5月(下)
古今東西、王族を相手にした演劇は数多くある。
そこには勿論、いくらかの「媚び」があったことも否定できない。
権力者の機嫌を損ねれば、そこでジ・エンド。
二度と演劇など出来ないだろうし、そもそも生命の心配をしなければならない。
今回の演劇の演目が兄妹ものであったとしても――生憎、ベガも元ネタは知らない――それ自体は、別に責められるものでは無い。
むしろ劇団のオーナーとしては、シスタニアの皇帝と摂政に媚びるのは当然の判断だろう。
政治に疎いベガにもそれくらいはわかる、しかしだ。
「これは無いわー」
呆れた心地でそう思うのは、劇団に対してかそれ以外に対してか。
いや、壇上の中心にいる男に対してであろう。
その男の名はリチャード。
何を隠そう、ベガの夫である。
(いや、別に隠してないな。隠れてもいねーし)
そもそも、隠せるものでも無い。
しかし、壇上にいるのは確かにリチャードその人だった。
ご丁寧なことに他の役者よりも何倍も豪華な舞台衣装を着て、壇の中央でふんぞり返っている。
多分にベガの偏見もあるだろうが、とにかくふんぞり返っているように見えた。
俗な言い方をすれば、どや顔を浮かべている。
もし可能であれば笑顔の周りに星が飛んでいたことだろう、それくらいの笑顔だった。
正直、他の観客も困るだろうと思ったのだが、パラパラと拍手が起こっていた。
内心でどう思っているのかはさておき、摂政を相手に笑う者もいないと言うことか。
そういえば、ここに来ている人間の大半はリチャードに媚びて得をする人間だった。
ダメな人間が権力を得た場合の悪い例である。
「あー、何を考えているんだよ、まったく」
ちらりと横を見れば、ヴィクトリアが退屈そうに上を見上げて歌を歌っていた。
どうやら、実の兄が演劇に乱入していることには露とも心を動かされていないらしい。
と言うか、興味自体が無いらしかった。
おそらくリチャードは妹に良い格好をしたくてあんなことをしているのだろうから、何とも哀れなことだった思った。
(と、言うか……)
そこで、ふとベガは疑問に思った。
確かにリチャードは何でもそつなく、と言うより何でも出来る男だが、演劇も出来るのだろうか。
そんなことはついぞ聞いたことが無いが、はたしてどうなのだろうか。
何となく気になったので、ベガは聞きの体勢に入ることにした。
さて、リチャードの役者ぶりはいかほどのものであろうか?
◆ ◆ ◆
リチャードは、常々思っていた。
どうして、ヴィクトリアは自分に構ってくれないのだろうか。
それこそ、一日中悩んでいたこともある。
ちなみにその間は仕事が全く手に付かなかったので、エドワードに任せておいた。
あの時の殺意に満ちたエドワードの顔を、リチャードはしばらく忘れないだろう。
それはそれとして、リチャードはずっと考えていたのだ。
自分に足りないもの、それはいったい何だろうかと。
リチャードは妹であるヴィクトリアが世界一完璧――可愛くて愛くるしくて愛くるしくて――だと思っているため、兄である自分もまた完璧で無ければならないと思っていた。
何しろ妹の可憐さは成長を続けているので、日々研鑽しなければ釣り合わなくなってしまう。
「そして俺は決意した、妹を救うと!!」
壇上で拳を握り、力強く宣言するリチャード。
舞台衣装も手伝って様になっている、傍目にはなかなかの演技に映るかもしれない。
しかし他の役者が全員で「わー」と言うだけの背景と化しているせいか、演劇と言うよりはミュージカルのような滑稽さがあった。
「神よ、貴方が俺にいかなる試練を与えようとも! 俺は決して挫けない!」
とにかく、考えた結果が今回の行動だった。
きっとあれだ、ヴィクトリアは自分に対してマンネリを感じているに違いない。
思えば今までずっと同じ態度で接して来たから、それが当たり前になってしまったのだろう。
つまり、飽きたのだ。
ならば一つ、新たな一面を見せることで惚れ直してくれるに違いない。
兄妹で惚れ直すと言う表現がすでにしておかしいのだが、この場合はあながち間違っていないが、しかし間違っている。
何故なら、そもそもヴィクトリアは兄に惚れたことなど無いからだ。
(見ているかヴィクトリア、お兄ちゃんは頑張っているぞ……!)
観覧席にいるだろうヴィクトリア、壇上からではその姿を確認することは出来ない。
しかしリチャードには確信があった。
きっと今頃、ヴィクトリアは目を輝かせて自分の勇姿を見ているに違いない。
何の根拠も無い確信だったが、リチャードは自分の確信を疑っていなかった。
何故ならば、もし立場が逆であればリチャードは確実にフィーバーしただろうからだ。
むしろ即座に横断幕を掲げて「がんばれヴィクトリア」と応援しただろう、そして相手役の男を死刑に処しただろう。
だからリチャードは今、最高に輝いていた。
◆ ◆ ◆
――――と言うことがあったのが、2日前のことである。
「うう、何故なんだヴィクトリア……」
朝食も喉を通らないのだろう、リチャードはテーブルに突っ伏したままさめざめと涙を流していた。
食堂の壁際に並ぶメイド達は慎ましやかに見ないふりをしている、流石だ。
(まぁ、ここまで来ると不憫になっても来るよな)
そんなことを考えながら、ベガは朝食のパンをぶちぶちと一口大に千切っていた。
普段は全くと言って良い程にリチャードの同情などしないベガではあったが、今日に限っては、流石に可哀想かなと思わなくも無かった。
何しろ、演劇に乱入してまでヴィクトリアの気を引こうとしたと言うのに……。
当のヴィクトリアが、その部分を全く見ていなかっただなんて。
そもそも考えても見てほしい。
あのヴィクトリアが、部屋に閉じこもるよりも外を走り回る方が好きなヴィクトリアが、演劇などと言うじっと見ているだけの物にいつまでも付き合っているわけが無かったのだ。
と言うか、少し考えればわかることであった。
「飽きた、お腹すいた」
そう宣言されては、摂政であるリチャードがいない観覧席でヴィクトリアを止められる者はいない。
忘れられがちではあるが、ヴィクトリアは皇帝である。
臣下やメイドがその意思を掣肘できるものでは無いし、そもそも止めようとしてもヴィクトリアがそれを聞かない。
ましてベガも、摂政の妃と言う立場では止めようも無い。
(まぁ、それにしても凄まじい大根だったなー)
冒頭だけだが、ベガは一応、リチャードの演技を見ることができた。
演劇には疎いが、舞台度胸があるのは流石だと思った。
ただそれで演技自体に感動するかと言うと、それは全く別問題と言うもので、正直に言って大根だった。
と言うか、いつものリチャードであった。
「ヴィクトリアはどうしてわかってくれないんだ……」
(わかっててこの扱いなんだと言うことに、どうして気が付かないんだろう)
ヴィクトリアもリチャードが嫌いと言うわけでは無いのだろう、多分。
なんだかんだで兄の言うことはきちんと聞くし、堪え性が無く飽きっぽいが、一応は皇帝を続けているわけだし。
悪い子では無いのだ、聞き分けが無いわけでも無い。
ただ、本当に興味が無かっただけで。
◆ ◆ ◆
ちなみに演劇の評価はどうなったかと言うと、どうにもならなかった。
何故なら演劇を評価するのは皇帝であって、つまりはヴィクトリアだ。
そのヴィクトリアが途中で飽きて退室してしまった以上、可哀想だが、あの劇団が帝都の門を潜ることは二度と無いだろう。
敗因はたったひとつ、媚びる相手を間違えたことだ。
「姉さま、姉さま~」
「ああ、はいはい」
そしてそのヴィクトリアはと言えば、今日はベガの膝の上にいた。
正直、子供とは言えずしりと来る重さだ。
何しろドレスが重い、布地も重なれば相当の重量になるのだ。
しかしそんなことは露とも表情に出さず、ベガは千切ったパンをヴィクトリアの口元に運んでやっていた。
口元に寄せられたパンを、ひな鳥が啄ばむようにパクつくヴィクトリア。
味はいつものパンだろうに、やけに嬉しそうな顔をして食べていた。
「…………」
(な、何か物凄く物欲しそうな顔で見てくるな)
そして、そんなベガをじっと見つめるリチャードがいた。
これが2人きりであったなら、もしかしたら甘い夫婦生活をイメージしたかもしれない。
しかしそんなものでは無く、こう、恨みがましいと言うか、妬ましげと言うか、羨ましげと言うか、とにかくじっとりとした視線だった。
少なくとも、妻に向ける目では無かった。
「ねぇねぇ、姉さま」
「ん?」
「姉さまはあれ、面白かった?」
「あれ?」
「この間の、皆でわーってするの」
多分、演劇のことだろう。
途端にリチャードの目に期待が宿るのが見えて、ベガは何とも言えない気持ちになった。
ここはお世辞でも良いから面白かったと答えてやるべきだろう、そうすればヴィクトリアはまた演劇を見たいと言うだろうから。
ひとつ頷いて、ベガは答えた。
「いや、正直良くわからなかった。面白かったかって言うと、あんまりかな」
「そっかー。じゃあ、もういらないね」
あ。
「兄さま、もうしないでね」
しまった、つい本音が。
しかし時すでに遅し、この瞬間、宮殿における演劇の永久禁止が決定されたのだった。
ベガはまたさめざめと涙し始めたリチャードに、悪いことをしたかなと思った。
「姉さま、あーん」
「はいはい」
そう思いつつも、膝に感じる温もりに「まぁ、良いか」と思うようになったあたり、ベガも大分シスタニア皇室に染まっているのだった。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
ひたすらに王宮日常を描く本作、段々とネタが切れてきました(え)
しかし大丈夫、日本は四季の国、なんだかんだ毎月イベントがあるはずです……!
と言う訳で、また次回。