宮殿にあるとか考えると、もう、寒気がするとか、それ所ではない。
一方で、ヴィクトリアの気持ちが純粋なものだとわかるから、止めにくいことこの上無い。
だから、ベガとしては結局、いつものように。
「素敵なプレゼントをありがとう、ヴィクトリア」
ヴィクトリアの頭を撫でて、お礼を言った。
するとヴィクトリアは破顔して、ぎゅっとベガのスカートに顔を埋めた。
それがいつものことになってしまっていることに、ベガは今さらながらに苦笑を浮かべるのだった。
一方、その頃……。
「……あれ? ヴィクトリアの姿が見えないな」
「おお、これは摂政閣下。ご機嫌麗しゅう。あ、これは私の倅でして……時に皇帝陛下は、未だご結婚などはされな」
「誰かこいつをつまみ出せ」
「え」
◆ ◆ ◆
夜になり寝室に入って、ようやく1日が終わるのだと実感できる。
コルセットから解放されて、ゆったりとしたネグリジェに身を包む。
鏡台の前で髪を梳きながら、ベガはほうと息を吐いた。
「はぁ、疲れたぁ……」
こうして考えてみると、寝室をひとりで使うのも悪くは無いと思える。
ふかふかの天蓋付きのベッドは正直趣味では無いが、最近では慣れても来た。
徐々にシスタニアの生活に慣れて来たと思う反面、やはりまだまだ故国を懐かしむ気持ちもある。
大地を枕に、空を軒に、などと気取るつもりは無いが、庭で散歩することを好むのはそう言う所もあるのかもしれない。
とにかく、就寝時は一息つける時間だ。
1番緩んでいる時間であるとも言える、流石に寝る時に気を張る人間もいないだろう。
ベガも例外では無く、寝る前にはより強く素の自分が出てくる。
――ただ今日に限って言えば、少々趣が違う様子だった。
「姉さまっ、姉さまっ」
それは、ぽいんぽいんとベッドで跳ねているヴィクトリアの存在だった。
フリルの塊のようなネグリジェが鏡の端で揺れていて――そんなことをしても埃ひとつ立たないことに、宮殿付きのメイドの恐るべき技量が垣間見えたが――やっと休めるかと思っていたが、どうやらそうもいかないらしい。
一方で、子供は寝る時でも元気なものだとわかってもいた。
「姉さまっ、はやくっ、おやすみっ、しようっ」
「あー、はいはい。あんまりベッドの上でジャンプすると埃が立つぞー」
まぁ、立たないわけだが。
「はあいっ」
そして、子供は返事だけは1番、花まる満点であると言うのが常識だ。
つまり、ヴィクトリアはベガが来るまでベッド中を跳ね回っていた。
良く気分が悪くならないものだと、ベガは別の方向で感心した。
「ところで、リチャードの所には行かなくて良いのか?」
枕元の灯りを消しながら、ベガはそう言った。
誕生日だからなのかどうなのか、ヴィクトリアは今日はベガと寝ると言って聞かなかった。
ベガとしては構わないのだが、リチャードが枕を濡らす光景が見えるだけに、一応は聞いてみたのである。
「兄さまの所に行ったこと無いよ」
「いつも一緒に寝てるじゃないか」
「兄さまが、わたしの部屋に来るの」
「怖いよ」
ヴィクトリアが眠るまで。
暗がりの中、子供特有の体温の高さを感じながら、目を閉じる。
胸元でもぞもぞと動かれるのはこそばゆいが、ぽんぽんと背中を叩いてやれば大人しくなった。
温かく柔らかく、なるほど、この抱き心地は癖になるかもしれない。
「姉さま、あったかい」
「そうかそうかぁー……」
明日の朝、リチャードがどんな顔をしていることやら。
一瞬そんなことも考えたが、忍び寄る睡魔には逆らえなかった。
――――その日見た夢は、いつもよりも温かった気がした。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
張り詰めることの多いこの世の中。
皆様にほっと一息ついてもらえるようなお話を描きたいです(願望)
それでは、また次回。




