5 自殺相談所に必要な人
俺の身が運ばれた先は、古いけど綺麗に掃除された、いかにも事務所という造りの場所だった。
机が並べられ、隅に見える黒い革張りの応接ソファーは磨り硝子の入ったパーテーションで仕切られている。
相談所の表と違って裏は明るい。開かれた窓にはカーテンがはためき、表と裏を逆にした方がいいんじゃないか?なんて悠長な考えを持てるようになったのは、
俺が椅子に縛り付けられて何分か経った後の事だった。
相談所の表から裏に連れて来られた俺は、背凭れが異様に高い椅子に座らされ、ヒゲ眼鏡の所長タナカという男とレスラーと呼ばれた覆面男、二人がかりで白いロープで椅子に縛り付けられた。両腕と胴体は背凭れに、足首は椅子の脚に。
おまけに、口に粘着テープも貼られた。これじゃあ、まるで銀行強盗に遇ってしまった人質。
「むー、んー、ふー、ぐ・・・!」なんで俺がー!
「鼻で息して。」ガタイに似合わず、ご丁寧なアドバイスをするレスラー。
「んーっ、んーっ、んー・・・」ガタガタ、椅子の脚を揺らすと不安定で、体ごと傾きそうになって、慌てたタナカが椅子の背と俺の膝を押さえた。
「転ぶと危ないから大人しくしてて下さい。今の相談が終わり次第、すぐこちらに戻って来ます。」
口調は紳士なのに、やる事が乱暴なこの男・・・タナカ。
口を塞がれて喋れなくなった俺が、けしからん所長のタナカをキッと睨むと、ひげ眼鏡の目尻は皺が寄って笑っているようなのに、その瞳の色は、冷たく感じ、ゾクリとした。
それから大人しくなった俺を一人事務所に残し、レスラーとタナカは戻って行った。
パタパタ、パタパタ。
秋の匂いを含む風が頬を撫でる。
鼻で息をする、そういえば、鼻で息を吸うと冷静になれるって、どこかで聞いたな。
深呼吸、深呼吸。すーっ、はーっ、すーっ、はーっ。
すーっ・・・やめよう。
そもそも、何故俺が縛られなくてはならないんだ?
客なのに、この扱い。戻って来たら激しく抗議してやる!
ガチャッ。
表に続くドアの、銀色の丸いドアノブが動いてドアが開いた。
「んーっ(このーっ)!」
「あら・・・随分 荒っぽいことを。」
入って来たのは、占い師みたいな恰好のばあちゃんだった。
縄で椅子に縛られた俺を見てそう言った後、
「お茶でも煎れましょうかね。」
ニコニコと目元を緩ませ、壁際に作り付けられた簡易キッチンのコンロに、水を入れたやかんをかけた。
お茶なんていいから、俺の体を縛り付けているロープと、口に貼られたテープを外してくれよ。
スニーカーの足裏をパタパタとしてみるが、ばあちゃんの耳は遠いのか、コンロの火を見つめたまま微動だにしない。
おーい・・・!
そうか、ばあちゃんもグルだった。俺の縄を解いて、ここから逃がしてくれる事は期待出来ない。
がくりと項垂れて、目を閉じていたら、
「あなたは、どうしてここにいらしたの?」
急にばあちゃんの声が近くで響いて、驚いた俺は、急いで目を開けた。
ばあちゃんはベールを脱いでいた。白髪頭を後ろでダンゴに纏めている。
俺の前に立って、目を合わせた。
その目・・・全部を見透かされるような目・・・見ているとクルクル眩暈がしそうな・・・
「そうですか、わかりました。」
その声にハッとした俺は、そこでばあちゃんの魔力から解放された。
ばあちゃんはくるりと背を向け、簡易キッチンの方へ歩き出した。
わかったって、何が?
俺、何も喋ってないのに。
何だか怖い、このばあちゃん。
背も小さくて、上品な物腰、顔の表情も普通のばあちゃんなのに、眼力だけ半端じゃない。本当に魔女?
完全に呑まれてた。
占い師じゃなく、もしかして、超能力者とか、催眠術師とかなのか?
それで、人の心が見透かせるから、占い師をやっている・・・?
「ええ。私の場合はそうです。」
「?!」
「そうはいっても、全てではないわ。大体のことが分かるというだけ。でもそれで十分。今の世は、物が多過ぎて、便利になった分、一つの事をじっと考えられなくなってしまったから、分からないこと、迷うことだらけになってしまったのよ。当たるも八卦当たらぬも八卦というでしょう?確率は半分。」
「・・・・・・」
何が言いたいんだ、このばあちゃん。
「あなたがここに来たのは、ここに来るべき人、必要な人だったということでしょう。」
『ここに必要な人?』
“必要”―――――その言葉は、俺を浮き立たせた。
誰かに必要とされるなんて事は、そうそうあるものじゃない。
しかし・・・ここって、どこ?
「あなたはこの”自殺相談所”に必要な人です。」
ばあちゃんは、にこりとしながら、その眼で真っ直ぐ俺を捉えながらそう言った。
俺が、”自殺相談所に必要な人”・・・?