39 要請
その日は、日が暮れるまで居ても結局、その後は相談者は現れず、居る意味があったんだろうかと肩を落としてしまうと、
「お疲れ様でした。帰って、ゆっくり休んで下さいね。」と所長がやさしい言葉で労ってくれた。
大した事はしていない俺は、何だか恥ずかしくなって「いいえ、疲れてません。お役に立てなくて───」と言った所で、事務所の扉がバーンと開いた。
「ねーねー、田中っち、新しい子入ったんだって?どの子?」
入って来たのは、三、四十代位の男性。短く刈った清潔感のある髪に、白いTシャツ、下は黒いパンツに濃紺の丈の長い前掛けを着け、形の悪くない額には、細く畳んだバンダナを巻いて居る。
男はニヤニヤと笑い、ざっくばらんに話し掛けた様子から、所長とは親しい仲であるのが窺えた。
「どうしたんですか?こちらに来るなんて珍しいですね。」
「んー、直から連絡貰ってさ、今日二人一緒に休むって言うから、どうしたんだろうと思って様子見に。それと今夜人手不足でさ、困ってんだよね。それで、ここに新人が入ったって噂で聞いたから、丁度いい、スカウトしに来たって訳だ。」
新人って、もしかして俺の事?
所長と顔を見合わせると、
「あ、こいつ?・・・じゃなかった、彼が新人くん?よろしく、内間木田タローです。」と、ニッコリ、少し胡散臭い笑顔で、名乗ったばかりの男は俺に向かって右手を差し出した。
所長も背は高いが、ウチマキダと名乗った男も身長は所長と同じか高い位で、体格がガッシリしているから、少し威圧感を覚えて身構えてしまうと、
「よろしくよろしく。」と強引に俺の右手を取ると、両手で握って来た。
その手は冷たくも無く、大きかった。
「あの、えっと・・・」
「名前は?」
「永合遼大です。」
「リョータね。よし!今夜予定、なんかある?」
「い、いえ別に・・・」
「じゃあさ、俺の店、助けてくんない?急にバイト三人休んで困ってるんだよね。」
男は顔の前で両手を合わせ、俺に頼んだ。
「えっと・・・」
昔から頼まれると弱い。
あまり頼られた経験が無いから嬉しかったりもして、つい引き受けてしまいそうになったが、
俺で務まるバイトじゃないかもしれないと思い直し、
「俺じゃあ、無理だと思います。」と体の前で、パーにした手のひらをひらひら振ると、
「何でぇ?あ、もしかして足腰弱いとか?」と訊かれた。
「足腰ですか?えっと、そんなに強くないですけど。」
「持病があるとかじゃないよね?齢いくつ?」
「24です。」
「健康だよね?」
「まあ・・・」
「酒飲める方?」
「飲めなくはないです。」
「食物アレルギーとかある?」
「いえ、特には・・・」
「今、何か仕事してる?」
「───してません。」
「わお!」とウチマキダが驚いたようなふざけた声を出した後、
「決定、田中っち。この子貰うね。」と俺の腕をグイと引っ張った。
「それは永合さんが決める事です。」所長は俺の目を見て頷いた。
「いいじゃん。今夜暇なんでしょ?こっちはお金貰える人助けだから。」
「あの・・・お仕事って何ですか?」
ウチマキダは下を指さし、「この下のね、居酒屋。」と、また笑顔で言った。
「居酒屋・・・」
「永合さん、強制ではありませんからね?」俺が困っているのではないかと心配して、所長が声を掛けてくれた。
「あ、はい。えっと、俺でいいならお手伝いします。」
金と言うより、人助けという言葉に惹かれた。
今日、相談所で何の役にも立てなかった罪滅ぼしと言う訳ではないが、誰かの役に立ちたい欲が、俺の心の中で燻って居た。
「やったあ!それじゃあよろしく、リョータ!」
俺の名を呼び捨てにしたウチマキダは、なれなれしく俺と肩を組んだ。
「永合さん、お疲れ様でした。それじゃあ、無理せず頑張って下さい。」
所長に見送られた俺は、ウチマキダに連れられ、下の階にある居酒屋の従業員専用口を潜った。




