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2月(上)

 シスタニア帝国、それはアイディアル地方随一の大国である。

 その国力は「シスタニアはアイディアル唯一の国家」と言われる程に強大であり、他の6カ国の追随を許さないものだった。

 故に周辺諸国は代々シスタニア帝国皇帝に姫を嫁がせて、忠誠を示してきた。



 しかし今回、小国ウォームの姫ベレンガリアが嫁いだのは皇帝では無かった。

 今代の皇帝ヴィクトリアは幼い童女であり、ベレンガリア――ベガが嫁げるはずも無かったのだ。

 代わって彼女の夫となったのは、摂政の地位にあった皇帝の兄リチャードだった。

 リチャードは容姿も性格も能力も、夫として申し分ない男性だった。

 ただ、何と言うか、別の方面で問題があった。



「ヴィクトリア、何だか最近兄に冷たくは無いか……?」

「兄さま、鬱陶しい」

「はぅあっ!?」



 この夫、超がつく程の妹煩悩シスコンだったのである。

 世界一の大国の実情は、妹皇帝と妹煩悩な摂政が支配する帝国だった。

 その事実に頭痛を覚えつつも、しかしだからと言って自身の役割が変わるわけでも無い。

 ベガとしては、淑女を演じつつ日々を平穏に過ごすしか無かった。



「姉さま!」

「うわっ。ヴィクトリア様、急に飛びついたら……」

「んー!」

「……危ない、だろ」



 しかしそれも、あっさりと看破されてしまって。

 そしてやはりあっさりと、受け入れられてしまって。

 ベガとしてはむず痒さを感じつつも、抱きついてくる妹皇帝を抱きとめるしかなくて。



「ああ、やはりお前はそっちの口調の方が良いな」

「はぁ、いや、そんなことは」

「そちらの方が、魅力的だ」

「……いや、本当に。その」



 しかも夫はと言えば、臆面も無くそんなことを言ってくる始末で。

 あまりにもストレートに言ってくるものだから、羞恥を覚えるのにも至らない。

 どうもこの兄妹は、どこが良いのかベガのことを随分と気に入っているようで。



(悪いことじゃないんだけど、な)



 決死の覚悟で嫁いで来た身としては、何だか拍子抜けと言うか、肩透かしを喰らった気分だった。

 さりとて、それを素直に受け取れる程に妹皇帝と兄摂政を受け入れられているのかと言えばそうでも無く。

 このままで良いのだろうかと、そう迷いながら。



「ま、何とかやっていくしかねーわな」



 ベガは今日も、柄に合わないお妃様を続けているのだった。



  ◆  ◆  ◆



 ――――1年を通じて最も冷える1月が終わって、2月の中頃。

 ピークを過ぎたとは言えまだまだ気温は低く、朝はベッドからなかなか出られない朝が続いている。

 とは言え、ベガの朝は比較的早い方だ。

 王宮の朝は早く、朝の5時には起床しなければならないからである。



「すぅ……」



 とは言え、まだ4時にもなっていない今、彼女の眠りを妨げるものは無い。

 健やかな寝息を立てる彼女は、シルクのネグリジェに身を包んだ状態で、真っ白なシーツと毛布にくるまって夢の世界を漂っていた。

 1人で使うには少しばかり大きいそのベッドは、レースの垂れ布を幾重にも重ねた天蓋付きの物だ。



 寝室そのものは使用者の性格に合わせたのだろう、余り派手では無い。

 しかし家財は一級品だ、淡い色合いの壁紙とカーペットに合わせて調度品も選ばれているようだ。

 窓際のサイドテーブルに日持ちする焼き菓子が置かれていて、蒼ガラスから差し込む月明かりがスポットライトのようにそれを照らしていた。

 寝室全体に淡く芳しい香りが漂うのは、シーツの下に仕込まれた薔薇の花弁のせいか。



「……さま」



 そもそもこの寝室は本来なら夫婦、つまり2人で使用するはずの物だった。

 それがこうしてベガ1人で使うことになっているのは、別に夫婦仲が冷えているわけでは無い。

 最も、燃え上がっているのかと言うとそうでも無いわけなのだが。

 そのあたりは、難しいようで実は単純な話だ。



「姉さま、姉さま。起きて、姉さま」

「ん……うぅん?」

「姉さま、姉さまってば」



 そして、まだ起きる時間でも無い――時間になれば、メイドが起こしに来る――と言うのに、誰かがベガを揺り動かしていた。

 とは言え、まだ半分夢見心地の中、ベガは何となく誰が自分を起こしているのかわかっていた。

 と言うか、最近では結構な頻度で起こることだった。



「ん、ん……な、何だよヴィクトリア。まだ陽も昇ってないじゃないか……」

「良いから、起きて姉さま」



 この1ヶ月程で、口調を取り繕うのもやめていた。

 何しろそうしないとヴィクトリアがあからさまに不機嫌になるので、自然とそうなっていった。

 流石に公の場ではその限りでは無いが、その際も後で宥めて機嫌を取らないといけない。

 面倒ではあるが、ある意味では、これも「夫婦生活」の一部だと思っている。

 ついでに言えば、毒気の無いヴィクトリアの相手をするのは嫌いでは無かった。



 それは良いとしても、たまにこうして早朝に起こされるのは困りものだった。

 そしてこう言う場合、ヴィクトリアは何かしらの「遊び」に誘ってくるのだ。

 今回は何だろうか、鬼ごっこかかくれんぼか。

 何でも良いが、出来るだけ時間がかからないのが良いなと思いつつ身を起こした。



「あのね、あのね、姉さま」

「はいはい」



 あふ、と欠伸を噛み殺しながら、片手でヴィクトリアのたっぷりとした金色の髪を撫でる。

 その仕草は、どことなく慣れを感じさせた。

 そして、これももはやいつものことではあるのだが。



「チョコレート、作りたい!」

「……は?」



 ベガはヴィクトリアの言葉に一瞬理解が追いつかず、ぽかん、とした表情を浮かべるのだった。

 一方のヴィクトリアの笑顔は、それはそれは得意満面な笑顔だったと言う。



  ◆  ◆  ◆



 帝国を運営する執務と言うのは、酷く迂遠で面倒なものだ。

 下から上がって来る報告に1つ1つ目を通し、決済を与えていく。

 トップ自身で判断することは実はそんなに多くは無い、長い歴史が培ってきた人材の層の厚さが大きなミスを薄めてしまうためだ。



 もしトップ自身が気をつけるべき点があるとすれば、それは組織全体のダイナミズムを損なわないことだ。

 どこかに淀みがあればそれを正し、修正し、場合によっては切り離す。

 そのためには膨大な量の書類と向き合わなければならず、実の所、リチャードはこの作業があまり好きでは無かった。



「ふふ、ふふふふ……」



 いつもの執務室で書類を捌きながら、リチャードは笑い声を上げていた。

 見る限り上機嫌な様子で、書類を捌く作業も面倒そうにしている様子は無い。

 むしろどこか楽しそうですらあって、傍で唯一それを聞いているエドワードは対照的に眉間に皺を寄せ、渋面を作っていた。



(仕事をしたらしたで、鬱陶しい奴だな)



 内心でそう思いつつも言葉にしないのは、無駄で不毛な会話をしたくないからだ。

 宰相としての彼の仕事はリチャードの比では無い、いちいち無駄なことをしている時間は無い。

 しかしそれでも苛立ってしまうのは、リチャードのいわゆるにやけ顔が癪に障るからだ。

 その理由と言うのも、酷く癇に障る。

 まぁ、リチャードを見ていて苛立たなかった経験の方が少ないのだが。



「ああ、楽しみだなぁ。ヴィクトリアがチョコレートを作るなんて」

(至極どうでも良いっつーの)



 ヴィクトリアがチョコレートを作る。

 朝からこの調子なのだ、何かにつけてこれである。

 ちなみにこの時期にチョコレートを作るのは、アイディアル地方の風習である。

 基本的に女性が男性に贈るのが常で――逆が無いわけでは無い――この時期、都市部では甘いチョコレートの香りが漂っている。



 エドワードにしてみれば、宮殿にリチャード宛てのチョコレートが溢れ帰る前日でもあるので、正直仕事が増えるイベントでしか無かった。

 ただ、ふと疑問には思った。

 何しろ今まで、年齢のせいもあるだろうが、ヴィクトリアがそうしたイベントで能動的な行動に出たことが無かったはずだ。



「ヴィクトリア様がチョコレート作りを? 今までそんなことなさったことありませんでしたよね」

「物心がついたと言うことだろう」

「じゃあ今までは何だったんですかね……」



 そうだろうと思っていたが、やはりヴィクトリア関連だった。

 しかもどうやら、イベントにかこつけてチョコレートを貰うことを期待しているらしい。

 期待していると言うか、確信しているのだろう。

 自分が妹にチョコレートを貰える、と。

 エドワードにしてみれば、何ともお花畑な頭をしているなと思うだけだ。



「と言うか、別にアンタが貰えるって決まったわけじゃないだろ」

「ふふふ、何を馬鹿な。ヴィクトリアが俺以外の誰にチョコレートを贈ると言うんだ」

「さぁねぇ」



 正直どうでも良かったが、後で何か面倒事にならなければ良いな。

 この時、エドワードはそれだけを考えていた。

 多分無理だろうなと、半ば諦めながら。



  ◆  ◆  ◆



 チョコレートを作るといっても、まさか原材料から作ろうと言うわけではあるまい。

 そもそも、そんな方法はベガだって知らない。

 と言うか、料理はともかくお菓子作りについてはベガだって詳しいわけでは無い。

 せいぜい、小麦をこねて作る焼き菓子くらいのものだ。



「それでは、チョコレートを作りましょう」

「う!」



 早朝に誘われたとは言え、実際に調理を始められたのは午後に入ってからだ。

 何故と聞かれると、それは「王族が調理をする」と言うのが宮殿にとってどれだけ大事か、と言う返し方しか出来ない。

 何しろ王族が調理場に立つことなど、本来はあり得ないことなのだ。



(うちの国だと、割と普通だったんだけどな)



 小国ならばそう言うこともあるのだろうが、世界一の大帝国となるとそうもいかないのだろう。



「姉さま、最初は何をすれば良いの?」

「えーっと……」



 ちなみに今、厨房にはベガとヴィクトリアの2人だけとなっている。

 宮殿の厨房はいくつかあるので、メイドや料理人達はそちらの厨房を使って夕食の準備に取り掛かっているのだろう。

 2人がいるのは赤レンガの壁で囲まれた小綺麗な厨房で、台の上には銀盆の乗せられたチョコレートの板と、調理器具が並べられていた。



 手伝いのメイドは1人もいない。

 王族、それも皇帝がお菓子作りをするような場面を他の者に見せることは出来ないとの判断からだ。

 つまりこの場においては、ベガだけが頼りと言うことだ。

 責任重大なわけだが、先にも言った通り、ベガ自身もお菓子作りなどほとんど経験が無い。



(……チョコレートを作るのに、チョコレートがあるって言うのはどう言うことなんだ?)



 うん? と首を傾げて見ているのは、銀盆の上のチョコレートの板だ。

 目的=チョコレートの製作。

 材料=チョコレートの板。

 つまりチョコレート=チョコレートの構図になっているわけで、ベガとしては内心混乱の極みにあった。



「ねぇねぇ姉さま、どうしたら良いの?」

「え? あ、あー、そうだな、うん」



 とは言え、純真な目を向けてくるヴィクトリアに対して「わからない」と答えるわけにもいかない。

 とにかくにも、調理に取り掛からなければ。



「よ、よーし。じゃあ、まずはだな」

「うい!」

「まずは……まずは」



 材料のチョコレートの板を手にとって、考える。

 時間をかけるわけにはいかない、すぐに答えを出す必要がある。

 焦りの余りぐるぐるとした思考の中で、ベガは大振りなチョコレートの端を両手で掴むと。



「まずは――――2つに、割る!」



 バキンッ、と音を立てて、チョコレートの板が割れた。

 間違ってはいないが、根拠の無い作業。

 ベガはこれから、各工程の度に似たような判断を迫られることになるのだった。

 チョコレート=チョコレートの謎が解明されないまま、2人のチョコレート作りが始まったのだった。


最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。


このくらいの分量の方が読みやすいのかな、と試行錯誤しながら作品を作っています。

2月と言えばバレンタインなので、ネタとしては入れやすいですよね。

それでは、また次回。


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