3月(上)
3月、帝都ヴィクトリアは慌しい喧騒の中にあった。
「よーし、引っ張るぞ――――!」
「支えろ――っ!」
真昼間から、そこかしこで掛け声がやむことが無い。
春めいて来たとは言え冬の名残を残すこの時期、多くの人々が袖をまくり上げ、何かの荷を運び、また何かを組み上げていた。
屋台であったり、あるいは櫓のように高い物もある。
道端には家が何軒建てられるのかわからない程の木材や石材が積み上げられていて、何百――いや、何千人もの人間が木材や石材、その他の物資をどんどんと消費していく。
しかも消費された物資は、次々に同じ分だけ補充されているようだった。
一般人だけでは無い、服装から見て兵士も相当数混じっているようだ。
「はいはい、東区の炊き出しはこっちだよ!」
「摂政様の計らいだ、おかわりは自由だ!」
作業に従事する者には食事も振る舞われる。
炊き出しの女性達の口ぶりから察するに、帝都の市街地全てで見られる一連の建設作業は、いわゆる国が発注する公共事業なのだろう。
しかしそれにしても、街中の人々を借り出しての事業となると規模が違う。
「全く、毎年この時ばかりは皇帝陛下様々ですな!」
「全くですな」
「我々としては在庫を吐き出せるばかりでは無く、新しい商機を見出せます」
そして街のどこかでは、商人達がそんな話をしている姿が散見された。
どうやらこの事業は彼らにとっても重要らしい、しかも明るい方向にだ。
実際ここ数年、この時期の帝都で毎年行われている一大事業だ。
「作業を急げ、もう日にちが無いぞ!」
帝都のどこかで、誰かが言った。
「――――皇帝陛下の生誕祭まで!」
皇帝生誕祭、と言うのが、そのイベントの名称だった。
そのまま読んで字の如く、シスタニア帝国皇帝、つまりアイディアル地方の盟主の誕生日を祝うためのお祭りである。
ただし、このイベントが具体的に祭りの形態を取ったのはここ数年になってからだ。
具体的に言うと、今の皇帝が戴冠してからである。
よってこのお祭りは別名でヴィクトリア祭とも呼ばれていて、摂政であるリチャード肝いりの政策だった。
とは言え先の商人達の言葉からもわかる通り、あながち不人気と言うわけでも無い。
むしろ様々な方面で歓迎されており、少なくとも反対の声が目立つことは無かった。
「結果オーライってだけでしょーよ」
エドワードに言わせると、そう言うことだった。
とにかく3月はシスタニア帝国にとって、と言うより、リチャードにとって重要な月なのであった。
◆ ◆ ◆
ベガの眼から見ても、皆が忙しそうに見えた。
冬の離宮であるローレル宮からカメリア宮――3月から4月までの1ヶ月間だけ使う宮殿、びっくりである――に移って数日、まだ住み慣れぬその場所は喧騒の中にあった。
最も、バタバタと駆け回っているのはメイド達だけなのだが。
(私に出来ることって、何も無いからなー)
温かな色調だったローレル宮とは違い、このカメリア宮の色は薄緑である。
通路の足元にゆったりと広がるカーペットも、中庭に広がる草花も、そして立働くメイド達の衣装ですらも、同じ色合いで統一されていた。
何でも、春に向かう若葉をイメージしているらしい。
実際、ここの所は気温も上がって、朝夕と過ごしやすくなってきている。
あと幾許もしない内に、春への入りが宣言されるだろうと思えた。
とは言え現在のカメリア宮、メイド達の熱気で夏並みの気温になっていそうだが。
「この時期は、毎年こうなの?」
「はい、お妃様。身辺お騒がしく、申し訳ございません」
「良いのです。頭を上げてください」
このやり取りもいい加減に鬱陶しくなってきたなと思いながら、お付きのメイド達にあれこれと教えて貰いながら廊下を歩く。
マス目のように重ねられたマホガニーの壁板と淡い緑の色調が、ゆったりとした歩みをさらにのんびりとしたものに感じさせてくれる。
そんな中でのこの喧騒、なかなかミスマッチだ。
「この時期は、皇帝陛下のご生誕をお祝いする宴が催されますので」
そしてこの喧騒の理由は、つまるところメイドのこの一言に尽きた。
街がお祭り騒ぎになっていることは知っていたが、宮殿でもお祝いの宴を行うらしい。
例年それは大層規模の大きな宴となるようで、それこそ宮殿中で様々なイベントが執り行われるのだとか。
それもそのはず、摂政であるリチャードが全国各地から著名な人物や余にも珍しい珍品等を集め、3日3晩に渡り妹の誕生を祝わせるのである。
一曲に街ひとつの価値があると言われるような音楽家に妹の可憐さを歌わせたり、年に一度しか得られないような珍しい食材で妹だけの誕生日ケーキを作らせたり、妹の人生を有名な劇団に再現させたり。
(相変わらず、頭の悪いことしてんなー)
最近、夫であるリチャードに遠慮が無くなって来たベガである。
しかし実際、無駄に壮大な無駄な誕生日パーティーを無駄な規模で無駄にやっているだけだ。
ベガの知る誕生日パーティーと言うのは、もっと慎ましやかなものだ。
(この時期は楽しかったよな)
思い起こせば、自分の誕生日は慎ましやかなものだった。
誕生日でも食事は質素で、プレゼントと言えば藁や布切れで作った粗末な人形くらい、それだってベガが姫だったからあったようなものである。
今回のヴィクトリアの誕生日とは、比べるべくも無い。
「お妃様、それではどうぞこちらへ」
「ええ」
リチャードに私欲は無いのだが、妹に関することだけは私欲塗れだ。
まぁそれでも笑えるのが、歴代の皇帝に比べればリチャードの散財は雀の涙程のもので、多くの方面からはむしろ歓迎されている所だろうか。
これで散財していない方と言われると、歴代の皇帝達はいったいどんなことをしていたのかと疑問に思う。
「ベレンガリア・ウォーム・アイディアル・シスタニア妃殿下の、おなぁり~~」
そう、例えば。
今、自分が目の前にしている光景よりも?
◆ ◆ ◆
コンサートホールと言うのが、1番正しい表現になるのだろうか。
最もそれはイメージであって、正しい名称では無い。
何故ならばベガが今まさにいるこの場所は、コンサートを行うための場所では無いためだ。
窓の無い黒曜石の壁、紋章を描いた赤い垂れ幕、星々を描いた天井の黄金細工、大理石の床。
言うなれば半円、12階段の頂に位置するたった1つの椅子を円の中心として、それを見上げるように扇形に無数の椅子が並んでいる。
1つの椅子は黄金と宝石が散りばめられた豪奢な物で、良く見れば椅子そのものの材質は水晶だった。
対する600を超えるだろう椅子は仕立てこそ上質だが、「1つの椅子」に比べると低く小さく、また宝石の類は1つもついていなかった。
「第17代シスタニア皇帝にしてアイディアルと全ての領土の帝王! 神聖不可侵にして遍く全ての人民の守護者! ヴィクトリア・アイディアル・シスタニア陛下!!」
ベガがそこに入ってからしばらくして、最後の入室者――と言うより入場者――がやって来た。
彼女は「他の椅子」に座っておらず、「1つの椅子」の右側に立っていた。
より具体的に言えば、「1つの椅子」の右に立つリチャードのさらに右隣に立っていた。
――――謁見の間。
そう、そこはシスタニア皇帝が臣下と閲するための場所。
12階段の向こうから、十数メートルはあろうかと言う白いドレスの裾をずるずると引き摺りながら歩いてくるのはヴィクトリアである。
真紅のワンピースドレスの上に純白の羽織布を着けていて、ドレスの裾はこの羽織布の物だ。
(また偉く不機嫌そうだな)
実際に不機嫌なのだろう、ヴィクトリアは見るからにぶすっとしていた。
静々と言うよりはどすどすと歩いているし、謁見の間に入る前に随分とごねたのか、ドレスの裾を回収しつつ歩いているメイド達も疲れた表情を浮かべていた。
絹を設えた七色の王冠や身長よりも高い王杖等の王権の象徴も、今にも投げ捨てそうだ。
(で、こいつはと言うと)
あれだけわかりやすく不機嫌なオーラを放っていると言うのに、実兄であり摂政であるリチャードは笑顔を浮かべていた。
それはもう気持ち良いくらいの笑顔であって、ベガが思うに、着飾った妹が玉座まで――つまり自分のいる所まで歩いてくるのが嬉しいのであろう。
上がってきたら王杖で殴られると思うのだが、その可能性については何も考えていない様子だった。
「やれやれ……」
600人を超える大貴族や大商人、高級軍人に有力官僚達を妹に跪かせて悦に浸っている夫の様子に、囁くように呟いて溜息を吐く。
誕生日ひとつを祝うのに、やたらに仰々しいことだ。
やはり、この嫁ぎ先の感覚は自分には合わない。
◆ ◆ ◆
ベガはここのところ、夫のことを「馬鹿だなぁ」と思っていた。
別にそれは妹煩悩のことを言っているわけでも無く、行き過ぎた妹煩悩のことを言っているのでも無く、度が過ぎた妹煩悩のことを言っているのでも無い。
より単純な意味で、「馬鹿だなぁ」と思っているのだった。
「姉さま、つかれたー」
「はいはい、埃が立つから足をパタパタさせるのやめようなー。あとそこ、別に埃なんて落ちてないから顔色変えなくて良いからなー」
堅苦しい謁見の儀が終わった後――最も、ヴィクトリアは開始1分で「飽きた」と叫んでいたのだが――夕食と入浴を済ませたヴィクトリアは、ほくほく顔でベガの膝に寝転がっていた。
疲れたと言っても特に何もしていないのだが、ヴィクトリアにしてみれば疲れたのだろう。
義姉の膝に顎を乗せて、うつ伏せになって足をパタパタさせている。
ちなみにベガの後半の言葉は、壁際に立つメイド達に向けられていた。
何しろ主人の部屋に埃を残したとあっては、身の回りの世話をするメイド達の責任問題に発展する。
中には自ら命を絶とうとする者もいるらしいので、発言には気をつけなければならないのだ。
「それにしても、物凄い量のプレゼントだな?」
「そう? いつもと同じだよ」
ヴィクトリアの頭を撫でながら、ぐるりと部屋を見渡す。
するとそこには、2人を取り囲むように様々な贈り物らしき箱が積み上げられていた。
大きさも様々で、それこそアイディアル中から集まったそれはごく一部でしか無い。
物置と化している部屋は10を下らない、いくつかは臣下やメイドに下げ渡されるのだろう。
しかしこれでいつもと同じとは、ヴィクトリアの反応が淡白なので冗談でも無いようだ。
全くもって価値観が違う、これで歴代の誰より質素だと言うのだから凄い。
誕生祭における商人達の反応を見ても、この国は一定の浪費が無ければ回らない国なのかもしれない。
そう思うと、何とも哀れにも思うのだった。
「ねぇねぇ」
そんなことを考えていると、裾を引かれた。
視線を下ろすと、幼い皇帝は笑顔で言った。
「姉さまのお誕生日はいつ?」
「私の誕生日?」
「うん」
人は誰しも誕生日があるものだから、当然ベガにもそれはある。
そう言えば誰にも言ったことが無かったかと思って、彼女は普通に答えた。
「――――明日よ」
偶然と言うものは恐ろしいもので、実はベガの誕生日も3月だった。
妾の妃の誕生日など誰も気にしないと思ったので、最初の段階でも特に告げることが無かった。
祝ってくれるような近親者や友人もいないので、それこそ重視していなかった。
しかしここで、ベガにとっては意外な反応が起こることになる。
「……たいへん」
「え?」
「たいへん!」
ヴィクトリアである。
ひゅばっと立ち上がったヴィクトリアはベガの周りをぐるりと一周して、本当に慌てたように、それこそ転がるように駆け出していった。
「たいへん! たいへん! たいへん――――!」
ベガはしばらくポカンとした表情でそれを見送っていたが、吐息と共に小さな笑みを浮かべた。
何をしにいったか知らないが、元気の良いことである。
◆ ◆ ◆
「兄さま!」
「おや、どうしたんだいヴィクトリア。もしかしてお兄ちゃんに会いたくてたまらなあ痛っ!? たまらなく痛いよヴィクトリア!? お兄ちゃん何かしたかい!?」
「兄さまのばか!」
「いったい俺が何をしたって言うんだヴィクトリア!?」
最後までお読み頂きありがとうございます。
3月は妹の誕生日なので(え)
それでは、また次回。