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2 自殺ビジネス

築何年だろう。



通っていた小学校の廊下に似た古さのビルの入口は、四段上がった奥にある。



一階にある店舗は文具店のようだ。



印章・名刺のご注文は当店へと、黄色が褪せた布製のぼりが出ている。



あまり明るくない廊下を奥まで進むと、エレベーターが正面に一基見えた。



俺は赤とワイン色の中間の扉の前に立つと、上矢印ボタンを押した。



程無くして扉がゆっくり開き、エレベーター内へ入ると、正面の壁に『自殺相談所所長より』と書かれた、以下の手書き文書が掲示されていた。



『ここへ来てくれたあなたへ


あなたが感じられる幸福感は今知っているよりも もっとずっと沢山ある


全部知るのは難しいと考えるかもしれないけれど 不可能ではない


ひょっとするとあなたは世界で一番 沢山のしあわせを知る人になれるかもしれない


年齢も性別も環境も 何も関係ない


無理だと思って 何となく生きてても しあわせな時は訪れる


どん底を知っているあなただからこそ 誰もが見落とすような小さなしあわせにも気付く事ができ


 いつの間にか一番沢山の 幸福を知る人になれると考える


 自殺相談所 所長より』



読み終わる頃に、エレベーターの扉が閉まる音が背後でした。



偉そうな・・・幸福?胡散臭い新興宗教かもしれない。



こういうのを考える奴は、自殺したいなんて考えた事のない部類の人間だろう。



人を騙してでも生き延びる、人が自殺しようが自分が幸せなら構わない、そういう人間だろう。



あなたが幸せになりたいのなら、お布施を納めなさい・・・とかいって、



自殺しようとやって来た人から、財産を搾り取れるだけ搾り取った挙句、救うどころか絶望の果てに突き放して、財産も希望も持たなくなった人を自殺させ、証拠隠滅する悪の結社とか、そんな・・・だったら許せない。



俺に成敗する力はないだろうが、これ以上の被害者を出さない為にも、実態を世に知らしめてやる。



自殺という断崖絶壁の上に追い詰められた精神状態の人を、対極の『しあわせ』という言葉で希望を見せ、下はお花畑ですよーと最後に自殺へ導くような自殺相談所(じさつビジネス)は絶対潰す。



あれ?俺っていつからこんなに正義感振りかざす奴だった?



世の中に正論と正攻法で訴える事は大抵失敗する、とは俺の今までの経験からそう思ってるだけかもしれないが、このまま まともに悪の結社にぶつかったとしたら、こう言った事に立ち向かった経験のない俺のちっぽけな正義は、奴らの一ひねり以下で簡単に潰される。



ここは俺が奴らに騙されたふりをし、潜入取材と行こう。



ん・・・?



この貼り紙の横にぶら下げられた袋は何だ?



その透明な袋の中身は、白色の使い捨てマスクと、黒のプラスチック製サングラスだった。



『四階の自殺相談所へお越しの方は こちらをご着用ください』



『使用済みのものは こちらのボックスへ入れてください』



傘立てのように長い、スチール製の四角い箱がエレベーターの隅に設置されていた。



上から覗いて見ると、箱の中には、すでに二組の使用済みマスクとサングラスが入っていた。



はぁーっ?何故、顔を隠す必要があるんだ?プライバシーに配慮して云々(うんぬん)って事か?



ますます怪しい『自殺相談所』とは一体 何なんだ?



こんなもの着けたくないが、潜入する為には面が割れてない方がいいだろう。好都合だ。



ベリッ。



透明にビニールテープで貼り付けられていた袋の一つを、エレベーターの壁から取った俺は、袋を破り、指示通りマスクとサングラスを着けた。



その時、突然、乗っていたエレベーターの床が動いた。



壁に手を付き振り向いて扉上部を見ると、いつの間にか階数表示は4になっていて、誰かが四階からエレベーターを呼んだと判った。



いきなり、核心に迫る心の準備がまだ・・・



ドックドック、ドックドック、


握る拳の中に汗をかいた俺を乗せたエレベーターは、到着した四階でガーッとその扉を開いた。



四階、自殺相談所とグリーンの文字シールの貼られた片開きの自動ドアが見えた。



エレベーターの横には、マスクとサングラスを着用した、髪形や服装から見て、三十から四十代位の女性と(おぼ)しき人が、先に俺をエレベーターから降ろす為に、横に一歩避()けて道を譲ってくれた。



何で俺がこの階に用があると判ったのかな?



・・・あっ、そうか。マスクとサングラスを着けているからだ。



どっちにしろ、一度ここで降りるしかない。乗ったままでは怪しいし、また一階に逆戻りしたらここまで来た意味がない。



俺がエレベーターから降りると、入り替わりに女性が乗り込み、扉が閉まった。



怖気付(おじけづ)いたか?



四階は他に店もなく、まるで旅行会社のようなガラス張りの自殺相談所の隣には、相談所裏に続いていそうな、従業員専用を匂わせるドアが一つあった。



裏からの潜入は、何一つ内情を掴めていないから到底無理だ。



それに表から堂々との方が、敵に怪しまれない。



しかし俺は目の前の、自動扉の下によく置いてある長方形の赤マットに中々一歩踏み出せずにいた。



大丈夫だ、万が一潜入に失敗したとしても、俺だと判らないようにすればいい。



名前を聞かれたら、とりあえず偽名を使おう。何がいいかな?



佐藤、鈴木、田中、山田、高橋・・・世間に多い名前なら印象に残りにくい・・・いや、逆に憶えやすい?



自殺したい理由を訊かれたら・・・なんて言おう。



自殺したい理由――――気を抜けば今にもそれが蘇って、俺の足を掴み、たちまち奈落に引き摺り込もうとする、気を付けなければならない心の中の一角に残るもの。



うつ病が完全に治らない、再発すると言われるのはそういう事だろう。



死にたい方向へ引き摺り込まれる力よりも生きたい方向へ働く大きな力、それが見つけらない俺は、まだその一角に怯えながら生きていた事を思い出しながら、赤いマットに一歩、踏み出していた。





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