13 自生
「その一匹は元気で、秋も冬も越しました。どこにでもいる赤の和金なんですけれど。ただずっと一匹で、何も入ってない殺風景な水槽の中ですいすい泳ぐ姿を見ていると、寂しくないかなと考えて、胸が苦しくなりました。金魚ですから、死ぬまで水の中から出られない。そして足が生えている訳でもありませんから、自ら歩いて別の水槽へ移住する事も出来ません。ごはんは二日に一回くらい、麩のかすをあげていました。好きな所へ行けず、好きな物も食べられず、仲間にも出逢えず、縁を得る事のない名もない金魚は一匹ぽっちで、死に絶えるまで、その水槽で泳ぎ続ける事を考えると忍びなくて・・・」
「・・・・・・」
もしも自分が、死ぬまで毎日、小さな水槽に一匹で、ただひたすら泳ぐ事しか出来ない金魚だったのなら、と考えてみた。
金魚は人に飼われる運命で、この事務所に住み始めたのは縁。
"生きたい"と思わなかった頃の俺だとしても、辛かっただろうと思えてしまう金魚の境遇。
寧ろ、"生きたくない"のに"生かされて"自ら死ねないで"生きる"のを強制されているとすれば地獄だ。
命が尽きるまで、"縁"のある水槽で一匹、飼われている"運命"。
「私達人間は、息を吸って、歩いて、好きな物を食べ、好きな所へ行き、好きな人と過ごせる、そんな自由がある事を、他の生き物達から羨ましがられているかもしれませんね。」
「金魚、もう一匹増やすとか出来ないんですか?」
「そうですね、今年の縁日で釣って来ようと考えていたら、縁日の開催される一週間前に、突然亡くなりました。暑い日でしたから、それが原因かもしれません。」
「そんな・・・」
「もう少し水を増やしておけば或いは生きられたかもしれません。しかしいくら悔やんでも死んだ金魚は戻りませんし、金魚の気持ちは誰にも分かりません。話せないからです。ここへ来る人の中にも、金魚と同じ方がいます。本当は苦しい、それをどうしても言えないから、周りの誰一人にも気付いて貰えない。寂しいけれど、狭い世界から飛び出せない、他の人と関わるのが怖い。絶望や孤独、耐え難い苦しみから逃れる術を、何も無い世界へ行ける自殺の中へ見出すのです。生きる事を放棄して、安らぎを得たい。あなたもそう考えた事があるでしょう?」
「金魚と同じ・・・人間は歩けるし、喋れるのに・・・」
「ですから、家族には言えない事を、ここで私共が聴かせて頂く事により、心の安らぎを取り戻す方もいらっしゃいますよ。」
「聴くだけで・・・ですか?」
「はい。そしてそれは辛い体験よりも、楽しい記憶を聴かせての頂く事の方が多いです。」
「えっ?死にたくなるような辛い話を聴き続けるのかと思ってました。」
「勿論、辛いお話も聴きます。ただ、それを話した後、人は心が軽くなるだけではありません。話した事へ対する後悔も大きくなる事もあり、却って心を重くしてしまう事もあります。人は辛い記憶に支配されている時、前を向いて目を開く事がとても難しくなります。怖れから世界を狭めてしまいます。辛い記憶を忘れる為には、楽しい記憶を繰り返し思い出させ、忘れたい記憶を頻繁に思い返さない事です。そうすれば、時と共に忘れて行きます。ただし、辛い記憶というものは人の心に深く刻まれ易く、ふとした時に、蘇り、不安を掻き立てます。それ以上の辛さに備える防衛本能も作用して、人の脳は痛みを簡単には忘れず、心を苦める事になるのです。それに焦り、抱える不安や後悔を乗り越えようとして、無理に思い出すのは逆効果です。忘れたいなら向き合うのではなく、それらから全力で逃避する事も必要です。何か一つでも心から楽しむ事が出来たのなら、苦しみは徐々に薄れて行きます。」
「楽しい記憶を聴くって、死にたいとしか思っていない人の口から、楽しい話なんて本当に聴けるんですか?」




