115 喜劇悲劇
言っちゃまずい事を口にした、と俺の背中はどんどん冷たくなって行った。
コーヒーの白い湯気が細く、頼りなくなって来て、どうしようと、上げられない視線を左右にウロウロ彷徨わせて居ると、「桜花は来ないよ。」とタイジュさんが言った。
「そう、なんですね・・・・・・」
聞いて、答えを貰って、その後、黙って居るのはおかしいと思い、開きたくない口を開いて、それしか発せなかった。
気楽に出した言葉が、場の雰囲気を一気に重くしてしまうなんて、分かって居たら、しなかった。
いつも一緒に居るきょうだいの事を聞くのは、悪い事だと思わなかったから。
喧嘩したのだろうか。
いつも一緒だから仲が良い、そんな風に考えるのは間違いなのかもしれない。
迂闊だった。
「冷めるから食べよう。」
店長に促されて、皆で食べ始めたけれど、俺は、何だか、あまり味がしなかった。
食べ終えた時、「コーヒー、おかわりあるよ。」とタイジュさんが俺に向かって、空の紙コップを寄越せと手を差し出した。
「俺も欲しい。」と店長が言って紙コップを差し出すと、「僕も」と優くんも倣った。
「お願いします。」俺も紙コップを二人の差し出した所に近付けると「はいはい」とタイジュさんは立ち上がり、コーヒーサーバーから皆の紙コップにコーヒーを注いだ。
「冷めたけど。」
差し出されたコーヒーは、確かに冷めて居たけれど、タイジュさんの気持ちが温かく感じられた。
さっき、オウカさんの事を聞いて、嫌な気持ちにさせてしまったのに、やさしい。
「冷めても旨いよ。タイジュのコーヒーは。カフェでも仕事できるな!」
店長が言うと、タイジュさんは椅子に腰を下ろし、顔を俯かせた。
店長は褒めたのに、どうして俯いたのだろうと、彼の方を見た。
俯いた彼は肩を震わせ、目の前の調理台の上に、ポタポタとしずくを落として居た。
────え?
いつも無口で無表情の彼が、泣いて居る?
目を疑った。すぐには信じられなかった。
ガタン、店長が椅子を鳴らして立ち上がると、彼の背中側に回り込んだ。
そして彼の両肩に店長は手を置くと言った。
「もうさ、吐き出しちまえ。丁度ここに暇してて、話聞きたそうにしてる奴等二人居るから、聞かせてやれば?一人で背負う時期は過ぎたんだよ。」
ズッ、と彼は洟を啜って、「聞いても楽しくないよ?」と前置きをしてから、オウカさんの話をし始めた。
二人は双子の姉弟で、中学までどちらかというと別々に行動する事が多かったという。
オウカさんは活発で、運動神経が良く、5歳の頃から水泳を習ったり、部活動でバドミントン部に所属したりと、とても明るい女の子だった。
でも、中学でいじめに遭い、不登校になった後、自殺未遂を繰り返すようになった。
両親の離婚も重なり、家は滅茶苦茶だったという。
何とか高校に入学したタイジュさんと、通信制高校に入ったオウカさん。
自殺をしないよう、昼は母親がオウカさんを、夜はタイジュさんがオウカさんを見張る生活が続いたそうだ。
母親は夜、仕事に行き、ある日仕事先で倒れ、そのまま亡くなった。
そしてタイジュさんは高校を辞め、オウカさんと同じ通信高校に入学する。
生活費は父親からの養育費と、母親の生命保険金で賄い、高校卒業後、以前からオウカさんと一緒に通って居た自殺相談所を手伝うことになり、居酒屋でもバイトを始めたという。
そして昨夜、オウカさんが自殺未遂をして、病院に入院をした。
今朝はその帰りだという事だった。
何も知らなかった・・・・・・だからって、さっき俺が気楽に聞いてしまったのは、相当酷いなんてものでは済まされない。
「もう5、6年くらいか?いくつだ?」
「来年2月で25です。」
「え?」俺と優くんが同時に発した。
「俺達と同じですね!」
年上だと思って居たのは、優くんもだったみたいだ。
“僕”から”俺達”と変わって居たから気付いた。
こんな時に不謹慎だけど、同い年と聞かされた彼を身近に感じて、少し嬉しいと思った。
遠かった距離が、急に近くなったように思えた。