11 自ら
楽に生きたい。
そう口にした事は無かった。
そんな軽口を叩く奴らを、軽蔑した振りをして、本当は羨んでいたと理解出来た。
昨日、自殺相談所所長のタナカと話している時の俺は、嫌なものに目を瞑り、自分のしたい事だけしかしたくない、ただのワガママな人間だと思えた。
金にならないから、そんな理由は、今だって金にならない仕事しか出来てない俺に振りかざせる言葉ではない。
他の相談員達は別の仕事で生計を立てつつ、自殺を考える人の話を無償で聴く。
その上で何かするのかと訊いたら、『何もしない』タナカはそう答えた。
人の話を聴くだけ、それにどんな意味がある?どんな利益を齎す?
俺は考えて、自ら答えを導き出した。
多分、タナカが言いたかった事、そしてあの相談所がある理由、それから俺の生きる意味、一つの所へ向かう。
話を聴いて貰えた人は、話を聴かせた人に自分の存在を認められる。
ここで生きていていいのか、確かめたい、誰に?何に?
探せば探す程、この世に永久不変なものなどないと思い知らされ、家族でさえ、今は俺を生んだ事を後悔しているのではないか・・・と疑い出したら限がない。
よし、もう一回。
きつく握った右拳を胸の前で小さく振り上げ、ドアに落とす瞬間、
ガチャッ、カチャッ・・・
鍵が開き、ドアがこちら側に向かって動いた。
ぶつからないようにと、慌てて右拳を引っ込める。
「ナガイさん。どうぞ。」
ドアを開けたのは、タナカだった。
顔は少し驚いていたように見えたが、口ぶりは俺が来るのが判っていたような感じだ。
「あの、俺・・・」
「お待ちしていました。」
「え、あの、どうして・・・?」
「お師匠様がナガイさんがお昼頃に見えられると、今朝、お弁当を作って来てくれたんです。」
「お師匠様、って・・・」
タナカが机の上で解こうとしている紫の風呂敷包みを見て、俺は占い師のばあちゃんを思い出した。
風呂敷の上に現れた中身は、黒塗りの三段重だった。
おせち料理か?
蓋を開けて中身を見たタナカは、「わぁ、すごい!」と声を上げてすぐにまた蓋をした。
「お茶を煎れますから、どうぞ座って居て下さい。」
何だか俺、お昼を食べに来たみたいになってるけど、そうじゃなくて・・・
「お話を、したくて来ました。」
何を言ってるんだろう俺、と思ったけれど、言いながら、そうだ俺は、所長のタナカと話したかったんだと分かった。
俺がここに”必要”と言われた理由―――ばあちゃんもタナカも、ただ人手不足だからそう言ったに違いない。けれど、もしもそうじゃない理由があるのなら、俺じゃなければならない理由がもしもあるのならと、知らず知らずそれを求めていた。
ポットから急須にお湯を入れたタナカは、丸盆の上に並べた二つの湯呑みにお茶を注いだ。
応接ソファーに向かい合って座ると、タナカは丸盆から持ち上げた湯呑みの一つを俺の前に置くと柔和な表情を見せ、
「どうぞ、お話しして下さい。」と促した。
湯呑みからは、白い湯気が細く立ち昇っている。熱そうではないが、今は冷たい物の方が良かったので、手を伸ばさなかった。
「相談所の事なんですけど、自殺をしたいと思っている人の話を聴いて、具体的にはどうやって自殺を食い止めるんですか?」
昨日、俺がタナカから聞かされた話は、全部抽象的で、どう捉えたら良いのかと、全部を理解し切れていなかった。
「話を聴くのは迷っている人を導く為です。今、どこに立っているのか、どうやって息をしているのか、どこへ行ったらいいのか、立ち往生している人に、自分の居る場所がここだと認識して貰いたい。どこへも行けない、居場所がない、だから死にたい。自分の存在は邪魔なんだ。誰にとって邪魔だと思われていますか?と訊くと返って来た答えこそ、その人が気にかけて欲しいと願う相手だと分かります。」
「じゃあ、全世界の人から要らないと思われていると考えていたら?」
「それはすごい。私は全世界の人に逢った事はありません。一人一人に私の存在はこの世に必要ないか?と尋ね歩いて、過半数以上の人が必要ないと答えたら、私はどうしたらいいでしょうか?」
「え・・・?」
「たった一人の人に、この世に必要ない人間だ、と言われる事と、全世界の人に、この世で生きる価値のない人だ、と言われる事、どちらが悲しいと思いますか?」
「それは、全世界の人でしょう・・・」
「いいえ。悲しみは同じです。たった一人の人に言われ、自ら命を断つ人もいます。」
「・・・・・・」
「たった一人が、全世界の人と同じ重さに感じることもあるのです。」