15 自殺動機
所長の前に現れたのは、ここへ入る為に用意されているサングラスもマスクも着けていない中年の男だった。
平均より少し腹が出た程度で、よく見かける体型の親父は、禿げてはいないが、薄くなった白髪雑じりの髪は短く、目尻と弛んだ頬には皺が目立ち、所々シミもあって、お世辞にも綺麗とは言えなかった。
服装は白いポロシャツ、首筋は汗ばんで、着古したグレーのスラックスのポケットから取り出したハンカチで額から首筋の汗をざっと拭いながら椅子の前に立った。
すると、所長が立ち上がり、
「どーもどーも、渡辺さん。」とその男に握手を求めた。
え?知り合い?
「田中さん、こんにちは。暑いですね、どうですか、元気ですか?」
訊かれた所長は、バーコードカツラと鼻髭眼鏡を取り去った。
「はい、おかげさまで。渡辺さんは最近・・・?」
所長はタナカという名前に間違いないと、そのワタナベという男に裏付けられた。
「まあ、何とか・・・」
どうぞ、と所長が手で促すと、ワタナベという親父が椅子に腰掛けた。
俺の親父より年上か・・・って事は、もう定年を迎えてる人かな?
「後ろの方は新しい人ですか?」
所長はすぐに俺を振り返って、俺の黒い被り物をズボッと外した。
そして立つように手で合図し、「自己紹介して下さい。」と言い出した。
いきなり本名出すの?
ここって匿名の相談所だったんじゃないの?
急に立ち上がったからだけじゃない動悸を覚えながら、口を開いた。
「永合遼大です。」
「いくつ?」
「24、です・・・」
「そうかぁ、24ねぇ。うちのせがれも生きてたら、ナガイくんより年上だったよ。ま、座ったら。」
では・・・と、所長に続けて、俺も椅子に腰を下ろした。
「今年、息子さんは29歳でしたか。」
「そうそう。15で死んで、14年。殺人の時効は15年だっけ?来年時効だな。」
「殺人・・・?」突然聞かされた物騒な話に、思わず声を漏らしていた。
「ははっ、殺人だと思ってるのは俺ら親だけだ。周りは口を揃えて”いじめによる自殺”だって言うよ。」
右腕を真っ直ぐ伸ばしているワタナベさんの右拳は、テーブルの上をコンコンコンと軽く、等間隔で叩いている。
“いじめ”・・・”自殺”。
この人の息子さんは生きて居たら俺より年上の29歳で、14年前、15歳の時にいじめを苦に自殺した・・・そうなんだ。
ニュースで聞くような話が、実際身近で起こっていたと知って、背筋が冷たくなった。
「奥様は、お元気ですか?」
「ああ、何とかやってるよ。今日はパート行ってて、休みの日は町内の役員とかやってる。動いてると気が紛れていいんだってさ。この前は草刈りに駆り出されて、あちこち虫に刺されて大変だった。」
「そうですか。」
「今年はさ、ここへ来ないで済むかと思ってたんだけど、やっぱさ、夏休みが終わるとどうしても思い出すんだよなぁ。」
「はい・・・」
しんみりした空気が流れる。
何だか居た堪れなくなって俯いた俺に、
「ナガイくんは、自殺したくなった事、あるの?」とワタナベさんが訊いた。
「えっ、と・・・はい。」
「何で?」
「うつ、というか、何でか死にたくなった事があって・・・」
「でも死ななかった。良かったな。」
良かったと言えるのだろうか。
「あ、はぁ・・・」
「ナガイくんの両親は元気?」
「元気です。」
「一緒に暮らしてるの?」
「はい、そうです・・・」
こいつは24歳にもなって、まだ親元で暮らしているのか、と思われているのかな?
「親孝行だ。」
え?どこが――――
大学中退して、引き籠もってて、外に出られるようになった今でも定職には就いてなくて、安定した収入もない俺が、親孝行?
馬鹿にされた風ではない。でも、俺のどこを見て親孝行だなんて言えるのか不思議だった。