19 自己否定
自閉症の男の子のお母さんは、フルサワコズエと名乗った。
年齢は30歳。旦那さんは34歳だという。
シュウくんの一歳半健診の時に大きな病院を紹介され、そこで自閉症スペクトラムと診断され、療育センターにも通い、自宅でも色々頑張っている、けれど効果が見られない事など、ぽつりぽつり話す内、コズエさんが育児の悩みだけで自殺しようと考えたのではない事が分かって来た。
コズエさんとシュウくんを取り巻く環境の中、シュウくんの将来を真剣に考えるコズエさんはあれこれ悩み、疲れ果て、死に救いを求めるようになった。
「私の意思なんて要らない、あっても邪魔なだけ。夫の妻で、子どもの母親、ただそれだけを完璧にこなせば他に何も要らない。完璧にこなせない私など、存在価値もない。分かってます、そうじゃないと言ってくれる人は沢山居るけれど、それは口先だけの綺麗事で、他人の家庭の問題まで真剣に考えて言ってくれてはいないと。この子の事は、私と夫の問題です。社会全体でカバーしますと聞きますが、カバーしきれない部分が絶対にあります。それを補うのは、母親である私の役目。夫は、表ではいい顔して、家では違う・・・夫は私の言う事を、何一つ受け入れてくれません。いつも”それは駄目だ、柊の為にならない”と言う割に、何もしません。私が良かれと思ってした事が裏目に出ると、私のせいだと責めるだけ。この子を産んだのは私、夫は妊娠中の私の生活が影響してこの子がこうなってしまったのではと思っているようです。全部私が悪いのだと。分かっています。こんな母親では、柊が可哀相な事。夫だって好き好んで自閉症の子の父親になった訳ではないと思っているんでしょう。自分は被害者だと。私は被害者だなんて思いません。ただ、柊が自閉症でなければ、私と夫の関係も良く、柊にとって良い家庭だったのではないかと・・・私はいつまで頑張ればいいんだろう、そう考えたら、何かがぷつりと切れたように感じて、早く楽になってしまいたいと思いました。柊だって、こんな両親の居る家庭より、生まれ変わって、もっと素敵な両親の居る家に生まれた方がいいと・・・」
「シュウくんのしあわせは、誰が決めるんですか?コズエさんですか?お父さんですかシュくん自身ですか?」
「柊の、しあわせを決める?」
「そうですよ。自閉症だと、幸福感を感じられないと誰かに言われたのですか?」
「いいえ・・・でも・・・」
「死んだら楽になる、確かに、何も考えなくて良くなるのですから、間違っては居ません。ですが、勿体無いと思います。あなたは健康で、柊くんも健康で、死ぬ事を考えられる力を他の事に役立ててみませんか?」
「役立てる?」
まさか所長は、彼女にもこの相談所で働けと言うつもりなのか?
「それにはまずコズエさん、あなたが死ねばいいんです。」
「私が・・・死ぬ?」自殺を考えていた筈の女性の顔色が、サッと青くなった。
「え?所長?!」いくら何でも、死ねばいいなんて、逆を言って、女性の心を揺さぶりたいだけなの?
俺には所長の真意が分からなかった。
「コズエさん、あなたは、別の人となって生きればいいんです。」
「別の人って、何を言ってるんですか。」
「コズエさんはシュウくんのお母さんをやめ、シュウくんのお父さんの妻をやめるんです。」
「夫と離婚して家を出ろという事ですか?」
「いいえ、違います。」
「意味が分かりません。」
「学校には夏休みがあります。冬休みも。でも、母親にはありません。不公平だと思って下さい。子どもを産んだら死ぬまで毎日、母親で居続けなくてはならない。あなたは死んで、シュウくんの母親をやめようと考えました。だったら今、ここで、死なずにシュウくんの母親を休めばいいんです。」
「休むって、何を言って・・・そんな事、出来る訳ないじゃないですか。」