1月(上)
突然だが、自己紹介をさせてほしい。
私の名前はベレンガリア・ウォーム・アイディアル・シスタニア、妙に長ったらしい名前で申しわけないが、王族ならそんなものである。
王の一族と書いて王族、だけどそんな偉いものじゃないから気にしないでほしい。
何しろ私の国――ウォーム王国って言うんだ――はど田舎の国で、王様が鍬持って土を耕しているような暢気な国なんだ。
私が嫁いだこの国、シスタニア帝国に比べればあって無いような規模の国だ。
ん? ああ、そうそう。実は既婚者なんだ、私。ちなみに新婚2か月目。
「ベガ、どうかしたのか? 浮かない顔だな」
「……いいえ、何でもありません。お気遣い頂き有難うございます、リチャード様」
そして私の目の前にいるのが、いわゆる旦那だ。
シスタニア帝国、このあたりじゃ1番でかくて強い国の支配者で、私より一回り年上――私は16歳になったばかり――の27歳、名前はリチャード・アイディアル・シスタニア。
金髪で碧眼で色白で細身で、彫りの深い整った顔立ちで、絵に描いたような「王子様」って奴だ。
正直、私の故郷じゃ見ないタイプの男だった。
「ウォームは一年を通して温暖な気候だと聞いているが、シスタニアの冬は冷える。お前はまだここに来てまだ2か月だ、余り無理をするなよ」
「いえ、宮殿は暖かに保たれているので、寒さを感じることはほとんどありません」
「そうか、なら良かった」
まぁ、いわゆる政略結婚で結ばれた私達だけれど、私は運が良いんだろう。
旦那はこうして私を気遣ってくれるし、権力者でイケメンで、しかもこれで士官学校を首席で卒業しているって聞くから、腕っぷしも強い。
しかも私が初婚で、後宮も女遊びもしない誠実な男なんだ。
本当に運が良いと思う、小国出の妃なんて人質みたいなものだから、妾扱いされても仕方ないって思ってたくらいだ。
それに比べれば、この夫は本当に優良物件だと思う。
付けられた侍女達も流石に人間が良く出来てて、遠く故国を離れて嫁いできた私が生活に不自由しないようにと、色々と気を遣ってくれる。
(ああ、私は幸せ者だ)
幸運で、そして幸福だ。
だから文句のつけようも無いし、そんなものをつける気も無い。
だけどそんな私でも、いや私だからこそ、1つだけ言いたいことがあるんだ。
それは旦那との生活の節々で感じていることで、でも誰も言わないことだった。
例えば、今。
今、私は旦那と朝食を食べている。別に普通のことだ、夫婦なら当たり前とも言える。
正直これだけで実家の1年分の食事が買えるんじゃないかってくらいの食材と食器を前にすると、今でもくらっと来る。
「だけどベガ。前から言っていることだが、そんなに肩肘張った喋り方をしないでくれ」
「ですが」
「確かに我々は政略で結ばれた夫婦だが、それでも夫婦だ。出来れば互いに支え合えるような友好的な関係でありたいと、俺は思っている」
「リチャード様……」
良い奴だ、本当に良い奴なんだよ、私の旦那は。
正直まだ夫婦だとか好きだとか、そう言うのは無いんだけど、こいつと夫婦やってれば絶対に幸せになれるんだろうなって、そう思えるくらいに。
権力・財力・腕力、ついでにイケメンで優しい、私は間違いなく勝ち組なんだろう。
だけど――――だけど!
「ねぇ、兄さま」
不意に響く小さな声は、テーブルを挟んで向かい合う私と旦那の間から聞こえた。
向かい合っているのに間となると、テーブルを除けばもう場所は1つしかない。
毎日毎度の光景であるそれ(・ ・)を目の前にして、私は心の中で叫んだ。
だけど、と。
「兄さま、ニンジン食べて」
だけど、妹を膝に乗っけて飯食ってんじゃねえええぇ――――よっ!!
◆ ◆ ◆
(旦那が嫁より妹と仲良しさんなんですが、どんな顔すれば良いですかね)
ローレル宮は、シスタニア帝国帝都ヴィクトリアの3分の1を占める宮殿群の1部である。
赤レンガと赤石で築かれた宮殿で、帝室のメンバーが冬の間に使用する離宮だ。
嵌め込まれた蒼ガラスは廊下や部屋に光を差し込ませ、壁に配置されている絵画をそれぞれ照らしている。
ベガのいる食堂も、蒼い陽の光が差し込む部屋の1つだ。
対照的に赤基調の壁紙とカーペットに、縁取りが丸みを帯びた家具類、硝子細工のシャンデリア。
壁と柱の間には絵画や骨董品が品良く並べられ、その間には別々の食事を持ったカートがあった。
カートの前には1人1人メイドがついていて、専用の給仕係だとわかる。
(いや、もう仲良しってレベルじゃねーよ)
曇り一つ無い銀食器でメインの肉料理を口に運びながら、ベガは思った。
彼女自身、少女から女性へと移行する時期独特の美しさを持つ女性である。
白く柔らかそうな身体はしかし不健康では無く、長く波打つ栗色の髪と翡翠色の瞳からは、むしろ快活そうな印象を受けた。
鎖骨と肩、そして背中が露出した赤いドレスは、勝気そうな顔立ちに良く似合っていた。
対するリチャードもまた、赤を基調にした衣服を着ている。
軍装にも見えるシャープなデザインの服だが、装飾品として使っている金や宝石も超がつく程の高級品だ。
それを嫌味なく着こなしてしまうあたり、美青年――と言うより、美丈夫と言えた。
「ダメだよヴィクトリア、好き嫌いをしていては立派な淑女にはなれないよ」
しかし今、夫は彼女のことを見ていない。
その視線と意識は膝の上に乗せている女の子――夫の妹だ――に向けられていて、しかも明らかに妻に向けるよりも温かで、別種の笑みを浮かべている。
対する妹はと言えば、小さな手にフォークを握り締めていて。
「や。兄さま、食べて」
「ふ、仕方ないな。次は自分で食べるんだぞ」
「はやく」
ただし、妻との朝食の席で妹を膝に乗せていると言う時点で、色々とアウトだったが。
今も口では叱責のようなことを言っているが、その台詞はこの2ヶ月で100回は聞いている。
しかも妹がフォークを差し出せば、迷った様子も無くパクついていた。
それでいて妹が兄の皿から好物を勝手に取っても何も言わないのだから、相当である。
「うん? ベガ、どうかしたのか?」
「……いいえ、何でもありません」
先程とはまた別の声音で、ベガは応じた。
一方で、その本心はと言えば。
(つーか、夫婦の食事に妹を連れ込むか普通?)
さっきも言ったが、リチャードは夫として、あるいは男としては非の打ち所の無い男だ。
しかしただ一点だけ、そして一点だからこそ致命的な欠点があった。
(あ、いや。別に欠点ってわけじゃ無いのか)
そう、欠点では無い。
普通なら欠点では無く美点、いや美点は言い過ぎだとしても、少なくとも悪し様に言われるようなことでも無いはずだった。
それでも胸の奥にモヤモヤとしたものが立ち上るのは、何と言うか、それこそ言葉にしにくい。
妹を可愛がっている、と言う美欠点は。
「ごちそうさま」
「偉いぞヴィクトリア、ちゃんと言えたな!」
「兄さま、すりすり嫌」
いや、気持ちはわからないでも無いのだ。
何しろ夫の妹は随分と年が離れていて、今年で9歳になったばかりだと言う。
夫は27歳だから18歳差だ、ほとんど父娘と言っても良い。
ベガから見てもヴォクトリアは無垢な女の子で、見ていて可愛らしいと思える。
可愛がろうと言うその気持ちは、ベガにも十分に良くわかる。
流石に、妹の柔らかそうなほっぺに自分のそれを摺り寄せるのはどうかとも思うが。
可愛いから仕方ない、特に幼子は、今も嫌がって兄の顔を押しのけているが、それすらも可愛い。
理解できないわけでは無い、いや正直どうかと言う気持ちも多分にあるのだけれども。
思わずそうしたくなるのもわからないでは無い、くどいようだがどうかと思うけども。
だが、だがしかしだ、何と言えば良いのだろう。
(時と場合って、あると思うんだよ)
人目と言うのもある、例えば自分とか。
ちなみにメイド達はと言えば、何も言わずに沈黙を保っている。
ほとんどが年若い10代・20代の少女であり、同じデザインの使用人衣装に身を包んでいた。
彼女達は全員王族付きのメイドであるが、こちらから何かを言わない限りは何もしない存在である。
全員が俯き加減で佇んでいるのは、ある種のポーズだ。
主人達の姿を見ず、主人達の会話を聞かず、主人達に何も言わず。
時に国家機密や帝室の恥部を見聞きすることもある以上、帝室の侍従には必要なスキルだった。
これもベガの故国には無かったものだ、そもそも必要が無かったのだが。
(何と言うか、徹底されてるよなー……うん?)
げんなりしていると、視線を感じた。
顔を上げると当然のように視線がぶつかる、それは夫の妹、ヴィクトリアのものだった。
幼子特有の大きな瞳でこちらを見ていて、ベガは思わずきょとんとした表情を浮かべた。
「ヴィクトリア、今日は何をして過ごすのかな」
「兄さま、うるさい」
夫の顔にヴィクトリアの裏拳が入った所などは、心の中でガッツポーズをしてしまったのだが。
自分のことをじっと見つめているヴィクトリアが何を思っているのかは、わからない。
何しろ幼子だ、さりとて邪険にも扱えない。
夫の妹となればそれは当然なのだが、もう一つ、別の理由がある。
それは、彼女が、ヴィクトリアが――――。
その時、ヴィクトリアがこちらへと両手を伸ばした。
テーブルは事の外長く大きいから、互いに手を伸ばしても届くものでは無い。
だからその手は何かを掴むと言うよりは、何かをするためのもので。
2つの小さな手が形作ったものを見て、ベガは小さく嘆息した。
(ピースピース、じゃねーよ)
――――ヴィクトリアが、この国の皇帝だと言うことだ。
◆ ◆ ◆
アイディアル地方、それがベガ達が暮らす大地の名前だ。
海と自然に囲まれた豊かな土地で、そこには7つの国が存在している。
しかし人々は口を揃えてこう言う、「アイディアルには国が1つしか無い」。
シスタニア帝国の版図はこの地方の8割を占めており、他の6国は貧しい小国に過ぎない。
だからこの地方には各国の王族間に少し変わった慣習がある、それが政略結婚のシステムだ。
はっきり言ってしまえば、6国の王や元首の娘をシスタニアの皇帝に嫁がせるのである。
これによって互いの国の王族は親戚関係になると共に、従属関係をはっきりさせることが出来る。
これはずっと昔から続いてきた慣習で、これを語るだけで歴史書が何冊か出来るだろう。
そしてその歴史書の中には当然、ベガの名も刻まれている。
(イメージしてた結婚生活と、大分違うんだもんなぁ)
溜息を吐いて、ベガはともすれば俯こうとする背筋を伸ばした。
場所は変わって、離宮の中庭だ。
1月、アイディアル地方でもまだまだ真冬と言えるが、今日は比較的陽が低く温かだった。
防寒用のケープを肩にかければ、こうして散歩に出るのも苦では無い。
「ご覧下さい、お妃様。冬の花が咲いております」
「まぁ、綺麗ね。何と言う名前の花なのかしら?」
「名はございません。冬の離宮の花々は全て名も無き花なのです。名も無き花を民に重ねて愛でる、この離宮を建てられた第3代皇帝陛下のお言葉で御座います」
中庭には、薄く蒼い花弁の小さな花々が咲いていた。
剪定された木や茂み、生垣に絡まるように咲いているそれらは、小さく儚いが見る者の心を穏やかにさせるような何かがあった。
ベガは石ころひとつ塵ひとつ無い小道を歩きながら、付き添いのメイドの言葉に耳を傾けている。
1歩1歩の幅はとても小さく、ペチコートを重ねてふわりと広がるスカートの裾がほとんど揺れない。
それでいて背筋の軸はブレておらず、歩き方を訓練されているように見えた。
小さな微笑を浮かべて10人近いメイドを連れて歩くその姿は、まさに妃だ。
ただ困ったように眉を寄せているのは、寒さのせいだけでは無いだろう。
「……ふぅ」
「お妃様?」
「いえ、大丈夫です」
「お疲れなのでしょう。すぐに準備致します」
「いいえ、大丈夫。それにもう少し、この花を見ておきたいの。でもここは寒いから、貴方達は先に中に入って頂戴」
ベガの言葉に当初メイド達は「しかし……」と抵抗したが、ベガが動くつもりが無いと知ると、それ以上は抵抗せずに頭を下げ、後ろ向きに生垣の向こうへと消えた。
それから10人近い人間が足早に遠ざかっていく足音が聞こえて、そしてそれが聞こえなくなるまでその場にじっと立っていた。
確認するように呟いて、耳を澄ます。
それでもメイド達の気配を察することが出来なかったのか、ほぅと息を吐いた。
ようやく1人になれたためか、肩から力が抜けている。
大きな溜息を伴うその行為は、彼女がどれだけ力を入れて日々を過ごしているかを窺い知ることが出来る。
「あ゛ぁ゛――……もぉ――……」
ダルい、物凄くダルかった。
無理も無い、本来彼女はこんな風に淑女らしい立ち居振る舞いとは無縁の生活をしていたのだ。
王様ですら農業をやる国だ、国と言うよりはほとんど村と言った方がしっくり来る。
3ヶ月前までは、秋の収穫のために裸足で畑の中を駆け回っていたくらいだ。
「あー、父ちゃん達、大丈夫かなー」
故国に残してきた父や、家族や友人のことを想う。
望んで帝都に嫁いで来たわけでは無かった。
だが、花嫁を差し出さなければ滅ぼされるかもしれない。
そう言う恐怖が皆にあって、ベガは、自分を涙ながらに送り出した父達の顔を昨日のことのように思い出せる。
――それがわかっているから、こうしてベガはここにいる。
着たくも無いドレスを着て、慣れない立ち居振る舞いまで身に着けて、ここへ。
ただ、まぁ、皇帝の妻になるはずが、その皇帝があれである。
まさかあんな幼女の嫁になどなれない、なのでその兄に嫁ぐことになったのだが。
「生活には困らないけど、それだけじゃなぁ……」」
好きなことを全部我慢して、自分を殺して。
優しいが好きでも無い、皇帝ですら無い男の妻にまでなって。
これが今後の人生ずっと続くかと思うと、本当に憂鬱な気持ちになるベガだった。
「…………」
不意に、ベガが沈黙した。
何故なら名も無き花が咲く茂みが揺れて、代わりに別の花が咲いたためだ。
その花の顔を、ベガは良く知っている。
「……何をしておいでなのですか?」
「かくれんぼ?」
9歳の皇帝ヴィクトリアが、茂みの間からひょっこりと顔を出していた。
◆ ◆ ◆
朝食が済んだ後は、リチャードは当然のように書斎に入る。
執務室として使っている部屋で、他の部屋に比べると質素な造りをしていた。
部屋にある物は書類棚や資料を置くスペース以外は、机しか無かった。
音はと言えば、羽ペンが紙の上を滑る音が聞こえるだけだ。
「エドワード、今日の仕事はどんな感じだ?」
「てんこ盛りです」
「そうか。早く終わらせてヴィクトリアと遊んでやらないと」
「そんな時間は無いです」
蒼ガラスを背後に、執務室にはすでに先客がいた。
その容貌は一言で言えば、地味であった。
黒髪黒目の身長170センチ、不細工でも無いが美青年でも無い。
着ている衣服が黒一色と言うのも、地味さに輪をかけていた。
しかし実の所、彼のことを知らないシスタニア人はいない。
シスタニア帝国宰相、彼――エドワードと呼ばれる青年の、それが肩書きである。
正確には代理だが、史上最年少の宰相と言うことで知られていた。
リチャードの士官学校時代の同期で、軍人としてより軍官僚として才がある男だった。
年はリチャードの1つ上だが、背が低く童顔なせいかそうは見えない。
「ふぅ、仕方ない。では昼食を一緒に取るとしよう」
「だからそんな時間はありません」
「……お昼寝の時間には間に合うかな」
「死ね。あ、いやそこの書類を処理してから死んでください。出来れば3日くらい徹夜してから」
任命したのはもちろんリチャードで、そうでなければいかに有能でも28歳の若さで大帝国の司にはなれなかっただろう。
若すぎる。
どちらも若い、とても歴史ある大国を支配しているとは思えない程に。
しかし、彼ら2人こそがこの国の頂点。
摂政と宰相、これ以上の肩書きは無い。
年若いこの2人が何故この地位にあるのか、そもそも幼い妹を皇帝に据えているのか。
実際の所、この理由を知っている人間の数はそう多くは無い。
勿論、この2人はその「多くは無い」人間の中に入っているわけだが。
「馬鹿を言え、そんなことをしたらヴィクトリアと寝れないじゃないか!」
「…………」
しかしこのエドワード、今聞いてわかる通り、帝国摂政たるリチャードに対する敬意を欠片も持ち合わせてはいなかった。
むしろ、どこか冷めた目で自分の主君とも言うべきリチャードを見つめている。
「ど、どうしてそんな目で俺を見るんだ、エドワード?」
「アンタが自分だけ優雅に朝飯食ってきたからだよ! オレは昨日もここ泊まりだっつーんですよ!」
「ヴィクトリアが寂しがるんだから仕方ないじゃないか!」
「気持ち悪い妄想はやめて下さいませんかねぇ」
「何だと貴様! 幸いにして現実だ!」
などと会話をしつつ、リチャードも自分の机についた。
どことなく会話に慣れが見える、いつとなく似たような会話を繰り返しているのだろう。
そこにはすでにエドワードが徹夜で揃えた書類の束があって、ふぅと息を吐いた。
「やれやれ、ヴィクトリアとの時間に比べれば潤いも無いが」
「仕事に潤いを求めないで下さい」
「それはそれで人生が枯れそうで嫌だな。まぁ……」
何だかんだ言いつつも、妹と過ごしているだけでは国は運営できない。
とは言っても、「史上初」の摂政と「史上最年少」の宰相。
伊達にその肩書きを持ってはいないわけで、相応に優秀なのが彼らだ。
「さっさと、終わらせるとしよう」
ヴィクトリアの前では見せない、光の薄い、乾いた瞳で。
妹との豊かな生活のため、リチャードは今日も煩わしい仕事に手をつけるのだった。
◆ ◆ ◆
そう言えば、ベガにはもう一つわからないことがあった。
「陛下ー! 陛下――!」
「どちらに行かれたのですか、ヴィクトリア陛下――!」
そこかしこで夫の妹を呼ぶ声が聞こえる。
それを耳にしつつも、ベガは自分の目の前で小さな身体をさらに小さくして隠れているヴィクトリアの背中を見つめていた。
「あ、あの」
しかし当の本人はそれらを意に介する様子も無く、茂みの中に身を潜めていた。
中庭の茂みは花々を良く見せるためなのか僅かながら隙間があり、隠れるには十分な空間だった。
ただそれは9歳の小さな身体には、と言う意味であって、16歳のベガにとってはかなり苦しい狭さだった。
「あ、あの、ヴィクトリア様? これはいったいどう言う……」
「様はいらない。ヴィクトリアって呼んで」
「い、いえ。そう言うわけには……」
「呼んでって言った」
狭苦しい空間に、ドレスの裾をめくり上げてどうにか身体を収めている。
そんな状態だから、ベガの声音も少し苦しそうだった。
ヴィクトリアは視線だけでそんな彼女を振り返りつつ、正面を向いて茂みの外の様子を窺っている。
言うまでも無く、外で自分を探しているメイド達から隠れているのだ。
何でもお稽古事から逃げて来たのだとか、やっていることはまるで子供だ。
いや、子供だった。
しかし、ただの子供では無い。
名実共にアイディアル地方の頂点に立つ、そんな子供だ。
(例えばの話、こいつが一声かけるだけで私の故郷は滅ぼされるんだ)
気まぐれ一つ、機嫌一つでそれが出来る。
そんな子供を前にして、戦々恐々とするなと言う方が難しいだろう。
大人しく茂みの中に引き込まれたのも、そう言う事情があったからかもしれない。
あるいは単純に、子供の力に勝てなかっただけかもしれないが。
(まぁ、何でだか懐かれてるんだけど……)
朝食の席でもそうだったが、何かと自分に寄ってくるのである。
懐かれていると言えばそうなのだろう、悪いことでは無い。
ただどうして懐かれているのか、ベガ自身、良くわかってはいなかった。
子供ゆえの気まぐれ、とも言える。
「それで、これからどうなさるおつもりですか? ずっとここに隠れているのですか?」
「ううん」
とは言え、このままここでこうしているわけにもいかない。
時間が経てば自分の侍女達も探しに来るだろう、こんな所を見つかるのは勘弁してほしかった。
ヴィクトリアとて、まさか夜になるまでここに隠れているつもりでは無いだろう。
すると案の定、ヴィクトリアは振り向いて言った。
「あのね、お外に出たいの」
「外って、宮殿の外に、ですか?」
「そう」
「それなら、リチャード様にそうお願いすれば……」
「いや、邪魔」
リチャードが聞いたら号泣しそうだなと、不謹慎にもそう思った。
夫がヴィクトリアのことを溺愛しているのは羞恥の、もとい周知の事実だから。
いやもう、夫の溺愛ぶりは度を越していると言うか何と言うべきか。
例えばだ、ベガは自分の寝室を持っている。
当たり前だと思うかもしれないが、ここで少しおかしいことに気付かないだろうか?
どうして「夫婦の」と言わずに、「ベガの」と固有名詞で言ったのか。
それは呼んで字の如く、ベガが1人で使うための寝室だからだ。
(最初は気を遣われてると思ったんだけどなー……)
それこそ最初は、個室の寝室を与えられたことを「気遣い」だと思った。
結婚したとは言え、良く知りもしない男と寝室を共にするのはどうか、と。
しかし後でわかったことだが、どうやらリチャードは妹と就寝しているらしい。
何度も言うが、別にベガだって望んで結婚したわけでは無い。
しかし、だからと言ってプライドが無いわけでは無い。
女としてのプライド、妻としてのプライドがあるのだ。
まぁ、それ以上にそれを知った時はかなり引いたわけだが。
「え、何ですか?」
ヴィクトリアがやけに輝く瞳で、何かを自分に見せていた。
それはいわゆるチラシと言うもので、皇帝が持っているにしてはやや俗っぽかった。
そもそも、どこから手に入れたのだろう。
「……玩具、のチラシ、ですか?」
そしてそれは、帝都の玩具屋の広告だった。
正直、ベガは帝都――と言うより、シスタニアの市井について詳しく無い。
そのため、それがどう言ったお店なのか、あるいはどう言ったブランドなのか、と言う情報は持ち合わせていなかった。
「新作、ほしい」
「それこそリチャード様にお願いすれば……」
「いや」
おそらくヴィクトリアが一言「欲しい」と言えば、リチャードは店ごと購入する。
いくら何でもと思うかもしれないが、あの夫ならやりかねない。
新しい玩具か何かわからないが、皇帝であるヴィクトリアが望んで手に入らないものなど、ほとんど存在しない。
しかしヴィクトリアは、どうやらそう思っていないようで。
「自分で手に入れてこそ、価値がある」
「いえ、そのこだわりは良くわかりませんけれど」
「ねぇ、お願い。お外に行きたい」
「ち、ちょっと、しがみつかないで。見えちゃう、見えちゃいますから!」
駄々をこねてしがみついてくるヴィクトリアに、ベガは困ったように眉を寄せる。
本当に、どうしてこんなに懐かれているのだろう。
溜息を吐いて、ベガはヴィクトリアを宥めることしか出来なかった。
ちなみに、夕食の段になってもヴィクトリアの機嫌は良くならなかった。
「ど、どうしたと言うんだヴィクトリア……!」
まったく口を聞いてくれないヴィクトリアに、リチャードが恐れ戦いたのはまた別の話だった。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
ふふふ、よもやシスコン兄の嫁が主人公とは思いますまい。
そしてさらに、すでに世界征服終了とは思いますまい。
と言うかタイトルを始皇帝ならぬ「妹皇帝」にしてやろうかとも思いましたが、それはこのお話をやっている間に歴史の教科書を見ながら構想していきたいと思います(え)
それでは、また次回。




