4 自殺相談所所長との出逢い
俺は、サングラスとマスクをむしり取った・・・といっても、普通に取っただけだ。
憤りを表わす為に、自分の顔を隠すものをパッと剥ぎ取った。
「ちょっと!ここの責任者いますか?」
ウサギの着ぐるみは、頭を横に振り、オロオロする仕草をみせた。
自殺相談所の実態を調べる為には、ここで声を荒げてはならないと判っていた・・・のは、”つもり”だけだったようだ。
カーッと頭に血が上った。
何に対して?
自殺を簡単に扱う事に対してだ!
ふと、床に目を落とすと、紺色のビニールテープが線状に貼られていて、辿ると先端が矢印になっていた。
白いプラスチックボードの間仕切りで、道が五つに分けられている。
そして、『レスラー』『イヌ』『所長』『ネコ』『占い師』と矢印の途中に貼られた白いテープに黒マジックで書かれた文字を見つけた。
俺は、真ん中『所長』の矢印のある通路へ踏み込んだ。
「あっ!ちょっ・・・!」くぐもった声だけど甲高い、女の声だった。
振り向くと、着ぐるみウサギが白いモコモコの両手で口元を覆っていた。
中身は女だったのか、と驚いた。何となく男かなと思っていたからだ。
頭がでかいから、俺より身長があると感じ、そう思い込んでいたんだな。
ずんずん歩く俺の後ろをウサギも慌てて付いて来て、後ろから俺の背中をトントン叩く。
立ち止まりも振り向きもしない俺の血走っているであろう目に、背凭れの有る回転椅子に座る男の背中が見えて来た。
あいつが所長か?
椅子に座っていた男が、俺の気配に気付いたらしく、顔を横に向けて、俺を見ようとした。
サングラスにマスク。一瞬あれっと思ったが、俺はそいつの肩を掴んで椅子をこちら側に向け、
「あんた!随分自殺を簡単に考えてくれてんだな!自殺ってのは、そんな簡単に扱っていいもんじゃないんだよ!」
と、そいつのワイシャツの胸倉を掴み、サングラスの奥の目を見据えて訴えた。
「わわわ、わたし、はっ・・・そんな、あの、自殺を簡単になんて、考えてません、ですからここに・・・!」
マスクに包まれた口が動いて、自信のなさそうな、おどおどした声が返って来た。
その30代から50代位と思しき男のおどおど自信のない様子に調子付いた俺は、「だったら、自殺相談所なんて開設してんじゃねーよ!」と叫んでいた。
間仕切りの向こうから、キャッ、とか、どうした?とか、数人のざわつく声が聞こえた。
「あー、はいはい。落ち着きましょう。その方はお客様です。開設したのは、私、ここの所長のタナカと申します。」
「所長のタナカ?え・・・?」
声の方向へ視線を向けると、天面が白いカウンターテーブルを挟んだ向こうに、バーコードハゲづらを被った、齢は40以上?と思える、ルの字ヒゲ付き鼻眼鏡を掛けた男が椅子に座っていた。
ニコニコと笑みを浮かべ、祈るように組んだ両手をカウンター上に置いた姿勢で。
「は、離して、下さい・・・」
俺が掴んでいる男のシャツから手を離させたのは、ウサギだった。
「ただ今、相談中ですので、事務所でお待ち頂けますか?」
「あ・・・あんたが、所長?ふ、ふざけてんの?」
「ウサギさんが事務所にご案内します。」
「や、ヤダよ、そんな、何されるかわかったもんじゃない。もういい、か、帰る!」
「お待ちなさい。」しわがれてはいるが、凛とした雰囲気の声が聞こえた。
紫の布のベールを被り、口元も隠された小柄な人物がヒゲ鼻眼鏡の背後から現れ、ヒゲ鼻眼鏡に耳打ちした。
ヒゲ鼻眼鏡の耳を包んだその手は小さく、シワシワしていた。さっきの声はこのばあちゃんだ。
目の部分だけ見える。
そのつぶらで煌めく瞳を真っ直ぐ俺に向けた時、俺は心の中を見透かされた気分になり、まるで金縛りにあったみたいに、ばあちゃんの目から自分の目を離せなくなってしまった。
心臓がどきどきして、う・・・動けない。
「レスラーさん、お願いします。」
所長が上に向けて声を張ると、トタタタ、と足音が俺の背後から近付いて来た。
「ホイ!」
後ろから掛けられた声が聞こえた時にはもう、俺の体は宙に浮いていた。
正確には、屈強な体躯の覆面男に、俺はお姫さま抱っこされて運ばれていた。
え、え、え?
何これ、何で?動けない・・・怖い。
俺、どうなるの?!
自分の物ではないみたいに動かせない体をあっさり捕らわれてしまったこの状況は、それまで憤りを感じていた俺の心の中を一変させた。
強い不安を感じた俺は、ここから生きて帰れないのではないかと考えた。