番外編 -明治四十年-
明治四十年 京都-
身なりのいい老人が、壬生寺に現れた。端正な顔立ちが一層、その老人を上品に見せている。竹の杖をついているが、足取りはしっかりとしている。その老人は毎日、壬生寺へ来ていた。
「今日は子ども達がいないなぁ…」
老人はゆっくりとした口調で呟いた。そして新選組隊士達の墓参りをした後、本堂に上がり手を合わせた。そうすることが、この老人の日課であった。
「よいしょっと…」
老人は、いつものように本堂の前の階段に座った。老人がぼんやりとしていると、山門の方から一人の青年が歩いてきた。老人はその青年を目を凝らして見た。何か見たことがあるような気がした。
「…はて…?」
老人はゆっくりと立ちあがり、杖を取るとその青年に近づいて行った。そして青年も、真っ直ぐに老人に近づいてきている。
『山野さん』
その声に、老人は驚いて目を見張った。
「中條さんじゃありませんか!」
青年は、にこにこと笑っている。懐かしい顔だった。
『すっかり、いいおじいさんですね…』
青年は口を開かないが、そんな声が山野に届いた。
「…ああ、あなたが来るという事は…私もそろそろですか…」
老人の言葉に、青年がうなずいた。
『沖田先生も、山野さんに会うのを楽しみにしています。』
それを聞いた老人の目から、涙がこぼれた。
「…やっと会えるのですか…長かったなぁ…」
青年は何も言わず、老人が手ぬぐいで顔を拭っているのを見ている。
「…失礼しました……さぁ…もう行きましょうか…」
老人がそう言うと、青年は首を振った。
『娘さんに、お別れを言わなきゃならないでしょう?』
「ああ…そうですね。まだ私の時間はありますかな?」
『大丈夫ですよ。』
「…それなら良かった…ああ、中條さんも一緒にいらっしゃい。娘を紹介しましょう。…わが娘ながら、なかなか出来た子でね…」
青年は、微笑んでうなずいている。
「あ、そうだ…さえちゃんのこと…ご存知ですか?」
山野がそう言うと、青年は黙っていた。
「大きな商家に嫁がれて、もうお孫さんもいらっしゃるそうですよ。」
『白無垢姿…綺麗でした。』
老人は、その青年の言葉を聞いて驚いた。
「!?…ご覧になったのですか?」
青年は、微笑んでうなずいた。
「あっじゃぁ!」
老人は、思い出したように目を見開いて言った。
「礼庵先生の…みさちゃんがどうされたか、ご存知ですか?」
青年は、再び微笑んだ。
『東先生のところへ嫁がれて、東京にいらっしゃいます。お子さんは薬剤師になりました。』
それを聞いた老人は笑った。
「参りましたな。あなたは何でもご存知なんだなぁ…」
老人はそう笑いながら、青年と一緒に壬生寺から立ち去った。
…その老人、山野八十八が死んだのは、それから二日後のことだった。娘に看取られ、安らかに息をひきとったということである。
(番外編 -明治四十年-了)